鳥海山・獅子ヶ鼻湿原と出羽三山の旅(7)
獅子ヶ鼻湿原の散策を終えて象潟へ下りました。
昼食場所の「道の駅・ねむの丘」の展望台から見た名勝・象潟。
田圃の中に点々とかって島だった緑の丘が浮かんでいます。芭蕉が訪ねたのは元禄二年(1689)、その光景は…
『江の縦横、一里ばかり、おもかげ松島にかよひて、また異なり。松島は、わらふがごとく、象潟はうらむがごとし。さびしさに、かなしびをくわえて、地勢、魂をなやますに似たり。(奥の細道)』
「八十八潟、九十九島」と言われる入江に島々を浮かべた美しい風景だったのですが、文化元年(1804)の大地震で海底が隆起して干潟の水が失われて現在の姿に変り果てました。
『象潟や雨に西施がねぶの花』この句の所縁からか、この辺りに多い合歓の木が今、花盛りでした。
昼食を済ませて鳥海山の五合目まで登ります。昨日の月山への道に比べると段違いに走りやすそうな「鳥海スカイライン」を五合目鉾立展望台へ。
あいにく今日も濃霧で山頂部は見えません。展望台裏から深い谷を見下ろすと、紫のクガイソウの向こうに僅かに白い雪が残っていました。
登山口で写真を撮って鳥海山を後にしました。
この日の泊まりは、山形県鶴岡市の「湯の浜温泉」。昨日の酒田より南、庄内空港に近い海岸にあります。
日本でのサイーフィン発祥の地だそうで、夕陽が海を染めるまでサーファーが波を楽しんでいました。
7月16日。最後の目的地、湯殿山へ向かいます。
皮肉にも最終日になって朝から青空が拡がり、バスの後方に鳥海山が初めて全容を見せました。
湯殿山の駐車場に着きました。
赤い鳥居の右に見える、なだらかな山容の湯殿山は標高1500m。神域の山頂には登ることができません。
三山を徒歩で登拝するには月山頂上の月山神社本宮から南西山腹の月光坂の急坂を下り、湯殿山と品倉山との間の渓谷にある湯殿山神社に詣でた後、鉄梯子などの難所を下って羽黒山へということになります。
私たちはここで参拝(シャトル)バスに乗り換えます。
朱の大鳥居。平成になってからのもので高さ18m。
参拝バスはこの横を通り、参籠所を左手に見て山道を5分ほど登っていきます。
ここが終点。この石段から上は写真、ビデオ撮影禁止です。
なぜここに牛の像があるのでしょう?それは月山のウサギのように、湯殿山は丑歳が御縁年だからです。
丑歳丑月丑日開山の説の他に、出羽三山の形が牛のうずくまった姿に似ている(臥牛山=頭が湯殿山、背中が月山、臀部が羽黒山)などの説もあります。
少し先で石段を梵字川の谷間に下ったところが出羽三山の奥ノ院、湯殿山神社です。
昔からこの神域の様子は「語るなかれ」「聞くなかれ」と言われ、芭蕉も
『語られぬ湯殿に濡らす袂かな』
と詠んでいます。しかし現在では様々な形で様子が伝えられています。(変愚院の手元にある、久保田展弘著「山岳霊場巡礼」には、ご神体の写真まででています)
ここでは「出羽三山神社公式ホームページ」の内容を引用します。
「湯殿は、湯殿山神社のご神体である出湯と、その湯ばなのおおわれた巨岩を示している」「現在でも参拝に際しては履物をぬぎ、裸足になり、お祓いを受けてからでなければお詣りは許されない…」
これで大体の様子がお分かりになると思いますので、伝統に従って多くは語らぬことにします。
参拝を終わると大きな足湯があり、そこで神様のお使いという青白い長いものを拝むことができました。
この点も神殿のないことと合わせて三輪山によく似ています。
帰り道で大鳥居の横にある仙人沢行人塚を拝みました。中央の大きな石碑には「即身仏修行之地 湯殿山仙人澤」とあります。
「行人」とは湯殿山で一期千日の修行を終えた人のことで、行人碑の中には三千日、五千日の苦行をした人もあるとか。さらに木食の行に入り、生きながらにして土中に入定して「即身仏」(ミイラ化)となった人も多いのです。お堂の中には即身仏のレプリカが祀られていました。
これで三日間の旅を無事終えて、帰途につきました。