ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

花の命を…(6.28)

2008-06-29 09:10:52 | 矢田だより
午後から雨の予報に急いで矢田山へ行きました。


東明寺のナツツバキが花盛りです。落花も多くなりました。



3日前と同じ道を歩いたのですが、26日の「矢田だより」で見て頂いたオカトラノオは数本あったものすべてが見当たりません。


このホタルブクロの近くの仲間は、無残に折られていました。
登山道脇のイチヤクソウも見当たりません。
矢田大石横の竹藪では、横にザックを置いた夫婦がせっせとハッチクの皮をむいていて、私たちの足音をきくとギクッとした様子でした。

悲しいことに、矢田山の花はだんだん少なくなっています。
心ない人が多いことが、とても淋しいです。…といいながらも庭の掃除をしていて、不注意からアガパンサスの花を折ってしまいました。


♀ペンが、すぐ水に入れてあげたので、こんな恰好で4日間なんとか命永らえています。

観音峰の花

2008-06-29 08:17:03 | Weblog

展望台付近のジギタリスの群落。バックは「バリゴヤの頭」




圧倒されるほどの数の多さです。白く見えるのはウツギ。




観音峰の妖精…ベニヤマシャクヤク




ギンリョウソウは、展望台から正面に見えるピーク(観音峰はその後ろ)の林で、ひっそりと…。


フタリシズカの花も静かに咲いていました。

初夏の観音峰(6.27)

2008-06-28 21:24:05 | 山日記
今年もベニヤマシャクヤクに逢いたくて、梅雨の晴れ間を狙って観音峰に登りました。

虻峠トンネル出口の駐車場に車を置き(9:20)、吊橋を渡って山腹を登り、
観音平で一休み(10:10~10:15)。後ろに見える石段を登ります。


急坂ですが20数分で展望台。
今回は残念ながら展望は悪く、わずかにバリゴヤの頭がぼんやり見えただけでした。


しかし殆ど諦めていたシャクヤクが咲き残っていましたし…


初めてジギタリスの大群落にも出会えて、♀ペンはご機嫌です。
観音峰のピークまで足を伸ばすことにしました。(11:00)


ブナなどに囲まれて薄暗い山頂で昼食を済ませ(11:35~11:55)


帰途はもう一度、展望台付近で花たちと名残を惜しんで(12:25~12:30)
「観音の岩屋」に立ち寄り…(12:45~12:55)。


今日の収穫に、二人とも大満足で下山しました。(13:40)
花たちの写真は明日、改めてご覧にいれます。

続・三山の話し

2008-06-27 20:39:13 | 四方山話
立山三山(雄山 2991m、浄土山 2831m 、別山 2874m)
<1991.08.16~17>
 雄山には何度か立ちましたが、浄土山が室堂から一の越へのルートからも、縦走路からも外れていることもあって、「三山巡り」は町内の山仲間「千日山歩渉会」と行ったこの時だけです。
 レンタルのマイクロバスで5時出発。立山駅前に駐車してケーブル、バスと乗り継いで14時半、ガスに覆われた室堂に着きました。
積み重なる岩を両手も使ってよじ登る道は、慣れない人は少し苦しそうでしたが、16時、全員浄土山頂に立ちました。
 霧が晴れて右に白馬から針ノ木に連なる後立山連峰、正面に雄山から別山への稜線、左に奥大日から大日岳への連なりと予想以上の展望が開けました。

浄土山より剣と別山(右)
 30分近く景色を楽しんで腰を上げ、17時、一ノ越山荘に入りました。夜は満天の星空を人工衛星が夢を運ぶように流れていきました。
 翌朝は抜けるような青空でした。一ノ越から標高差300M、岩屑の急な登りを頑張ると社務所のある五の越です。

 参拝料400円を納めて岩の階段を登り、始めて峰本宮のある3003M(その後測量の結果、現在は2991m)の頂上に立ちました。(それまでは、少し下の稜線を通過)
 狭い頂上はお祓いを受ける人で混み合い、ゆっくりは出来ませんでしたが、360度の大展望に全員が満足しました。
「どっしりとした険しい剣、白馬から鹿島鑓、針の木に続く長い後立山連峰、槍から穂高への厳しい岩稜、優美な笠、五色ヶ原から薬師への長い稜線、緑濃い大日・奥大日のなだらかな連なり、遠くの富士、白山、御岳、北岳、甲斐駒、八ヶ岳……枚挙に暇のない程の山また山の連なり。
 一つひとつの山々を数えていると、様々な想い出が去来し感無量だった。未だ知らぬ山頂への憧れがつのり、登高欲をそそられるのもこんな朝である。」
と山日記に書いています。
 ここの若い神主さんは美男で声もよく、しばらくは女性軍の話題を独占していました。
 大汝、富士ノ折立を経て、別山乗越への分岐から急な登りで別山頂上に着きました。
 
 ここからの剣岳はまさに圧巻。八つ峰、源次郎尾根を右に、左は一服剣から別山乗越への稜線が根を張るように、どっしりとした風格があります。
 最後の頂上で存分に展望を楽しんで、乗越から雷鳥沢を室堂に下りました。

写真はミクリガ池からの雄山と浄土山(右)

関の三山(羽黒山、筆捨山、関富士)
<2000.4.06>
 東海道の重要な宿場町だった関の町。そこにある三つの低山巡りです。
 正法寺山荘(平家の子孫で戦国大名・関氏の、砦を兼ねた住居跡で今は公園)からスタート。

最初に向かう羽黒山は、山腹に巨岩を点在させた特異な姿を家並みの上に見せています。
 登山口からしばらく登ると大岩の前に羽黒神社の鳥居があり、奥の苔むした急な石段を登ります。さらに木の根を頼りに直登すると、岩壁の窪みに羽黒大権現が祀られています。岩を捲く形で急登すると5分で展望岩に出ました。すぐ左手に大きな岩塔が立ち、眼下に関の町並み、遠く伊勢の海も見えます。右手に関富士の整った山容、その右上に錫杖岳の尖鋒。
 稜線に出てコブを一つ越すと羽黒山。樹木に囲まれた狭い頂上に四等三角点石標がありました。少し下のガレ場は錫杖岳や鈴鹿南部の山、平野越しの伊勢湾と低山と思えぬ雄大な眺めでした。
 ガレの横から筆捨山への縦走路に入ります。ガイドブックには「普通に歩けるような道ではないので敬遠した方が得策だ」とありますが、岩場の通過に注意すれば、それほど困難な道ではありません。一部不明瞭な所はあるが踏み跡はしっかりしているし、要所にペンキ印や赤テープ目印があって不安はありません。急坂を下り、大きな倒木の枝の間をくぐり抜けて大きな岩の前にでます。

(以下山日記)「胎内潜り」のようにして下方へ通り抜けるようになっていて、小さな岩穴を潜り込む。大きな岩の上を歩いたり、岩裾を通ったり、大きく捲いたりしていく。一カ所、傾斜のある岩場のトラバースがあった。フィックス・ザイルが張ってあり少し高度感があるが、フリクションがよく効いたのでザイルに頼らずに簡単に渡ることができた。「歳相応にしてや。落ちても知らんでえ」(と♀ペン)しばらくで東海自然歩道に出た。」
 正面に筆捨山が見える。「名人(狩野元信)が描けんほど、綺麗には見えんけどなあ」「古うなった筆を放りはったんちゃうか?」小さいピークを何度か登り下りして、最後は木の階段、鎖の手すり、また階段で急登すると頂上。ヒノキ林に囲まれ展望は全くない。

 関の町へ下り観音山公園からは関富士が正面に美しく見えます。鎖の手すりや階段の急な道となり、分岐で左の「関富士コース」を少し登り加減に行くと5分ほどで富士の裾に来ました。
 細い踏み跡で急斜面を登り出すと快適なジグザグ道を10分ほどで頂上243m四等三角点の石標。南側だけが少し開け、伊勢湾を行く白い船が見えました。
 終日だれ一人にも出会わない貸し切り状態で、低山ながら変化があって楽しい三山巡りでした。

吉野三山(栃原山 530m、銀峰山 614m、櫃ヶ岳 781m ) 
いづれも登山口から短時間で楽に登れる里山ですが、この三山はそれぞれ別の日に登りました。(栃原山<2006.09.21>、銀峰山<1977.03.17>、櫃ヶ岳<1998.03.26>)
栃原山を金の峰、櫃ヶ岳を銅の峰になぞらえるので、オリンピックの年にふさわしい三山かも知れません。
詳しくはこちらをご覧ください。
高野三山(摩尼山1004m、楊柳山1008.5m、 転軸山 915m )
 <88/07, 05.08.05>
 秋に関西支部70周年記念行事が行われれるので、会場や町石道の下見などでこの年三回目の高野山。この日は二人で奥の院にある河口慧海師の供養塔を尋ね、17年ぶりに奥の院を囲む三山を歩くことにしました。詳しくはこちらをご覧ください


「三山巡り」はまだ続きます。

「三山」の話し

2008-06-25 07:41:03 | 四方山話
「日本三景」をはじめ「三名園」「三名城」「三橋」など日本ベストスリーは数多いですが
山関係では「日本三名山(富士、立山、白山)」
「日本三急登(烏帽子ブナ立て尾根、甲斐駒黒戸尾根、谷川岳西黒尾根)」
「日本三大雪渓(白馬、針ノ木、剣沢)」「日本三彦山(弥彦山、英彦山、雪彦山)」などがあります。
「○○三山」もあちこちにありますが、そのうち私たちの登った山を…。

白根三山(北岳 3192m、間ノ岳 3189m 、農鳥岳 3026m)
<64.7.22~27>
 東京オリンピックのあった年、大阪山友クの夏合宿。総勢13人のパーティで変愚院はCL、♀ペンは食料係でした。
 この頃は港町発の「やまと」という急行にがありました。これに乗って富士から身延線の始発で甲府へ。ここからバス、マイクロバスで広河原へ入りました。
 白根御池で幕営。24日、草滑りを頑張って稜線に出ると富士、中ア、北アと最高の展望と涼しさが待っていました。

北岳山頂にて。前列左・変愚院、中央・♀ペン

北岳小屋横の幕営地は絶好のロケーションで、キジ場から満月と富士が見えました。
 25日、白根三山の縦走。毎日の快晴続きで水不足。東農鳥岳の手前でついに一人ダウン。日蔭を求めてハイマツに潜り込みました。先行させた後輩が迎えに来るまで空身で歩かせて、キスリングザックを二つ担いで頑張りました。
 やがてSLまでバテ気味になったので、大門沢下降点でパーティを二つに分けました。SLと男子1人、女子6人を先に降ろし、残りのものでビバーグの準備をしました。
 夕食用の水を求めて二人が1時間ほど下った水場へ行くことになり、最後に残したあった水を飲ませていると、病人も「自分も飲ませてくれたら歩けそうだ」と言い出しました。
 先行と1時間ほど遅れで長い長い大門沢を下りました。ようやく水場に着いて、
たらふく水を飲めたときの嬉しさは忘れられません。
 連日の快晴続きが仇となって、全員が熱中症寸前の暑い暑い夏山でした。ついでですが、この年の暮にペンギン夫婦が誕生し営巣を始めました。

白馬三山(白馬岳 2932m、杓子岳 2812m、白馬鑓ヶ岳 2903m)
<59/08, 64/08>
主峰の白馬岳へは5度登っていますが、三山巡りは二度だけです。
 初めての白馬はもう半世紀近く前、母校に勤務していた時です。
 この高校には山好きな先生が多く、毎年夏に山岳部以外の生徒を募集して、白馬、穂高、立山のサイクルで集団登山を実施していました。
 この年の白馬は70人もの参加者があり、変愚院はSLでした。二度の六甲での予備登山をすませ、初日は蓮華温泉まで歩き本当の露天風呂に入りました。
 蓮華温泉
 翌日、白馬山荘泊。3日目、山頂でご来光を拝んだ後、三山巡りをして下山。快晴で立山連峰の眺めが最高でした。

64年は後立山連峰縦走の途中です。この年はバスが佐渡見平まで入るようになり  『蓮華温泉入りが便利になった』と日記に書いています(今はもちろん蓮華温泉までバスでいけます)。
翌日は大池から白馬岳へ。

 『村営小屋の幕営地は汚く、おまけに小屋のスピーカーがうるさく、うんざり』。このスピーカーの音は今も耳について離れません。
 「○○番から○○番の札の方は夕食です」と外へも聞こえる大きな声…
その合間に「ここは白馬 雪渓一里 ピッケル片手にさくさく登る…」と大音量の白馬小唄が鳴り響きます。
おかげで歌詞も節もすっかり覚えてしまいました。
 この日は三山を縦走し、天狗池の畔で早めにテントを張り、午後は休養日にしました。そのあと、五竜、鹿島槍吊尾根と幕営を重ね、予定通り爺岳から扇沢出合へ下山しました。

音羽三山(音羽山 852m、経ヶ塚山 889m、熊ヶ岳 904m)
<1978.11.23、79.01.28>
 多武峯(とうのみね)談山神社から正面に見える三つの山です。連続して登っているのは11月が下見のためでした。
 「左くゎんのん右たふのみね」の古い石標から十七丁の音羽観音参道を登ります。南音羽の村落を抜けて観音寺で小憩、暗い杉木立の沢沿いに急坂を上り稜線に出ます。勾配が緩み、金剛・葛城を見ながら音羽山頂へ。
 稜線の小さい登降を繰り返して経ヶ塚山へ着きました。お経を埋めたと伝えられる跡に、案外新しい石塔が立っていました。

(経塔の前で♀ペンと息子)
 ここから急降下で熊ヶ岳の鞍部へ下ります。鞍部から見上げる熊ヶ岳はずいぶん高く見えますが、左に室生の山々を眺め、右に大和平野を見下ろしながら登ると案外楽に山頂に立ちました。
 ここから大峠をへて不動滝に下りました。滝の名は横に不動明王を刻んだ大石があることから来ています。
 「割れ不動」といい「慶長十三年、多武峯の鳴動で割れた」という幅2センチほどの割れ目がありました。

大和三山(耳成山 140m、畝傍山 199m、天香具山 152m)
<86/02, 92/01>こちらをご覧ください

「○○三山」は続きます。

続 「三の山」

2008-06-23 09:20:08 | 四方山話
もう少し「三の山」とお付き合いください。

三峰山(1,235.4m) <85/05,99/02,03/02>

みうねやま。標高1235.4m。宇陀郡東端、奈良・三重県境に位置するゆったりした大きい姿の山。
西にある高見山とともに霧氷の美しいことで有名です。

三国山 (876m) <00/07>

この名前の山は『コンサイス日本山名辞典』に出ているだけで17座ありますが、私たちの登ったのは湖北、マキノスキー場上にある山です。
 山頂近くの三国湿原には、黄金色のキンコウカの花がびっしり咲いていました。
山頂からは電波塔の建ち並ぶ乗鞍岳が正面に見えました。この日は赤坂山へ縦走しました。

三瓶山 (1,126m) <73/07>
猛暑の年の7月下旬、山麓にある志学温泉の民宿で一泊。
 タクシーで東ノ原、リフトで女三瓶下までと極力、交通を利用する(9:00)。リフト終点から女三瓶山頂までは急登だが15分。ガスがきれ、全山が見渡せた。
 気持ちの良い尾根道を主峰へ。難所と言われる「犬戻し」(10:15)は知らぬ間に通過。男三瓶の頂上(10:25~40)はカンカン照りで参った。ここから子三瓶との鞍部へは相当な悪路で、木の根、岩角を掴んで下る。林の中を通って火口湖・室の内池の畔(12:10~13:00)で昼食。尾根に出て孫三瓶に向かうが、風のないブッシュ帯はまるで蒸し風呂だった。頂上は登らず捲いて、夫婦松に下る(14:10)。
 殆ど人に出会わなかったのも道理、夏に登るには暑すぎる山でした。

三郎ヶ岳 () <86/12, 93/07, 04/02>
こちらをご覧ください。

三笠山 (342m)
若草山の別称で、近世になってからの呼称です。
 本来のミカサ山(御蓋山)とよく混同されますが、近くにある別の山です。
こちらをご覧ください。

三嶺 (1,893m)() <06/08>

日本山岳会関西支部の四国分水嶺踏査第4回目で「ニクブチ峠~剣山~三嶺~名頃」を歩きました。(写真は三嶺頂上直下の岩場です)

 前夜、剣山ヒュッテで一泊。いよいよ三嶺へ向かう長丁場である。午前3時半起床、4時朝食。4時半、ヒュッテに別れを告げ、頭上に満天の星を仰ぎ、足元をライトで照らしながら歩き始める。…
…13時10分、三嶺山頂1893.4mに立つ。山頂はガスに覆われて、残念ながら無展望だった。「もっと天気の良い時に来て欲しかった」と尾野さんが私に言われた。四国の山を知悉して自分の山のように愛している彼の、遠来の仲間を気遣ってくれる優しい気持ちを本当に嬉しく思った。
*尾野益大(ますひろ)氏には「四国の山を歩く」他、四国の山に関する多数の著書があります。
 
三津河落山 (1,630m) <00/11, 04/07>

三津河落山は、一般に如来月から大和岳にかけてのピークの総称とされていますが、古くからそれぞれの峰は別の名前で呼ばれていたようです。
『和州吉野郡群山記」に、
「三途川落、大台一の高山なり。北東の隅にして、その尾、伊勢大杉山に続く、紀の川<吉野川>・宮川<大杉谷>・新宮川<熊野川・北山川>の水源なり。三途川落に登れば渓筋三方へ分れたり。一方東は宮川に出、一方北西は紀の川に出、一方西南は大台に入りて新宮川に出る」とあります。
 つまり「三つの川ミチに分かれて落ちる」のが山名の由来ですが、「三途の川」を連想させることを嫌って、いつか今の字になったようです。 

三輪山 (496m) <88/01, 08/06>
こちらをご覧ください。

三 岳(丹波) (793.4m) <87/1>
多紀アルプスの小金ヶ岳に隣り合う山です。二つの山の暗部、大タワに車を置いてピストンしました。
最初は灌木帯の落ち葉を踏んで快適な登りでしたが、すぐに滑り落ちそうな急坂になり、木の枝や岩角をつかんでようやく登り切ると、すぐに次のピークが待ち構えています。3回ほどだまされて石室に着くと、30mほど先に山頂一等三角点がありました。大タワから50分でした。
 南に北摂の山々、西に虚空蔵山など、東にこれから登る小金ヶ岳と素晴らしい眺めで、眼下に篠山の町が箱庭のようでした。

「三」の山

2008-06-22 20:01:00 | 四方山話
「三」の字のつく山は結構あっていきおい私たちの登った山もたくさんあります。
順不同で思いつくままに…。

三尾山(586m) <1997/06/22>

西多紀アルプス西端、緑の中に露岩が点在する美しい里山。山頂部は三尾城跡の標識のある586m標高点の他、東峰、西峰の三つの峰に分かれています。
 11年前のちょうど今日、6月22日に町内の山の会「千日山歩渉会」の人達と登りました。梅雨のさなかなのに雨に遭わず、東峰、西峰と縦走して、城跡の碑の建つ草原の本峰に立ちました。佐仲峠へは小さな岩稜もある下りで、見返ると緑の山肌に散らばる白い露岩と朱色のツツジが印象的でした。

三俣蓮華岳(2,841m) <61/08/22,63/07,63/08, 69/07>
この山だけを目的にしたことはなく、すべて通過点でした。
 はじめては弟と烏帽子から槍、そして大滝へと4泊で縦走したとき。
当時は食料も装備も重く、小屋泊まりでも4貫(16キロ)のザックを背にしての山行でした。夜行で大阪を発ち、七倉から「日本三大登り」のブナ立尾根を登り烏帽子小屋泊。
 二日目、「三ツ岳」、野口五郎、鷲羽岳を越えて三俣蓮華へ。小屋からは頂上を捲く道もありましたが、ガスの中、律儀に稜線をトレースして13時半、頂上を通過しました。
他に人影はなく、その頃、三俣の幕営地でクマが出没する噂が盛んだったので、ひやひやしながら歩きました。

 63年はいずれも幕営で、ひと夏に二度この山を通過しました。
7月は会の合宿で、薬師岳から雲ノ平へ。リーダーは変愚院、結婚前の♀ペンも一緒でした。
 黒部源流を徒渉して厳しい登りで平に着くなり、猛烈な雷雨に追われ溶岩の点在するある窪地に避難。雷の嫌いな♀ペンは、たちまち小さい流れとなった中にうつむけに寝ていました。しかし「何してんねん」と冷やかされると、「イワナ採ってんのよ」と負けん気の強い事でした。翌日、三俣経由で伊藤新道を下りました。

 8月は勤め先高校の山岳部夏山合宿付添。先月と同じコースで4日目、三俣を通過して双六の幕営地へ。

(写真は三俣蓮華岳の肩で槍をバックに。中央が変愚院)
 ここで雨になり二日間沈澱。テントの中で握り飯を握り寿司に見立てて騒いでいると、隣のテントで聞き耳を立てて本気にしている奴がいて、面白かったです。

万三郎岳(1,405.6m) <92/12> 天城連山の最高峰、「二の山」ご参照ください。

三ツ峠山(1,785m) <98/12/06>
14時半、御坂峠トンネル手前の裏登山口に車を置き歩き出しました。広い道は曲がりくねりながら結構急勾配で登ります。登山道を拾いながら行くと「左手後方、鉄塔の立つ山が目指す三ツ峠山です」という表示がありました。
 夕暮れのような濃いガスの中で何も見えません。次第に雪が多くなり小屋近くでは10センチ近くになりました。ウッディで瀟洒な山荘・四季楽園まで登山口から1時間20分でした。
 翌日、一晩中、窓を鳴らしていた風は止みましたが、朝から激しいみぞれ。殆ど視界もなく、あきらめて下山しました。
「ぜひもう一度」という願いは、まだ果たしていません。

三星山(549.2m)<02/03>

紀伊田辺の北、龍神信仰の龍神山と東に隣り合う山。
 JACのN先輩と他の山の下見ついでに登りました。巨岩が多く、紀伊水道を見下ろす展望は絶景です。写真のような面白い登りもありました。

三上山(432m) <89/01,01/12>

近江富士。
湖東平野に浮かぶ独立峰で往事から街道を行く人の目印で、俵藤太(たわらのとうた)のムカデ退治伝説でも有名です。
 御上神社前の国道を渡ると表登山口。参道石段を妙見堂跡広場に登ると山道らしくなり、10分ほどで割石に来ます。ここから急坂の岩場ですが、手摺りも設けられていて楽に登れます。次第に湖東平野が眼下に拡がってきます。
 頂上すぐ下の大岩は素晴らしい展望台で、湖東平野と琵琶湖の向こうに湖南アルプス、比叡山、比良の山並みから、電波塔の林立する生駒山も見えます。登山口から45分ほどでした。

なお、この山だけでは時間を持て余すので、他の湖東の山とあわせて登っています。またマツタケの時期に行って、入山料が要るので敬遠して帰ったこともあります。(もし500円で採れるのなら安いものですが…)

「三の山」は続きます。