97 氷ノ山(1,510m)
壊れかけたロボット雨量計と立派な休憩所がある。展望が開け、正面ちょうど程よい距離に笠形山があり、頂上の展望台が手に取るように見える。昼食後、頂上に向かう。
美しい冬晴れの朝。目が覚めて「今日から80歳の大台に乗った」と思った。傘寿記念と言う程でもないが想い出に残るように山に行くことにする。近頃、足腰が弱ってきているので無理をせずに、近くで紅葉も楽しめて…と和の提案の高円山へ。
9時半に家を出たが3連休とあって道も混み、高畑の丸山駐車場はすでにほぼ満車。なんとか一番端っこに置いて「みかさ荘」の前を通り、飛鳥中学校前の「滝坂道」の標識へ来るとはや10時半。ここから白毫寺へ出て墓地横から登るのが本来の登山道だが、最短コース?を取るため直進する。
長い家並みを抜けて、ようやく石畳の道へ入る橋の辺りは大雨の影響か、かなり荒れていた。歩き始めは違和感のあった脚もようやく落ち着いて、立ち木に巻かれたテープ標識で右手の林の中へ。落葉に隠れた踏み跡を探して、今回もかなり右手(南)の伐採が進む山道に入ってしまった。和に呼ばれて少し下って、幅の広くなった踏み跡を支尾根にでる。赤や黄や茶に色付いた林の中だが傾斜はきつく、木の間から春日山が見える頃から次第に汗ばんでくる。30分近く登って白毫寺からの道に合流して、林の中をさらに登る。新しい登山道が登ってくる辺りで下ってきた自転車の青年が道を探していたが、後にも先にも柳生街道までは他の誰にも出会わなかった。
林を抜けてぱっと頭上が開けると、大文字の火床が並ぶ芝生の大広場にでる。
快晴で期待以上に素晴らしい展望だった。左の葛城、二上山は雲の裳裾を引いていたが、遠くは正面の生駒山から近くの若草山まで、眼下には大仏殿の屋根を始め奈良の町並みが一望のもとだった。無風で日差しが暑いので「大の字」の最上部に登り、日陰に入り腰をおろす。しばらくドリームランドのマッターホルンなどランドマーク探しで遊んだが、存分に展望を楽しんだので腰を上げる。
長い石段を登って林の中を行き、標識に従って432m二等三角点の丘に登る。林の中の無展望で殺風景な頂上からは、前回の道探しで懲りて元の分岐に引き返す。しばらく下って緩い登りになり、ススキが逆光に光る広場からドライブウェイを横断、元ホテルの裏側へ登る。
ホテルが撤去された後の、がらんとした空き地で最高点(Ca.460m)を探したが見当たらず、それらしき場所の近くに腰を下ろしコーヒーとビスケットの軽食。正面に黄色く色づいた木、緑の低い木を背景にハゼの真っ赤な葉が美しいが、残された土嚢やゴミが目立って廃墟のようで痛ましい。早々に腰を上げる。
最初は元の道を下るつもりだったが、せっかくなので柳生街道を帰ることにする。前にあったドライブウェイ沿いの踏み跡は、今は歩く人もないのか見当たらない。「人と自転車通行禁止」の道を歩かせて貰う。途中で出会った車はたった3台。最後の車が入った地獄谷石窟群P前の指導標で「地獄谷新道」に入る。若い女性3人組を始め次々と人に出会うようになり、山歩きから観光ルートに入ったことを実感する。
少し下った新池辺りの紅葉はこの日で一番見事だった。様々な色で織りなされた豪華な衣装をまとった回りの山が、青い水面に映る己が姿と美しさを競っている。ベンチに座る何組かの人たちも見惚れているようだった。
ゆっくりと池の畔を巡って首切り地蔵にくる。ここからは更に賑やかになった滝坂道を下る。
朝日観音(1)、夕日観音(2)はともかく、寝仏(3)は以前(4・2008年11月)に比べかなり摩耗して、お姿がぼやけてきているようだ。のんびりと初冬の奈良の低山を歩いて、楽しい思い出となった80歳の誕生日だった。
急に寒くなった朝、ゆっくり家を出て長岳寺に向かう。駐車場には大地獄絵公開中のためか観光バスが停まっていた。
車を降りると風が冷たく、上着を着て手袋をする。舗装路に出ると竹林を背景に、真っ赤な種を覗かせたマユミの実が美しかった。
収穫が終り、葉も落ちてすっかり淋しくなった柿畑の間を抜けて山道に入る。今日は体調が良かったので、腰ベルトも膝サポータも付けるのを忘れてきた。ずぼらをした報いで、案の定、痛みという程でもないが右腰から脚にかけてだるく感じて、足が進まない。和子が「リハビリのつもりで、ゆっくり登ったらいい」と言ってくれたが、心の中ではもどかしく思っていたことだろう。風は頭の上の梢を揺らして轟々と音を立てているが、道は深い溝状のところを行くので寒さを感じない。二度ほど急登を終えたところで、上着を脱ぐついでに腰に薬を擦り込んだ。
お蔭でロープの張ってある一番の急登は案外楽に登れた。その上のベンチで腰を下ろして、塩レモン水を飲む。
お不動さんまでにいつもより大分、時間を喰ってしまった。頂上まであと1.3kのここからは痛みもなくなって、いつも通りに歩けるようになった。奥ノ院分岐を直進すると800mだが、遠回りして300m先の奥ノ院へお参りしていく。
もったいないほど下って古墳を過ぎ、いつものように優しいお顔の奥ノ院の不動さんを拝む。後ろの五つの石碑には何々大明神の名が二つずつ刻まれている。中には雨乞いの山らしく「白長大明神」の字もあった。60mで柳本古墳群からの道に出会う。「頂上まで1k」の表示があった。
延々と続く木の階段が、暗い林の中に入ると白いセメントで補修されて「これこそ白長大明神」とぼやきながら登る。ここまで誰にも会わなかったが、林道に飛び出したとたん空身の若いペアに出会う。女性はスカート姿で登ってきたらしい。柳本竜王社の横から頂上に登る。
思った通り、誰もいない城址を音を立てて風が吹き抜けている。展望は良く、和子がしばらく双眼鏡で探して明石大橋を見つけた。大阪湾に浮か船影も見える。上着を来ても寒いので水分補給だけで急いで下る。田竜王社の方に降りる途中で登ってくる男性にであった。
トイレ横からの下りも階段が続くが、こちらは明るい林の中で、ときどき美しい赤や黄の落葉を踏んで行く。快調に下って行くと、登りで休んだベンチに男性が二人、腰を下ろしていた。少し下ると若い女性が一人登ってきて挨拶を交わす。今日、出会った人はこれで終わり。静かな初冬のリハビリ山行だった。
<コースタイム>長岳寺10:10…石不動11:07…奥ノ院11:33~37…頂上12:05~12:20…長岳寺13:40
暖かい陽射しに誘われて奈良へ行きました。
お目当ての依水園へ行く途中、この看板を見て急に県立美術館へ。
学術的には価値の高い展示内容でしたが、配置方法にもう一工夫があっても…例えば伊勢・おかげ横丁の新しくなった「おかげ座・神話の里」のように、古事記の記述順にした方が私たち素人には分かり易いと思います。熱心に見学する人たちに交じって思わぬ長時間を過ごして、依水園へ。
江戸時代に作られた前園から
明治時代に作られた後園へと歩きます。正面に見える山は春日山。その左、若草山の前の屋根は東大寺南大門です。
十月桜が紅葉と艶を競っています。
燃えるようなドウダンツツジの下を通ります。今が見頃の紅葉の庭園は期待以上の素晴らしさでした。敷地内の寧楽美術館を見学して、
現在、補修工事中の入江泰吉氏邸の前を通り、大仏殿の方へ歩きます。
大仏殿の前は、大勢の観光客(外国からの人も多かったです)や修学旅行生で賑わっていました。正倉院展が行われている国立博物館横から三条通りへ抜けて、
下って行くと南円堂下の美しい紅葉の終わった辺り、御高札場(江戸時代にお触書を掲げた場所)の前に
こんなものがあるのを始めて知りました。各府県の県庁所在地から各地への距離を示す起点になるところで、ここには大阪や京都、三重まで等の距離が記されていましたが、いつの間にか台座だけになっていたのを2010年に復元したものです。
日向では汗ばむくらいに暖かい初冬の一日でした。