*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*
大峰山脈と周辺の山々
(111)大普賢岳(だいふげんたけ)<1780m> 「普賢菩薩の山」

大峯奥駆道は山上ヶ岳から東へ約2キロの小笹宿で女人禁制区間が終わります。次の阿弥陀ヶ森近くで南へ方向を転じて、3キロで大普賢岳に至ります。

奥駆道は山頂西側の山腹を捲いていますが、5分ほどで到着する頂上からは、山上ガ岳の宿坊まではっきりと望めます。さらに稲村ヶ岳の間には金剛・葛城の山々、南には奥駈道上の行者還岳、弥山、八経ヶ岳、行仙岳、笠捨山…と見飽きることがない大展望です。奥駆行所(第六三番普賢岳)の勤行は本峰北にある小普賢岳で行われています。普賢岳の名は、ここでの礼拝対象の普賢菩薩からきています。

大普賢岳山頂から東に延びる尾根は笙ノ窟尾根といわれ、伯母峰峠に続いています。笙ノ窟尾根の山腹には、鷲ノ窟、笙ノ窟↑、朝日窟、指弾ノ窟などが連続していますが、中でも笙ノ窟は平安時代から冬籠り修行の場として知られるところです。『吉野郡群山記』に「窟の内広き事、二十畳ばかり。水湧き出る処有り。修行の僧、九月九日山止りの節より、飯菜等を用意し、来年四月八日まで籠るを、冬籠りの行と云ふ。冬に至れば、巌谷の外は白雪積りて、往来なしがたし。…」とある笙ノ窟は六二番靡(行所)でもあります。

これまでに5度(和子は3度)登りましたが、2度は奥駆山行の途中でした。他3度は和佐又ヒュッテから笙ノ窟、石ノ鼻(岩頭の展望台)↑を経て登りました。この登山道は年々、整備が進められて鉄梯子や桟道が増えていますが、かえって登り辛く危険な気がします。
(112) 和佐又山 (わさまたやま)<1344m> 「岩壁と森林の山」

吉野郡上北山村。大普賢岳から笙ノ窟を通り南西に延びる尾根上にあります。大台ケ原ドライブウェイから大普賢岳手前に見える、整った三角形の山です。山麓の和佐又高原には和佐又ヒュッテや和佐又スキー場があり、夏の林間学校、冬のスキー客で賑わいます。国道169号線の新伯母峰トンネルを出たところから、高原に向かって谷沿いに林道が走っています。この谷が和佐又谷で、「大和青垣の山々」には『天然ワサビを産することからワサビ又谷の転訛したものだといわれる』と記されています。
車でヒュッテまで林道を登ると、あとは標高差約200m、わずか30分ほどで山頂です。



山頂からは弥山、大普賢、孔雀岳などを望むことができます。1994年、大普賢へ登る途中に立ち寄りました。2006年には奥駆けの途中、七曜岳で奥駈道と別れて、標高差およそ600mを下って水太谷の河原に降り立ちました。

右岸の石灰岩にうがたれた上下二つの洞穴、無双洞↑から流れ落ちる水は水太谷の支流と合して、高さ20mの水簾ノ滝↓となって落ちています。

水太谷源流部の涸れ谷からアングルが打ち込んである急勾配の岩壁を登ると、ぽっかりと底なし井戸が開いていました。ほぼ水平になった夕暮れ近い山道を歩くうち、梢越しに見える和佐又山の円い頭が次第に近づいて、和佐又分岐に出ました。七曜岳から4時間半かかりました。
(113)七曜岳(しちようだけ)<1584m> 「国見七曜の大展望」

天川村と上北山村との境に位置する奥駆道の通る山です。大普賢岳を過ぎて水太覗(みずふとのぞき)の絶壁を過ぎると、しばらく笹原の平坦地を行きます。

やがて弥勒岳(行所六一番)があり、ここから「内侍落とし↑」「薩摩ころび(薩摩こけ)」の岩場の難所を通ります。

急斜面を下った稚児泊↑から国見岳、七つ池(山中の窪地)を過ぎて、岩場を登ると第五九番行所がある七曜岳山頂です。

ここは「国見七曜」とも呼ばれる通り、素晴らしい展望が得られます。「吉野山群山記」では「国見嶽」として『この所、大和国中(くんなか・大和盆地)能く見ゆるにより名づく。この外、諸方見ゆ』と記しています。特にここから見る西方の稲村ヶ岳やバリゴヤノ頭は絶景です。畏友・森沢義信氏の名著「大峰奥駆道七五靡」によると、七曜岳の名が初めて現れるのは「大峰細見記」で、「北斗七星ノ多和」の添え書きがあり、北辰(妙見菩薩)を祀る儀式が行われたことが山名の由来となったと考えられます。