ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

八の山-八鬼山

2008-08-31 09:18:40 | 四方山話
八鬼山(627m)

「伊勢に七度、熊野に三度、お多賀様には月参り」という古い俗謡がある。
江戸時代、伊勢参りを終えた東国の人たちが次に目指したのが熊野詣で。この二つの聖地を結ぶのが古道・伊勢路である。
いくつもの峠を越え全長140㎞に及ぶ道は、決して楽ではないが、篤い信仰に支えられた人々には憧れの旅でもあっただろう。
そんな昔に思いをはせながら、その一部「馬越峠、八鬼山越え」の石畳の道を歩いた。

10日。馬越峠から天狗倉山を往復して尾鷲へ下り、海岸に近い三木里民宿に泊まった。翌11日、「海抜5m」の標識がある名柄から八鬼山を目指す。



この山越えは「西国一の難所」といわれ、ずっと続く石畳道の傍らには各所に巡礼の墓や町石を兼ねた地蔵さんなどがある。
 「籠立場」の標識から山道らしくなり、苔むした石段が続く。15分ほどで谷筋の明治道と尾根筋の江戸道に別れる。
やや荒れ気味の道は次第に急になり、林の中をジグザグに高度を上げる。江戸時代、この急坂は「槍かたげ」といわれ、紀州の殿様「御成行列(地方巡見)」のときも、槍を立てずに担ぐことを許された所だそうである。
尾根に出て空が近くなり、もう峠かと思うと次の登りがある。やがて道がなだらかになり、「サクラの森」という明るい芝生の広場に出た。標高652mの表示があり、眼下に熊野灘の絶景が拡がる。



展望四阿でしばらく海を見て出発。明治道と合わさるとすぐ、小さい広場に八鬼峠と・茶店跡の説明版があり、その裏手の少し高くなったところに「ごとごと石」と呼ばれる岩があった。ここが八鬼山(627m)の頂上である。深い森の中で展望はない。石の周囲を探したが三角点は見あたらなかった。


 

八の山-八経ヶ岳

2008-08-30 11:09:21 | 四方山話
八経ヶ岳(1915m)
大峰山脈はもとより近畿の最高峰。日本百名山では大峰山を代表する山として紹介されています。
 開山の祖・役行者が法華経八巻を納めたと伝える霊山で、周辺のシラビ、トウヒの原生林やオオヤマレンゲなど貴重な植生が残されています。

1994年7月10日 天女の花・オオヤマレンゲを見たいと二人で登った。
前日、河合の弥仙館に泊まる。部屋の前にあるバンドリ(ムササビ)の巣が珍しい。
7時前に行者還トンネル西口から登り始め、50分の急登で奥駈道の通る稜線に出る。石休ノ宿跡からゆるく下ったところにショウキランが咲いていた。
聖宝ノ宿跡(8:45)からの登りは結構厳しかったが、何度かの立ち休みだけで頑張った。



 9時55分、弥山小屋着。新しい棟を建築中で、皇太子が泊まられたと聞く古い小屋は気の毒な程、お粗末だった。弥山の天川神社奥の院に詣で、八経ヶ岳へ。



途中、群生地でオオヤマレンゲをカメラに納めながら、案外簡単に山頂に立った(10時50分)。
弥山小屋に帰り、650円の缶ビールを買って前のベンチで昼食。14時半、トンネル西口に帰った。

2004年10月17日 
 吉野山桜本坊中先達でもあるMさんから頂仙岳のお誘いを受け、JAC関西支部の3人と5人で10年ぶりでトンネル西口から登った。
「紀伊山地の参詣道」が世界遺産指定を受けたためか、奥駈道の要所には立派な標識が立っていた。聖宝八丁の急登も幅広い木の階段がずっと設けられて、前より登りやすくなっている。



途中で鉄製の梯子を挟んで更にひと登りで、思ったより楽に弥山小屋に着いて一泊する。
 弥山から直接八経ヶ岳へ登る道は明治19年になってから開かれたもので、それまで山伏は「弥山駆出」といって早朝に弥山を出て狼平に下り、頂仙岳に登って明星ヶ岳に出たという。私たちもこのコースを歩いた。
 頂仙岳を往復後、高崎横手から明星ヶ岳への道に入る。
古くから土地の人が利用していた道だが、弥山小屋管理人西岡さんらの尽力立派な歩きやすい登山道となった。今春、公開さかれたばかりの、 緑のコケに覆われた林床に立ち並ぶトウヒやシラビの中の道を歩いて明星ヶ岳経由で八経ヶ岳に登る。
秋晴れの空の下、展望は申し分なく雄大そのもの。五人で貸し切りの頂上で、のんびりと小屋で用意してもらった弁当の昼食をとり奥駈道を帰った。

2005年9月30日
 JAC関西支部の奥駈山行第5回目。 行者還トンネル東口から登り、一ノ垰(タワ)から奥駆道を南下、弥山小屋で一泊。
八経ヶ岳から、激しい起伏の連続する大峰山脈の稜線を釈迦ヶ岳へ。そしてかっての修験集落・前鬼に下る。歩行距離27キロ、二日目の所要時間は12時間に及んだ。



 早朝の出発で、八経ヶ岳には予定よりも少し早い5時半に到着した。しかし霧の中で、期待したご来光は望むべくもなかった。三角点で記念写真を撮り先を急いだ。

2008年7月2日
 JAC関西支部自然保護委員会主催の「オオヤマレンゲ観察会」にふたりで参加。
この日は弥山周辺の保護状況を見学して弥山小屋に泊まり、翌日は観察を続けながら八経ヶ岳に登り、明星ヶ岳を経て2004年のコースを高崎横手に下り、頂仙岳を捲いて天川坪ノ内に下山した。



「八の山」-八ヶ岳(2)

2008-08-29 16:08:24 | 四方山話
4度目の八ツは1976年の夏、職場の同僚で構成した山の会だった。
 黒百合平から東天狗に登り、夏沢峠まで来たときに身体の不調を訴える人がでて、パーティを分けないで全員で下山することになった。赤岩ノ頭はやはり霧で、しばらく眺望を待つが諦めて鉱泉に下っている。
 初めて見たキバナシャクナゲが印象的だった。この時には美濃戸口までバスが来ている。ただ歩くだけで花を見る余裕もなかった年代から、ようやく周囲に目を向ける山歩きが出来るようになった頃である。


(天祥寺平で蓼科山を背に)

1979年夏、義父母と二人の子ども、私たち夫婦の6人で北八ツを歩いた。
 白駒池から雨と風の中を茶臼山、縞枯山、坪庭と辿り、双子池泊。翌日、強風の中、手を繋いで双子山に登り、蓼科山はあきらめて蓼科温泉に下った。
 皮肉にも天祥寺平まで来ると陽が射しだし、草原の花の写真をたくさん撮れて、息子の夏休みの宿題はバッチリだった。高山植物の名前に興味を持ち始めたのは、夫婦ともこの頃だったろうか…。

そして2003年7月下旬、千日山歩渉会の夏例会。
 車で八ヶ岳の裾野を走り、美濃戸山荘に泊まる。28日朝、南沢に入り、行者小屋前から阿弥陀岳と中岳のコルに登る。 高山植物を見ながら阿弥陀岳へ岩稜を往復。
 午後はハイマツの尾根道を中岳へ。さらに急斜面をひとしきり登って文三郎道に合流し、急な岩場の登りの連続で赤岳南峰に着く。待望の主峰頂上も無展望で北峰を経て霧の中を天望荘へ。



29日。濃い霧の中、銃走路を北へ。横岳の岩稜を通過して 硫黄岳山荘の建つ大ダルミで高山植物鑑賞路を一巡。
 硫黄岳でコーヒータイムを楽しみ、赤岩の頭から赤岳鉱泉に下った。まだ長梅雨が明けず、雨模様で展望は今ひとつだったが、たくさんの高嶺の花に出会え、またメンバーの協力で楽しい山行ができた。


「八」の山-八ヶ岳(1)

2008-08-28 09:57:41 | 四方山話
「数字の山」シリーズも「八の山」に入りました。
まずは八ヶ岳の思い出を辿ります。

 初冬の赤岳単独行、残雪の春の岩稜、夏山での敗退、そして秋の重荷での縦走…。八ヶ岳は想い出の多い山です。また北八ヶ岳は子供たちや義父母と一緒に歩いています。

1959年11月22日。赤岳の頂上で迎える筈の26歳の誕生日は、上諏訪の日赤病院で過ごした。
 同行の先輩が夜行列車内で激しい腹痛を起こし、救急車で運ばれて手術、そのまま入院。一夜を付添ベッドで送った翌23日、一人で出発した。
 濃い霧の中、バスが裾野を登るにつれて青空が拡がった時の嬉しさは忘れられない。バスは八ヶ岳農場までで、美濃戸までは1時間半ほど歩いた。



快晴の空の下、大きいキスリングが肩にくい込むようだった。マイカーで山荘に横付けできる今は、こんな苦労が夢のようだ。…
 同宿三人の赤岳鉱泉で泊まった翌11月24日、文三郎道から頂きに立った。風と寒さで頂上滞在はわずか5分。目の前にシルエットの富士が大きく見えたのが印象に残っている。
 フォーカルプレーンのシャッターが凍りつき、その時の写真は画面の半分が真っ黒だ。降りにかかってすぐスリップしたが、幸い水筒がザックから飛び出して落ちていっただけで済んだ。


(右端・変愚院)

二度目は2年後の1961年5月連休明け。
 4人の仲間と渋ノ湯から夏沢峠に登り、硫黄、横岳、赤岳と縦走した。
赤岳の頂上には絵葉書売りが仮設の店を出していた。(写真下)



ずっと快晴で凄い展望だった。地蔵尾根を下ったが、腐った雪の急斜面に結構手こずっている。


1963年9月下旬、大阪山友クラブ15名の秋合宿。変愚院がリーダーで、婚約中の♀ペンも参加していた。
渋ノ湯から入山、夏沢峠とオーレン小屋の中間で幕営。翌日、硫黄岳から横岳を通る頃、小雪が舞いだした。
赤岳はこの時も霧の中。キレットへ下り、強風の中で1時間近くかかって設営。
夜に寒冷前線が通過して3日目は快晴。新雪の北アルプス、富士がモルゲンロートに輝いていた。


(前列中央・♀ペン、その左上・変愚院)

 権現岳を過ぎたギボシの降りで一人がアキレス腱を切り、ザイルで背にくくりつけて10分交代で担ぎ下ろした。
 編笠岳から小淵沢までの裾野は本当に長かった。途中の電柱に備え付けの電話でタクシーを呼んで怪我人を乗せたが、その棒道から駅までまだ4㎞歩いた。

鈴鹿7マウンテン(7)-雨乞岳

2008-08-27 09:43:42 | 四方山話
雨乞岳(1238m)

愛知川源流に大きく根を張る双耳峰です。山頂の樹林帯にある小さな池で雨乞いが行われていたのが、山名の由来です。

1991年9月22日
 <コースタイム> 登山口7:37……8:37愛知川源流(朝食)…10:07七人山コル10:18…10:56東雨乞岳11:05…11:24雨乞岳11:38…11:48東雨乞岳12:05…12:28七人山コル……12:53昼食13:25…13:57愛知川源流…15:15駐車場

鈴鹿セブン・マウンテンもこの雨乞が最後の山になった。武平峠トンネルを滋賀県側に抜けたところから朝露に濡れた草原を行くと指導標があり、丈を超すススキの原を登る。振り返ると鎌が岳が高く聳えて見える。
 やっと抜け出すと、次は雑木林の中の嫌な道。勾配はさほどでもないが、半ばぬかるんだ道の上に木の根が張り出し、両側は熊笹、ときどきザレ場もあり、時間が過ぎる割に行程は捗らない。
 水音が近づき、やがて小沢を渡り、流れに沿うようになる。熊笹の中の道だが、清流が心を洗ってくれる。流れに沿って行くと小さな広場があり、愛知川の源流に出た。この辺りは幾つかの沢が入り交じり、複雑な地形だ。コーヒーを沸かして朝食のパンを食べる。



しばらく休んで左手の沢に下り、沢沿いに行き、右手の尾根に直登する。崩壊したガレ場をへつり、尾根を越してまた別の沢・クラ谷に下る。
何度も流れを渡り返し、静かな流れに沿う道、捲道、沢の中の道と、変化に富んだ遡行が続く。所々で出会う滝も、小振りながら美しいものが多く、楽しい沢歩きだ。



流れは次第に細く、水流も少なくなり源流の近いことを思わせる。道はこの頃から沢を離れ右手の山腹へ登り出す。しかし大した事なく、七人山のコルに着く。
 曲がりくねった櫟の木が生える道を少し行くと、やがて猛烈な熊笹のプッシュとなる。遂にはトンネル状になり、潜って行く所もある。雨裂で溝状になつた所も登る。歩きにくいので上に出ると熊笹のブッシュ。



しかし、しばらく頑張ると次第に笹の丈も低くなり、見通しが効くようになった。勾配がゆるまり東雨乞岳頂上に着く。広々とした樹木の無い頂上はまさに360度の展望台。しかし、国見と御在所、鎌ヶ岳が見える他は雲が低くて余り展望はない。



目指す雨乞本峰は熊笹の海の向こう、かなり時間が掛かりそうだが熊笹を漕いで登ると13分で頂上に到着。
 樹木に覆われていると思っていたが東、南側が予想外に展けていて、鎌、御在所はよく見えた。スカイラインが延々と続いているのも見える。



東雨乞の頂上に引き返して缶ビールで乾杯する。雲行きが怪しくなったので頂上に別れを告げる。
 下り道は何と言っても楽で、直ぐに七人山を通過、河原へ降りてクラ谷と愛知川の出合近くで昼食にした。この頃から天気は回復、谷間から見上げる空は快晴となる。愛知川源流より後は、来るとき懸念した通り、やはり嫌な道で、うんざりする程長く感じた。
 最後の水場で顔を洗い、さっぱりして、とうとうあのススキの原に帰って来た。



強い日差しに白いススキの穂がキラキラ光り、その上に鎌が岳がくっきりと青空に浮かんで、私達の7マウンテン完登を祝福しているかのように見えた。

鈴鹿7マウンテン(6)-竜ヶ岳

2008-08-26 16:52:06 | 四方山話
竜ヶ岳(1099.6m)

鈴鹿山脈北部の南端にあり、三重県いなべ市と滋賀県東近江市をまたぐ山です。鈴鹿北部の石灰岩帯が終わるところで、平坦な山頂部はイブキザサに覆われ、遠くからは草原のように見えます。(写真は宇賀渓より)

1991年4月28日 宇賀渓人り口の駐車場から左岸の林道を終点へ歩き、8時50分谷と分かれて杉林の中をジグザグに登る。再び河原へ下り、ホタガ谷の流れを何度か渡り返し、時には高捲く。しばらくで右下に分れ滝を見て、更に沢をつめる。石灰岩質の美しい石の間を流れる小沢となり、沢を離れる(10時10分)。

 ここからは背丈を超すスズタケの中の登りとなり、間も無く笹の丈も低くなると始めて広闊な展望が開け、遠足尾根上に着く。残念ながら雲が低く、展望は今一つだ。此処からが結構きつかったが、足下に咲くコスミレ、ショウジョウバカマ、サワラン(淡赤紫)、イワカガミ、コミヤマカタバミ(白)などの可憐な花々や、すぐ近くで鳴くウグイスの声に励まされてコプの上に出た(11時)。



此処から左折すると殆ど平坦な道となり、最後の登りも大した事もなく、予想外に楽に頂上の広場に着く(11時15分)。さすがに連休らしい山頂の賑わいである。しかし視界は悪く、ガスが濃くなり寒さを感じてきたので、そそくさと食事を終えて出発する(11時50分)。



 頂上からなだらかに下る、笹原の気持ち良い稜線歩きは直ぐに終わり、雑木林に入る。滑り台のような幅広い溝や、片足しか入らない掘り割り状の急勾配の下りが続く。林が終わり、明るい砂岩の尾根を過ぎると重ね岩の奇岩(12時20分)。<写真は2000年のものです>



前方にマイクロウェーブの鉄塔を見ながら、再び厳しい下りとなり、ようやく石榑峠に着く(13時)。広い道をのんびりと下る。小峠で舗装路を離れ、左手の谷に下りる。何度か徒渉を繰り返すが、白い岩の間を流れる水は清冽で疲れも感じない。所々で沢を離れて捲道を行き、また沢に下りたりしながら、和の好きな長い鉄梯子を降りきったところが長尾滝だった。(下の写真・13時20分~13時30分)。



中道登山口を過ぎ、しばらくで五階滝を見て、更に下って魚止滝に出る。すぐ登りに使ったホタガ谷の裏登山道に出会い、あとはのんびり広い道を駐車場に帰る(14時30分)。

2000年8月5日 酷暑の中、9年前と同じコースを歩きました。
ホタガ谷の源流近くなって右の涸れ沢に入り込んでしまい、遮二無二よじ登るように遠足尾根の上に出ました。人声のする方へヤブを漕いで行って、ようやく尾根を通る道に出ました。
カンカン照りの頂上は、もの凄く暑かったことだけが印象に残ります。

鈴鹿7マウンテン(5)-入道ヶ岳

2008-08-25 15:26:33 | 四方山話
入道ヶ岳(1906.1m)


山麓の椿大神社のご神体山で、山頂には鳥居と奥の院があります。
山頂一帯にはなだらかな笹原が拡がり、三重県指定天然記念物のアセビ群落が有名です。

1990.10.21. 小岐須渓谷の石大神展望台から岩峰そのものが御神体という石大神を仰ぎ、駐車場に車を預けて9時25分、出発。
滝谷沿いの道を緩く登る。谷に降りたり尾根を巻いたり、何度も小さい流れを渡り返したりする。名の通り滝が多いが、規模は小さい。池の谷への分岐を分け(9:50)、最後の滝は固定ザイルのある左岸の急坂を登る。

雑木林の中を緩く登って10時38分、二本松尾根の途中にある椿大社との分岐に着く。「天然記念物・馬酔木群落」の石柱を過ぎると、登りは更に強まりザイルを固定した所もあった。右手に伊勢平野を見下ろす熊笹の中の道となり、ようやく傾斜を落とす。直ぐ前に大きな石の鳥居の立つ頂上が見えると、5分ほどで、予想より楽に頂上に着いた(11:20)。



山頂には途中の静かさからは想像出来ぬほどの人が、広々した草原に思い思いに散らばって憩っていた。南から野登山、仙ヶ岳、宮指呂岳、鎌が岳、御在所岳と鈴鹿中南部の峰々が並び、背後には伊勢平野が広がっている。

昼食をとり、12時05分、下山にかかる。熊笹の道を少し下って5分ほどでT字路を左に池の谷道を小さな流れに沿ったり、谷筋を歩いたりして下る。
何度も美しい滝に出会う。捲道の岩場に鎖やフイックスザイルが取り付けられ、ちょっとシブイ所もあった。いったん沢から離れ、山腹を捲いて滝谷への分岐を過ぎ(12:46)再び沢音が近づくと小岐須渓の林道に飛び出した(13:30)。



時間はたっぶりあるので屏風岩を見に行く。吊橋を渡り、少し登って山の家から再び下って河原に降りる(13:48)。真白な結晶質の石灰岩(大理石)が花崗岩と美しいコントラストを見せ、両岸には頁岩が立ち並ぶ景勝地だ。林道に戻って逆光に輝くススキと右大神とを眺めながら歩き、14時、駐車場所に帰着する。

鈴鹿7マウンテン(4)-釈迦ヶ岳

2008-08-24 17:08:02 | 四方山話
釈迦ヶ岳 <1092.2m>

鈴鹿山脈の中央部にある花崗岩地質の山。山の姿がお釈迦様の寝姿に似ていることから名付けられたといいます。南山麓の朝明渓谷は美しい滝が多く、古くから開けてキャンプ場などが設けられています。
北側からも八風峠経由のルートがあり、以前に峠まで登ったことがありますが、以下はもう20年近くも前になる南側からの記録です。

1990.11.18.朝明渓谷の駐車場に車を置いて、その前からすぐ登山道に入る。
朝明渓谷のキャンプ場前から庵座谷道が始まる。歩きにくい道をしばらく歩き、山腹へ登る。雑木林の単調な道を行くと、急に視界が開けて正面の山肌を落ちる庵座の滝が見えた。谷に下りると歩き易い道となり、滝の下に着いた。



落差40Mの滝は実に堂々とした姿で、滝口を見上げると紺碧の天空から湧き出しているように見える。一本の深紅の楓が彩りを添え、実に美しい。
滝と別れ、固定ザイルを張ったガレ場の直登となる。小さい沢を越して、滝の落ち口を通る。15分ほどで沢に出て、消えかかったペンキの印を頼りに右に左に渡り返す。林に入り、見事な三段の滝を高捲きする。次に河原に下りると流れは緩やかになり、また何度か右を跳んで渡り返す。右岸の林の道を行くと、鉄パイプを組合せた異様な堰堤に出た。堰堤の上は広い河原で、視界が急に広がり、正面に猫岳、右手に松尾尾根の頭と大陰のガレが遥か高くに見える。

かんかん照りの河原を汗を流しながら猫岳の方に進み、左岸に渡って急勾配の斜面に取り付く。固定ザイルのある、落石が起きそうな斜面を一歩一歩よじ登る。
この登りは相当なもので猫岩のピークは見る見る同じ高さになる。最後は岩角や木の幹に槌っての、全くの直登となる。
ようやく樹木相が変わり頭上に青空が広がると、松尾尾根の頭だった。休憩もせずに頂上を目指す。殆ど登り下りのない、熊笹の中の道を南へ、羽鳥峯への分岐を過ぎると5分程で頂上に着いた。1092Mの頂上は意外に狭く、樹木が茂って全く展望がきかない。



昼食をすませて出発。分岐から羽鳥峰へは急な掘り割り状の下りと、熊笹のトンネルの連続。概ね下りだが途中、猫岳(1058M)と908Mピークの二つの登りがある。猫岳は標識では猫岩とあり、山では珍しく交通事故死者の碑があった。ここから熊笹はうんざりする程密生していて、時には背丈を超す所もある。朝明側の見通しの効く、露岩が重なりあう素晴らしい景色の所を過ぎ、908M峯ピークを過ぎると、熊笹がきれいに切り開かれていて歩き易くなった。



羽鳥峰の峠でコーヒーを飲み、小休止。ここからは去年、水晶岳への登りに使った道で、思い出を辿りながらどんどん下る。案外早く広い道に出たが、それからがうんざりする程長く感じた。

天候も体調もよく、ルートに変化のある充実した山行を楽しむことが出来た。

<コースタイム>
駐車場発 9:20…10:20庵座の滝10:35…12:05松尾尾根の頭…12:15釈迦ヶ岳頂上12:18…昼食12:50…13:20猫岳…14:05羽鳥峰14:25…1515駐車場

鈴鹿7マウンテン(3)-御在所岳

2008-08-23 15:26:49 | 四方山話
御在所岳(1209.8m)

岩峰の屹立する鈴鹿山脈の主峰。春はアカヤシオ、冬は樹氷が岩稜を彩ります。秋の紅葉も捨てがたく、四季折々に魅力溢れる山です。山上はリフトやレストラン、カモシカセンターなどのある公園になっています。
 ここに記した他にも、子供たちや義父母と一緒に何度かロープウェイを利用して登りました。



1962.02.04  前夜、藤内小屋に泊まり、快晴の4日、藤内沢1ルンゼ、中俣、3ルンゼなどで氷瀑の感触を楽しみながら、ザイルワーク、アイゼンワークを練習しました。
 それまでの麻ザイルを始めてナイロンザイルに替えましたが、雪も付着せず、しなやかで快適でした。最後の稜線に出るところがシブく、腕力を頼りによじ登りました。上からスキーヤーが驚いた顔で見物していました。

1990.04.29 ロープウウェイ沿いに奇岩の散在する中道を登りました。
 白い花崗岩と新緑の中に点在するアカヤシオを愛でながら、巨岩が重なる負レ岩に着き休憩。さらに左に鎌ヶ岳、右に釈迦ヶ岳を見ながらキレットまでくると雨が降り出しました。滑りやすい岩を慎重に下り、樹林帯を登り返して稜線に出ました。
 吹き曝しの稜線は、山が吠え、吹き飛ばされそうな思いの外に凄い風雨でした。登行を続けるのが困難になって、大きな岩陰で風を避けてコーヒーを沸かしましたが、コンロの火が何度も吹き消されました。小一時間経って、ようやく雨が小降りになり出発。冷えた身体をロープ駅のウドンで暖めて頂上往復。
 あまりに寒いので、震えながらロープウェイでで下山しました。



2000.12.12 一等三角点地点の標高は1209mですが、少し先の最高点は1212mあります。ML・低山徘徊派の仲間たちの間で、平成12年の12並びの日時に登ろうということになりました。
 朝から雪になり、鈴鹿スカイラインの路面は凍結していました。ゲートの上で前夜横浜から来て山麓で泊まっていたテラさんに出会い、彼の4DWで中道登山口まで登りました。
 尾根道の新雪を踏んで順調に高度を上げ、飛雪と吹雪の中を無心に登ります。キレットの藤内壁側、クラックを急降下する岩場は凍結していて、慎重に下りました。樹林帯の横の長い鎖場を過ぎて山上公園東端へでました。朝暘台は素晴らしい樹氷で飾られていました。
 三角点は大勢の登山者で賑わっていました。集まったメンバー8名で記念撮影、食事のあと全員で雪の深い表道を下りました。



2005.10.30  千日山歩渉会の仲間たち11人で、真っ青な空を背に錦の衣を纏った御在所岳を見上げながら中道を登りました。
 山上レストランの前にアルペンホルンを演奏する人たちに人の輪ができていました。迂闊な話ですが、JAC東海支部のJAC百周年記念集会の当日だったのです。ゴーキョピークへ一緒した東海支部Kさん夫妻に出会い、固い握手を交わして別れ、最高所へ…。
 紅葉の山々を眺めながら、のんびりと昼食後、武平峠経由で下りました。

鈴鹿7マウンテン(2)-藤原岳

2008-08-21 17:48:02 | 四方山話
藤原岳 <1140m>



カルスト地形の花の名山として知られています。展望丘と呼ばれている最高点からは、文字通りの大展望が得られます。

1989.5.14.ふたりで、始めて大貝戸道から頂上に登り、カルスト台地の平頂丘を天狗岩まで散歩しました。下りは聖宝道を下りました。イチリンソウ、オドリコソウ、ヤマブキソウなどの群落が目立ちました。

93.06.06 89年と同じコースです。時期が悪く、ニシキウツギやオドリコソウが見られただけでした。



96.04.06 天城の万三郎山で知り合い、青笹に案内して貰った島田市のMさんらと聖宝寺道を登りました。残雪面の上や雪溶け水が流れる道をフクジュソウやユキワリソウ、セツプンソウの写真を撮りながら楽しく登りました。藤原山荘裏手の石灰岩が散らばる丘は、踏まないようにするのが難しいほどのフクジュソウの大群落でした。展望丘に登ったあと、大貝戸道を下りました。

96.04.30 この山の花に魅せられたMさんが再訪。雪が溶けて歩きやすくなった一ヶ月前の道はイカリソウ、イチリンソウ、ニリンソウ、ミヤマカタバミ、エンレイソウなどが花盛り。前回は雪に覆われていた谷あいに今は春の息吹がいっぱいです。8合目では待望のカタクリの花が現れました。天狗岩までの散在するドリーネの間の散歩では、満開のフクジュソウの大群落が連続しています。この夜は聖宝寺下の民宿「翠嵐荘」で名物の鱒料理で静岡の銘酒を味わいながら山の話しに花を咲かせました。



04.05.08 8年ぶりに訪れて、まず西藤原駅の変貌に驚きました。ウィステリヤ鉄道の表示があり、駅舎が機関車の形になっています。Wisteriaとは藤原町の町花・フジの花のことで、駅そのものを小テーマパークにしているそうです。聖宝寺道の花は時期が遅かったのか、すっかり少なくなっていて、天狗岩へのカレンフェルトの道にイチリンソウの群落が見事だったくらいです。展望丘への道は笹が切り開かれ、見違えるほど整備されていました。