ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

酷暑の金剛山(2014.07.30)

2014-07-30 17:21:22 | 山日記

【メンバー】芳村嘉一郎、芳村和子
【コースタイム】水越峠下P 06:15…カヤンボ 07:05~07:10…旧パノラマ台 07:30~07:40…一の鳥居08:47…葛木神社 09:00~09:05…国見城址 09:10~09:15…大日岳 09:28…太尾塞跡09:55…青崩分岐10:30~10:40…水越峠下P 11:05
 

先週に続いての夏山トレーニング。今日は水越峠下の駐車場に入れる。すでに10台ほどが停めてあった。

ウバユリの花を何枚かカメラに収めながら水越峠まで緩く登って、カンドガコバ林道に入る。ここから山頂まで5km。

青空を背に太尾の尾根がくっきりと浮かび上がり、見ているだけで暑そうだ。今日はこちらから登ることにしてよかった。ただ陽が当たらないのはいいが湿気がもの凄く、最初の越口までの急坂で瞬く間に全身汗まみれになる。

しかし、数え切れないほどのヤマユリや

ヤマホタルブクロの花に慰められて、楽しく登る。腰口からは傾斜も緩まり、金剛の水を頂いて顔を洗って一息つく。

カヤンボで太尾塞への道と分かれて、ダイトレに入る。ここで降りてくる男性二人に出会ったが、あとは山頂まで貸し切りで気楽な道だった。

旧のパノラマ台まで思ったより楽に登り、一休みする。カンカン照りの御所市街地を見下ろしながら水分補給する。

ダイトレ道はさすがに良く整備されていて、急坂の個所も少なく楽しく登る。ただアブが付きまとってきて、ウチワで追い払いながら歩く。山頂まで1km地点は昔は葛城が美しく望めた処だが、今は樹が生い茂って無展望になった。ここで左に折れて階段道を少し登る。

いったん傾斜の緩んだ道が再び急な階段道になるところで、和子が大きなクリーム色のキノコを見つけた。見かけよりもずいぶん固い。

間もなく水平道に出て、郵便道と合流して一の鳥居へ。先週、補修中で倒れていた仁王杉の燈籠は元通りに建っていた。

葛木神社の石段を登り参詣する頃に、一番のロープウェイの動く音が聞こえてきた。境内の温度計は22℃。手水でタオルを濡らして、やっと涼しさを感じた。

国見城址はカンカン照りで、ヤブカンゾウの花が満開だった。今日はPLの塔も良く見えたが、さきほど休んだばかりなので、すぐに腰を上げて大日岳へ登る。

ここも強い陽射しで、植林の下りに入って一息ついた。この辺りからポツポツ登ってくる人に出会う。決まったようにお互いの口から「暑いですね」という言葉が漏れる。急坂の木の根道は下るだけでも、せっかく引いた汗が噴き出してくる。太尾塞跡でベンチに腰を下ろしたが、あまりの暑さとアブの攻撃にすぐに出発した。

 ここから太尾道に入る。すぐ下で素敵な格好の若い女性グループが立ち休みしていた。ロープの付いた急坂のアルバイトで、だいぶ疲れた様子だった。先週は私も辛かったが、さすがに下りは楽だった。それでも30分ほどかかって、青崩との分岐に来てベンチに腰を下ろす。今日は太尾も殆ど無風で、ようやくここで石ブテ東谷の方から、少し涼しい風が流れてきた。

一息ついて、いつも登ってくる左からの道と分かれて右へ下る。太尾は何度も登っているが、機会がなかった初めての道である。なだらかな山腹の道、急な階段道など変化のある道で、

やがて水越川の水音と車の音が聞こえ、旧国道に飛び出した。二、三分下って駐車場に帰り汗を拭って車に帰る。今日は暑かったが早目に行動して、ヤマユリにも出会えたし、コース選択も良かった。三日後の白山行きを控え、いいトレーニングができた。


13年前の今日(2001.07.29)

2014-07-29 06:00:00 | 旅の想い出

13年前の今日(2001年7月29日 )、中国四川省にある太姑娘山(タークウニャンシャン 5025m)に二人で登りました。四姉妹になぞらえられる四峰のうち、末娘は6250mで最も背が高く手が出せませんが、長姉のタークウニャンシャンは技術的な難しさのない5025mで、しかも途中の道はブルーポピーやエーデルワイスを始め、色とりどりの花の乱れ咲く雲上の楽園とききました。

 言語上の制約もあって二人だけでは無理なので、AT社のグループツァーに参加して、この魅力的な山域に向かいました。22日に関空を発ち香港経由で成都へ。ツァーリーダーを含めて20人のパーティのうち14人が女性で、この時66歳の変愚院が最年長でした。

23日は臥龍へ向けて出発しましたが、トンネル事故があって引き返し、改めて路線バスをチャーターするなど前途に不安を抱かせるアプローチでした。

24日は、あこがれのブルーポピーなどの美しい花々を見ながら巴郎山峠を越え、日隆へ。25日、高度順応日で往復6時間のラマ教寺院を訪ねました。

26日、日隆を発ちBCへ。なだらかな尾根の向こうに四姑娘山が覗いています。

やがて色とりどりの花が咲き乱れる草原状の尾根道になりました。エーデルワイスは足の踏み場もないほどで、まさに天界の花園です。

昼食も花園に点在する石の上に座って食べました。足元の花を踏まないようにするのが大変でした。

ヒイラギに似たチンカンスウの林を抜けると、目の下に草原に流れる川と何張ものテントが見えました。高度3,600m、老牛園子(ラオニューエンツー)というカルカ(夏季だけの放牧地)にあるベースキャンプです。歓迎の夕食は松茸御飯でした。

27日は2度目の高度順応日で、雨の中を高山の湖・海花海子を訪ねました。

28日、雨の中を登り、4300mにある前進キャンプに入りました。テントの周りの岩礫地に、青いケシや珍しい苔の花などが咲いていました。

7月29日(日)「何とか止んでくれ」の願いもむなしく、待望の登頂日は無情の雨に明けました。6時、標高差700mあまりの頂を目指して登高を始めます。ガレ場の急登からスレート状の岩が積み重なったような不安定な所になり、雨で緩んだ足場に、落石をしないように注意して高度を上げます。

5000m近くなると、高度の影響が現れてきました。いつの間にか、パーティは3つほどのグループに分かれていて、私たちは先頭集団でTLから4,5番目にぴったりついて、ゆっくり高度を上げます。

目の前の岩の勾配がなくなり、やや広い台地にでるとそこが頂上で、思ったよりも楽に登ることができました。

下山は一気にBCまで下ります。夕食はビールや紹興酒も出て豪華な宴になりました。その後は中国側の若い男女スタッフも加わって、日中歌合戦に踊合戦。楽しいよテント生活最後の夜を過ごしました。

30日はパンダの故郷・臥龍(ウォロン)に下りました。「大熊猫保護研究中心(センター)」で「いつまで見ていても飽きない」と言っていた♀ペンは、100元(\1500)でパンダを抱かせて貰って大喜びでした。31日、成都に滞在し8月1日、関空に帰りました。本当に楽しい山旅でした。


6年前の今日(2008.07.26)

2014-07-26 06:00:00 | 旅の想い出

6年前の今日(2008.07.26 )、当時在籍していた日本山岳会関西支部の海外トレッキング山行で、カムチャッカに29ある活火山の一つ、アバチャ山(2741m)に登頂しました。

夏だけチャーター便が飛ぶことになり、これを利用しました。24日、搭乗したツボレフ機はどうもかなり使い古された感じでした。しかし関空から僅か4時間のフライトでペトロハバロフスク・カムチャッキー空港に着き、パラトゥンカ温泉郷で一泊しました。

25日、カマスという軍用トラックを改造した6輪車で標高800mのベースキャンプへ。緯度が高いので、BC周辺でも美しい高山植物がいっぱい咲いていました。

またBCには地リスくんも遊びに来ました。

遅めの昼食後、通称ラクダ山という双耳峰へ足慣らしのトレッキング。雪渓を登ったコルから槍の穂先へ登るような感覚の岩場へ…

もう一つのピークを越した別のコルからは、先程通った二つの岩峰の上に明日辿る長い稜線が見えました。

 登頂当日は頂上までの標高差1900mを一日で往復しなければならず、加齢(当時73歳)もあって苦しい登山になりました。ザックに雨具、防寒具、配給されたビニール袋の食料(チーズとサラミのサンドイッチ各1、ナッツ小袋、アンズ小袋、チョコレート2、リンゴ、キャンディー数個、サクランボのジュースパック2)と水1.5Lを入れて、午前8時BC発。

あいにくの曇り空で辺りは霧に覆われていましたが、雲の上に出ると火山礫の荒涼とした風景が拡がり、昨日のラクダ山を目の下にするようになりました。

推定2000m地点で昼食後、下山道を支尾根を過ぎると「悪魔の指」と呼ばれる奇怪な岩峰の下をトラバース。ここからが標高差500mの正念場で、まずは崩れやすい砂礫帯のジグザグの登り。ロシア人の下山者が頻繁に落石を起こし「バニ(石)」と叫びます。

直登道に変わり、最後の100mは細いロープに縋って登りました。

登り着いた山頂は火口壁の一角で、富士山で言えば各登山口の頂上で浅間神社のあるところです。赤茶けた地面に腰を下ろすと暖かく、火口壁から噴煙が流れてくると硫黄の匂いが鼻を突きます。富士山でいえば剣ヶ峰の最高峰へお鉢巡りをしたあと、下山しました。

下山後は登頂お祝いパーティです。同じ会員で今回のツァーリーダーのSさんが心を込めて準備してくれました。ビールとウォッカで乾杯。最後は、イクラとタラバガニとサーモンに刻み海苔とワサビ、醤油を添えた豪華な海鮮丼で満腹すると、ようやく登頂できた喜びがジワジワと沸いてきました。

 

翌日はフラワートレッキング。気心の知れた仲間たちと残雪の山に登り、たくさんの花たちにも出会えて忘れられぬ5日間の山行でした。このときお世話になったSさんも、今は若くして鬼籍の人となりました。いろいろとありがとうございました。合掌。


50年前の今日(1964.07.24)

2014-07-24 06:00:00 | 過去の今日

北 岳
梅雨明けを待ち詫びたように7月下旬は山に入っている日が多かった。51年前の1963年は雨中の雲ノ平にいたし、1965年は燕岳から槍への縦走途中だった。この頃、私たち夫婦は会員数80名ほどの大阪の社会人山岳会に所属していて、私はチーフリーダー、♀ペンは入会後5年目の中堅女子会員だった。毎年、夏は六甲山系でボッカ訓練などを行った後、北ア、中ア、南アなどで4~5泊の幕営山行が年中行事だった。日数的にもお互いにこれが最大限で事実、有給休暇の多くを、この頃からお盆前にかけての夏山シーズンで消化している。
 さて、1964年は男性7、女性4のパーティで白根三山を縦走した。以下は当時の山日記から。

7月22日 港町発の「やまと」はガラ空きで、17時から並んだ我々は完全に肩透かしを食う。車中、例によって差し入れのうち重そうな奴を平らげたりしながら、あまり寝られずに富士に着く。創価学会の千人の大部隊に逢ったりして身延線の始発に乗り、甲府へ。ここでバス待ち。芦安から予約してあったマイクロバスで、いよいよ入山。

7月23日 快晴。広河原~白根御地 野呂川に沿って走るマイクロバスはスリル満点。まるでジェットコースターなみのスピードで広河原に着く。ここで昼食。すぐに御池への登り。川沿いにしばらく登って、樹林帯の登りにかかる頃からHが遅れ気味。ガンバで高度を稼ぐ。苦しさが高じる辺りで左に捲き、冷たい水場に出る。鳳凰を見上げ、思う様水を飲み、すぐに御池の畔のテント場に着く。北岳バットレスがすぐ目の前にそびえている。

7月24日.快晴。~草スベリ~北岳~北岳小屋付近

↑草スベリからバットレス
出発してすぐ草スベリの急坂にかかる。最初の一本でレモンを囓り、頑張る。KOが苦しそう。

稜線に出ると、富士、中ア、北アと素晴らしい展望と冷風が待っていた。(↑前列左・変愚院、中央・♀ペン)しきりに写真を撮り、北岳へ向かう。

 北岳より仙丈岳

北岳頂上で差し入れのメロンを喰う。最高の味!(前列中央・♀ペン、後列・タバコを咥えている変愚院)

バットレスを見下ろしながら行く北岳小屋への下りは、思ったよりキビシイ。



だがキジ場からも富士の見える絶好の幕営地。北岳別荘地の満月は素晴らしかった。

7月25日.快晴。~間ノ岳~農鳥岳~大門沢小屋付近

 ←北岳テントサイトにて

稜線へ出るのは思ったより楽だった。間ノ岳を過ぎ、農鳥の小屋へかかる頃から日差しが強くなり、頭が痛くなりそう。

今日の行程は水が不自由なのが恨めしい。西農鳥への登りで手前のピークと間違ったりして少し遅れる。この辺りよりKの様子がおかしい。東農鳥の手前でついにダウン。先にパーティを行かせて空身で歩かせ、ザックを二つ担いで頑張る。東農鳥でO、Tが迎えに来てくれる。SLのKUまでがバテ気味。大門沢の下降点で遂にパーティを分ける。KOとI、T、Oを残し、ビバーグを覚悟して先行のパーティ(KU、KA、女子)と別れを告げる。

約1時間でKは少し元気を取り戻し、自力で下れる見通しがついたので、降りることにする。さすがに大門沢の下りは嫌になるほど長い。ようやく水場に着き、歓声を上げて腹一杯になるまで飲み、ふらふらで小屋にたどり着く。小屋は満員なので河原にテントを張る。

7月26日~奈良田~身延  遅寝をして、ゆっくり朝飯を平らげ、奈良田に下る。河原沿いの暑い道や、樹林帯の激しい下りや、

吊橋のスリルやらを経て発電所に着く。真っ黒に日焼けした顔を揃えて、賑やかにバスに乗り込み帰阪の途に着く。快晴続きがありがた迷惑で、稜線歩きで水がなく苦しい山行になった。

この年の10月には東京オリンピックで日本中が湧いた。12月、ペンギン夫婦が誕生した。


快汗・梅雨明けの金剛山(2014.07.23)

2014-07-23 20:21:49 | 山日記

水越トンネルを抜け旧309 号線に6時半に入ったが、すでに先着の車10台。水分橋の道脇に駐車して出発。曇り空で湿度が高く、林道から太尾に入り、植林の中を10分も歩くとサウナのようで全身から汗が噴き出してくる。

急な木の階段道となると、このところの運動不足で足が重く、腰もだるくなってゆっくり登る。尾根の右山腹を捲くようになると、石ブテ東谷から吹き上げて来る涼しい風でやっと人心地がつく。水分を補給して大きく左にカーブして735m地点で水越峠からの道に出会うと、濡れたシャツが冷たく感じるほどの心地よい風が吹いている。

しかし勾配はさらに強まり、ロープの張ってある急坂を登り切って太尾塞跡に出るのに、かなり消耗して時間がかかった。ここでも、しばらく休んで水分補給。ここからは「涼しいなあ」「気持ちいいなあ」と山歩きの楽しみを満喫しながら「六道の辻」を過ぎて、

快調に大日岳を越える。今日は先に葛木神社に参拝しようと、しばらく下った道を左へ、葛木岳を捲くようにしてガレ場を通過して仁王杉にでる。大日岳を降りたところで出会った男性と立話していたので時間がかかったが、

葛木神社の境内も風が吹き上げて涼しかった。

しばらく休んで、転法輪寺にお参りして牛王さんにも挨拶して国見城址へ。

10分ほど休んだだけで北尾根に入る。

昔、抉れてれていた道は年々補修されてはいるが、目が悪くなってから下りの方が神経を使う。

セトでしばらく休んで、キツリフネやヤマアジサイ、ヤマジノホトトギス、ギボウシの花、カニコウモリの蕾などを見ながらゆっくり下る。去年の夏は水が不足して半バテだったのに懲りて今日はたっぷり持ってきた。尾根上部は曇り空で風もあり涼しかったが、高度が下がるにつれて暑さが帰ってきた。水分橋に帰ったのは予定の正午を少し過ぎたが、夏山に向けていいトレーニングができた。


私の関西百山(72)飯盛山

2014-07-21 08:24:53 | 私の関西百山

72  飯盛山(314.3m)<生駒・金剛・和泉山脈>

(いいもりやま) 大阪と奈良の府県境をなす生駒山脈の北西支脈に位置している。同名の山が泉南にもあるので「河内飯盛山」とも呼ぶ。中世には大規模な山城が築かれ、南北朝時代には南朝方の恩地氏が立てこもったといわれる。四条畷は楠木正行と高師直が戦った古戦場で、山頂には正行の銅像が建っている。私にとっては多感な青春時代、朝な夕なに仰いだ懐かしい故郷の山である。「飯盛の山を仰げと襟にゆかし楠の香りよ…」と母校の校歌に歌われたこの山には数え切れぬほど登ったが、奈良に居を移してからは久しく足が遠のいていた。

2012年2月、西側から登る。まずはJRの踏切を南へ、商店街の突き当りにある小楠公御墓所へお参り。「小楠公」は河内の郷士・楠木正成(大楠公)の嫡子、正行の尊称である。兵庫湊川で戦死した父・正成の遺志を継いで、南朝方として足利幕府軍と戦った楠木正行は、正平三年(1348年)に河内国四条縄手の戦いで足利方の高師直の大軍と戦って敗北し、弟の正時と刺し違えて自害した。戦死の地とされている此処(異説あり)には当初、小さな石碑があったが、ほぼ100年後にその両脇に植えられた楠が今は合体して樹齢550年の大楠となっている。

商店街を引き返し、踏切を渡って直進して正面に見える飯盛山へ。広い参道を約600m、緩やかに登っていく。鳥居を潜り、階段を登ると左手が境内で、南向きの社殿には正行を主祭神として、弟正時以下一族の将士24人を配祀している。明治23年、別格官幣社として創設された神社で戦意高揚にも利用されたが、私たち近辺の住民にとっては「なんこうさん」として親しんだ神社である。

神社南端から山に入る。笹原の中に続く旧登山道は「法面崩壊のため通行禁止。新登山道を…」の表示がある。南北に走る主稜線の西側斜面を等高線に沿うように北東に進み、分岐で右の雑木林をジグザグに登る踏み跡に入る。すぐにしっかりした登山道に合わさり、林が切れると展望が開け、下の町が次第に低くなっていく。

神社から35分で格好の展望台に出た。南北の尾根上に並ぶ飯盛山城遺構のうち北端の「二の丸廓」の一角である。大東・四条畷の市街地の向こうに大阪のビル群。遠く六甲から北摂にかけての山々が霞んでいる。少し先の大きな岩塊が積み重なった「二の丸御体塚廓」を下ると小さな石垣が残り、左は楠公寺へ200mの標識があった。

山頂へは直進300mで、ここから先が本丸になる。三本松廓、蔵屋敷廓と登ると展望台があり、数人のハイカーが休んでいた。

さらに一段上がると本丸高櫓廓のあった山頂で、楠正行の銅像が立っている。下山は南ヘ、ロープのさがる急坂を下る。鞍部から舗装路を登っていくとNHKと802のFM送信所がある。ここは本丸千畳敷廓の址である。飯盛城は南北朝時代に始まり、室町時代の三好長慶が畿内経営の本拠として全盛期を迎えたが、信長によって廃城となった。南北1200mに及ぶ山稜に70もの廓が並ぶ巨大な山城であった。(大東市教育委員会の「飯盛城」案内板を参照した。)送信所を過ぎると南丸、城の入口「虎口」で城跡は終わる。

池、尻池への道を左に分け「大東の杜ハイキングコース」に入る。さらに分岐があるが右へ「竹林コース」を下る。美しい竹林の中、清流に小さな水車を回す「ちくりんの水」が三か所あり、山神の祠を過ぎると右から下ってきた「絵日傘コース」と合流する。橋を渡って左の山道に入り、少し登ると観音峠に出る。

さらに右に登った広場には「野崎城址」の表示があった。飯盛山南西の尾根上にあり、眼下に東高野街道を見下ろす軍事上の要衝であったらしく、16世紀には飯盛城の出城の役割を果たしたという。

最後の廓址には九重石塔が立っていて、少し下ると野崎観音境内の鐘楼横にでた。正しくは福聚山慈眼寺という禅寺だが、東海林太郎の「野崎小唄」や落語の「野崎詣り」、新版歌祭文~野崎村の段「お染久松」で有名である。幼い頃から「のざきのかんのんさん」で親しみ、多くの懐かしい思い出が残る。山門を出て参道を下り、懐かしい故郷の低山歩きを終えた。

【参考コースタイム】近鉄バス四条畷(10分)小楠公御墓所(15分)四条畷神社(35分)二の丸廓址(10分)飯盛山(7分)竹林コース入口(30分)野崎城址(10分)野崎観音(5分)近鉄バス野崎観音前

♀ペンと初めて一緒に登ったのは2003年3月、東側の「むろいけ園地」駐車場から山に向かった。広い園地を抜け、蟹ヶ坂ハイキングコースに入る。急坂を下って権現谷林道に出て、更に下った北側山麓の御机神社が私たちの登山口で、ここから登り返すことになる。

雑木林の中を抜けると四条畷神社からの広い道に合流して、木の階段になった。両側には桜の木が多い。険しい登りになると両側に鎖の手摺りが付けてあったり、道はよく整備されている。展望所で一息入れて、やっと人家に隠れた母校の校舎や小楠公墓地のありかを見いだした。ちょっと下って登り返すと右手から旧登山道が合流した。

山頂で昼食後、野崎観音への道と分かれて楠公寺手前から静かな杉林に入る。人も少なく快適な山道で「滝谷楠水の場」という水場がある。沢沿いに下ると権現川コースに出合い、標識通りに鋭角に右折。権現滝を見下ろしたりしながら広い道を緩く登ると室池古池堤にでる。平成元年修復工事の記念碑が立っている。いったん池から離れて山道となり、次ぎに池に出会うと中堤である。

ここへは高校生の夏休みに、大阪に住む同年の従兄弟とキャンプに来たことがある。当時は全くの自然境で人っ子一人見当たらず、怖いくらいに淋しい場所だった。今、池の畔に家族連れが群れているのを見ると、子どもの頃に兎やタヌキの姿を見た山続きとはとても思えず、あれは夢だったのかと思うほどだ。感慨に耽りながら整備された園地を通り抜けて、朝の駐車場へ帰った。

【参考コースタイム】むろいけ園地P(30分)御机神社(40分)飯盛山頂上(35分)室池古池堤(20分)中堤(15分)むろいけ園地P


私の関西百山(71)烏帽子山

2014-07-19 08:51:29 | 私の関西百山

71  烏帽子山(909m)<紀伊山地西部>
(えぼしやま) 那智山は高野山と同じ様に、那智滝の背後に連なる山々(烏帽子山、光ヶ峰、妙法山)に囲まれた一帯を指し、青岸渡寺や那智大社、妙法山阿弥陀寺などで知られる霊地である。周囲の山々は海との距離が短いので谷の傾斜が強く、那智四十八滝と呼ばれるように多くの滝を掛けている。主峰の烏帽子山は、頂上近くに烏帽子の形をした大岩があり、熊野灘に浮かぶ島々や玉置山始め南紀の山々の展望が得られる。

2004年、12月15 日、前日は熊野速玉神社に参拝して、ご神体山・権現山(主峰・千穂ヶ峰)に登り、浮島の森などを見て勝浦に泊まった。海岸の宿のテラスから那智の山々を眺めると、那智の滝の右に見える烏帽子山は左の妙法山に比べ、あまり目立たない、つつましい山である。

曼荼羅河川公園駐車場に車を置き、那智川を渡り、十方院や発電所の横を通って、東ノ谷沿いの古い石畳の道を登る。20分ほど行った堰堤の奥にある陰陽の滝は、落ち口で二つの滝が一緒になって滝壺に落ちている。左側から流入するクラガリ谷には夜見ノ滝が懸かっている。その落ち口で沢を渡ると、再び谷沿いに苔むした石が並ぶ平坦な道を行くようになる。

ときどき美しい滝が現れて目を楽しませてくれる。徒渉地点や重要な分岐には「新宮山の会」の標識が設置されていて心強い。尾根コース分岐を過ぎると道はようやく登りになり、二度三度、離れてはまた沢に下る。苔むした石囲いが並ぶ窯跡らしいところで沢を離れ、急斜面の灌木帯をジグザグに登る。みるみる高度が上がり爽快だ。

登り切ったところで松尾ノ滝に出合う。落差40m、下方で扇形に拡がる形で一枚岩の上を流れ落ちている。ここから支流沿いに行くと、いつしか水音が消えて源流の様相となり、やがて林道に飛び出してしばらくで道標の示す山道に入る。

小さなコルからコブを越して別のコルに下ると「立石コース」を示す標識があり、案外早く岩のすぐ下を登るようになる。しばらく急な登りが続くと帽子岩と山頂を結ぶ稜線にでた。

右に5分も登ると、一等三角点が埋まる明るく気持ちのよい山頂に着いた。周囲が木に囲まれてあまり展望がないのが残念だ。

役行者が残した帽子が岩になったという帽子岩へ、小さな梯子と鉄鎖で登る。

頂上よりも見晴らしが良く、大雲取山から冷水山へ続く稜線がくっきり見えた。しばらく展望を楽しんで、岩の下で昼食をすませ林道に下る。

じめじめした林道を15分ほど歩いて鬼杉谷の下降点に来て、スギ植林の中を下る。緑に苔むした岩や清流を見ながら行くと、美しい滑滝に出合う。太陽神・大日霊女( おおひるめ)の滝である。再び林道を歩いたあと、本谷沿いの山道を下る。この谷も大きな石や倒木がびっしりと美しい苔で覆われている。三の滝は落ち口をのぞき込んだだけで通過、堰堤横の石段を下る。二の滝は落差25mだが、豊かな水量で堂々とした姿である。三箇所ほど徒渉を繰り返して西ノ谷の出合にくる。「ここより下流は神域につき立ち入り禁止」の標識がある。西の谷を渡り、黒いロープが張ってある岩場をへつる感じで斜めに登る。苔むした石段を下ると那智山原生林の中を行く道となり、やがて青岸渡寺三重の塔の上に出た。

青岸渡寺、熊野那智大社に詣で、夕暮れ迫る大門坂を駆け下りるようにして車を置いた駐車場に帰る。終日、他の登山者の姿もなく、二人きりの静かな山と谷を楽しんで念願の山行を終えた。

【コースタイム】曼荼羅の郷河川公園P08:25…陰陽の滝08:45…尾根コース分岐09:20…支尾根への取り付き10:03~10:08…松尾の滝10:25~10:35…林道終点11:00…烏帽子山11:45~11:50…帽子岩(昼食)11:55~12:37…林道終点13:00…鬼杉谷への下降点13:15…山の神13:55~14:05…二の滝14:40~14:45…西の谷出合15:00…青岸渡寺15:25…大門坂入口16:00…曼荼羅の郷河川公園P16:17


16年前の今日(1998.07.17)

2014-07-17 06:00:00 | 過去の今日

オハラ湖周辺ハイキング

7月17日(金)快晴
ヨーホー国立公園にあるレイク・オハラへは、徹底した自然保護のためフィールド近くから一日2台出るバス(計60人)に乗るか、13キロの道を歩くしか他に方法はない。この標高2000mの美しい湖を起点に、さまざまな高山を巡るコースが整備されていて、いわばハイカーの聖地ともいえる最高の雰囲気が味わえる所である。
Lake O'HARA 9:00…All Soul's Prospect11:00~11:15…Hanging Garden of Babylon12:15~12:50(lunch)…Hungabee Lake14:30~14:40…Lake O'HARA 15:28



予約してあった8時半のバスに乗りレイク・オハラに着く。美しい湖は後でたっぷり上から見ることにして、さっそくビッグ・ラーチ Big Larch といわれるトレイルに入る。名前通りカラマツの美しい林である。黄葉する秋も素晴らしい眺めという。「悪魔の積み上げた岩」Devil's Rock Pile という所を過ぎしばらく行くと、ジグザグの登りになる。シロヤシオに似た白い花が咲いている。稜線にでると、左眼下にエメラルド色のオハラ湖、その背後に屏風のようにクラスター岩峰群 Cluster Peaks が立ち並ぶ。その右に大きな氷河を抱いているのはヒューバー山 Mt.Huber (3358m)だ。

 

 アラン氏と

湖から標高差で400m登ったところが All Souls' Prospect (prospect には「眺め」と「願い」の両方の意味がある。よく名付けたものだ)。われわれも、ほっとして腰を下ろし、周囲の展望を楽しむ。

レイク・オハラは全体の形を見せ、クラスター岩峰が険しく岸辺まで迫っているのが分かる。その向こうはカサドラル山 Cathedral、白く光るのはモナーク氷河。今登ってきた道の背後には、ずっと姿を見せてきたオーダレイ Odaray(3133m)の頂が鋭い。十分に眺望を楽しんで右手のサーファー山 Mt.Schafferに沿う岩の道を緩く下る。前方の岩の上にホーリー・マーモットがすまし顔で座り、オハラ湖を見下ろしている。近づくと顔を上げてこちらを見る。「俺の住まいはキレイな所だろう?」と言っているんじゃないか、とアランに言うと、同感だと答えて、ナネットに「KAIがこういっている」と伝えていた。左折して北へ岩稜を離れて、カラマツの散在する緑の草原の中に降りる。



オパビン氷河からの冷たい流れが音を立てている。雪を散りばめた岩峰群に囲まれた静寂な別天地だ。名を「バビロンの空中庭園」 Hanging Garden of Babylon という。ここで頭上にクラスター Cluster(2706m)の鋭い岩肌や、ヒューバー氷河を見上げながら、朝作ってきたサンドウィッチとジュースなどで軽いランチタイム。食後はまずオパビン・テラス池群の畔を通る。雲ノ平の日本庭園に似ている。ここから大きく右にヘアピンカーブして、正面のオパビン氷河やガンサイト・ピーク Gunsight peak に向かって再び高度を上げていく。ガラガラの岩の道で、今度は二つ並んだハンガビー湖とムーア湖を見下ろしながら行く。

 

しばらくで緩い下り道になり、ここでSさんが小さいが美しい六角形に整った水晶を見つける。やがてハンガビー湖 Hungabee Lake の畔に降り立つ。ここまで来ると、オパビン氷河の末端がすぐ上の段丘まで来ているのが分かる。そこに最奥の湖、オパビン湖 Opabin Lake があるのだが、15時半までにバス停に帰らなければ例の13キロを歩く羽目になるので、残念ながら時間切れ。大きくUターンする形で西北に向かう。しばらくはガラガラの水平道で、反対方向から来た何組かのハイカーと行き違う。中には真っ白いヒゲ面の高年者もいる。カナダに来て2週目に入り、私たちの挨拶もなかなか堂に入ってきた。

 

短いが急な登りがある。右が垂直の岩、左は岩塊が積み重なった崖で、北穂高の南稜の感じだが、高山は初めてのKさんも元気に通過する。再び下り、氷河からの水が滝になって勢いよく流れ落ちているところに出る。バスの時間が気になるが、ジグザグの下りが思ったより長い。途中で先行のパーティに追いつき、全員ようやくオハラ湖畔に降りたが、反対側のバス停まで湖を3分の一周しなければならない。アランが早足でバスを止めに行ってくれ、全員発車2分前にバスに乗ることが出来た。このコースは花こそ少なかったが、今までのトレール中、高山の気分を一番味わえた所である。これまでも予備知 識が全くなく、全ておまかせのハイクだったが、日程の最後で山の懐深く入れた感じで、もっとも印象に残った。

 

これでジャスパー、バンフ、ヨーホー各国立公園5日間のハイキングを終え、ロッキー・マウンティン・ハウスのマーシャル邸に帰る。途中、例の炭坑の町ノルデッグでアルバータ・ビーフのステーキの夕食。金髪のもの凄く可愛い、人形のような少女がお給仕してくれた。そこからの道で、コヨーテが道を横切るのを見た。前に書き忘れたが真っ白なマウンティン・ゴートもフィールドで見ているので、動物との出逢いもかなりの数となった。

16年前のカナディアン・ロッキー・トレッキングの想い出シリーズはこれで終わります>


16年前の今日(1998.07.16)

2014-07-16 06:00:00 | 過去の今日

 スコーキー・トレイル(続)

7月16日(木)曇り後雨 7月16日(木)曇のち晴
Skoki rodge 9:25… Pika's Pass11:45…Boulder Pass12:10~12:50…Trail Head14:15…Fish Creek(parking)15:00


爽やかな目覚めで朝を迎えた。ロッジの名物男でその生き方が一冊の本にもなっているKen Jones(88歳)が、鮮やかな手つきで焼き上げたパンケーキで朝食。日本の山小屋と違って、8時になってようやく頂くことが出来る。
   雨は朝になって止んだが、曇り空から今にもまた降ってきそうなので、予定を変えて短いコースになる。小屋の前の川を渡って、深い谷間の道に入る。湿った土の上にムースの足跡があり、クマの糞がある。ハハコグサが多い。カナダでは "pussy's 何とか" 「小猫の足の裏」というそうだ。日本では "mother and children だ"と言ったが、どうもカナダの方がうまく表現しているようだ。青緑の見たこともない色のリンドウが咲いている。

森が切れ、昨日遠目に見た滝目指して進む。この滝は氷河の水をたたえた大小二つの池・スコーキー・レイクスから落ちる、かなり幅広い滝である。

滝の右岸、急で狭い階段状の岩場を登る。かなり高度感があり、ちょっとスリルがある。最後はチムニー状で岩穴をくぐる。岩の上に雷鳥(ptarmigan)が3羽。頭の赤いのが母親だ。それで気が付いたが、昨日のターミガン・レイクは「雷鳥湖」だ。

岩屑の道のやや急な登り。ピカ・ピークを右手に見てピカ・パスに近づく。ピカ PIKAとは俗称・岩ウサギ(rock-rabbit)で、グレイの身体に大きな円い耳を持ち、テニスボールに耳を付けたように見える。滅多に見られないそうだ。(前掲書による)。ところがアランさんが立ち止まって、口に指を当てたのでそちらを見ると、なんとこのピカが岩屑の上にいたのだ!あわててカメラを向けると、素早く姿を隠してしまって残念ながら写真には残せなかった。このパスが今回の最高地点。

後は下に見える雷鳥湖に向けてお花畑の中をのんびり下る。ターミガン・レイクにはガンの一種、ルーン(loon)の家族が一列になって泳いでいた。



この鳥はカナダの国鳥だそうで、1ドル貨 loony に姿を刻んでいる。ここから元の道をどんどん下ってバス停に着いた。バスが来るのに45分あるので、アラン、Kさんと3人はパーキングまで歩くことにする。

広い林道はときどきスキーのトレイルと交錯する。予定通りの時間に到着。昨日11K、今日が19キロ(林道歩き含む)のトレッキングということになる。