*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*
(133) 玉置山(たまきやま) <1076m> 「熊野灘を望む霊山」
山頂より宝冠ノ森
別名・沖見嶽、舟見山。大峰山脈の最南部にある信仰の山である。別名の通り、山頂からは熊野灘を望むことができ、三角点横の祠に沖見地蔵が安置されている。また山頂から南東へ延びる尾根を約45分辿ると宝冠ノ森がある。ここは一時、南奥駈道最後の行所と言われていた。これは江戸後期に入って逆峰が一般的となり、玉置山から本宮までを歩かずに玉置山から竹筒に出て、北山川を舟で新宮に下ることが多くなったためである(森澤義信氏『大峰奥駈道七十五靡』)。
山頂を南に下った山中の台地に、杉の大木に囲まれた玉置神社が鎮まっている。
神社と山頂との間には山名の由来になったと考えられる玉石神社がある。
周辺は『海底火山の噴火により噴出した玄武岩質の溶岩が、水中に流出して冷えた固まった(説明板より)』枕状溶岩推積地で、県指定天然記念物となっている。玉置神社は十津川郷の総氏神であり、熊野権現の奥の院とされている。
周辺の原生林は神域として伐採を禁じられてきたので、樹齢千年といわれる神代杉をはじめ巨大な老杉が残されている。十津川村折立から玉置神社へは古くから参詣道があった。現在は神社の駐車場まで林道を車で上ることができる。私たちも何度かこの道で安直に登った。
駐車場から山頂までは30分強である。
2005年6月、奥駆山行最終回で玉置神社に泊めて頂いた。
朝食後、井上宮司さんの説明で重要文化財の襖絵を見学させて頂く。
狩野派の絵師による花鳥図は華麗で、よく保存されていて色鮮やかである。三柱神社で祝詞とお祓いを受けた後、杉林の中を玉置山山頂へ登る。熊野灘は見えなかったが、遠く雲海に浮かぶ山々、近くは濃緑の宝冠ノ森があるピークと、胸のすくような爽快な眺めであった。この日は大森山、五大尊岳、大黒天神岳を経て夕刻、熊野川の畔に下り、吉野から140㎞に及ぶ奥駈道山行を終えた。
<奥駆道山行の詳細はこちらに>
2006年11月、宝冠ノ森を訪ねた。山頂からシャクナゲの林を下ると左は花折塚へ右は玉置神社への道を分ける十字路で、勧業山の碑と大きな案内図がある。直進してなだらかに登るとミズナラやアセビの茂る1064m峰で、これを下った鞍部から登り返して1057mピークに立つ。二股に分かれた道を左に行くと100mほどで見晴らしの良い絶壁の上にでた。
中八人山から笠捨山、蛇崩山、西峰に続く山々が一望され、右下に目指す宝冠ノ森が紅葉の山肌を輝かせている。分岐を右に行くと急坂の下りになる。
大きな一枚岩に鎖が下がっている処を下りきるとキレット状になり、少し登り返すと美しいブナやミズナラの林の中に入る。
大きな岩の上に碑伝が打ってあるところが宝冠ノ森である。少しし先の断崖の上まからは先程見た山々と、蛇行する熊野川が望めた。行所に帰り、手を合わせ般若心経を唱えた。