ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

淋しい秋分の日

2010-09-23 14:29:55 | 矢田だより
鬼門のナゴヤ…タイガースは昨夜も敗れました。打てず、守れず…仲秋の名月も
涙で曇る完敗です。

今朝は朝から涙雨というには凄い雷と雨。気温も下がり、急に秋らしくなりました。

ところで変愚院もタイガース同様、このところ少し身体の調子が悪く(といっても
大したことはないのですが)、PCの前に坐ることが少なくなりました。
たいへん勝手ですが、しばらくこのBLOGをお休みさせて頂きます。
できるだけ早く再開したいと思っていますので、その節にはまたよろしくお願いします。

では…。


しんどい一日(9月18日)

2010-09-19 10:27:20 | 矢田だより
世間では今日から秋の3連休。しかし車の渋滞や観光地の混雑を恐れて、こんな日は
たいてい家に引っ込んでいます。

PCいじりにも飽きたので昼前からTVの前に座り込みました。NHK・ハイヴィジョン
の「絶景・エベレスト街道」。



番組はルクラ「空港」に小型機が着陸するところから始まります。私たちが1999年に
行ったときのこの「飛行場」からは、ずいぶん良くなっています。しかし、トレッキング
が始まると、ルートはもちろん昔のまま…。懐かしい想い出が詰まった「街道」でした。

たくさんの資材を運ぶ大パーティで日数も倍近くかけるところは、4人パーティの私たち
とは違いますが、途中で学校通いの中学生に出会ったり、吊り橋でヤクのお通りを
待ったり、懐かしい記憶の中の風景が次々と克明に再現されます。



ナムチェの土曜日の市(バザール)も、この昔の風景のままでした。



とりわけ、このアマダブラムを始め、タムセルク、クンビラ、タウチェ、マカルー、
ヌプチェ、ローチェ、私の一番好きな山・プモリ…そして世界最高峰・エベレスト…。
山の姿は変わりません。
山が映るたびに、その名前が口をついて出てくるのが、我ながら嬉しかったです。

最後のカルカを過ぎて、ゴラクシェプが近づく頃から、♀ペンと一緒に「このあとの
標高差100メートルがしんどかったなあ」とか言い合いながら、食い入るように見て
ました。



そして遂にカラパタールへ登頂の日。ゴラクシェプから僅か400メートルの標高差
とはいえ、高度5200メートルを超える場所での行動は流石に強気の♀ペンも苦しかった
ようです。変愚院が「十歩歩いては立ち止ったなあ」というと、「十歩も続かんかった
ワ」という返事でした。



そして頂上から見たサガルマータ。(TVでもこの名前を使っていました)
TV撮影隊は頂上岩場を少し下った場所にテントを張り、夕陽に黄金に、そして朝日に
バラ色に輝くサガルマータを鮮やかに映しだして終わりました。

「ああ、しんどかったなあ」。あのときの苦しさを追体験させてくれるような、まさに
迫真の映像でした。

そして午後は、宿敵ジャイアンツを相手に行き詰まる投手戦…。満員の甲子園のファン
とともにTVの前で必死に応援。7回裏にようやく金本、桧山の超ベテランの活躍で
1点を取ったと思うと、9回に藤川球児が2連打を浴び…平野の超ファインプレーで
なんとか勝ちましたが、二人とも気が抜けたよう…。

何もしなくても「シンドイ一日やったなあ」。

真弓はん、頼みまっせ

2010-09-17 10:05:08 | 矢田だより
秋風が吹き始めたと思うと、お得意様の横浜相手にまさかの連敗。
あっという間の三位転落。まあ、一日で二位に返り咲いたとはいうものの、首位・落合竜
とは2.5ゲーム差。
「池乃めだか」やないけど「昔はそうじゃなかった!」



この本(2001年刊 集英社文庫)を読んでみて欲しい。
過去、どれだけの名選手が甲子園で球史にのこる名勝負を繰り広げ、私たち虎ファンの
血を沸かせ肉を踊らせてくれたことか。

この本の最後は、かの名作映画「Field of Dreams」を彷彿とさせる。
『……芝生の緑が美しく映える甲子園。 がらんとしたスタンドにひとり腰かけたあなた
はこの球場を沸かせた男たちがグラウンドに楽しげに入って来てボールとバットとグラブ
で遊ぶのを見るだろう。
 グラウンド全体を見渡して内外野にノックを飛ばしている背番号9は松本譜治郎か。
サードにいるのは三宅秀史、三遊間深くまで球を追い、飛びついて捕るのはショート吉田
義男。一、二塁間から鎌田実がセカンドにバックトスをする。外野のフェンス沿いに
走っているのは村山実と別当薫か。ブルペンでは小山正明と若林忠志と山本和行が投げ
込んでいる。バッティング・ケージから順番に外野スタンドに向けて大飛球を放っている
のは田淵幸一と景浦将と掛布雅之とランディ・バースか。…』

読んでいるとなぜか不覚にも、涙が滲んでくる。カクテル光線に照らされた甲子園で、
またTVの画面で見た数々の試合。…毎年毎年今年こそは…と思わせておいてジャイアンツ
の後塵を浴び、シーズンオフにはお決まりのゴタゴタ。それでも何故、ファンはこれほど
までにタイガースを愛しているのか?

『それは絶望、あきらめ、期待、喜び、怒り、不条理、屈辱、誇り、復讐、人情、奇跡、
貧困、抗争、暴言など、われわれの人生に起こりうるあらゆるシーンが阪神タイガース
には存在するからであり、阪神タイガースとは人々の人生そのものであるからだ。』
(同書より)

『優勝なんか、せんでもええ。優勝なんかせんでもええから、興奮でその夜は寝つけない
ようなゲームを見せてくれ。優勝なんかせんでもええから、鳥肌が立つようなプレイを
見せてくれ。』



とは、いうもののやっぱり今年「こそ」優勝して欲しい。
あんたが一番バッターやったとき、ミッキーマウス・マーチの曲で何度叫んだことか。
「まゆみ、まゆみ、ホームラン。真弓、真弓、ホームラン」
「名選手必ずしも名監督ならず」といわれんように、もうちょっとしっかりしてヤ。
真弓ハン、ホンマに頼みまっせ!!

世界最大の石刻大仏・楽山大仏

2010-09-15 15:55:31 | 旅日記
中国四川省の世界遺産を訪ねる旅も、いよいよ最終日を迎えました。
8月29日8時30分、最後の観光地・楽山市に向かってバスで走ります。今日の天候は曇り。
もっとも成都はこんな日が多いそうで、どんよりと霞がかかったようで湿気も高いようです。

大仏は成都から南へ164km離れた楽山市の郊外、岷江、青衣江、大渡江の三本の川が合流
するところにあります。バスで走ること1時間半、市内を離れて緑の多い郊外に来ました。



峨眉山山系の一山、凌雲山のうち栖鷺峰の西岩壁に掘られた大仏は「峨眉山天秀、楽山
天下奇」といわれ、大勢の観光客が訪れる景勝地です。
当時盛んに起こった岷江の水害を治めようと、713年、凌雲寺僧の海通が寺の近くの崖に
掘り始めたと記録されています。完成は海通の没後の803年で、実に90年の歳月がかかって
います。この大仏は他の多くの大仏が国家事業なのに対して、民衆の合力によって建設
されたものです。



ゲートをくぐると断崖に突き当り、道は左右に分かれます。凌雲山は宋代の代表的詩人・
蘇軾(蘇東坡の名の方がよく知られている)所縁の地で、この岩に掘られた大きな字も
彼の書ということでした。
後ろに見える穴をくぐって延々と続く石段を登っていきます。何段あったか忘れました
が、登り下りの中国の観光客をかき分けるようにして、汗を流しながら登りました。

やっと大仏の左横顔の見える広いテラスにでて、自由行動になりました。更に高い処を
目指して登ると…。



右側から大仏を見下ろす別のテラスに出ました。先ほどのテラスにいる人が小さく見え
ます。



始めのテラスに帰り、記念撮影。大仏の高さは約71メートルありますが、肩幅28メートル。
頭は長さ14.7メートル、直径10メートル。螺髪の数は全部で1021個あります。
なお耳の長さ6.72メートル、鼻の長さ5.33メートル、目の長さ3.3メートルです。



中国の人の真似をして、こんな写真を撮ってみました。
テラスから仏像右側の岩壁に「九曲桟道」と呼ばれる急な桟道が刻まれています。長さ
約400メートルほどで下の道と出会います。



大勢の人に交じって「九曲桟道」を途中まで下ってみました。
今度は左側から見上げる形になります。
この九曲桟道は、大仏造営工事の時に使われた道を整備したものですが、本来は一方通行
です。狭い道一杯に下りて来る人たちに謝りながら、集合場所のテラスに帰りました。



テラスの向かい側にある凌雲寺の山門です。入口が三つありますが、左と中央は高僧や
皇帝たちの入口で、右側が私たち一般人の入口です。
山門を抜けると大雄宝殿があり、中央に現在過去未来を表す三世仏と、十八羅漢が祀ら
れています。通り抜けた裏側には観音菩薩が祀られていて、額ずいて拝礼する人の姿も
見えました。



この寺院には、まだまだ見どころがあるのですが、次に遊覧船で下から観光する時間が
迫っているためか、別の広い道を下りました。遊覧船乗り場までは、この人力車で行き
ました。僅か5分ほどですが5元(60円)の体験乗車でした。



遊覧船乗り場。



貸切り船に乗り込み、ライフジャケットを付けて甲板に出ました。僅か40分ほどですが、
船上から始めて大仏の全体像を見ることができます。



まず大仏の近くまで船を寄せて間近に大仏を仰ぎます。



左の赤い崖に先ほど途中まで下りた九曲桟道が見えます。守護神が彫られている岩の裏側に
一方通行の登り道があります。



岸から少し離れた処でしばらく船を停めて写真タイム。大仏全体の姿を見ると改めて
その巨大さに圧倒されます。
足の甲は幅9メートル、長さ11メートルあって、その上に100人が乗れる広さだそうです。
当初は仏像には朱が塗られ、法衣には金箔が貼られて、その上を十三層の建物が覆って
いたといいますから、その壮観さは目を見張るものだったことでしょう。



残念ながら明代になって建物は焼失し、また大仏のあちこちにシミが見られますが、
この巨大な像が1200年もの間、崩壊せずに残っているのは不思議に思います。実はこの
大仏には周到な工夫が施されているのです。まず頭部にある螺髪が排水路の役割を果たし、
また他の身体各部にも排水溝などがあって、完全な排水機能が備わっています。
工事で出た大量の土砂が三つの河の合流点に入れられて川底が浅くなり、水害が減った
ことといい、昔の人の知恵には驚くばかりです。



楽山大仏の観光を済ませ成都に帰る途中、高速道路で日曜日の大渋滞に巻き込まれました。
このタクシーは地元・楽山市のものか「蘇東坡」「我愛酒」の文字が見えます。酒好きの詩人
の名を冠したお酒のCMでしょうか?

この日のスケジュールには民芸店のショッピングが残されていたのですが、この渋滞で時間
がなくなり中止になりました。これまでショッピング以外に車内での写真や物品の販売、
急なオプションの案内があり、その度にガイドの蘇さんが申し訳なさそうにマイクに向かって
いました。それまで観光ガイドではあんなに流暢だった日本語がつまりつまりになり、トーン
も低く聞き取れ難くなるのです。本当はこんなことはしたくないが仕事だから…
という感じがありありでした。それが、ショッピング中止となるや急に明るく、はしゃいだ
様子に変貌しました。きっとマジメで気の弱い青年だったのでしょう。



成都に入り、旅の最後の晩餐は「陳麻婆豆腐店」で四川料理を食べました。前にもここに
来ましたが、日本で有名な店だけに日本語を話すお嬢さんがサービスします。味付けも
日本人に合うようにそれほど辛くなく、美味しいお料理です。
いったんホテルに帰り、3ブロックほど離れた「超市」スーパーマーケットでお土産を買いました。

8月30日 朝、成都を発ち、大連で乗り換えて帰国の途に。帰りはフライトの遅れも
なく予定通り15時半に関空に着き、中国四川省の世界遺産を巡る私たちの旅は終わり
ました。長い間、ご覧頂きありがとうございました。


黄金の谷と滝・黄龍(3)

2010-09-14 09:06:23 | 旅日記
黄龍溝を下るハイキングの後半に入ります。

今回も、それぞれの場所の説明はできるだけ説明板の日本語表記に忠実にご案内します。
(『』の部分がそうです)。
説明板には、それぞれ漢字(簡体字)、英文、漢字とカナ、ハングルの4種類の文字で
説明があります。読めない簡体字の部分は英文も参考にしました。



右岸の下山道で最初に出会うのは争艶彩池です。



争艶彩池
『面積は20000平方メートルで658の極彩色の池から構成されており、海抜3400メートルの
ところにある。黄龍溝第二の極彩色の池群。池の水は深さが異なり、堤防岸の植木も異な
る。池群における金黄(ママ)や青緑色、ワインレッド、オレンジ色など…が、たくさん。』



最後の部分は、中国語表示では『池群中金黄、翆緑、酒紅、橙…各色争艶』となっている
ので、そのまま「さまざまな色が艶を競っている」と訳した方がいいでしょう。



道は池畔から林の中を抜けて、再び左側が開けます。
娑蘿映彩池です。
「娑蘿」とはツツジのことで、4~5月には池の畔のツツジが満開となり、青い池の水
に影を映して美しさを争います。



今は青々した灌木が見られるだけです。



広々と開けた明るい川原のようなところにでました。
金沙七里と呼ばれる、まさに巨大な黄龍が横たわっているような風景です。



しばらく下って再び石灰棚の連なりに出会いす。
明鏡倒影池
『面積は3600平方メートル余り。海抜は3400メートル。極彩色の池は180余り。池の水面
は鏡のようになめらかで綺麗。水質も綺麗であるため、池の中に映っている雲や雪山、
及び林が、正と反を識別し難いほど綺麗に写し出されている。』



最後の部分の原文は「倒映在池中的雲彩 雪山峰 密林 鏡像清晰 難辯倒正」でした。
「どちらが真で、どちらが影か言い難いほどだ」くらいの意味でしょうか?

次の盆景池に行く間の林でシマリスが遊んでいるのをみました。人に慣れているのか、
すぐ傍で木の実を食べていましたが、いい写真は撮れませんでした。



林を抜けると盆景池があります。
標高3335メートルにある湖沼群です。池の岸や中州に生えた木々の緑が青い水面に映え
て、まるで盆栽のような光景を見せています。



再び広大な石灰岩の斜面に出会いました。金沙舗池です。
『海抜3305メートル。地理的に恵まれていないた為、水中の炭酸ナトリウムがここでは
凝縮していない。』



『坂における水しぶきは長さ1300メートル、高さ40~122メートルの傾斜の坂で、しきり
に勢いよくほとばしっており、水の底は金色。石灰沈着の浅瀬が凝結されている。』

「竜の金色の鱗が輝いているようだ」と言われている傾斜の急なところです。強い西日
を受けながら右岸の板敷道を下っていきますが、目が弱い変愚院には段差が見え難く
少し手こずりました。



金沙舗池の末端は石灰石がコブのように丸く盛り上がり、そこから滝となって落ちて
います。蓮台瀑布と呼ばれる幅40メートル、落差7メートルの滝です。
近くに「洗身洞」の標識がありましたが、中国総合情報サイト-チャイナセブンにより
ますと、10mほどの大きさの洞窟で、ふだんは滝の流れに隠されて見えないそうです。
「仙人が修行をする前にお風呂に入る処」という伝説もあります。

ふと時計を見ると、すでに16時。残された時間は30分しかありません。
これまで前後して行きあっていた同じツァーグループの人影も見えなくなりました。
先を急ぎます。



蓮台瀑布の少し下にあった支流の滝。本当に奇妙な形をしています。



飛瀑流輝
落差は低いですが、幅が68メートルあり3段に分かれて流れ落ちています。
陽光に照らされた水飛沫が飛び跳ねるように輝くところから名づけられました。
ここで16時10分。
間もなく左岸の登山道と出会いました。出口まで600メートルの標識があります。
ここで大失敗…本来ならもう一度右岸に渡り返して最後の見所「迎賓彩池」に行くべき
筈を、気がせいていたので僅か50mほどの廻り道をせず直進してしまいました。
これで黄龍の観光も終わりという感慨も湧かないほど急いで歩き…



16時22分、出口に到着。大急ぎで集合場所の華龍山荘に着いたのは集合時間の3分前。
入口で待っていた蒲さんに遅くなったことを詫びると…なんと「早かったですね。三番目
ですよ」という返事でした。やがて次々にメンバーが帰ってきて、バスに乗り込みました。
かなり疲れて二本目の酸素を使う人もいましたが、幸い私たちは何ともありませんでした。

夕暮れの道を帰ります。峠は厚い雲の中で雪宝峰は見えませんでしたが、峠を越えると
晴れてきて、ヤクの群れが夕陽を浴びながらのんびりと草を食んでいました。
川主寺で夕食の後、九賽黄龍空港へ。今回も1時間半遅れで成都着は23時を過ぎました。
ホテル着29日0時10分。

<今日の歩数計=24,027歩、 バスの走行距離=約225km>

黄金の谷と滝・黄龍(2)

2010-09-13 06:00:00 | 旅日記
世界遺産「黄龍(風景区)」は全長7.5kmの峡谷(黄龍溝)で、その源流は岷山山脈の一つ、
玉翠峰(標高約5100m)から発しています。渓谷は新生代第四紀に石灰岩層が氷河に侵食
されて形成されたもので、そこを流れる石灰分を含んだ水が今の光景を作りあげました。
黄色がかった乳白色の石灰華の連なりを、白雪を頂いた高山目指して昇る龍になぞらえて
「黄龍」と名付けられています。



ロープウェイ山上駅から整備された道を1.7km歩いたところで林を抜け、黄龍の流れを木橋
で渡ります。これは橋の上から上流を見たところ。まさに巨大な竜の背中の上という感じ
です。
橋を渡った処が本道(ロープが出来る前からある登山道)との合流点で、ここで左に折れて
左岸(上流に向かって右手)につづく木の階段道を登っていきます。水を飲んで一休みして
いると、同じツァーグループのOさんの奥さんが「お先に」と元気に登って行きました。



少し上から見下ろしたところ。道が整備されているせいか、高度の割には思ったより楽に
登れます。



350メートルの階段登りの終点近くにある休憩所前の掲示板。コース中の各所に、このような
休憩所、トイレが設けられていて、この辺りは我が国の世界遺産も学ばなければいけない、
と思いました。ここでユナイテッド・ステイツから来た白人男性と挨拶を交わしました。
連れの女性がトイレから帰ってきて、酸素を吸入し始めました。「おいしいか?」と私が
聞いたので男二人で大笑い。♀ペンも帰ってきたので、お互いに「いい旅を!」と言いあって
別れました。



すぐ上にある黄龍上寺。標高3,500メートル近くにある、黄龍真人を祀る道教の寺院です。
この寺の前で、道は五彩池を取り囲むように左右に分かれます。右手上に見える展望台から
池を眺めようと標高差約70メートルを頑張って登ります。



展望台から見下ろす五彩池。ここが最高点3,559メートル(の筈です)地点。



少し下ったところから見下ろす五彩池。淡いエメラルドグリーンの水を湛えた石灰棚が
綺麗です。右に見えるのは下の展望台。



下の展望台で記念撮影。反対側から登ってきたグループの方にシャッターを押して頂き
ました。右側にいる中国人男性は「遠近法」で池の水を汲む格好の写真を撮っているよう
です。中国の人は写真を撮るとき、俳優のようにポーズをとったり、遠近法で変わった格好
をしたりするのが大好きなので時間がかかるだけでなく、他人が入らないように大声で追い
たてられるのでたまりません。

五彩池は黄龍最上流部にあって、最も黄龍らしい風景が見られるといわれます。水の色が
黄色、緑色、青色、茶色、金色とさまざまに変化して目を奪います。



黄龍上寺にお参りして下山します。快晴で紫外線が肌を焼き、高山ながらかなり暑さを感じる
ようになりました。



分岐点から少し下った休憩所で一休み。
♀ペンが酸素吸入器を口に当てているのは、苦しいからではありません。これまでヒマラヤ
・トレッキングなどで高度5,000メートルを越えたことも3度ありましたが、二人とも一度
も酸素吸入器のお世話になったことはありません。念のため用意してポーターが運んでいま
すが、使い始めると癖になると聞き、高度順化が割合うまくいって必要を感じませんでした。
今回は一人一本支給され、しかもバスの中で使用法を練習して封を切っているので、どんな
ものか「試し飲み」をしてみました。平常の状態ですから特に効果がでる訳でもありません。

ここでは先着の若い中国人男性グループに挨拶すると、そのうちの一人が英語で話しかけて
きました。この人は富士山に登ったことがあるそうで、私たちが数年前に(同じ四川省に
ある)大姑娘山(5025m)に登ったというと、「本当に頂上まで行ったのか」と驚いて、
年齢を聞いて二度びっくりした様子で、他の人に中国語で伝えていました。中国の年長者を
敬う習慣からか、みんな丁寧に挨拶してくれてお互いに気持ちよく別れました。



少し下ると黄龍中寺があります。殆どの人は先を急ぎますが、ちょっと立ち寄ってみました。



荒れ果てた境内に、こんなブルーの美しい花が咲いていました。



ここはチベット仏教寺院ということで、ずらりとマニ車が並んでいました。



しばらく行ったところで道が分れ、直進すると普通登りに使われる距離の短い道ですが、
見所は少ないので、この屋根つきの橋を渡り右岸に移ります。(続く)

黄金の谷と滝・黄龍(1)

2010-09-12 06:00:00 | 旅日記


ツァー4日目の8月28日、7時30分、九寨溝シェラトンを出発します。
ロビーにあった青銅製の「竜」とお別れして黄龍へ…。



今日の天気予報は曇り。しかし一昨日夜下ってきた山道を登って行くうちに、次第に青空
が拡がってきました。出発して1時間10分、この辺りはチベット人の集落が点在しています。



小さな峠までは荒涼とした山道でしたが、峠を越えると青々した畑地が多くなりました。



しかし、先年の四川大地震の爪痕がまだ痛々しく残っています。



この色鮮やかな吊橋を渡ると、一昨日夜、夕食をとった川主寺の集落です。
今日は「昼食が13時頃になるので、朝食はできるだけ遅く摂って欲しい」と言われていま
したが、川主寺の宝石店で1時間近くショッピングタイムがありました。興味のない私達
には迷惑な話ですが、楽しみにしている方もおられるのですから致し方ありません。
ようやく店を出て、町外れの小屋掛けのような「薬局」で水と酸素缶を積み込み、車内に
配られました。

やがて道は曲がりくねった登り道になり、今回のツァーでの最高所、雪宝頂峠に差し掛かり
ます。遠くに見えていた真っ白な三角錐の山が次第に近づきます。蒲さんの話では「富士山
と同じでなかなか姿を見せない山で、皆さんはラッキーです」ということでした。
標高4,007メートルの最高所を少し下ったところで下車。「急な行動は危険なので、写真を
撮るぐらいにして、ここを動かないでください」という指示があったようですが、一番にバス
を降りた私たちは「知らぬが仏」で、5分ほどで最高所まで往復してきました。



これが雪宝頂峠の最高所・4007メートル地点です。



峠から望む純白の雪宝頂(5,588メートル)。未踏峰ということでした。



峠を下って、黄龍入口にある何軒かのホテルの一軒「華龍山荘」で昼食をとりました。
12時30分出発。「ケーブルを降りると自由行動になるので、16時30分には帰ってきてほしい」
という指示をがあって、いよいよ黄龍観光に向かいます。



黄龍出入口(3,212メートル)まで歩いてシャトルバスに乗り換えます。後ろの鋸歯形の山
は岷山山脈です。



バスは緩く下ってロープウェイ乗り場に着きました。ここは標高2,900メートルです。
8人乗りのロープウェイは標高3,470メートルの山上駅までを数分で運んでくれます。



山上駅前の展望台で。まじかに岷山山脈、そして覗きこむと黄龍の流れの一部が望めました。



山上駅前の展望図。



旅行社から貰った概念図を転載します。
山上駅からは殆ど平坦な林間の道を1.7キロメートル。45分ほどで本道に合流します。



高度のせいか、早や息を切らして座りこむ中国の人を尻目にどんどん歩いて行きました。
林の中で真っ赤なロバナの実を見つけました。



木の間越しに黄龍の流れが見えてきました。合流点はもうすぐです。(続く)

湖沼と瀑布の奇観・九寨溝(4)

2010-09-11 09:46:06 | 旅日記
8月27日14時40分、九寨溝巡りもいよいよ終わりに近づきました。
日則溝はパンダ滝の下で五花海になり、再び狭まって途中で小金鈴海、大金鈴海を経て、
次にやや大きな湖沼・珍珠灘に至ります。



この絵看板の真ん中辺り(現在地を表す赤丸印)でバスを降りて約2キロ、
1時間ほどのウォーキングをします。珍珠灘の上部を横切るように進みます。



「珍珠灘」の英訳は Pearl Shoals. 流れる水の泡が真珠のように見えるところから
名付けられました。



しばらく湖に沿って歩いて、急な木の階段道で滝のすぐ横を通ります。
初めの地図で「J」の字が横に三つ並んだ形で表されているところが珍珠灘瀑布です。



下りきって滝の全景を見たところ。



『滝は珍珠灘瀑布と称し、標高2433メートルの地点にある。三日月の形で幅163メートル、
最大落差40メートルの雄大かつ壮大な滝である。それに九寨溝の急流の中で、水色が最も
美しく、流れは最も激しい滝である。地滑りと山崩れによってこの滝を形成し、九寨溝で
とても見事な景観である。(是九寨溝的経典景観)』



凄い水しぶきがここまで飛んできます。
50分でウォーキングを終え、地図の「P」の字のところでバスに帰りました。
鏡池は車窓からの観光となり、お見せできるような写真が撮れませんでした。



諾日朗からY字の縦の画の樹正溝に沿って下り、老虎海で下車しました。
長さ300m、最大の幅は150m、平均の深さは3m。真っ青で実に美しい水の色でした。
すぐ下で滝となって落ちる音が、トラが咆哮するようだというのが名前の由来です。



流れに沿って少し歩きます。流れが急になり、樹正瀑布となって落ちています。



流れを利用した粉ひき水車小屋がありました。その辺りで見た朱紅色をした藻類です。



車に帰り、車窓観光が続きます。

「樹正群海」では一時停車してくれました。
『大小19個の湖の群れに形成されている。全体から見れば段差がはっきりしている。
緑の中に含まれるブルーはまるで童話のように天真・自然である』



芦笙海。芦の中に細長い湖が続いています。



九寨溝で最下流にある「盆景灘」です。緩やかになった流れの中に大小の木立があり、
盆栽にたとえられています。もっと綺麗な場所もあったのですが、残念ながら車窓からの
写真では、これが精いっぱい。

これで九寨溝観光をすべて終わり、途中で「茶芸店」で色んな種類のお茶を試飲後に販売
する、お決まりのショッピングがあってシェラトンホテルに帰りました。



すぐに少し離れた別館へ食事に行きますと、民俗衣裳を着た楽団員たちが両側に並んで、
楽器を演奏して私たち二人を出迎えてくれました。思いがけぬ光景に照れくさそうな♀ペン
です。
今夜はホテル付属の劇場で「チベット民俗舞踊」などのオプション観劇があるので、その
練習を兼ねていたようでした。



食事を済ませて劇場の横を通って部屋へ帰ります。先ほどの劇団員たちはこちらへ移動
して音合わせなどしていました。
「チベット民俗舞踊」は前にラサで見ていますので、明日の早朝出発に備えて荷物の整理
を済ませ、早めにベッドに入りました。

<この日の歩数計=17,195歩>

*訂正* これまで則査溝としてきたのは則査窪溝(そくさわこう)の誤りでした。

熱闘・首位死守(9月9日)

2010-09-10 09:17:29 | Weblog
今日は「中国四川省の旅」をお休み頂いて、昨夜の甲子園の様子をお伝えします。



ツタが無くなった新装・甲子園



今夜は一勝一敗で迎えた宿敵・中日ドラゴンズとの首位を賭けた重要な一戦です。



早くから席について戦いが始まるのを待ちます。
試合は5月2日の巨人戦以来の能見投手が、2点は取られたものの粘りの投球を見せ
ました。



これは7回ツーアウト満塁で藤井を迎えたシーン。ここも三振で打ち取って…



得点は1-2。恒例の「風船飛ばし」で逆転を祈りましたが、この回も無得点。
最後まで見たかったのですが、負け試合を見るのが嫌なので8回途中で席を立ちました。
最終の奈良行き直通快速に座れて、1時間あまりで大和郡山へ帰れました。
家に帰って結果を見ようとTVをつけると、なんと9回2アウトの土壇場から藤川俊介が
3塁打、桧山のヒットで同点になって、まだ試合中。ラジオで12回の攻防を聞きました。

すべての野手を使い果たし西村投手が外野の守備につく、まさに総力戦で引き分け。
首位を死守しました。5時間21分の大熱戦で最後まで見ていれば、ますます席を立てず
帰れなくなったかも知れないところでした。

それにしても、素晴らしい試合でした。

湖沼と瀑布の奇観・九寨溝(3)

2010-09-08 18:19:01 | 旅日記
27日午後、九寨溝観光を続けます。Y字の中心・諾日朗から右(西)へ日則溝を遡ります。

五花海



「五花海」の意味は、日光の射しこむ角度や強弱によって、水の色が淡黄、エメラルド、
マリンブルー、濃紺など様々に変化することから名づけられました。九寨溝でも特に優れた
見所のひとつです。

以下は説明板の日本語の部分を転載します。
『 標高2472メートル、深さ5メートル、面積90,000平方メートル。山崩れと地滑りの崩れ
た物質が川を塞ぎ、今の五花海になった。』



『水底はカルシュウム、マグネシュウム、銅のイオンを含む多様な石灰化鉱物が沈積して
いる。』



『湖の中にはいろいろな藻類、コケが生きている。』



『その他、太陽の光線の屈折と散射により、緑、青、紫などのような波長の短い光がもっと
も散射しやすくなった(?)。これらの化学、生物と物理の作用により湖水は青、緑を主と
する色とりどりの色彩を呈している。』

例によって、やや分りにくいところもある日本語訳ですが、Wikipediaの以下の説明が分り
やすいと思い、少し長くなりますが引用します。
「九寨溝の水は飽和した炭酸カルシウムが微細な浮遊物を核として沈殿するために極度に
透明度がよい。そのため、深さ20メートル以上の湖底までもより浅く感じられる(浅く見える
理由は水と空気の屈折率の違いによる)。
 水は可視光の内、長波長の成分(赤い光)を吸収する性質がある。そのため深みでは、
水面から入射して湖底で反射した光の内から青い光だけが眼に多く届くようになり、結果と
して青い水に見える。また、深みでは光量が減少して暗くなるために水の青さに深みが増す。
 微細な浮遊物のために水中浅所での散乱が多いと、赤い波長部が十分に吸収されていない
光も併せて届くようになり、水の色は青みが薄まる。湖底に苔が生えている場所では青みに
緑や黄色が加わる。かつ太陽光や空の状態も影響し、加えて水面で反射する光にもよって、
神秘的に変化する色彩が生まれる。」



『五花海の色彩と輪郭は、尾羽を半ば扇状に広げている孔雀に似ているから、孔雀海とも
呼ばれ、"九寨溝の一絶"(九寨溝でしか見られない景色)と誉れられていた。(原文通り)』



様々な色が写真でうまく表現されているといいのですが…。
池の畔を散策してさまざまに変化する美しい水の色や、石灰分の付いた水底の倒木が創り
出す奇妙な造形などを見ているうちに、30分の自由時間はあっという間に過ぎました。

熊猫海(パンダ海)



熊猫海は五花海からバスで5分ほど走った近くにあります。
『標高2587メートル、長さ570メートル、平均深さ15m、面積91200平方m。まれにパンダが
現れる。…後略』



近くにパンダの好む種類の竹林があり、この湖で水を飲むパンダの姿も見られたそうです。



湖にそって右手に少し歩くとT字の分岐があり、左は湖岸に沿って湖面に突き出すよう
に、屋根つきの桟道が設けられています。



桟道の山側は、湖に落ち込むように切り立った断崖で、崩れやすそうな黄色い縞模様の
岩石が露わになっています。上の屋根は落石よけのためのようです。
自由時間が短いので、少し先まで行って引き返しました。



分岐に帰ると、反対側は急な木の階段道になっています。「熊猫瀑布」への標識があり、
バスに帰る時間に追われるように急いで下りましたが、ヒザが本調子でない変愚院は下りに
時間がかかります。滝の見える所で諦めてズームで滝を撮りました。滝大好きの♀ペンは
さらに下の展望台まで駆けおりて行きました。



これが♀ペンの撮ってきたパンダ滝です。「水飛沫が凄くてうまく撮れなかった」という
ことですが、途中で引き返した変愚院には、また一つ頭が上がらない種ができました。
九寨溝の旅はまだまだ続きます。