はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

俄然、ハッスル

2010-05-18 18:25:05 | はがき随筆
 レースのカーテンめがけて、新聞紙でバシッ。手応えがあったのだが蝿の屍はない。部屋を封鎖して次の動きを待つ。
 シューと一振り殺虫剤という手もあるのだが、辛抱強く待つ。叩き損なったのがいけなかったのか敵も然る者、警戒して姿を見せない。
 これから夏に向かうと、ごきぶりも出てくる。そこで俄然、元気が出る。仕留めた時の快感ときたらこの上もない。内心、私の反射神経もまだ棄てたものではないと思ったりする。ハッスルさせる捕物劇だが、迷惑がってるのは蝿とごきぶり。「昔と変わらないね」と娘。
 霧島市 □町円子(70) 2010/5/17 毎日新聞鹿児島版掲載

毎日ペンクラブ鹿児島、平成22年度総会

2010-05-18 07:11:23 | アカショウビンのつぶやき

竹之内さんを囲んで


前会長・K氏の達筆な…


選者の石田忠彦先生と新支局長


まさこさまおめでとう


いつもの四人組はまず、腹ごしらえから


 毎日ペンクラブ鹿児島の総会が、はがき随筆選者の石田忠彦先生と馬原浩毎日新聞鹿児島支局長を迎え、鹿児島市で開催されました。
今年の年間賞作品は、垂水市の竹之内政子さんのサシバの渡りをテーマに書いた「金御岳」でした。
まさこさまは、鹿児島版で「はがき随筆」が、生まれたときからの常連です。

石田名誉教授の講評では「タカバシラの説明を最初にせず、大勢の人が集まった情景を先に書いた点など文章の運びが巧みでした」とお話されました。

6月6日は、福岡市で「大賞授賞式」があります。講師に推理小説作家・夏樹静子さんをお迎えします。鹿児島県からは、竹之内応援団が7名参加します。
鹿児島は過去に、大賞1回、優秀賞を3回受賞しています。
さあ今年も期待して! いざ福岡へ!


母を想う

2010-05-16 21:42:27 | はがき随筆
 釣り歴三十数年。暇を見ては磯釣りに出かける。今日は、薩摩半島、長崎鼻に出かけた。そこそこの釣果に満足の帰り道、灯台下の階段で、ガラスの小瓶を見つけた。中には、手紙とひょうたんのストラップが入っていた。
〈生前、母が大好きだったこの地にいつも身につけていた品をおきます。気付いた方へ、どうかそっとおかせて下さい。熊本県阿蘇市、次女〉。文面から娘さんのやさしさが伝わって来る。釣り道具を放り投げ、一番の景勝の地に大切におきました。
 いつも観光客の絶えないこの地で、台本のない特別の母の日に参加したような気がした。
  指宿市十二町 有村好一(61 2010/5/16 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はsusumuさんの長崎鼻



かわいいなあ

2010-05-15 11:19:46 | はがき随筆
 3歳の孫娘が「ママ、消しゴム持って来て」。
 なのにママは「自分で取りにおいで」。
 孫はぷうっとふくれて「ママ、消しゴム持って来て!」と再び大きな声で。
 「じゃあ、ママのケータイ持って来て。そしたらママも消しゴム取ってあげる」
 孫は「わかった」と目の前のケータイを持って、ママの所へとことこ。
 ママは「ありがとう。ママも消しゴム取ってあげるね」と、手元の消しゴムを孫に渡した。
 孫は「ありがとう」とにっこりして、元の席にすたすた。
  出水市 清水昌子(57) 2010/5/15 毎日新聞鹿児島版掲載


母より先に

2010-05-15 11:17:27 | はがき随筆
 病院の待合室で私の横に30代の主婦と3歳ぐらいの男の子がいた。子供は母親に次々と話しかける。「あのねこれお姉ちゃんに内緒話だよ」「薬はお金を払わないと渡さないよね」など3歳とは思えない言葉に驚く。
 母親が受付で代金を払うと、背伸びして見ている。
 支払いが済んだら、子供いわく「さようならありがとうございました」とすかさず代弁。母より先に後を振り向きながら帰った。残った患者さんたちは一瞬笑顔になる。
 家でもきっと思いつきの言葉の連発で家族は楽しい毎日でしょう。早くおおきくなあ-
れ。
  肝属郡肝付町 鳥取部京子(70) 2010/5/14 毎日新聞鹿児島版掲載

神仏人の恩恵か

2010-05-13 20:27:09 | はがき随筆
 降ってわいた幸いか。4月1日以降無職のままの生活かと思っていた。電話が鳴る。「時間給での勤務を、面接は○月○日です」とのこと。面接後3日ほどして、中学校数学担当で勤務がスタートした。
 今、ほとんど給食後退庁である。午後から温泉行き・教材研究・昼寝・創作:・という有り様である。古希にしては、ほどよい案配で、日々に充実・充満さを感じている。
 正規採用時までには、生徒のよさと名前を知る。同時に、体調づくりに、一日勤務に慣れさせる準備期間か。神仏人の与えし恩恵なのか。
  出水市 岩田昭治(70) 2010/5/13 毎日新聞鹿児島版掲載

母へ

2010-05-13 20:25:01 | はがき随筆
 元気でデイサービスなど利用していたあなたが、急に歩くのも食事も困難になり入院して一カ月余り。病室へ毎日通う私です。根気よく声をかけると、目を開け笑顔も見せ、そして時にうなずきます。後は眠り続けています。
 やがて梅の季節。去年は一緒に梅ちぎりに行った。山深いそこには今年も見事な実。「来年も行こうね」と約束したのだった。
 春の草餅、五月のちまきも作りました。あなたから教えてもらった事が多くあります。今まで生きていてくれた事、今生きていてくれる事、感謝です。
  薩摩川内市 馬場園征子(69) 2010/5/12 毎日新聞鹿児島版掲載
画像はストーンフェイスさん


ラプ・アゲイン

2010-05-13 20:24:00 | はがき随筆
 友だち以上、恋人未満だった雅治(名前をお借りしました)さんと、近くのスーパーで、偶然、会いました。
 「わあ、お久しぶりですね」
 「元気そうだね、よかった」
 45年ぶり。彼は70歳です。
 「まだ、もて夫さんですか?過ぎると毛が薄くなるそうですよ。彼女は今、何人?」
 「髪の毛は東シナ海に捨てた。彼女なし。過去も現在も……」
 自販機コーナーーで、缶コーヒーを飲みながら、メール・アドレスの交換をしました。時々、メール。「お腹が空いた」「母の介護で疲れるぅ」。いい感じです。ウフフ。
  阿久根市 別枝由井(68) 2010/5/11 毎日新聞鹿児島版掲載

「いつか分かるよ」

2010-05-13 06:43:58 | 岩国エッセイサロンより
2010年5月11日 (火)
 岩国市  会 員   中村 美奈恵

「お母さんは僕のことを全然大事にしてくれん」と小5の息子が言った。父親のようにゲームや漫画を買わないからだろう。「大事にするって、物を買ったりすることじゃないよ。あっくんのために食事を作ったり、洗濯をすること」

 一人暮らしをしている上の息子も言っていた。「起きたらご飯ができてるだけで幸せ」って。

でもまあ、三男の子育てには手を抜いているのかなあとちょっぴり反省しつつ、夕食は息子の好きな煮魚にした。「おいしい」。ほらね、こういうところに気持ちを込めているの。気づかないだろうけど。
 (2010.05.11 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

あこがれの島

2010-05-11 15:48:00 | ペン&ぺん
 鳩山首相は、疲れていた。顔色が悪く、言葉も聞き取りづらい。少なくとも徳之島の3町長らの目には、そう映った。
 7日、官邸。首相は上京した3町長から、米軍施設受け入れ反対の署名を受け取った。署名数2万5878人。手にした首相の腕が重みで一瞬、沈む。その映像が何度もテレビで流れる。鹿児島側の出席者は知事ら9人。そのせいか、首相の視線が定まらない。テーブル越しに向き合う9人のうち、誰に語りかけているのか。「ご迷惑をかけた。ご協力を」という言葉がうつろに響く。
 冒頭の町長らの感想は7日夜、鹿児島空港に戻った所を記者が捕まえて聞いたものだ。町長側にとって住民との約束通り断固拒否を首相に突きつけて凱旋した高揚感もあり、若干その印象は差し引いて考えるべきだろう。しかし、官邸での会談のうち、次の発言は「総理、ご冗談でしょう」と問いかけたくなる。官邸記者の取材メモから引用する。
 鳩山「徳之島に私は行ったことはありません。しかし、少年時代あこがれた島でした。好きな相撲取り朝潮太郎の出身地だったからです」
 それは首相の心の中では事実だろう。しかし、徳之島を含む奄美群島には次の史実がある。
 終戦直後の1946年2月、奄美は日本から行政分離され、米軍政府の統轄監督下に置かれ、本土との渡航が制限された。このため引き揚げ者や復員軍人が島に戻ることができず、密航者を乗せるヤミ船が横行。ヤミ船は古く小さく、故郷にたどり着けず亡くなる人や、官憲に捕らえられる人が絶えなかった。軍政に対し、住民はハンガーストライキなどで本土復帰を願う抵抗運動を続けた。復帰まで米軍政府の支配は約8年間に及んだという(「鹿児島大百科事典」など参照)。
 首相の好きな相撲取りの話は、抵抗の島の歴史の前では余りに軽く余りに薄い。
 鹿児島支局長・馬原浩 2010/5/10 毎日新聞掲載

愚痴聞地蔵

2010-05-10 22:49:49 | 女の気持ち/男の気持ち
 山門の脇の木陰にはベンチが置いてある。風通しがとても良く、境内の中で最も涼しい場所である。寺参りや墓参りに来た人たちの絶好の休憩の場であり、社交の場でもある。
 時々、ここで行われる井戸端会議に顔を出すと、思わぬ歓迎を受け話が弾む。会議のメンバーはなぜか70歳過ぎの独り暮らしの女性が多い。
 子育ての苦労話、夫を亡くした時の悲しみ、時には姑さんにいじめられた話女性特有の苦労話が女性特有の苦労話が多いのだが、意外に明るい。
 この人たちに共通しているのは、子や孫の様子をあまり話したがらないこと。それぞれ家庭を持って県外などにいるようだが、独り暮らしの彼女たちは話題にしようとしない。聞いてみると、話題にすると愚痴になって寂しさが増すという。知り合い同士でにぎやかにしゃべっても、1人になるとやっぱり寂しいと。
 数年前、ある寺の「愚痴聞地蔵」さんにこっそり参る老婦人の様子をテレビで見て、心を動かされたことがある。友人で信心深い病院の元理事長に相談したら快諾していただき、わが寺にも「愚痴聞地蔵」さんを迎えることになった。まだあまり知られていないようだが、地蔵さんのひざの上に時々さい銭が上がっている。誰かがお参りに来られているのだろう。
 地蔵さんは今日も大きな耳に右手を添えて、静かに笑みながら鎮座していらっしゃる。
  鹿児島県志布志市・僧侶 一木 法明・74歳 毎日新聞の気持ち欄掲載

家族写真

2010-05-10 21:52:10 | はがき随筆
 このほど義姉さんが逝かれた折、写真が見つかった。その写真を甥っ子姪っ子に見せたら欲しいとの事で複写した。昭和16年8月16日、長兄が出征する前日の撮影。父57才、母51才、長兄26才、次兄20才、私小学6年、長女4年生、次弟1年生、末弟2才で8人家族だった。69年前、戦争勃発前で皆険しい顔だ。次兄は17年応召。やがて終戦後、次兄は21年に、長兄は99年シベリヤから元気で帰って来た。そして今懐かしい顔はそれぞれに逝ってしまって、現存は私と次弟と末弟の3人だけである。唯一の家族写真を見る。ついまぶたが潤むのである。
  伊佐市 宮園続(79) 2010/5/10 毎日新聞鹿児島版掲載

葉桜のころ

2010-05-10 21:33:18 | はがき随筆
 春を迎えた三月下旬から四月にかけて、南九州では菜種梅雨と呼ばれる雨が降り続いて、せっかくの春を台無しにしてしまう。
 運が良ければ散る花びらを盃に受けて優雅に桜の花見ができるが、花のいのちは短くて葉桜となることが多い。しかし葉桜のころも好きである。降れば若葉の緑に染まったしずくが落ちてくるし、晴れると木漏れ日を踏んで並木道を歩く。老いてくると、その方が風情があるようにも思える。人を信じられない今、自然を相手につつましく生きてゆきたいと思う。人生はいつも寂しいが…。
  志布志市 小村豊一郎(84) 2010/5/8 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はオフイスeyeさん

4通のラブレター

2010-05-10 21:25:17 | 女の気持ち/男の気持ち
 毎年のように身の回りの整理をする年齢になってしまった。不要な物は子供たちに残すまいという思いからである。しかしいつも青春時代のラブレターにぶつかる。学生時代から結婚までの6年間、亡夫と交わした4通の手紙。
 50年も前のこととて、あのころは自宅に電話もなく、口で言えないことはいつも手紙に書いた。その後、何か形になるものにして残したいと考えたこともあった。でも広告の裏だったり、リポート用紙だったり。内容も、アイラブユーのささやきより、勉強しろだの愚痴だのばかり。それでも処分しがたく、気がつけば座り込んで涙しながら読み返している自分がいる。
 最近、子供たちに「今まで大事に保管していたのだから、大きなお棺用意してあげるよ。パパの所に持って行ったら」とからかわれている。
 夫は早く逝ってしまい、2人の小さな子どもと3人、生活に追われて過去など振り返る余裕もなかった。それがこれだけラブレターに強く思いをはせるようになったのは「冬のソナタ」を見たのがきっかけ。あのドラマで描かれる主人公たちの純な思いに、自分にもそんな素晴らしい青春時代があったのだと思い起こさせてくれたのだ。今も昨日のごとくあの淡い甘い感覚がよみがえる。
 忘れまい。あの時代のことを。そして今日ある安らぎに感謝しながら毎日を送くろう。
  山口県防府市 佐伯 京子・72歳 2010/5/8 毎日新聞の気持ち欄掲載