【メンバー】丸屋博義、丸屋三輪子、芳村嘉一郎、芳村和子
明日からGWの連休が始まる。今月の4人での山歩きは、のんびりと展望を楽しもうと比良山系南部の山へ。南草津で丸さん車に拾って貰い、琵琶湖を見ながら北上。
琵琶湖バレーのゲートを潜りロープウェイ駅へ続く道はボタンザクラが満開だった。9時40分始発の121人乗りゴンドラは、GWを控えて山頂の遊具などの整備に登る人たちを除くと、ハイキング客は私たちの他は数人だけだった。
薄雲のかかったような琵琶湖を見下ろしながら、僅か5分で打見山(1,108m)の山頂駅へ到着。
始めてここに来たのは、1959年1月3日だった。大学の同級生だったNと二人、正月2日.比良に向かった。当時の山日記に『一番の江若電鉄で北小松へ。ヤマモモの滝、小白ヶ谷、望武小屋。八ツ渕で昼食の雑煮がラジュウスの調子が悪く、なかなか煮えず。吹雪。八雲避難小屋に泊まる。 3日、武奈登頂。打見で昼食。蓬莱を経て、17:30蓬莱駅着。』と書いている。この後、高校の後輩や、山の会などで何度もこの稜線を歩いた。そのたびに山頂が開発されていき、冬はスキー場として、夏場は「山の遊園地」として賑わっている。
リフトの横の広い道を大きく回り込むように歩いて行くと、古い縦走路の道標があってほっとする。一本だけ動いているリフトに沿ってスキーゲレンデを登る。リフトの下に黄色の大きいスイセンが咲いていて、連休後半頃はさぞ見事だろう。
かなりの傾斜を登ってリフト終点が近くなると、金網のフェンスに遮られた。手前には大きな残雪があった。前を行く若いペアに倣って、扉を開けて次のゲレンデに入る。芝の上はシカの糞が至るところに落ちている。
急な登りに息を切らす頃にホーライパノラマリフトの山頂駅に着く。横に置いてある数脚のベンチの一つに腰を下ろし、まず水分を補給する。
右手の広い台地に蓬莱山一等三角点(1,174m)、その横に慰霊碑や何体もの石地蔵さん、石塔などがある。振り返ると打見山、その左手に堂満岳や去年4人で登った武奈ヶ岳などが見えた。目の下の笹原の中にこれから歩く縦走路が続き、小女郎池の水面も光っている。ゆっくりと記念写真を撮り出発。後から登ってきた、ロープで一緒だった三人組の男性はベンチに座ってビールを飲みだした。三角点前から笹原の中を下る道は両側から笹が覆いかぶさる石ころ道なので、ベンチの横に帰って広い道を下る。この道もかなりの急坂で、ぐんぐん下る。
途中で新しい指導票があるレスキューポイントを過ぎると道はなだらかになり、時々開ける琵琶湖の展望を楽しみながら下る。高年の男女三人組、犬二匹を連れた男性に出会った。
アセビの白い花が咲き、高い木の梢でウグイスが声高く鳴いている(写真は丸さん撮影)。最後に一段下って小女郎峠に降り立つ。
右にすぐの小女郎池は、ひっそりと静まり返り静かに眠っているようだった。池の周りをぐるりと回ってミズバショウを探す。1983年4月下旬、和子と来て初めて群落を見た。
1997年に低山徘徊派(PC仲間の山グループ)で来たときには『池の向かい側にあるにはあったが、数も以前に比べてずっと減り、個体も思いなしか小さくなったようで可憐というより哀れである。』と書いている。今日は目を皿にして探したが、時期が悪いのか、絶滅したのか葉っぱ一枚見つからない。
しかし、池を前にして仰ぐ蓬莱の山の美しい姿は前と変わらなかった。池の畔でゆっくりと昼食をとる。犬を連れた人が帰ってきて、池の水を汲んで犬たちに飲ませていた。
元の道を帰る途中で、笹原の中にたった一輪、絵の具で染めたように美しいショウジョウバカマを和子が見つけた。なにか見ることが出来なかった水芭蕉の埋め合わせのような気がして、満足して往復3時間、休憩1時間の楽しかったハイキングを終えた。