*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*
(125)釈迦ヶ岳(しゃかがたけ) <1800m> 「山頂に大釈迦如来像」
<馬ノ背より空鉢の岩峰と釈迦ヶ岳>
山頂にある大銅像で知られるように、古くから釈迦如来が祀られていた。昔は金の如来像が釈迦堂に安置されていたという。
現在の銅製如来像は大正13(1924)年、「鬼雅」と呼ばれた大峰の強力(ごうりき)・岡田雅一が、ただ独りで担ぎ上げたものである。高さ3.6mあり、台座を含めるとかなりの重量となるが、彼は何度かに分けて背に負って登ったという。
山頂からは富士山が見えるという記述が『吉野郡群山記』にある。 曰く「釈迦嶽は大山にして、群峰の上に出る。南に大日嶽、千種嶽相並び、北に楊枝の大山有り。西に群れ、七面山有り。常に雲霧起り、晴日稀れなり。晴るれば、頂上より西に当りて、紀州の海・四国・九州を眼下に見る。南は、南海を過ぎる船の帆かすかに見え、熊野の諸山見ゆ。北は、大和国中の諸山、山城の山々、大峰通りの諸山、山上嶽は楊枝の山に支へられて見えず。その外は、大台山を始めとして、東は伊勢・尾張・駿河の海を望み、晴天のあした日未だ出でざる頃、駿河の富士山、海中に見ゆ。」たしかに奈良県下第三の高峰だけに、期待に違わぬ素晴らしい展望が得られる。 釈迦ヶ岳へは三つの登山道が利用できる。最も簡単には十津川側からの旭ダム近く、不動小屋谷林道の登山口から登る。
この道は1999年に初めて歩いた。2006年には登山口が以前より林道奥になり、立派なトイレや駐車場も設けられていた。
ここからは尾根伝いに古田の森や千丈平を経て2時間強で頂上である。
頂上北側のオオミネコザクラを見た後、大日岳にも登ってゆっくり往復できた。
以下、2005年、逆峰(吉野から熊野へ)で奥駆けした折の山日記より抜粋。『孔雀覗きからしばらく進むと小尻返しという岩がある。「刀の鐺の意味でしょう」と先達の森沢さん。山伏が帯刀していたことをうかがわせる言葉である。続いて「貝摺り」という岩の裂け目を通る。これは法具である「法螺貝がこすれる」という意味であろう。
次のやや大きな岩の裂け目を「両部分け」という。大峰を金胎両部の曼茶羅と見なし、吉野からここまでが金剛界、ここから熊野までが胎蔵界としたものである。
次の大岩壁をトラバースしていく曲がり角が「橡(えん)の鼻」である。岩の下に蔵王権現像があり、たくさんの碑伝が打ってあった。鼻を回ると釈迦ヶ岳が正面高く聳えている。「橡の鼻まわりて見れば釈迦ヶ岳、弥陀の浄土に入るぞうれしき」。最低鞍部までには、更に馬の背、杖捨と呼ばれる所を過ぎると、ようやく最低鞍部に着く。ここから釈迦ヶ岳に向けて急登が始まる。あせらずにゆっくりと高度を稼ぎ、思ったよりも楽に頂上に立つことができた。何年ぶりかでお目にかかるお釈迦様が、暖かいお顔で出迎えて下さった。思わず手を合わせ般若心経を唱えた。』
最も印象に残るのはこの山行の翌月(2005年5月)、前鬼の宿坊・小仲坊に泊まり、両童子岩を見ながら太古ノ辻に登った時である。ちょうどシャクナゲの時期で、緑の山肌がピンクの模様で染め上げられた美しさは幻のようだった。