ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

打見山から小女郎池へ(2015.04.28)

2015-04-29 15:39:29 | 山日記

【メンバー】丸屋博義、丸屋三輪子、芳村嘉一郎、芳村和子

明日からGWの連休が始まる。今月の4人での山歩きは、のんびりと展望を楽しもうと比良山系南部の山へ。南草津で丸さん車に拾って貰い、琵琶湖を見ながら北上。

琵琶湖バレーのゲートを潜りロープウェイ駅へ続く道はボタンザクラが満開だった。9時40分始発の121人乗りゴンドラは、GWを控えて山頂の遊具などの整備に登る人たちを除くと、ハイキング客は私たちの他は数人だけだった。

薄雲のかかったような琵琶湖を見下ろしながら、僅か5分で打見山(1,108m)の山頂駅へ到着。

 

始めてここに来たのは、1959年1月3日だった。大学の同級生だったNと二人、正月2日.比良に向かった。当時の山日記に『一番の江若電鉄で北小松へ。ヤマモモの滝、小白ヶ谷、望武小屋。八ツ渕で昼食の雑煮がラジュウスの調子が悪く、なかなか煮えず。吹雪。八雲避難小屋に泊まる。 3日、武奈登頂。打見で昼食。蓬莱を経て、17:30蓬莱駅着。』と書いている。この後、高校の後輩や、山の会などで何度もこの稜線を歩いた。そのたびに山頂が開発されていき、冬はスキー場として、夏場は「山の遊園地」として賑わっている。

リフトの横の広い道を大きく回り込むように歩いて行くと、古い縦走路の道標があってほっとする。一本だけ動いているリフトに沿ってスキーゲレンデを登る。リフトの下に黄色の大きいスイセンが咲いていて、連休後半頃はさぞ見事だろう。

かなりの傾斜を登ってリフト終点が近くなると、金網のフェンスに遮られた。手前には大きな残雪があった。前を行く若いペアに倣って、扉を開けて次のゲレンデに入る。芝の上はシカの糞が至るところに落ちている。

急な登りに息を切らす頃にホーライパノラマリフトの山頂駅に着く。横に置いてある数脚のベンチの一つに腰を下ろし、まず水分を補給する。



右手の広い台地に蓬莱山一等三角点(1,174m)、その横に慰霊碑や何体もの石地蔵さん、石塔などがある。振り返ると打見山、その左手に堂満岳や去年4人で登った武奈ヶ岳などが見えた。目の下の笹原の中にこれから歩く縦走路が続き、小女郎池の水面も光っている。ゆっくりと記念写真を撮り出発。後から登ってきた、ロープで一緒だった三人組の男性はベンチに座ってビールを飲みだした。三角点前から笹原の中を下る道は両側から笹が覆いかぶさる石ころ道なので、ベンチの横に帰って広い道を下る。この道もかなりの急坂で、ぐんぐん下る。

途中で新しい指導票があるレスキューポイントを過ぎると道はなだらかになり、時々開ける琵琶湖の展望を楽しみながら下る。高年の男女三人組、犬二匹を連れた男性に出会った。

アセビの白い花が咲き、高い木の梢でウグイスが声高く鳴いている(写真は丸さん撮影)。最後に一段下って小女郎峠に降り立つ。
右にすぐの小女郎池は、ひっそりと静まり返り静かに眠っているようだった。池の周りをぐるりと回ってミズバショウを探す。1983年4月下旬、和子と来て初めて群落を見た。

1997年に低山徘徊派(PC仲間の山グループ)で来たときには『池の向かい側にあるにはあったが、数も以前に比べてずっと減り、個体も思いなしか小さくなったようで可憐というより哀れである。』と書いている。今日は目を皿にして探したが、時期が悪いのか、絶滅したのか葉っぱ一枚見つからない。

しかし、池を前にして仰ぐ蓬莱の山の美しい姿は前と変わらなかった。池の畔でゆっくりと昼食をとる。犬を連れた人が帰ってきて、池の水を汲んで犬たちに飲ませていた。

元の道を帰る途中で、笹原の中にたった一輪、絵の具で染めたように美しいショウジョウバカマを和子が見つけた。なにか見ることが出来なかった水芭蕉の埋め合わせのような気がして、満足して往復3時間、休憩1時間の楽しかったハイキングを終えた。


陽春の音羽三山(2015.04.23)

2015-04-24 19:38:11 | 山日記

【メンバー】芳村嘉一郎、芳村和子

【コースタイム】不動滝08:40 … 南音羽09:08 … 観音寺 09:45~10:07 … 万葉展望台 10:40~10:45 … 音羽山(851.7m)11:10~11:15 … 経ヶ塚山(889m)11:40~12:05(昼食)… 熊ヶ岳(904m)… 大峠13:30 … 不動滝 14:30

好天気に誘われて多武峰街道(県道37号線)を南へ走る。昨年も鹿路の鹿華苑に行くなど何度も走った道だが、音羽三山を訪ねるのは1979年以来、実に36年ぶりになる。下居で観音寺への標識を見て集落の中の細い道を登り、参拝者用の駐車場に来る。狭い場所に砂利が積んである上に、帰りにここまで登ってくる苦労も考えて、少し上の水道施設の建物のある処から引き返す。

37号線をさらに南へ、八井内の不動滝前のスペースに車を置かせて貰ってスタート。少し引き返して百市の集落に入り、地図を確かめて南音羽へ向う。広い舗装の林道を緩く登っていくと、20分ほどで見覚えのある水道施設の建物が見えた。ここが峠のようで少し下ると先ほどの参拝者用車置き場で「百市1.2km」の標識がある。

車止めがあり寺までは約1kmの登りになる。

舗装はしてあるがかなりの急坂で、一丁ごとに立つ丁石や、

ところどころで可愛い動物たちを描いた標識が励ましてくれる。ちょうど半分ほど登った祓堂でチョッキを脱ぎ、水を飲む。こんなに長かったかと嫌になる頃、無常橋を渡り、階段を登って寺の境内に入る。

遠くから手伝いに見えている若い女性が本堂に上げて下さって、十一面千手千眼観音を拝んだ上に住職手作りのお菓子を添えたお茶まで頂いた。お寺の来歴などのお話を聞き、ゆっくり休ませて頂いて出発。

境内には天然記念物のお葉付き銀杏、その右手に不動堂がある。

山道に入ると本来の道が左に別れ、

桜など植樹中の山肌を直登する道で万葉展望台に出る。

正面に金剛・葛城から二上山を見晴らし「大阪まで眺望できる」として奈良県景観資産に指定されている。ここでも道が左に分かれ、「近道」と書かれた檜林の中の踏み跡を取る。

かなりの急登で稜線に出て、先ほどの道に合流すると急に歩きやすくなり、しばらくで新しいベンチの置いてある音羽山(851.7m)山頂に着いた。樹林の中で全く無展望である。

すぐに腰を上げて経ヶ塚山に向う。少し急な下りで鞍部に出る。登り返す途中の笹原の中に大宇陀の方に下る分岐があり、ここで右に折れると間もなく笹原の中に大きく開けた経ヶ塚山(889m)だった。

古事記で国見山と言われた展望の山も、今は植林帯の中で何も見えない。多武峰の鬼門に当たるので経を埋めたという山名の由来の塚も、以前の山日記には「案外に新しい」と記しているが、かなり破損が進んだようで針金が何重も巻かれて補強してあった。この山頂が三つの山で一番広いようなので昼食にする。咲き残った山ザクラが舞う雲一つない青い空に、ジェット機が白い航跡を残していった。

熊ヶ岳へはササの中の急な下りで始まるが、幸いに刈られてよく手入れされている。岩がむき出しのところもあり注意しながら下る途中、行く手の熊ヶ岳の姿が整った形を見せる場所があった。

美しい鋭三角形で、登り返しの厳しさが思いやられる。鞍部からは大きな岩の横や、滑りやすい急な道、笹原の間の道と次第に高度を上げて行く。

何度か急登を繰り返すと思ったよりも楽に、三山では一番高い熊ヶ岳904mに着いた。ここも林に囲まれて無展望である。

ここから稜線の道は緩やかになり、高度を下げながら小さなピークを越えて行く。前の記憶では倒木帯で景色が良いところがあった筈だが、曽爾の古光山らしい辺りが見えただけで、近鉄の無電反射板の立つピークに来る。塔の横の三角点標は見過ごした。ここで右に折れてさらに植林帯の急下りで大峠に降り立つ。稜線は三津峠を経てさらに竜門ヶ岳に続いている。

峠は神武東征の時、女軍を配備してヤソタケルと戦ったと日本書記に記された「女坂」伝承地で、その石碑と小さなお地蔵さんが立っている。

右に折れて暗い谷間の道を下る。勾配が弱まり左に折れると、目の前に美しい滑滝が現れた。近づくと林道が行き止まりになったところで、舗装路の上を水が流れ落ちているのだった。ここからはこの沢沿いの林道を下る。ところどころ水に覆われ、緑色の苔が生えている上を歩くので滑りやすく、二度ほど足をすくわれかけた。ここまであまり休憩もせず、順調に歩いてきたが初めて少し疲れを感じた。しかし休む場所もなく30分ほど下ったところで、すぐ右手に広い車道が見えた。道はその下を通ってさらに続いているが、そこを登ってきた地元の人らしい三人の中年男性に出会った。今日、歩き始めて初めての人たちである。「ここは通れん。何べん頭打つか分からんぞ。遠回りやけど広い道行った方がええ」とその一人に言われて、仕方なく右の二車線の車道に登る。すぐ右に大峠トンネルの入口が見えた。しばらく歩いてどこに続くのか不安になり、次の集落(針道だった)で道を聞き先の林道に降りる。さらに心配になるほど沢沿いに歩くと、朝置いた愛車が見えた。最後はちょっと疲れたが、妻は「80歳にしては、よう歩いた」と冷やかすように言った。


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(終)

2015-04-12 13:27:58 | 旅日記

3月28日。いよいよ帰国の途につく日になりました。午前中は自由行動で、希望者だけがルーブル美術館の見学予定でしたが、結局全員が参加することになりました。やはり昨今の政情不安で、どこかに単独行動は避けたいという気持ちが働いたのかもしれません。

私は三度目のルーブルなのですが、前回はちょっとしたアクシデントがあったので入館せずに、長い時間を過ごしていました。前に入場したのは40年近く前でしたので、かなり記憶が飛んでいる感じです。ここもイヤホンガイドを耳に、日本人ガイドの説明に従って歩きます。ここは集合場所の逆さピラミッド。入場を待つ人の列ができています。

もちろんのこと僅か1時間半ほどの見学時間では、2万点を越える膨大な所蔵品のごく一部に触れるだけに終わります。しかも目玉となる作品は決まっているので、勢い同じものを見ることになるのですが…。もっとも美術に縁が薄い私には帰ってから見ても、作者名も分からない写真が殆どでした。で…ありきたりではありますが、お馴染みの作品を…

あまりにも有名なミロのヴィーナス。美しい黄金比率で均整の取れた美しさです。

サラトラケのミケ。いつも人に取り巻かれているので…

向かい側にあるこのテラスから鑑賞するのが一番だそうです。

これもあまりにも有名な「モナリザ」。前に見た場所からは何度も移動されたとのことで、二重の防弾ガラスで保護されていた。しかし、「国立なので」ここもヴェルサイユ宮殿同様に撮影は自由。

「聖アンナと聖母子」レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作の一つ

「1804年12月8日ノートル・ダム大聖堂におけるナポレオン1世の戴冠式」ルイ・ダヴィッド
ヴェルサイユでも見ましたがこちらの方が早く制作された物とか…

「メデューズ号の筏」テオドール・ジェリコ

「民衆を導く自由の女神」ウージェーヌ・ドラクロワ

ざっと見て回ってルーブルを後にし、帰国の途に着きました。これからまた長い空の旅です。


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(8)

2015-04-11 18:08:14 | 旅日記

3月27日。今日はパリから約360km離れたモン・サンミッセルへ行きます。夕方同じホテルに帰ってくるので、まるで日帰りバスツァーの趣です。

ホテルを出て走ること約4時間、フランス西海岸サン・マロ湾上に浮かぶモンサンミッセルが近づいてきました。

島の名でもあり、その岩山に築かれた修道院の名前でもあるモン・サンミッセル(聖ミカエルの山)。有名なカトリックの巡礼地であり、「西洋の脅威」として世界遺産に登録されています。<悪魔の象徴・竜を倒す聖ミカエル、手には剣とともに人々の魂の善悪を測る秤を持っている>

島に渡る前に対岸の町のレストランで腹ごしらえ。献立はもちろん名物のオムレツ。結構なボリュームでお腹いっぱいになりました。

 

食事を終えて島へ。4年前(2011年1月)に来たときは、駐車場になっていた堤防の上をすぐ近くまでバスが入ったのですが、今はシャトルバスに乗って島へ渡ります。これは堤防道路の影響で島の周囲が砂州化したため、かっての島に戻す工事が国家事業として行われているためです。(写真は2011年、ずっと向こうまで車の列が続いています。)

今は堤防の代わりに、長さ760mの脚付きの橋で対岸と結び、海流の流れで堆積した砂を取り除いています。橋は2014年7月22日に開通、かなり手前でシャトルバスを降りて歩きます。

大通り門を潜ります。

修道院の下は狭い路地で、両側に土産物屋や飲食店などが並び観光客で混み合っています。

島の中央にあるベネディクト修道院。ここから急勾配の階段で聖堂に入ります。

テラスから聖堂を見たところ。尖塔の上に聖ミカエルが立っています。

対岸を見下ろしたところ。(上が現在。下は2011年)

この岩の島に聖堂が建ったのにはこんな伝説があります。708年司教オベールが大天使ミカエルから「ここに聖堂を立てよ」との夢のお告げを受けましたが、悪魔のいたずらと信じなかったところ、三度目にオベールの額に指を当てて強く命じました。

目覚めたオベールは脳天に穴が開いているのを知り、遂に建造にかかったといいます。

修道院聖堂の内部です。

中層は修道士たちの居住空間。美しい中庭を回廊が囲んでいます。

大車輪を使って下から荷物を釣り上げていました。

ここは修道士の仕事場です。主に聖書を書き写していたので大きな窓が付いています。

昔は引き潮の時に現れる陸橋を辿ったために大勢の巡礼者たちが命を落としたと言われています。その追体験をしようと泥まみれになって歩く観光客もいます。私たちは帰りもシャトルバスで対岸に帰りました。


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(7)

2015-04-10 17:54:40 | 旅日記

ヴェルサイユ宮殿の見学を終える頃から雨は小やみになりました。エッフェル塔のすぐ近くにある乗り場から、夕暮れのセーヌ川のクルーズを楽しみます。

セーヌ川にはいくつもの美しい、そして歴史を持つ橋が架かっています。

船はその下を潜っていきます。これはミラボー橋。アポリネールの詩で知られ、堀口大学の訳詞も有名ですね。

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ われらの恋が流れる わたしは思い出す 悩みのあとには楽しみが来ると

そしてパリにもあるのです「自由の女神像」
フランスがアメリカに自由の女神像を送ったことの返礼として、パリに住むアメリカ人たちがフランス革命100周年を記念して贈ったものです(Wikipedeia)。

少し青空も覗いてきました。冷たい川風に吹かれても、やはりデッキに出てきます。
建物はコンセルジェリー。マリーアントワネットが処刑されるまで2カ月余りを過ごした牢獄があります。

フランス学士院

いくつもの船と行き交います。私の乗っているのは手前の白い船と同じ形です。

オルセー美術館が見えてきました。

ブルボン宮殿。ルイ14世の庶子によって建築された宮殿で、現在は国会議事堂として使われています。

アレクサンドル3世橋を潜ります。

橋の四隅には高さ17mの柱があり、柱の上には芸術、農業、闘争、戦争を意味する女神像が設置され、天使やペガサスなど美しい装飾で飾られた、パリで最も美しい鉄橋といわれています。

ノートルダム大聖堂が見えてきました。

間近にルーブル宮殿を仰いで私たちのクルーズは終わります。

夕焼けに輝くパリの町を走ります。凱旋門 

コンコルド広場 

灯りが点り始めたパリの町を抜けて、再びセーヌ河畔へ 

夕食はノートルダム寺院の前にあるレストランで、

エスカルゴと

ビーフブルギニョンを頂きました。

ライトアップされたノートルダム大聖堂を背に…素晴らしいパリの夜が更けて行きました。


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(6)

2015-04-10 11:13:05 | 旅日記

3月26日。いよいよ旅も終わりに近づきました。今日はジュネーヴからフランスの新幹線TGVでパリに向かいます。ただしスピードはそれほど感じませんし結構揺れもして、日本の新幹線の方が技術的には優れているように思いました。

パリはあいにくの小雨模様。まず郊外のヴェルサイユへ向かい、宮殿を見学します。
世界遺産・ヴェルサイユ宮殿はルイ14世が建造したフランス絶対王政を象徴する建造物で、1661年、パリから宮殿を移すため工事を始め、21年後に未完成のまま宮廷が移転、1710年の完成まで約半世紀を要しています。

日本人ガイドに従って内部のツァーを始めましょう。最初は王室の礼拝堂
二階席は王室、宮廷要人などの席で一般人は一階席で礼拝しました。

王の正殿…ヘラクレスの間。美しい天井画に飾られたレセプションのための広間です。

ヴィーナスの間。正殿の夜会で軽食を摂る場所として使われました。

天井には「神々と強大国を従わせるヴィーナス」が描かれています。

の人がルイ14世。

メルクリウスの間。天井画は「二羽のニワトリに引かれた戦車に乗るメルクリウス」

アポロンの間 置き時計の間とも呼ばれます。

有名な天井画・アポロンが乗る「太陽の戦車」

ディアナの間

鏡の回廊 ここでは王家の結婚式の時の舞踏会などが催されました。

王妃の居間

王の家族を描いたゴブラン織り

戴冠の間。ナポレオン1世が王妃に冠を授けている図

長い見学を終えて庭園に出ました。

水の前庭には、王国を流れる四つの河川を象徴するブロンズ像が置かれています。

ラトナの噴水…工事中でした。正面に「大運河」が見えます。

「その壮大な広がりといい 美しい建物といい それは宮殿ではなく まるで一つの街のようだ」シャルル・ペロー


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(5)

2015-04-09 08:44:08 | 私の関西百山

3月25日。インターラーケンで朝を迎えました。リタイヤの年(1995)9月、二人では初めての海外旅行が、ハイキングを含むスイスの三大名峰の旅でした。今回のツァーはこの時、悪天で見ることが出来なかったユングフラウだけがコースに入っていて、今度こそはと期待が膨らみます。

二つの湖で挟まれた町・インターラーケンを出たバスはグリンデルワルドの手前、グルンドへ。

ここで列車に乗り替えます。

高度を上げるにつれて周囲は次第に白銀の冬景色に…

クライデシャイネックで乗り替えると、アイガーの山腹をくり抜いた長いトンネルに入ります。

途中駅のアイガーバンドで5分停車。駅の窓から見た外の風景です。

アイスメール駅でも停車後、終点のユングフラウ・ヨッホ駅へ。3454mにある世界最高所の鉄道駅です。更に超高速エレベーターで標高3571mスフィンクス展望台へ。

建物の外は前回にも増しての悪天候。飛雪が頬を叩き、痛ささえ感じます。残念ながら今回も無展望に終わりました。

ヨッホ駅は2012年、創業100周年を迎えて面目を一新。<TOUR>と書かれた観光用周遊コースが出来ています。イルミネーションに彩られた通路を進むと…

鉄道工夫たちへのオマージュや

カルスト帯水層の洞窟を通り

迷路のようなアイス・パレスに続きます。

ペンギンやクマさんたちをはじめ、様々な氷の造形物が目を楽しめてくれます。

下山の時間になってクライネ・シャイディックに下りました。ここにはスキーのコースが集中しています。ここまで電車で来てリフトでさらに上に行く人、ここから滑り下りる人など大勢のスキーヤーに出会いました。

クライネ・シャイデック駅で。
格好良く滑り降りてきた白人の男性が、スキーを脱いでシャッターを押してくれました。

列車が入ってきました。急勾配のため車輪の間に歯車を付けたアプト式軌道になっています。

夕方、インターラーケンに帰ってきました。小雨が降り肌寒さを感じます。Shoppingタイムのあと、今宵の宿、ジュネーヴ郊外のトアリーに向かいます。


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(4)

2015-04-08 08:58:26 | 旅日記

3月24日。ホテルを出発して霜で真っ白な道を25km離れたヴィースへ向かいます。

ヴィースの巡礼教会
1738年6月14日のこと、ある農婦がこの土地の修道院の修道士が彫った「鞭打たれるキリスト」の木像を貰い受けたところ、そのキリスト像が涙を流しました。最初は奇跡と認定しなかった教会も、噂が広まって巡礼者が農家に集まる一方なので、浄財を募って1757年に現在の教会を完成させました。写真、右手に見える白い建物が最初の礼拝堂の建物です。



牧場の中に建つ、一見とても素朴な感じの教会ですが、内部のロココ様式の装飾の見事さには目を奪われます。

特に「天から降ってきた宝石」と言われる天井画は素晴らしいものでした。(パンフレットより)

教会を拝観した後、少し引き返す感じでホーエンシュバンガウへ向かい、ノイシュバンシュタイン城を観光します。大きなお土産屋さんのパークの向かい側にはホーエンシュバンガウ城が聳えています。

ホーエンシュバンガウ城は、ノイシュバンシュタイン城を建てたルートヴィヒ2世の父王・マクシミリアン2世が12世紀に建設されたが廃墟になっていた古い城を改築したものです。もともと「ホーエンシュバンガウ」は「白鳥の里」の意味があり、幼少期をこの城で過ごしたルートヴィヒ2世に強い影響を与えたと考えられています。

ノイバインシュタイン城へは、ここから徒歩で緩い坂道を登っていきますが、途中まで馬車で行くことも出来ます。三々五々に自分のペースで集合場所に向かいます。雪の見える道をゆっくりと歩くこと30分足らずで…。

美しい白亜の城が近づいてきました。

ノイバインシュタイン城は中世騎士道に強いあこがれを抱いていたルートヴィヒ2世が、その夢の具現化のために作らせた城(一応の完成は1886年)ですが、王自身がここに住んだのは僅か102日間と言われています。

さらに登ると城壁の下に出て、左の緩い階段を登ると城壁門の前に出ます。

左手の階段上に見えるのは「貴婦人の館」

ここでグループごとに決められた入場時間を待ちます。

やっと入場時間がきて内部に入りましたが、この先は撮影禁止。薄暗い螺旋階段を登ったり、狭い廊下を通ったり、日本語のガイドを聞きながらの城内ツァーでしたが、正直なところ、城の内部はあまり印象に残っていません。

やはり、このお城も外から眺めた姿の方が素晴らしかったです。同じ道を下って下のお土産店で全員集合。

お土産に壁飾りを買いました。

昼食は少し下のレストランで…名物のマウルタッセン

パスタの生地に肉を入れたものですが、ちょうどギョウーザに似た食感でした。

飲み物はすっかりお馴染みになった黒ビール。そしてデザートのケーキ。また体重が増えそう…。

ノイバインシュタイン城に別れを告げて、

夕暮れのバイエルンアルプスを車窓に見ながら、365km離れたスイスはインターラーケンへ向けてバスはひた走ります。


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(3)

2015-04-07 10:04:16 | 旅日記

3月23日午後はハイデルベルクから約170km離れたローテンブルクへバスで移動。

まずは名物料理のロールキャベツで腹ごしらえ。

そして街の散策に向かいます。赤い砦という意味を持つローテンブルクは、城壁に囲まれた中世の都市の面影を色濃く残しています。この貯水塔は城壁への登り口にもなっています。

市壁(Stadtmauer)の上を歩き、古い町並みを見下ろします。

色とりどりの美しい三角屋根の家が並んでいます。城壁を降りて古い町並みを歩きます。

マルクス塔は、最初の環状市街壁建設に伴って1200年頃に建立された美しい門塔です。

マルクト広場に面して建つ市庁舎。正面の主要部分はルネサンス、アーケードはバロック、後の塔のある建物がゴシックと時代の異なる三つの様式で構成されています。

市庁舎南側にあるゲオルクの噴水。深さ8mで10万リットルの水をたたえる市内最大の井戸。
残念ながら美しい彫刻は補修中で、囲いで覆われていました。

市庁舎の北側には「市参事会員酒場」があります。現在はツーリストインフォーメイション。
建物に付けられた「仕掛け時計」が有名です。

14世紀始めから15世紀末まで焼く200年の歳月を費やして建設された「聖ヤコブ教会」。内部の祭壇やパイプオルガンが見ものということですが、時間的に入場するのは無理で諦めました。ここで40分間の自由行動になりました。

マルクト広場にはいくつかの道が集まってきています。一つの角にはテディベアの専門店。先ほどから誰がシャボン玉を飛ばしているのかと思っていましたが、見上げると二階の出窓に座ったクマさんでした。

それぞれの店先に下げられた可愛い看板が、何のお店かの目印になっています。

「シュネーバル Schneeball」のお店がありました。ローテンブルグの伝統のお菓子で「雪の玉」の意味。揚げ菓子の一種で、砂糖、チョコ、シナモン、バニラ、ナッツ…など色んな味のものがあります。眼鏡の小母さんはとても日本語がお上手。お土産に三つづつ、缶に入れて貰いました。

プレーンライン。この辺りは二つの重要な道が市へ乗り入れる合流点で、小三角形の広場を作っているのでラテン語で「小さい場所」という名が付きました。「ドイツで最も美しい中世の景観」として知られる撮影スポットです。背後の塔は1385年頃建設の「ジーバーの塔」

「市参事会員酒場」の仕掛け時計が午後3時を指しました。鐘の音とともに窓が開いて、「マイスタートゥルンク」(市長の見事な一気飲み)が始まりました。30年宗教戦争(17世紀)のとき、シッシュ市長が旧教側のペリー将軍とワインの大杯(クランケンワイン3.25L)を飲み干す賭けをして、焼き払われようとした町を救ったという歴史的伝説の再現だそうですが、正直、よく見ないと分からないほど地味な動きで期待外れでした。

ともあれ再集合してバスに帰り、ロマンチック街道を南へ約251km走ってフュッセンの町へ。途中、ドナウ川を渡りますが、ブドウ畑の中の単調な眺めが続き、「ロマンチック」というには名前負けのような感じでした。フュッセンはドイツアルプス山麓の標高800mほどのところに位置するドイツ最高所の町。ノイシュバンシュタイン城にも近く、その観光拠点になっています。

夕食を終えた21時からホテルのオプションツァーで、ライトアップされたノイシュバンシュタイン城や

ホーエンシュバンガウ城を見て、長い一日が終わりました。


ヨーロッパ三ヶ国駆け足旅行(2)

2015-04-06 13:59:31 | 旅日記

3月23日 昨夜はハイデルベルク郊外のルードヴィッヒスハーフェンという町で泊まりました。ホテルの窓からはすぐ前の国鉄駅を通過する長い連結の貨物列車や、高速道路を走る車が眺められました。今日はまず約20 km離れたハイデルベルクへ。

ハイデルベルクはドイツ最古の大学があることで知られる古い歴史の町です。
「プリント・メディア・アカデミー」の前を通過します。白いオブジェはS-Printing Horse

街を見守るようにその背後に立つハイデルベルク城に登りました。

北側のテラスから美しい中世の面影を残す町を見下ろします。一際高い尖塔は精霊教会です。

中でもひときわ美しい眺めはネッカー川にかかるアルテ・ブリュッケ(古い橋)。後ほどゆっくり訪れます。

700年の長い歴史を刻むハイデルべルク城
それぞれの時代の領主たちの思いを語るような「古城」の面影を今に、崩れたままに残されています。

エリザベス門。
フリードリッヒ5世が妃の英国生まれのエリザベス・スチュワートへのプレゼントに、一晩のうちに造ったものだそうです。

さて城の見学を終えて旧市街地へ下りました。先ほど見下したネッカー河畔を歩き…

アルテ・ブリュッケへ。正しくはカール・テオドール橋といいますが、町で一番古く「古い橋」の名で通っています。

橋の長さは約220mあり、入口の門は中世のころ町の城壁の一部でした。夜は落とし格子の柵を下ろして侵入者を防ぐ、防御施設としての役割をし、左右の塔は牢屋として使われたこともあったそうです。

橋のたもとにある鏡を持ったサル(マントヒヒ?)の像。善人ぶって他人を非難する人を「あんたはどうだい」とたしなめています。

マルクト広場
マルクト(マーケット)の立つ市場の意味で水曜と土曜には市がたちます。正面の建物は市庁舎です。

その向かい側に精霊教会が建っています。

教会左手にある「ホテル・ツム・リッター(騎士の家)」
1592年に織物商人の一家によって建設されたハイデルベルクに現存する最古の建築物です。壁面を飾る数々の精緻な彫刻に目を奪われます。

古い町並みを散策し、次の目的地・ローデンブルグへ向かいます。