「大和はくにのまほろば」…回りに海を持たないまさに「山都(やまと)」の山々。奈良の山「ならでは」の話題を綴っていきます。色んな資料を参考にしましたが、写真はすべて私の登った時のもので古いものも含んでいます。
<大和平野エリア>
(01)春日山、御蓋(みかさ)山、若草山
「みかさ山と若草山は別の山」
御蓋(みかさ)山、若草山、それに春日山はよく混同されます。特に「みかさ山」と若草山は旧陸測地図や国土地理院地図にも誤ったり、並記されたりしています。私も三層になった若草山を三笠山と呼んでいました。しかし、大和名所図会や大和資料などの古書には、三つの山がそれぞれ別の山であることが示されています。また1935年に三笠宮宮号宣賜の時の宮内大臣の謹話に「古くより三を音に通じて用ひ、山の名があたかも笠を伏せたように見える所より起こった名称である…」と区別がはっきりしました。
写真手前の山が御蓋山(293m)、後ろが若草山(342m)。なお春日山は、御蓋山を含めた東側の大きな山の総称です。
古都奈良の冬の風物詩・鹿寄せが行われる飛火野から見た御蓋山(正面)と背後の春日山。
(02)若草山
「山焼きはなぜ1月第4土曜日に?」
東大寺の背後にある芝生に包まれたなだらかな山は、大仏さんや春日の神鹿とともに奈良を代表する光景といえるでしょう。最近ではモノレール計画が話題になりました。
中でも古都に春を呼ぶ山焼きは全国的に有名ですが、永らく成人の日に行われていた行事が、なぜ1月第4土曜日に変わったのでしょうか?
これは2000年施行のハッピーマンデー制度で成人の日が月曜日になったので、その前日にしたためです。ところが消防出初式と重なったり、ススキや芝がまだ枯れていなかったりで、第3土曜日への変更が計画されました。
しかし、今度は花火の打ち上げ時間が大学センター入試の英語ヒヤリングと重なることでクレームがつき、2009年から現在の1月第4土曜になったということです。
写真では順序が逆になりましたが、今年は1月24日午後6時15分から約600発の花火が打ち上げられ、山焼きの点火は6時半でした。花火の中にはこんな可愛い鹿さんも…。
(03)春日山
「原生林は昔のまま?」
春日山は春日大社の背後にある山の総称で、最高峰は花山(498m)。山全体が神域であるため、古来、狩猟や伐採が禁じられて、春日原生林は手厚く保全されてきました。
現在は国の天然記念物に指定され、また奈良の世界遺産として登録されています。ただ、古くは秀吉が1万本のスギの苗木を寄進した他、何度かの台風のあとでは整備されてきたので、厳密な意味では「原生林」とは言えないかも知れません。
高円山との間の谷沿いに石畳の滝坂道(柳生街道、柳生からは奈良街道)が東に延びて、稜線に出たところの三叉路に荒木又右エ門が試し切りをしたという首切地蔵が立っています。
昔は格好の目印だったところですが、今はすぐ近くにドライブウェイが通っています。
(04)芳山(ほやま)
「二体?三体?謎の石仏」
石畳の滝坂道を登り、首切地蔵を左に行くと石切峠に出ます。ここには古い峠の茶屋があり、古い槍などの武具や武芸帳も残されています。
上誓多林の八王子(八柱)神社(社殿にシカの絵が描かれています)から竹藪を抜けて山間の野菜畑の横を行きます。小さい茶畑が終わる所にシシ除けの金網があり、「芳山」と小さな標識のついた重い扉を開けて入ります。
美しい杉植林から細い急坂の山道を行くと、静かな林の中に四等三角点518mが埋まっていました。少し手前の分岐を入った広場に、正面と左側面にお互いの背中を合わせた二尊石仏が立っています。
三体仏とも言われているので、一面は雨風にさらされて磨滅したのかも知れません。