はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

はがき随筆 新年特集

2009-01-06 10:51:19 | はがき随筆
新年特集 上

「いつか、また」
 「お母さん、そろそろ始めますか」。やっと片付けが終わった私にコタツから夫の弾んだ声。子どもたちはトランプとミカン、そして大きなマッチ箱を用意して待っている。こうして楽しい時は夜更けまで延々と続くことになる。
 ゲームが難しくなると、ルールを覚えられない私に策を練る余裕は全くない。でもなぜか賭けたマッチ棒が山のよう……それに納得いかぬ夫は悔しがる。これが毎年繰り広げられる、我が家のお正月風景だった。
 遺影の前に、そっとカードを置いた。
 「いつかまた、やろうね」
   鹿屋市 西尾フミ子(74)



「四海春」
 紫尾山系の尾根から出た日が昇るにつれて、天地は輝き外気が暖かくなる。初日は森羅万象に新鮮さを醸し出す。散歩の歩を止め太陽を拝む。相棒犬ハナに「今年は元気に過ごそうね」と語りかけると、彼女は目を細め、短いしっぽを振ってこたえる。
 逆光を受けて飛ぶナベヅルのシルエットは美しく、鬼火たきのやぐらの下にたたずむマナヅルの親子に品が漂う。目の縁の赤がめでたさを加える。沖に見える穏やかな不知火や薄青色の天草の島々、雲仙普賢岳に心が洗われる。まさに四海春。幸多き年になるよう天に願い、大きく息を吸う。
   出水市 清田文雄(69)


「新雪を待つ」
 ここ数年、正月の天気予報を気にする。<韓国岳に雪が降ったら登ろう>と、妻と決めているからだ。
 昨年は4日に実現した。大浪池入り口を過ぎると雪道になり、えびのビジターセンター手前2㌔辺りでは「えっ、どうした?」と思うほど、チェーンのない車と人で混雑していた。
 ビジターセンターの駐車場で雪山登山の装備を整え、妻とともに一歩一歩、新雪を踏み、靴音を楽しみながら、見渡す限り白い世界の中へ入っていった。心洗われる思いだった。
 暖かい今年、いつになる?
   出水市 中島征士(63)


「正月とお飾り」
 昔の正月は鞠つき、追い羽根、遊びも豊富で子供にとっては無邪気な懐かしい情景、光り輝く夢の世界。母は火鉢の炭火で餅をあぶってくれた。正月にはお飾りもあります。門松、しめ縄、飾り花、松竹梅、榊、千両万両、南天、譲り葉。松竹梅は一生青く枯れぬように、千両は豊富に幸福があるように、譲り葉はこの世を次の世代に譲り渡す。門松、しめ縄は夕時、潮の満ちる時に飾ると縁起がいいと父からの伝承。古式ゆかしく日本髪を結い、優雅で豪華絢爛、その美しい姿は正月の風景。羽織袴の姿も雄々しく厳粛。めでたい正月、すがすがしい気分の早春。
   加治木町 堀 美代子(64)

   2009/1/6 毎日新聞鹿児島版掲載




 



本土最南端

2009-01-05 21:36:11 | かごんま便り
 「自転車で、目指すは佐多岬……か。面白そうじゃないか!」。新年紙面を議論していた支局の企画会議。若手記者の思いつきに即座に飛びついた。実際に走るのはもちろん私じゃなく言い出しっぺである。無責任な支局長の後押しで、村尾哲記者の運命は決まった。

 行きがかり上、当日は大隅地区担当の新開良一記者(鹿屋通信部)と共にサポート役を務めた。新開記者は四輪駆動車、当方は650㏄の大型バイク。いずれも折り畳み式自転車に比べれば楽ちんこの上ない。当日は雲一つない快晴、絶好のツーリング日和となり、3人の中で多分、私が一番はしゃいでいたと思う。

 実は佐多岬を訪れたのは初めてだった。聞きしに勝る絶景に感動した半面、いくつかの不満も覚えた。まず「ゴール」となる駐車場。ここが本土最南端の地だと分かる表示は電話ボックスに書かれたものだけ。実際の岬はやや離れた場所だから仕方がないと言えばそれまでだが、ちょっと肩すかしを食らった気分だ。

 入園料を払って一路、岬へ。左右に開ける展望に心を奪われていると突然、廃屋と化したレストハウスが出現。眺めがすばらしいだけに落差を感じることはなはだしい。また台風でガラス戸が吹き飛んだままの有料展望台。結果的に素通しとなって抜群の眺めを損なわずに済むのは皮肉だ。

 観光地として往時のにぎわいに程遠いことは知っている。それでも「最南端」の魅力は捨てたものではないようだ。現地の神社に置かれたノートには「日本一周(縦断)」「九州一周」などの文字と共に熱いメッセージが数多く記されていた。自転車の人(ただし「もう少し性能のいい自転車」だが)が少なくないことにも驚かされた。

 人工物で固めた観光地がいいとは思わない。観光のニーズも時と共に変わる。だが観光立県をうたうなら「資源」の生かし方に課題は多そうだ。

鹿児島支局長 平山千里 2009/1/5 毎日新聞掲載

娘のチェック

2009-01-05 16:01:33 | はがき随筆
 最近、私の文章に11歳の娘がチェックを入れるようになった。机の上に置いた書きかけの原稿用紙が、ちょっ変! 微妙に動いている。見たな!! 案の定、11歳の娘という文字の横に「現在」と書き添えてある。思わずニヤリ、の私。今までは決して私の書く物を読んだり興味を示したりすることはなかったのに、ちょっと変わってきた。無関心のふりをして、しっかり気にしているようなのだ。どんな様子で読んでいるのか想像するとおかしいが、私は今の状況を気に入っている。今年は、もっと手厳しくチェックする女子中学生になるだろう。楽しみ!
 鹿児島市 萩原裕子(56) 2009/1/5 毎日新聞鹿児島版掲載

大皿は残った

2009-01-05 15:55:39 | はがき随筆
 物を捨てられないので台所の収納は昔のままだ。みそ作りを楽しんだ蒸し器も、今はお呼びがないまま鎮座ましましている。もったいない気持ちは分かるけど思い切らないと片づかないと言う娘に「はい、そうですね」と言う心境ではないが、次々と片づけられていく物たちがいとおしく思える。いったん運び出したものの、未練がましく大皿1枚を取り出した。子どもたちが、大盛りの手作り餃子を競い合って食べたころを思い出す。懐古趣味だと笑われるが、次は孫たちに手作りをと、ちらっと娘を見ながら大皿は残った。
   鹿児島市 竹之内美知子(74) 2009/1/4 毎日新聞鹿児島版掲載

新年になって

2009-01-03 13:17:26 | はがき随筆
 「まあだだよ」の年ごろに近づいた私にも新年が来た。
 気持ちも若やぐ。この機に生活の巻き直しをしないと、見送った多くの親しい人たちに申し訳ないと思う。
 物忘れくんは日々訪れ、付き従ってくれている。でも、焦ることもあるまいと思うし、出来ることを考えたいと思う。 
 平凡かもしれないが、より多くの本を読みたいと思う。若いころの積み残しが山とあるのだから。テレビは消して。
 唐の詩人、陳子昂(ちんすごう)は「前に古人を見ず」と詠んだ。でも私は古人を前に見たい、と思う。
 ボランティアを続けながら。
   出水市 松尾 繁(73) 2009/1/3 毎日新聞鹿児島版掲載
   写真は粗茶さん

人生今が旬

2009-01-03 13:03:16 | はがき随筆
 出来る時に出来ることをする。その時々(生業、学業他)を精いっぱい生きること(旬)。百歳のお年寄りが、最愛の牛の飼育と、自作の竹ぼうきでの庭や牛舎の掃除に生きがいを持つのをテレビで見て、それだと思った。余生を悔いなき日々にしたいと念じ、福沢諭吉の「世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩に着せない事です」を心として、退職後は老人福祉に精進した。現在は不慣れながら家事と介護を天命と心得、懸命に進めている。昨年決意した川柳と狂句も模索しながら継続中で、今年も老体にむち打ってより満足の句にしたい。
   薩摩川内市 下市良幸(79)2009/1/1 毎日新聞鹿児島版掲載

新年のごあいさつ

2009-01-01 00:00:12 | アカショウビンのつぶやき
新年明けましておめでとうございます。
今年も「はがき随筆ブログ」をよろしくお願いいたします。
どうぞお幸せな年でありますようにと心からお祈りします。




新年にあたり、有名な「アシジのフランシスコの平和の祈り」をご紹介しましょう。

 主よ、
 わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
 憎しみのあるところに愛を、
 いさかいのあるところに許しを、
 分裂のあるところに一致を、
 疑惑のあるところに信仰を、
 誤っているところに真理を、
 絶望のあるところに希望を、
 闇に光を、悲しみのあるところに喜びを
 もたらすものとしてください。
 慰められるよりは慰めることを、
 理解されるよりは理解することを
 愛されるよりは愛することを、
  わたしが求めますように
 わたしたちは、与えるから受け、許すから許され、
 自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。
     アシジのフランシスコ

 アメリカ国民は変革を選択し、オバマ大統領の指導力を世界中が注目する年だが、今年こそ平和な年となりますように。
 一方、日本では、麻生総理の支持率が低下の一途をたどっている。地球規模で広がった経済危機を人間の叡智で少しでも明るい未来へと舵を取って欲しいもの。






 梅の蕾も膨らみ、ブルーベリーの真っ赤な葉っぱが寒々とした庭を明るく彩っている。玄関先にはいつの間にか「ニオイスミレ」が、ひそかに開き、ほのかな香りを漂わせている。
 
 さあ、丑のようなゆっくりした歩みでいい、新しい一歩を踏みだそう。

 

若年期認知症

2009-01-01 00:00:00 | かごんま便り
 年を取ったと思うことがある。ご年配の読者には若造がと笑われそうだが、20~30代のころに比べ、体力の衰えや物忘れの激しさは明らかだ。
 特に困るのが人の顔と名前の不一致、のど元まで出かかった言葉が出てこない、など。同年配と飲むと決まってこの種のぼやきを聞く。裏返せば、誰でも同じなのだ。だが、もし通常の老化とは違う程度で記憶力や認知能力が衰えてきたらどうか。日々の生活に支障を来し、果ては身近な人々の顔や名前さえ分からなくなったら……。
 全国で170万人とされる認知症患者。今後さらに増加が予想されている。お年寄りの病気と思われがちで、若年期にも認知症があることは案外知られていない。患者が高齢者の場合も家族にとっては大変だが、働き盛り世代が認知症になった場合、日々の生活はもとより経済的にも社会的にも、家族にはより大きな負担がのしかかる。
 先日「認知症の人と家族の会」県支部が初めて開いた、若年認知症の介護者交流会にお邪魔した。妻や父を介護している男女3人の体験談を聞いたが、人生これからという時に日々の暮らしが一変するつらさは相当なものだ。この日の皆さんは淡々と語ったが、冷酷な現実を受け止め、人前で発表するまでに、さまざまな修羅場があったと思う。今まさに修羅場にある患者やその家族が、他にも大勢いるはずだ。
 昨秋、世界アルツハイマーデー(9月21日)を前に京都市で、患者本人の座談会が開かれた。広くこの病気を知ってもらうのが狙いだ。患者がよりよく生きられるためには、家族など周囲の助けだけでなく、本人と家族への制度的な支援と、世間の理解がぜひとも必要だからである。
 なお同支部(099・257・3887) は火・水・金の午前10時~午後4時、相談を受け付けている。悩んでいる人はぜひ、お電話を。

鹿児島支局長 平山千里

 2008/12/24 毎日新聞掲載