ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

わが家のゴーヤ

2009-06-29 21:11:02 | 花日記
長い間の中休みが終わり、梅雨らしいお天気になりました。



わが家のゴーヤも、ようやく窓の高さに届きました。



小さな花が咲いて…



可愛い坊やが誕生しました。(3日前の26日撮影)

今日の矢田歩き(6月28日)

2009-06-28 13:09:02 | 矢田だより
今日も暑くなるという予報です。
毎日同じ道では芸がないので、二人で相談して松尾寺から
歩くことにしました。



山門を潜ると本堂への石段脇に咲くクチナシが香ります。
(8時15分)



お詣りを済ませ、三重塔横から峯入り修行道を山頂へ。
低山ながら二等三角点ですが、樹木が茂って展望は
皆無になりました。(8時35分)



縦走路に下りて、矢田山へ向かいます。
こんな蛾がいました。
ヘリコプターのように羽を回して、珍しい飛び方をします。

矢田山最高点(まほろば展望所)では、まだ気温24℃でした。
(9時25分~30分)



展望台近くの道の両側では、ヒメジオンの花が満開です。
元の縦走路を引き返して、松尾寺の駐車場に帰りました。
(10時10分)

今日の矢田歩き (6月27日)

2009-06-27 17:42:10 | 矢田だより
梅雨の中休みも今日までとか…
いつもの「地蔵の辻」(勝手に名付けました)に車を置いて、
大石から矢田山に登り東明寺に下りる、この時期にはお決まりの
コースです。



東明寺本堂下に5日前にはツボミだった沙羅双樹(ナツツバキ)が
美しく咲いていました。



「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色盛者
必衰の理をあらわす……」の平家物語冒頭に出てくる花。
お釈迦様は、この樹の下で涅槃に入ったといいます。
一日で終わるはかない命の一日花。すでに薄く茶色に染まった
花びらが地面にたくさん落ちていました。



花言葉は「愛らしさ」。♀ペンの大好きな花です。

今日は何の日 (6月26日)

2009-06-26 20:49:35 | 四方山話
今日は「雷の日」だそうです。
平安時代<930年(延長8年)>、平安京の清涼殿に雷が落ちて
大納言の藤原清貴が亡くなりました。
讒言によって太宰府に流された菅原道真の怨霊のせいと恐れられ、
道真は「天神」として名誉挽回…というのがいわれとか。
幸い今日は雷は鳴らず、いいお天気でしたが…。



山での雷は怖いものです。
何度か肝を冷やしましたが、これは
1994年7月、金峰山の冨士見小屋の前にあった看板です。

登山愛好者のみなさん、お互いに注意しましょう。

ベニシャクヤクに会いに行きました (6月25日)

2009-06-26 15:02:12 | 花日記
梅雨の中休みで好いお天気になりそうです。
今年も大峰山系のこの山に花を見に登りました。



家から2時間。登山口に駐車して、吊橋を渡ります。
昨日の雨でまだ湿り気が残る山道に入ります。



冷たい湧き水を汲んで…



階段道を登ります。汗ばむ頃には水平道になり、しばらくで
また急坂の繰り返しと疲れも感じないままに



休憩舎のある平に着きました。
幸ちゃんのザックから甘くてジューシーな冷やしたビワが出て、
おいしく頂きながら一休み。


しばらくは暗い林の中の急なジグザグの階段道が続きます。
しかしそれも20分ほどで、明るく開けた展望台に出ました。



ザックを下ろして、何はともあれベニバナヤマシャクヤクに会いに。
今年も少し花期には遅かったようで、咲き残った花も少なかったです。



ジキタリスの花も、去年より数が少ないように思いました。
ここ二、三日間の雨や風からやっと立ちあがったという、
何となく元気のないのが気になります。



それでも次第に青空が拡がって、この時期には珍しい大展望が
楽しめました。
左の小さな三角錐は大日山、その右は稲村ヶ岳、中央奥は
バリゴヤの頭です。



のんびりと景色を眺めながら、ゆっくりお弁当を食べるうちに
「今日は頂上へは登らずにここまでにしよう」ということで、
下山にかかりました。
これまで誰ひとりにも出会わない貸切状態でしたが、この頃から
ぽつぽつ登ってくる人と出会うようになりました。

岩屋に立ち寄ったあと、涼しい木陰の平でコーヒータイム。
爽やかな風に送られて駐車場に帰ると、真夏のような太陽がギラギラと
照りつけて、はや山の涼しさが恋しくなるような暑さでした。

<植物保護のため山名を伏せました>

今日は何の日(6月24日)

2009-06-24 16:12:03 | Weblog
昼寝から覚めて階下に降りると、♀ペンがTVで「ミヤネ屋」を見ながら
ゲラゲラ笑っています。
何でも今日は「UFOの日」だそうで、ピンクレディの「UFO!」を聞きながら
「日新やきそばUFO」を食べる日かと思いきや、
西宮のとある家のベランダらしきところで数人の男女が「ファンファン」
(UFOの発信音か?)と言いながら、熱心に空を見つめているシーンが
放映されておりました。

今日はアメリカの実業家ケネス・アーノルド氏が1947年に始めてUFOを見た
日だそうで、
われわれの年代では「空飛ぶ円盤」と言った方が通りがよろしい。
なぜ「未確認飛行物体(Unidentified Flying Object)」が「空飛ぶ円盤」
になったかについては、



最近読んだこの本の巻頭で詳しく紹介されていました。
一読して、ミヤネ屋にでているときの松尾氏の印象からは想像出来ない、
超常現象全般(宇宙から河童、こっくりさん、動物霊など71項目)に関する
真面目な考察に驚きました。
もともと変愚院はこの手の本が大好きで、だいぶ BookOff へ売りましたが、
まだ「と学会」関連や、デニケンの



は手元に残しております。(また、古今東西の怪談関係も…)
この不可思議現象大好き性格は、死んだ親父ゆずりでもあります。
たまたま祥月ではありませんが今日は親父の命日…
この記事も親父が書かせているのかも…

冗談はさておき、今日は昭和の歌姫・美空ひばりの命日「林檎忌」
でもあります。
昨夜のNHK「歌謡ショー」は「ひばり」の特集で、伍代夏子が「港町十三番地」、
森進一が「悲しい酒」を唄うのを、ひばりが大好きな♀ペンはしみじみ聞いておりました。

ミュージックと言えば今日は「ドレミの日」でもあるそうです。
「たぬきさん」はこちらを書いておられます。
あの「サウンド・オブ・ミュージック」の「ドレミの唄」…アルプの風景
…やはり目の付け所がペンギンとは違います。


映画「剣岳・点の記」

2009-06-23 17:36:32 | 四方山話
今日、見てきました。

確かに山岳風景は素晴らしく、とても美しい映像でした。
秋の室堂周辺の紅葉は目を見張るほどで、朝日や夕日に染まる剣岳は
神々しいほどでした。
1年前に撮影中に落石があり録音技師の方が重症を負われたそうですが、
数々の困難を乗り越えて完成された映画は一見の価値があります。

しかし、原作と違う不満な点がいくつかあります。

1.小島烏水ら日本山岳会会員が、かなり嫌みな人物に描かれていること。
原作にはビスケットを勧めたり、装備を見せびらかすところはなかったと
思います。
 実際は柴崎測量官はその後、日本山岳会に入会されていますし、それ以前
からも会員と交際があって「愛敬の念をもっていた」と、原作あとがきに
あります。
 なお、登頂後に柴崎測量官が別の山から測点しているときに、小島が手旗
信号で賛辞を送ったというのは、原作では文言はほぼ同じですが剣沢の幕営
地に届いた手紙になっています。 

2.陸軍(参謀本部)の強圧的な態度は事実でしょうが、国村隼演じる上官
の言動は、原作に比べてかなりオーバーと思います。
 また、新聞(富山日報)記者も悪者扱いですが、あの記事がなければ軍の
思惑通り柴崎測量官の業績も、現在、重要文化財になっている錫杖の頭も
世に出なかったかもしれません。

3.他にも原作にない宇治長治郎の息子や妻が出てくるなど、映画を面白く
するための脚色に、上の諸点は欠かせなかったのでしょう。

それでも、結論としては「見て良かった」映画でした。
帰ってからネットでもう一度、復習してみました。
「日本測量協会」のホームページ「点の記・コーナー」が一番充実している
ようでした。ここから東映の公式ページへもリンクしています。

剣岳の想い出

2009-06-21 18:01:04 | 旅の想い出
昨日(6月20日)封切りの「剣岳・点の記」をさっそく見てきた
「やまあそ」さんからコメントを頂きました。



私たちも見に行くつもりですが、今は原作本(昭和52年8月30日第1刷)
を読み返しているところです。
改めて初登攀時の困難さが思いやれます。



写真は1999年夏、別山頂上よりの剣岳。
「そこ以外にはあり得ないほど、剣岳を見るには好都合なところ」
と上の本にあるとおりです。
右遠くには雲上に白馬岳が浮かんでいます。

剣岳は私たちにも、何かと想い出の深い山です。



写真は始めて登った1961年夏。
半壊した平蔵の小屋を見下ろしながら登る高校生たち。
山岳部ではなく、六甲山で3回の予備登山をしただけの
一般参加の生徒たちです。今では恐らく許可されない
団体登山でした。



これは山頂での若き変愚院。横の二人は山岳部員。
下山の時、岩場で雷雨に遭遇して肝をひやしました。
別山乗越の小屋で一泊後、立山三山を縦走した一般隊は一ノ越
から下山。(バスはまだ弥陀ヶ原までしかきていない時代でした)
変愚院は山岳部(幕営)に合流し、薬師岳に向かいましたが風雨で
五色ヶ原で停滞。入山6日目にザラ峠から立山温泉に下山しました。


翌62年、転勤した高校で山岳部創部初の夏合宿。
カニの横這いを下っています。


剣沢を下り、仙人池畔で幕営中にまた豪雨に遭い、池の増水
でテントが水没しかけて、小屋へ逃げ込みました。
写真は晴れ上がった翌日、仙人峠からの剣チンネ。
欅平から阿曽原まで、関電の上部軌道に乗せてもらう。
生命の保証をしない旨の一札を取られた上、有蓋貨物車に押し込まれ
真っ暗闇のトンネルを突っ走り、生きた心地がしませんでした。
しかし、この軌道はすぐ一般人の乗車を認めなくなったので、貴重な
体験をしたと言えます。



67年7月。雪の多い年でした。
21.室堂~雷鳥沢~別山乗越~剣沢。バスが室堂まで入るようになる。
地獄谷を経て剣沢へ。強風でテントー張りがだめになる。
22. サブで剣往復。いつもより雪が多い。
23. 剣沢~雄山~一の越~五色ヶ原。快晴。立山で人の多いのに驚く。



24. ~越中沢岳~スゴ乗越~間山。
25. ~北薬師~薬師岳~薬師峠。快晴。快調に飛ばし、昼前に早くも
薬師本峰に着く。ゆっくり遊んで薬師峠へ。
26.~太郎兵衛平~有峰~折立。太郎兵衛平には今年もニッコウキスゲ
が咲き乱れていた。有峰へ下山。



1972年 大阪山友クラブ夏合宿。CLでした。
弥陀ヶ原~大日岳~(泊)
山日記より「称名谷への下りは凄い。膝をガクガクさせて降り切ると、
吊橋が流されて見当たらず、やむなくワイヤロープにすがり、腰まで
の徒渉。水の冷たいこと、震えが来るほどだ。
ここから下流に一寸降りてから大日平へ登るのに、そのまま踏跡沿いに
渡河点からルンゼを直登する。キスリングかついで岩登りだ。…」

奥大日岳~室堂乗越~剣沢(泊)



先に剣沢で待っていたメンバーと合流。
八ツ峰などで岩登りも予定していたが、悪天候で断念。全員で登頂する。
中央奥で鉢巻きをしているのが変愚院です。



1998年9月7日。子育てなどで何度も機会を失ってきた♀ペンと、
60歳を過ぎてようやく一緒に剣へ。
前日は「始めて来たときより歳は37プラスだが、10㎏足らずのザック
は20kgのマイナス…」と我が身に言い聞かせ、雷鳥沢を登りました。
始めて剣沢小屋に泊まり、余計な荷を預けて午前五時半行動開始。

難所の「門」も♀ペンはあっという間に渡ってしまい、「ウチは
こういう所好きヤ」。
長女がお腹にいるのに岩登りの練習をした♀ペンですから、あまり
怖がらないのです。
先行のパーティに先を譲って貰って平蔵のコルを過ぎ、「カニのタテ這い」
もスイスイ登ってしまって、案外早く山頂に立つことができました。




「カニの横這い」では先行の若い男性二人組が手間取っていました。
一人がなかなか思い切って足を踏み出せません。ようやく降りた後を、
ここは私が先に降りてスタンスを確認。♀ペンも殆ど鎖を頼らずに
クライミングダウンしました。
一番傾斜が急で、かって電柱のアングルがあったところには、立派な
ハシゴが架けられていました。

無事に剣沢に帰り、別山乗越から雷鳥沢を経て地獄谷を見物したあと、
室堂からさらに天狗平まで歩いて高原ホテルに下ったのは16時15分でした。

以上が「私たちの剣岳」です。
BLOGの材料を示唆してくださった「やまあそ」さん、ありがとうございました。

夏至の矢田歩き (6月21日)

2009-06-21 16:45:02 | 矢田だより
空梅雨というのでしょうか、青空が覗く矢田の里です。
アジサイ見物で賑わう矢田寺の参道を外すと、いつもの
静かな山道になります。



矢田の大石から山頂に向かいます。



大石の近くでホタルブクロが群れ咲いていました。



山頂から東明寺に下りました。
1万歩近く歩いて帰る頃、参道は更に賑わいを増していました。