八鬼山(627m)
「伊勢に七度、熊野に三度、お多賀様には月参り」という古い俗謡がある。
江戸時代、伊勢参りを終えた東国の人たちが次に目指したのが熊野詣で。この二つの聖地を結ぶのが古道・伊勢路である。
いくつもの峠を越え全長140㎞に及ぶ道は、決して楽ではないが、篤い信仰に支えられた人々には憧れの旅でもあっただろう。
そんな昔に思いをはせながら、その一部「馬越峠、八鬼山越え」の石畳の道を歩いた。
10日。馬越峠から天狗倉山を往復して尾鷲へ下り、海岸に近い三木里民宿に泊まった。翌11日、「海抜5m」の標識がある名柄から八鬼山を目指す。
この山越えは「西国一の難所」といわれ、ずっと続く石畳道の傍らには各所に巡礼の墓や町石を兼ねた地蔵さんなどがある。
「籠立場」の標識から山道らしくなり、苔むした石段が続く。15分ほどで谷筋の明治道と尾根筋の江戸道に別れる。
やや荒れ気味の道は次第に急になり、林の中をジグザグに高度を上げる。江戸時代、この急坂は「槍かたげ」といわれ、紀州の殿様「御成行列(地方巡見)」のときも、槍を立てずに担ぐことを許された所だそうである。
尾根に出て空が近くなり、もう峠かと思うと次の登りがある。やがて道がなだらかになり、「サクラの森」という明るい芝生の広場に出た。標高652mの表示があり、眼下に熊野灘の絶景が拡がる。
展望四阿でしばらく海を見て出発。明治道と合わさるとすぐ、小さい広場に八鬼峠と・茶店跡の説明版があり、その裏手の少し高くなったところに「ごとごと石」と呼ばれる岩があった。ここが八鬼山(627m)の頂上である。深い森の中で展望はない。石の周囲を探したが三角点は見あたらなかった。
「伊勢に七度、熊野に三度、お多賀様には月参り」という古い俗謡がある。
江戸時代、伊勢参りを終えた東国の人たちが次に目指したのが熊野詣で。この二つの聖地を結ぶのが古道・伊勢路である。
いくつもの峠を越え全長140㎞に及ぶ道は、決して楽ではないが、篤い信仰に支えられた人々には憧れの旅でもあっただろう。
そんな昔に思いをはせながら、その一部「馬越峠、八鬼山越え」の石畳の道を歩いた。
10日。馬越峠から天狗倉山を往復して尾鷲へ下り、海岸に近い三木里民宿に泊まった。翌11日、「海抜5m」の標識がある名柄から八鬼山を目指す。
この山越えは「西国一の難所」といわれ、ずっと続く石畳道の傍らには各所に巡礼の墓や町石を兼ねた地蔵さんなどがある。
「籠立場」の標識から山道らしくなり、苔むした石段が続く。15分ほどで谷筋の明治道と尾根筋の江戸道に別れる。
やや荒れ気味の道は次第に急になり、林の中をジグザグに高度を上げる。江戸時代、この急坂は「槍かたげ」といわれ、紀州の殿様「御成行列(地方巡見)」のときも、槍を立てずに担ぐことを許された所だそうである。
尾根に出て空が近くなり、もう峠かと思うと次の登りがある。やがて道がなだらかになり、「サクラの森」という明るい芝生の広場に出た。標高652mの表示があり、眼下に熊野灘の絶景が拡がる。
展望四阿でしばらく海を見て出発。明治道と合わさるとすぐ、小さい広場に八鬼峠と・茶店跡の説明版があり、その裏手の少し高くなったところに「ごとごと石」と呼ばれる岩があった。ここが八鬼山(627m)の頂上である。深い森の中で展望はない。石の周囲を探したが三角点は見あたらなかった。