聖徳太子が信貴山で「寅年(582年)寅の日寅の刻」に毘沙門天王を感得し、その守護により
物部守屋を破った(587年)ことを感謝して、自ら毘沙門天王像を刻み本尊として祀ったこと
が信貴山(朝護孫子寺)の起源です。
毘沙門天は、日本では七福神のうち財宝を司る神として信仰されていますが、もとはヒンド
ゥーのクビーラという神様です。甲冑姿の四天王の一、多聞天(たもんてん)となったのは
中国へ伝わって以降のことです。なお毘沙門の妻は吉祥天という絶世の美女で、法隆寺金堂
では並んで祀られています。
1.毘沙門天とムカデ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/b7/0cda39d4404152860771b430a6d5c30e.jpg)
絵馬堂に掲げられていた絵馬と…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/c8/83a7b8b3c20ecfe80ac0d06f6e303849.jpg)
参道の幟です。毘沙門さんと「トラ」の関係は初めに書きましたが、なぜムカデなのでしょう。
ムカデは「オアシがたくさんつく」という俗信から財宝神・毘沙門さんのお使いとするのが
一般的ですが、実は「ムカデが前に進むには、一本の足でも別に動いてはならない。困難を
成し遂げるには多くの人が心を一つに合わせることが大事である」という教えをあらわして
いるそうです。(上の二枚はciao66さんより頂きました)
余談ですが、変愚院はムカデが大嫌いです。河内に住んでいた少年の頃、夕暮れに隣家で
貰い風呂をいていました。まだ、電灯をつけるほどでもない時間でした。五右衛門風呂から
上って身体を洗おうとした時、天井から何か落ちてきて肩に当たりました。何気なく手で
払い落して見ると…五寸釘ほどの大ムカデが逃げていくではありませんか。思わず大声を
あげてしまいました。
もう一つ、伊吹山に夜間登山したときです。何合目だったか岩場で山靴が滑るのでヘッド
ランプでよく見ると、岩が動くように思えるほどのムカデの子の大群が…。この時も本当に
驚きました。一番嫌いなのはクモですが、ムカデやヤスデも怖いです。
2.剱鎧童子のこと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/74/70bdcb1b610def89f4f893acef955534.jpg)
国宝切手シリーズの一つ「信貴山縁起絵巻」です。
国宝・信貴山縁起絵巻は全三巻からなっています。「信貴山に住む命蓮が托鉢に使う鉢を
飛ばし、強欲な山崎長者の米を蔵ごと運ぶ」、いわゆる「山崎長者の巻(飛倉)の巻」が
有名ですが、「延喜加持の巻」は醍醐天皇が病の床についたとき、勅令により命蓮が毘沙
門天に祈ります。すると剱鎧護法の使者が天皇の枕元に出現して、天皇の病が平癒する、
というお話です。
この使者が童子の姿で現わされたのが剱鎧童子。転輪聖王の金輪を転がしながら後ろを
引く雲に乗って空を飛ぶ姿で現わされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/74/6fb8869bb381e55ce0546db5439af290.jpg)
今回は訪れませんでしたが、絵馬堂横から右手の谷へ林の中の鳥居の並ぶ道を下っていくと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/9d/2fa0e0bd5fa42c727fdf901fe51c4a4b.jpg)
この童子を祀る剱鎧護法堂があります。(2月の投稿写真を再掲しました。)
物部守屋を破った(587年)ことを感謝して、自ら毘沙門天王像を刻み本尊として祀ったこと
が信貴山(朝護孫子寺)の起源です。
毘沙門天は、日本では七福神のうち財宝を司る神として信仰されていますが、もとはヒンド
ゥーのクビーラという神様です。甲冑姿の四天王の一、多聞天(たもんてん)となったのは
中国へ伝わって以降のことです。なお毘沙門の妻は吉祥天という絶世の美女で、法隆寺金堂
では並んで祀られています。
1.毘沙門天とムカデ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/b7/0cda39d4404152860771b430a6d5c30e.jpg)
絵馬堂に掲げられていた絵馬と…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/c8/83a7b8b3c20ecfe80ac0d06f6e303849.jpg)
参道の幟です。毘沙門さんと「トラ」の関係は初めに書きましたが、なぜムカデなのでしょう。
ムカデは「オアシがたくさんつく」という俗信から財宝神・毘沙門さんのお使いとするのが
一般的ですが、実は「ムカデが前に進むには、一本の足でも別に動いてはならない。困難を
成し遂げるには多くの人が心を一つに合わせることが大事である」という教えをあらわして
いるそうです。(上の二枚はciao66さんより頂きました)
余談ですが、変愚院はムカデが大嫌いです。河内に住んでいた少年の頃、夕暮れに隣家で
貰い風呂をいていました。まだ、電灯をつけるほどでもない時間でした。五右衛門風呂から
上って身体を洗おうとした時、天井から何か落ちてきて肩に当たりました。何気なく手で
払い落して見ると…五寸釘ほどの大ムカデが逃げていくではありませんか。思わず大声を
あげてしまいました。
もう一つ、伊吹山に夜間登山したときです。何合目だったか岩場で山靴が滑るのでヘッド
ランプでよく見ると、岩が動くように思えるほどのムカデの子の大群が…。この時も本当に
驚きました。一番嫌いなのはクモですが、ムカデやヤスデも怖いです。
2.剱鎧童子のこと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/74/70bdcb1b610def89f4f893acef955534.jpg)
国宝切手シリーズの一つ「信貴山縁起絵巻」です。
国宝・信貴山縁起絵巻は全三巻からなっています。「信貴山に住む命蓮が托鉢に使う鉢を
飛ばし、強欲な山崎長者の米を蔵ごと運ぶ」、いわゆる「山崎長者の巻(飛倉)の巻」が
有名ですが、「延喜加持の巻」は醍醐天皇が病の床についたとき、勅令により命蓮が毘沙
門天に祈ります。すると剱鎧護法の使者が天皇の枕元に出現して、天皇の病が平癒する、
というお話です。
この使者が童子の姿で現わされたのが剱鎧童子。転輪聖王の金輪を転がしながら後ろを
引く雲に乗って空を飛ぶ姿で現わされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/74/6fb8869bb381e55ce0546db5439af290.jpg)
今回は訪れませんでしたが、絵馬堂横から右手の谷へ林の中の鳥居の並ぶ道を下っていくと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/9d/2fa0e0bd5fa42c727fdf901fe51c4a4b.jpg)
この童子を祀る剱鎧護法堂があります。(2月の投稿写真を再掲しました。)