ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

奈良の山あれこれ (138)護摩壇山

2016-06-14 18:00:04 | 四方山話

*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*

(138)護摩壇山(ごまだんざん)<1372m>  「平家の滅亡を告げた山」

この山から伯母子山へ十津川と野迫川の村境となる山稜が続いている。山名は次の伝説による。源平屋島の戦いで敗れた平維盛は、西国に落ちた一門と別れて高野山に隠れたあと、滝口入道に導かれ熊野に向かう。この山頂で護摩を焚き行く末を占うが、煙が空に昇らず谷に下るを見て平家の運命を知る。そして那智に至り熊野の海に入水した。一説には、護摩を焚いて一門の将来を占ったのは清盛ともいう。

山頂山頂近くまで高野竜神スカイラインが通り、駐車場と護摩木を積み上げたユニークな形の展望塔「ごまさんスカイタワー」がある。塔の横から広い階段状の遊歩道を登ると、10分程で山頂に着く。

休憩舎と「和歌山県朝陽夕陽100選」の標識があるが、展望は殆どない。護摩壇を象った大きな山名板に和歌山県最高峰の表示があるとおり、山頂は奈良、和歌山両県にまたがっている。 

タワー横まで車で入り、護摩壇山頂上を経て東の稜線伝いに歩くと、NHKのTV無線中継塔が立つ耳取山 (三角点名・丸山、標高1382m)がある。

ここは展望にすぐれ、眼下に深い谷に沿って龍神へ続くスカイライン、その左に1304mピークなどの山、その左に鉾尖山の鋭峰、正面遠くには果無山脈などがよく見える。本峰に引き返して、休憩舎横を左に折れ南側の尾根を下る。スカイラインを横切ると「森林公園ワイルドライフ」の大きな広場である。

ここから自然観察路に入り、1304mピーク山頂の休憩舎にくるとタワーから護摩壇山、耳取山とつづく稜線が正面に見える。


奈良の山あれこれ (137) 伯母子岳

2016-06-13 08:09:40 | 奈良散歩

*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*

(137)伯母子岳(おばこたけ) <1344m>  「熊野古道古辺路の最高点」

高野山から東南20キロほど、吉野郡十津川村と野迫川村の境にある展望の良い山である。山頂の東に伯母子峠があり、熊野古道・小辺路が越えている。かっては南高野街道ともいわれ、高野山と熊野を結ぶ重要な峠越え道で、二つの霊場に詣でる人々で賑わった。この峠はまた、昭和5年4月初旬、郡山中学(現郡山高校)生二名と教諭一名が遭難した悲劇の舞台でもある。

1977年、妻と二人で歩いた。護摩壇山の手前で「十津川温泉へ40キロ」の標識がある(奥千丈)林道に入る。登山口から整備された「護摩壇山伯母子岳遊歩道」を尾根通しに行く。口千丈山から標高差80mほどガラガラの急坂の下り。ついで1322mピークを越す。二、三のアップダウンで分岐があり「伯母子岳登山道。800m」という標識からやっと山道になり、標高差わずか100mの急坂を登る。最後は灌木帯を抜けミヤコザサの中を登ると草地の頂上についた。一面のカヤトの原で、東に遠く大峰の山々、特徴ある行者還、大普賢、八経ヶ岳…。南の果無山脈、今辿ってきた尾根道の向こうに護摩壇山が見える。登山口から5キロ、1時間45分だった。

9年後の2006年3月、高野山から小辺路を歩く途中、大股から杉林の中を小一時間登って、小広い平地になっている萱小屋跡に来る。道は自然林の中を行くようになり、ふわふわの落ち葉を踏んで行く。

檜峠は「弘法大師が捨てた箸が檜になった」という伝説の残るところである。平坦な道になって夏虫山分岐を過ぎると、目指す伯母子岳のなだらかな山容が近づいてくる。

「護摩壇山遊歩道」の標識を直進して、10分あまりで「小辺路での最高点・伯母子岳山頂」に着いた。大股から2時間30分。