ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

二上山 日だまりハイク(2013.01.29)

2013-01-29 21:01:41 | 山日記

ふたかみパーク当麻 09:20…国見の丘 09:30~09:35…444mP 10:02 … 眺め坂 10:15~10:20…大津皇子墓10:05…雄岳10:10…雌岳11:35~12:15(昼食)…岩屋峠 12:30…裕泉寺12:50…ふたかみパーク当麻13:24

日までの寒さも一服。道の駅・ふたかみパーク当麻に近づくと二上山には雪もなさそうなので、アイゼンは車の中に置いて行く。

左は雌岳、右は雄岳へ行く道路を渡って「二上山ふるさと公園」を抜けると、猪除けの柵の上に長い石段が続いている。かなりの急勾配で456段あるので、歩き始めから僅か10分で息が切れる。

登りきると「国見の丘」展望台で、トレーニング姿で屈伸運動する人や、何度も石段を投降する人に出会った。すぐ右手から林の中を緩く下って、コルから急登で最初のピークに出る。

ベンチがあり、すぐ目の前に並ぶ雄岳と雌岳を見上げる展望が拡がる。空は青みを増し、日差しが暖かいのでジャケットを脱ぐ。

木の階段道を下り、再び登り返すと4等三角点の埋まる444.8mピークを通過する。暗い林の中で無展望である。少し先で、左に烏谷口古墳へ降りる分岐がある。この道も一度歩いてみたい道だ。

やや登りになり、次の見晴らしのいいところには「眺め坂」の表示がある。すぐ左下に鶯塚が見え、大和平野が一望された。すぐ後から登って来られた人をはじめ、このルートで出会った数人の方は皆さんが近くの人で、よくこの道を登り降りされているようだ。しばらくは山腹を捲く道を行き、再び登りになると出合坂の標識がある。左に見える雌岳が目の高さになる頃、木の幹に張られたテープ標識で右の雄岳へ向かう。せっかく稼いだ高度が惜しいくらいくだって登り返すと、林の中でいつもの二上神社からの道に合流した。

左に行くと大津皇子墓所の石垣が見え、少しの登りで微かに雪が残ってる墓所の前に出る。雄岳頂上の神社に参拝、休まずに雌岳を目指す。馬の背に降りる途中で、先ほどのテープを直進すると合流する小さな岩場を通る。去年なかった新しい捲き道が岩の横に付けられていた。馬の背でトイレを借りて、次第に人の行き来の増えた雌岳へ向かう。

頂上手前で左の休憩舎に寄り道して登った頂上広場の日時計周辺は、この時間には珍しく貸切状態だった。暖かい日差しを受けて昼食の準備を始める頃から、ぽつぽつ人影がみえたが、それでもいつもに比べると閑散としている。ゆっくりと食事を済ませて、岩屋峠に下る。

ツバキの花が満開で、むせるような匂いを放っていた。峠からの下り道も凍結したところもなく、途中にやや湿った箇所はあったが難なく裕泉寺に着く。沢沿いの竹藪には猪除けの柵が続き、「密猟禁止」の掲示があるのを見ると、二上山には、それほどイノシシが多いのだろうか。

大池にはたくさんの水鳥が群れていた。人に慣れていて、私たちを見ると集まってきた。中でも大きな二羽は嘴で岸辺をつついたり、「オクレッ」と聞こえるような鳴き声を上げる。

しばらく遊んで池の周りを反対側まで来て振り返ると、低空で飛んできた一羽に続いて大きな奴の他はみんな見送りに来てくれた。
今日は山口神社にも傘堂へも寄らずに、まっすぐ道の駅に帰る。ゆっくりと二上山を楽しめた日だまりハイキングだった。


若草山山焼き遠望(2013.01.26)

2013-01-27 10:05:24 | 我が家の歳時記

 

厳しい寒さに加えて、時々強い風が木々の梢を揺すります。矢田山麓から若草山の山焼きを見ようと車を走らせました。

10人近くの家族連れと一緒に、近くの高台に登って寒さをこらえて山焼きの始まるのを待ちます。18時15分、山焼きの始まりを告げる花火が打ち上げられました。次々に夜空に開く色とりどりの花火に、待ち焦がれていた子供たちの歓声が上がります。

真っ赤な火が夜空を焦がす様子が遠くからもはっきりと見ることができました。

雲が流れて真ん丸なお月様が顔を出して、山焼きを見下ろしています。

点火から30分経ちました。
山焼きはまだまだ続きますが、シャッターを切る手も冷たくなってきたので引き揚げることにしました。


「巳」の山の想い出 - 丹波・蛇山(おろちやま)

2013-01-24 07:32:32 | 今日の大和民俗公園

【蛇  山】おろちやま。兵庫県氷上郡山南町西部にあり標高358m。国土地理院地形図には山名の記載はない。山頂に岩尾城跡があり、地元では城山と呼ばれている。
【登 山日】200117日(日) 曇のち雪
【メンバー】ML低山徘徊派、山南町自然愛好会、千が峰愛好会、山南町商工会など計25
【コースタイム】 和田小学校10:05…和田下町登山口10:23…城山頂上11:4312:45…和田小学校13:12

この年の初登りは「丹波のたぬき」さんの肝いりで行われる、干支の山での低山徘徊派オフ。集合場所の山南であい公園は至山、石金山の登山口にあり、今日登る蛇山は加古川越しに西北に、背後の岩屋山や篠ヶ峰、千が峰に比べると丘のように見える。

MLメンバー以外にも「たぬき」さんの無線仲間、山南町商工会、山南町自然愛好会の方などを含め総勢24人の大パーティになる。見送りに来て下さった山南町観光協会会長さんからバンダナや地図などを頂き、下山場所の和田小学校に移動する。車を置かせて貰って左手に山を見ながら、町並を東へ歩いていく。中腹に注連縄を巡らした大きな岩があり、その下で祭拝が行われているのが仰がれる。

 稲荷神社の赤い鳥居が登山口である。すぐに神社と小さい土俵の横を過ぎて、山道になる。先導はボランティアで町の自然を守っておられる藤原さん。四国88箇所を模した石の地蔵をいくつか見ながら、共同アンテナが二本立つ最初の小ピークに着く。ここからアカマツが多い尾根道になる。少ないがマツタケが生えるそうで「雑菌が混じらぬように松葉をかくともっと採れるようになる」と聞く。南側の展望がよい258mピークで小休止。集合場所だった公園の上の至山(イタリ山)から右へ石金山に続く稜線、左やや遠くに妙見山が見える。地面にイノシシが掘り返した跡が、少し先にはイノシシが身体を擦りつけて木肌のめくれた木もあった。

尾根道の木に所々、赤ビニールが捲かれているが、藤原さんは「赤布は良いがビニールはいつまでも残るからね」と、歩きながら根気よく外していく。少し勾配が強まり小さな岩場を登る。ピークを越えて緩く下る。ここまで北北西に向かってきた道はほぼ西に行くようになる。辺りはクヌギ、ナラなどの雑木林で、足元はコウラジロ、ついでウラジロの大群落。「けっこう上り下りがあるなあ」と声が挙がる頃、南南西に蛇山山頂が見えるピークに立つ。「城山まで440m」の標識があった。山頂近くの石積みに何人かの人影が見える。

 緩く登り返して15分ほどで頂上についた。「蛇山356m」の標識を付けた木の枝越しに、うっすらと雪を被った千ヶ峰が望見される。藤原さんたちが持って上がられたという青いベンチが一つ置いてある。南側の少し低い所が天守跡で先ほど見えた人たちが食事をされていた。こちらから見ると、石垣が何段にも残っていて山城址の感じが濃い。さらに一段下の町を見下ろす広場で荷物を下ろす。ここにも青いベンチが幾つかと、説明板などが設けられている。たぬきさんから地酒「小鼓」を頂き、全員で乾杯。ご指名で僭越ながら音頭をとらせて頂く。全員の自己紹介のあと、思い思いに陣取って昼食になる。食事が終わる頃から、午後は崩れるという予報通りチラチラと雪が舞ってきた。

頂上からはほぼ南に向かって、滑りやすい急坂を下る。岩の露出した所では、低い位置にロープが張ってある。途中に深い空堀跡や下知殿曲輪、南曲輪などの小広場がある。雪は次第に激しくなり、みるみる両側の雑木林やザック上を白く染めていく。親縁寺への分岐からは緩やかなジグザグの道になり、やがて笹原の中を通ってイノシシの像やニワトリ小屋のある小学校の裏に出た。

この後、関東へ転勤するML仲間の歓送イベント。今日行われる「蛇ない」行事や薬草湯にも未練が残ったが、道路状況が心配で、お別れの挨拶もそこそこに車に乗った。帰途、予想以上の急な積雪で国道は長い渋滞、ようやく中国道に入ったら神戸JCTでは6時間も足止めを喰い、帰宅は23時前になった。しかし、丹波の自然と人の優しさは、いつまでも心に残ることだろう。素晴らしい初山行の一日だった。


「巳」の山の想い出 - 比良山系・蛇谷ヶ峰

2013-01-22 07:00:03 | 旅の想い出

【蛇谷ヶ峰】比良山系北部・滋賀県高島郡高島町と朽木村の境にあり、標高902m山頂東側から高島郡富坂に落ちる谷が蛇谷で、西の朽木側からは、足利時代に造園された周林(秀隣)院庭園の借景として小椋栖山と呼ばれた。
【登 山日】20015 月20
【コースタイム】入部谷越下駐車場所9:35…朽木スキー場入口9:45817m地点10:50…蛇谷ヶ峰(901.7m)11:00~11:20817m地点(昼食)11:25~12:05…スキー場リフト終点12:30…駐車場所13:00

「京は遠うても十八里」といわれた鯖街道、国道367号線を北へ走り、市場から右入部谷沿いに県道を登る。朽木スキー場からが山頂への最短コースで、かって比良の秘境といわれた山も便利になったものだ。スキー場への入口・入部谷越えの右手になだらかな斜面が拡がっている。売店や管理棟のあるところからリフトの右側を登っていく。ススキ、ヨモギ、ネコハギなどが繁る「さわらび草原」に「標高485m 蛇谷ヶ峰へ2.2㎞」の標識があり、遊歩道が雑木林の中に伸びている。

 道はジグザグの繰り返しで、次第に山道らしく急な登りになる。気温が高いが、木陰が続くのでありがたい。スキー場から1時間ほどで、左手に琵琶湖、リトル比良を見下ろす稜線に出る。ここからは傾斜の緩やかな道だが、木が疎らになり丈の低いクマザサの中を行く。まともに陽光を浴びるが、空気が乾燥しているのでそれほど暑さを感じない。地図の817m地点でスキー場へ下る別の道を分けて、500mも行くと「いきものふれあいの里」への分岐がある。クマザサに囲まれた小広場で、正面に山頂部が見える。

最後は急な200mの登り。案外簡単に登りついた頂上には、数人の人が休んでいた。真ん中に三角点のある広場で、やや霞んでいるものの素晴らしい展望だ。

北にマキノ方面、東に琵琶湖、リトル比良(↑)

南は釈迦ヶ岳、無線中継塔の立つカラ岳、コヤマノ岳、ひときわ高く武奈ヶ岳…。全く木陰がないので、記念写真だけ撮って昼食場所を下山途中に求める。

日陰を探しながらスキー場の分岐まで下り、登ってきた道と分かれて雑木林に入る。広い場所がないので、クヌギやブナの木が疎らに立つ斜面に散らばって弁当を拡げる。急坂の道は、登りに使った道と比べるとあまり歩かれていないようで、落ち葉が堆く積もっていた。木の高いところに布が結わえ付けてあるのでスキーの道らしい。ところどころイワカガミの群落があり、つややかな葉が名前通り鏡のように光っていた。何度もジグザグを繰り返して、スキー場の上部、朝とは別のリフト終点に飛び出す。リフト横のカンカン照りの斜面を、うんざりしながら歩く。所々に松の木があり、その下だけが涼しい陰を作っている。ここもベニウツギの花が鮮やかである。

変化に乏しい山と感じたのは、最短コースを選んだので行動時間も短く、簡単に登れてしまったからかも知れない。まだ午後も早いので、朽木の古刹・興聖寺を訪れ、本堂で釈迦如来を拝んだ後、旧秀隣院庭園を拝観する。12代足利将軍義春が三好長基反乱の京から難を避けたとき、管領・細川高国が将軍を慰めるための築庭といわれている。正面に蛇谷ヶ峰を仰ぎ、谷水を引いた池を持つ石庭は思ったより小規模だった。美しい緑の中を走り、坊村の近くで鯖寿司と浜焼きを買って帰った。


大寒の矢田丘陵 (2013.01.20)

2013-01-20 21:31:48 | 今日の大和民俗公園

今日は大寒。昔は「廿日正月」という祝い納めの日でもあり、また一年で一番寒い季節ですが、今日の大和郡山は少し寒さが和らいで過ごしやすい日和です。今年に入って三度目の矢田丘陵歩きに行きました。

10時40分、いつものお地蔵さんの辻に車を置いて近畿自然歩道を東明寺へ歩きます。整備が進んで明るくなった竹林を抜けて…

東明寺に着きました。境内には近所の人が大勢集まっておられます。

すぐ下の谷に太い注連縄を架け渡す「勧請掛」の綱を作る準備が行われていました。

お詣りを済ませて落ち葉の道を踏んで登ります。

「子供の森」への分岐から左へ縦走路に入ります。ようやく汗ばんできてヤッケを脱ぎました。

小笹の辻から久しぶりに地図上の「矢田山三角点」に登ってみました。元の縦走路に帰り「まほろば展望台」へ着くと、ちょうど昼時で三つのグループの人が休んでいました。

休まずに下り道に入ります。今日は水鳥の姿が見えない露ナシ池から参道を下り、矢田大石からお地蔵さんの辻に帰りました。
1時間40分、ちょうど1万歩ほど、適度なUp downのあるウォーキングでした。


「巳」の山の想い出-大峰・蛇崩山(だぐえやま)

2013-01-19 11:38:41 | 旅の想い出

先日の六甲山では、今年の干支にちなんで蛇谷北山に登りました。
あと少し「蛇」の字の付いた山を歩いた時の想い出をお聞きください。

2006年晩秋、日本山岳会の行事の一環で大峰奥駆道の南部・玉置山「宝冠ノ森」から笠捨山を歩きました。

宝冠ノ森は一時、南奥駈道最後の行所と言われていました。これは江戸後期に入って逆峰が一般的となり、玉置山から本宮までを歩かずに玉置山から竹筒に出て、北山川を舟で新宮に下ることが多くなったためです(森澤義信氏「大峰奥駈道七十五靡」による)。また上掲書によれば、笠捨山から古屋宿間の稜線上の現在の奥駈道も江戸時代には使われず、笠捨山から熊谷ノ頭を経て上葛川に下り、ここから古屋宿に登り返していました。この山行では奥駈道最南部の行所・宝冠ノ森を訪ねて上葛川で一泊、翌日「江戸道」を辿って笠捨山に登る途中、熊谷ノ頭から蛇崩山を往復しました。

6時30分、上葛川を出発。吊り橋を渡って山腹の植林帯を急登すること1時間、標高差400m程を登って尾根に出る。

雲海の上に熊野の山々が浮かんでいた。さらに斜面をトラバースした後、分かり難い道を急登して熊谷ノ頭に着き、

ここから約1キロの尾根道を緩やかに二つのピークを越して蛇崩山頂(1172m)に立つ。
朝の出発から3時間経っていた。しかしブナとカラマツの黄葉にミネカエデの赤い色が混じる美しい林に囲まれた山頂は、期待に違わない、奈良の秘境と言ってよい程素晴らしいところだった。

熊谷ノ頭に帰り、正面の木の間越しに見えるの笠捨山を目指す。二つのピークを越し、最後は胸を突くような急登に息を弾ませて双耳峰の東峰に着いた。電波反射板が立つ広い頂で素晴らしい展望が拡がっている。孔雀岳、釈迦ヶ岳、行仙岳…と奥駈道が通る山々がずらりと居並んで出迎えてくれた。

笠捨山本峰(1352m)は少し先にある。去年5月、ここに着いたのは激しい雨が降りしきる中だったが、今日はこの青空。みんなの顔も晴れやかだ。

想い出の奥駈道を葛川辻まで辿り、そこから下山にかかる。急な下りではないが、桟道、崩れた沢のトラバースなどを何度となく繰り返す。振り返ると紅や黄色に彩られた樹の上に笠捨山が浮かんでいた。15時前にバスの待つ上葛川に下った。


蛇の玩具と切手

2013-01-16 17:01:26 | 四方山話

巳年になって早や半月が過ぎました。お正月のお飾りもそろそろ引退の時期で遅ればせですが、毎年恒例の我が家の蛇たちをご紹介します。

まずは三輪山大神(おおみわ)神社のお授かりものです。三輪山と蛇との関わりは古く、古事記・神武天皇紀の大物主神が丹塗りの矢と化した話、日本書紀の大物主神が「うるわしき小蛇」の姿でヤマトトヒモモソヒメの元に通う箸墓伝説(日本書記)、同じく日本書紀の雄略天皇紀、少子部連スガルに命じて三輪山の神を捕らえるよう命じたところ大蛇であったこと、などが伝えられています。

これは別の巳年のもので、よく似ていますが目の色が違います。どちらも赤膚焼・小川二楽窯(大和郡山)作。
今でも大神神社拝殿前の「巳の神杉」には時々、白い蛇が現われます。そのため大杉の根本の洞にはたくさんの卵が供えられています。

春日大社の春日一刀彫の蛇。毎年、干支にちなんだ一刀彫が授けられます。

巳の干支土鈴

出所不明。どこかの大型スーパーの初売りの景品?

直径1㎝あまりのガラス製の小蛇。
「蛇蝎の如く…」という訳でもありませんが、流石に郷土玩具が大好きな♀ペンも蛇の玩具は好きでないようです。玩具で思い出すのは、今でも縁日で見られると思いますが、関節?がたくさんあって尾の方を持って振るとクネクネ動く竹で作った蛇。

探してみるとこんな切手が見つかりました。このあと今年で三度、巳年が回ってくるわけですが、残念ながら間の二回の切手は手元に見当たりません。

ついでに外国の蛇切手。

こちらは43㎜X53㎜ と、かなり大型です。家探しすればまだありそうですが、私も長~~いのは苦手なので、この辺で…。


六甲・東お多福山~蛇谷西尾根~最高峰~蛇谷北山(2013.01.12)

2013-01-13 15:07:45 | 山日記

【登山日】2013年1月12日  【メンバー】丸屋博義、丸屋三輪子、芳村嘉一郎、芳村和子
【コースタイム】東お多福山登山口バス停 09:25 …東お多福山10:10~10:20 …土樋割峠10:35…黒岩谷出合10:40…一軒茶屋11:45~11:57…六甲最高峰12:03~12:45…石宝殿13:05~13:20…蛇谷北山13:40~13:45…土樋割峠14:20…東お多福山登山口バス停14:45

5年ぶりの 六甲山へ登る。奈良から直通で阪神芦屋駅まで行けるようになって、ずいぶん便利になった。阪急バスに乗り、JR芦屋駅で丸さん夫妻と合流、何度も歩いた芦屋川沿いの道を歩く大勢のハイカーを見ながら芦有道路のゲートに入る。東お多福山登山口で下車、舗装林道を東へ歩く。バスで来たのは初めてだが、最高峰への最短コースとしてよく利用されているようだ。今日も10人ほどの人が降りたが、私たちは5分ほど歩いたところで別れ、先に東お多福山に登ることにする。蛇谷の浅瀬を渡り、ひとしきり急坂を登って平坦な道になると、すぐ横まで舗装道路が来ていてユートピア芦屋の住宅が見える。

ここから再び霜柱の見える抉れた道の急登になり、勾配が緩むと低い笹原の中を歩いて東お多福山の頂上に着いた。曇り空だが、まずまずの展望で西宮港の向こうに大阪湾が光っていた。

10分ほど景色を眺めて急坂を下ると、先ほどの舗装道路が通る土樋割峠にでた。直進すると蛇谷北山だが後回しにして、六甲最高峰に向かう。道が急カーブで南に変わり、黒岩谷と出会うところで本庄橋の方から登ってきた人が「何処へ登る?」と声をかけてきた。「七曲りから最高峰」と答えると「ここから登る方がきついが、景色もいいし面白いよ」と右岸の林の中の踏み跡のような道を教えて下さった。大きなザックに地下足袋姿で、六甲を歩き慣れている感じ。東谷との間の尾根(西尾根?)に取り付くと、すぐに後姿が遠ざかって行った。

始めから急登が続き大きな岩の横を通ったり、痩せ尾根を上下したり、斑ロープが付いている急坂を登ったりと、実に変化に富んだ楽しい道だ。

緑の松と白い岩が散在していてアルペン的な感じもする。(上の二枚、丸さん撮影)

ときどき展望が開け、右手の蛇谷北山が目の高さになった。ぐんぐん高度を稼いでいることが分かる。

背後の街もぐんと下になった。林を抜け深いクマザサの中を上下して、最後に二カ所ほど土止めのあるところを登ると小広場があり、先程クマザサの鞍部で道を譲った人が食事中だった。

すぐ先が一軒茶屋で、前の広場に大勢の人が休んでいた。さらに続々と七曲りを上り詰めた人が姿を現して大混雑。道路を隔てたトイレも女性の行列ができていた。昼時でもあり、最高峰への途中では、あちらこちらで食事するグループが座っている。

私たちも三角点で記念写真を撮った後、無線中継所の前でお弁当を食べた。この頃から真っ青な青空になり、風もなく暖かい山頂だった。

食後のコーヒーを楽しんで腰を上げる。カラフルなマラソン姿の若い男女の集団が、挨拶しながら有馬の方へ駆け下りて行った。東六甲縦走路に入り、何カ所かドライブウェイを横切りながら忠実に道標通りに歩いたが、どうもドライブウェイを歩く人が多いようだ。特に後鉢巻山ではトンネル手前から山頂のすぐ下まで登降したが、上から見えていた東西の人影は出口の見えている短いトンネルを抜けていったようで、どちらも出会わなかった。鳥居茶屋前には新しい石の鳥居が立っていた。ドライブウエイを離れ、右に折れて登ると広場があり観音像が立っている。どうも見慣れた「石の宝殿」とは別の場所のような感じだ。「この先行き止まり」の表示を無視して、工事小屋の前を回り込むように行くと白山神社の真新しい祠の前に出た。

少し、うろうろした末に引き返して「北山コース」と書かれた丸数字の入った標識が立つ広場の西端から南に下る。

(Photo by Maru-san)最高峰がかなり上になった。コル状のところから登り返して笹原の中を行くと、小ピークの北山の横を通る。

蛇谷北山は二度目だが、前に来たのは(帰ってから調べると)1988年3月のことで殆ど記憶に残っていない。特徴のない頂きだが、干支の年のためか、ここまでに登ってくる何人かに出会った。尾根は緩い下りになり展望の開ける所に出た。

黒岩谷の下流で砂防ダムの工事が行われているのが見える。ここで指導標のさす通り、尾根道を離れて左下に急降下する道に入る。笹原の中の踏み跡程度で道幅が狭く、崩れやすいがらがらの下りに時間がかかる。しばらくで山腹を捲くようになり右上から降りてくる立派な道に出会う。先程の分岐を直進すれば尾根末端からここへ続いていたようだ。どうも昔の道を下ったようで(道標のいたずらでなければ…)、登りなら問題なく正しい道を進んでいただろう。さらにジグザグの下りが続き、最後はなだらかな下りで土樋割割峠に降りつく。曲がりくねった幅広い林道を下り、朝のバス停で芦屋へのバスを待つ。

久しぶりの六甲で随所で新しい貌を見て、今昔の感一入だった。天候に恵まれ、気が合って足の揃った仲間と一緒に初めてのルートも歩けて、楽しく充実した山行だった。