82 峰床山(970m ) <京都北部>
<コースタイム>駐車地点(25分)林道終点(60分)中村乗越(20分)オグロ坂峠(30分)峰床山(35分)中村乗越(45分)林道終点(20分)駐車場所
82 峰床山(970m ) <京都北部>
51年前の9月24日、私たちは当時所属していた大阪の山岳会の秋合宿で八ヶ岳におりました。
15名パーティ(うち女性4)で私はCL、結婚前の妻は会計係でした。22日、夏沢峠近くで幕営、23日は強風とガスの横岳を通過する頃に小雪が降り出しました。
赤岳山頂は霧の中でしたが、通過する頃には展望が開けてきました。写真は縦走路からの阿弥陀岳です。キレットに下り、強風で飛びそうな中、やっと4張りの設営を終えました。
24日は快晴で明けました。モルゲンロートの富士を見て勇躍して出発。(これはテント場での朝の準備体操です)
キレットから竜頭峰
ツルムの頭では赤岳、阿弥陀、権現から南ア、中ア、新雪に輝く北アまで見えました。
編笠岳に着きました。
しかし、権現岳から下る途中で浮石に乗った男が足を痛めて足を引きずるようになり、嫌がりましたが編笠からは交代で背負って長い裾野を小淵沢へ。男性だけ10分交代のボッカでしたが、重かったです。棒道の電柱に設置されていた電話でタクシーを呼んで怪我人を乗せ、残り4kmを頑張って夕暮れ迫る小淵沢に急ぎ、3日間の縦走を終えました。
もう20年近く前になりますが春に退職した1995年9月、旅行社のパック・ツァーに参加してスイスに行きました。
22日はロープウェイでエギィーユ・ミディへ登りました。途中で一度乗り替え標高差2700mを20分ほどで登り切りますが、もの凄い急勾配で最後はまるで垂直のエレベーターに乗っているようでした。エレベータで中央峰テラスへでると、
純白のモンブランからグランドジョラスへ続く岩峰が並び、眼下にジェアン氷河。左にはシャモニ針峰群。
遠くグラン・コンパンの右肩にマッターホルンが小さく見えました。この日はツェルマットで泊り、
翌23日は宿からモルゲンロートに輝くマッターホルンを眺め、登山列車でゴルナグラード駅へ。
シュトックホルンへキャビンで登り、足首を埋める雪を踏んで小高い丘から360度の大展望を楽しみました。
電車でローテンポーデンへ下りハイキング。マッターホルンの投影する池・リッフェルゼーの畔で弁当を食べ、残った花が寂しげに咲く草原をリッフェンブルグへ歩きました。
*詳しい旅行記は下記のページ http://mountainpenguin.web.fc2.com/swiss/swiss1.html をご覧ください*
81 帝釈山( 585.9m )
*既に投稿している(1)矢田の大石、(2)歌ヶ崎御廟に続けて、シリーズにしていきます。
(3)生田伝八郎の墓(大和郡山市千日町)
80 ポンポン山( 679m )
79 六甲山(931m)<六甲山地>
(ろっこうざん)神戸市街の背後に連なる六甲山は、関西の登山愛好者にとって「心の古里」である。日本最初の社会人山岳会「神戸徒歩会」(1920年)、加藤文太郎も所属したRCC(1924年、藤木九三)もこの地で生まれ、この六甲山系を舞台に活躍したのを始め、以後、幾多の岳人がこの山から世界に大きく羽搏いた。この地方は古くから「むこ」と呼ばれてきて、享保年間の摂津志書には「武庫山一名六甲山」の記述があるという(Wikipedia)。六甲は宝塚市、西宮市、芦屋市、神戸市にまたがる長大な山系の総称で、大小多くの山を含み、最高峰は六甲最高峰と呼ばれる。
最高峰から西の麻耶山にかけては、多くのホテル、会社の保養施設を始め日本最高所の六甲山小学校まである「山上の街」で、神戸市街を見下ろす夜景の美しさは言葉に尽くせない。
数え切れぬほどの登山道があり、私たちもいろいろな道を歩いたが、一番思い出の多いのは全山縦走路である。
須磨浦公園から始まり宝塚駅に至る約56kmの道では毎年「六甲全山縦走大会」が開かれているが、私たちが所属していた社会人山岳会・大阪山友クラブでは男性30kg、女性20kgをノルマにしたボッカ訓練を三度に分けて、この縦走路で行った(冬は更に10kg増える)。うち二度に参加しなければ北アなどでの夏合宿に参加できないルールだったが、殆どのメンバーが完走した。♀ペンと知り合ったのもこのボッカ訓練である。
また9歳年下の弟と宝塚を午前 0 時にでて、西へ向かったことがある(1962年)。月明かりに懐中電灯も点けずに、ひたすら急いで市が原で 7 時。少し仮眠のつもりが 11 時まで寝込んでしまい、調子を崩した。暑さで水やコーラを飲みすぎ、ついに高取山でダウン。六甲山脈の西の果てが海に消えていくのを目前にしながら、何とも残念だったが、どうにも足が言うことを聞かなくなっていた。この高取山は毎日登山の人で今も賑わっている。
風吹岩
最もポピュラーなのは、芦屋から高座滝、ロックガーデンを経て最高峰へ登り、有馬温泉に下るコースー魚屋道(ととやみち)である。
山を始めた年にもこの道を最高峰へ登り、東六甲を縦走して宝塚へ降りている。
幼い子供たちとも何度か一緒に歩いた。
徳川道
他にも石切道、徳川道、トゥエンティクロス、シュラインロードなど良く歩いたが、
地獄谷
西山谷
大小の滝を連ねる地獄谷、西山谷の遡行も忘れがたい。
宝塚に近い座頭谷、仁川、道場などでは一時、毎週のようにロッククライミングの練習をした。お腹に子供のいた♀ペンがきて、落ちたりしたのによく無事だったものだ。
昨年、5 年ぶりに 六甲山へ登った。東お多福山口までバスで行ったが、ここからの道は最高峰への最短コースとしてよく利用されているようだ。 蛇谷の浅瀬を渡り、ひとしきり急坂を登って平坦な道になると、すぐ横まで舗装道路が来ていてユートピア芦屋の住宅横を歩く。再び抉れた道の急登になり、勾配が緩むと低い笹原の中を歩くと東お多福山の頂上に着いた。まずまずの展望で西宮港の向こうに大阪湾が光っていた。急坂を下って土樋割峠にでた。六甲最高峰に向かう道が黒岩谷と出会うところで、東谷との間の尾根(西尾根?)に取り付く。
急登が続き大きな岩の横を通ったり、痩せ尾根を上下したり、斑らロープが付いている急坂を登ったりと、実に変化に富んだ楽しい道だ。緑の松と白い岩が散在していてアルペン的な感じもする。林を抜け深いクマザサの中を上下して一軒茶屋にでた。最高峰に登り昼食後、東六甲縦走路に入り、昔とは別の場所の感じがする「石の宝殿」から蛇谷北山を経て土樋割峠に降った。蛇谷北山は二度目だが、また一つ新しいルートを歩いて六甲の良さを再発見した。こんな素晴らしい「品格・歴史・個性」を持つ山が深田「日本百名山」に選ばれなかったのは、唯一、標高が彼の選定基準1500mに満たないためだが、「山高きが故に貴うとからず」惜しいことだ。
【コースタイム】水分橋07:00…セト08:27…国見城址09:05~09:15…葛木神社09:27…大日岳09:55…太尾塞跡10:20…水越峠分岐11:00~11:05…水分橋11:40
水越トンネルを抜けて旧国道に入ると、トイレ周辺には車の列が出来ている。いつも葛城山に登るときに使うトンネルを見降ろす台地にはまだ一台も見えないので、こちらに駐車。北尾根と太尾のどちらを登りに使うか迷ったが、予定通り北尾根に入る。トイレ前で一人、北尾根入口で犬を連れた人ら二人の男性が早くも下山してくる。昨夜から急に涼しくなり、半袖シャツでは肌寒いくらいだが、最初の階段道の急登ではや汗ばんでくる。
身体が慣れるまで、ゆっくりと登り続けるうちに調子がでてきて、案外早く山腹の道に出た。「セト⇔青崩」の標識のある、大きく左にカーブする地点で初めて休憩。降りてきた人と挨拶を交わすと「上は寒いほどで、晴れていて見晴らしがいいですよ」と話してくれた。3連休の前日のためか降りてくる人に出会ったのは、この人でまだ3人目、静かな金剛山だ。夫婦連れが登ってきたのを汐に出発する。少し登ると平坦な道になりピッチが上がる。坊領山への分岐を過ぎセトへ下るが、先ほど休んだばかりなので登りの階段道に入る。
イヌショウマやツルニンジンの花の写真を撮りながら、しばらく階段道を登ったところで先の夫婦が追いついてきたので道を譲る。
国見城址の下にくるとトリカブトの大群落やシシウドが美しい。城跡には僅か5人しか人影がなく、PLの塔はくっきり、ハルカスは少し霞んで見えた。大時計の横にいた若いペアの男性にシャッターを押して貰う。犬を連れた夫婦連れとしばらく話を交わして、行者堂から転法輪寺へ詣で、
葛木神社に参拝して仁王杉に下る。途中のブナ林からは葛城山が美しく眺められた。一ノ鳥居への道と分かれ、ロープの張ってある崩壊地から鎮宅さんの横を通って大日岳へ。
ススキが波打ち、キンミズヒキが満開だった。六道ノ辻から太尾塞跡へは厳しい下りが続く、元気に声をかけて登ってくる人や走り降りる人など、ここも毎日登る常連さんが多い道だ。ずっと植林帯の中で、足を休めて写真を撮る花が全くない。
さらに急降下を続けて水越峠への分岐で一息入れ、ここから山腹を捲くなだらかな下りになる。最後の階段道で、しっかりした装備の若いペアが登ってきた。どこか大きな山に行くトレーニングだろうか。若い頃を懐かしみながら登山口に帰る。涼しくなったお蔭で、あまり汗もかかずに楽しく歩けた初秋の金剛山だった。