ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

「樹葬の話し」を聞く (8月29日)

2007-08-30 17:38:31 | Weblog
昨(8月29日)夜、梅田の第一ビルでJAC関西支部の夏季懇談会がありました。
毎年この会の楽しみは、懇談会に先立つ山をテーマにした講演です。
この夜の講師は会員の内田嘉弘氏で「東チベットの旅…樹葬のことなど」と題したお話しを聞きました。

内田さんは奥駈道など何度かご一緒に歩いたことがありますが、本当に笑顔の優しい、そしてお話しの楽しい方です。
1972年の韓国・韓新渓谷の冬季初遡行、75年のパキスタン、プリアン・サール峰(6293m)初登頂をはじめ、様々な登山経験をお持ちです。
65歳を過ぎてからは公認ガイドを引退されて、「登山から旅へ」へ変わったとおっしゃっています。

この日のお話しは昨(2006)年秋に奥様もご一緒の「東チベット、ラサからチャムドへの旅」です。
なお、奥様は以前このBLOGでもご紹介しました、マナスルの女性初登頂者です。



樹葬の地はぐるりを5000mを越す氷河を持つ高峰に囲まれた、標高2200~2300mの静かな森の中にあります。
村の外れから林道をジープで走ると、車止めがありチョルテンが6つ、近くの木には白い布を張り巡らせてあり、敬虔な気持ちになったそうです。

ちょうど二人の若い尼さんが来て案内してくれ、15分ほど歩いたところが樹葬の地です。



これはスケッチの得意な内田さんが白板にすらすらと書かれた樹葬の図です。
(JAC会員中島隆氏撮影の写真より)

薄赤色の毛布で遺体をくるみ、1は木の枝の間にカゴをおいて入れたある。2は樹幹にくくりつけてある。3はこのような肩掛け鞄に入れて木にかけてある。4は容器にいれて地面に置いてある。このように様々な形態があるようです。

5は平らな岩の上に並べられた頭蓋骨。全て小さいもので幼児のもののようだったそうです。
あとで良く調べると、樹葬の対象になるのは8歳以下の子供だということです。

それにしても火葬、土葬の他に「鳥葬」「水葬」までは知っていましたが「樹葬」という風習があるのははじめて知りました。内田さんも、民俗学に興味があるのでチベットについて更に勉強したいとおっしゃっていました。

期待の雨は?(8月28日)

2007-08-28 18:24:22 | 矢田だより
待望の雨の予報に、朝食後、矢田歩きに行きました。
湿度が高く、ミンミンゼミやヒグラシの声が蒸し暑さをかき立てます。
アブが付きまといウチワで払いながら歩きました。
汗びっしょりで国見台に登りましたが、稜線でも殆ど風は死んでいます。

アブはジェット機のような形で飛んできます。テリトリーが決まっているようで、私は「南僧坊池防衛軍」「矢田峠防衛軍」などと呼んで?います。



矢田山展望台の下、ちょっと道を外れた涼み峠(と勝手に呼んでいます)。
ここは流石に風が吹き抜けていましたが、いつもほど涼しくはありません。
ただ、いつもの「涼み峠防衛軍」はどこかへ応援出撃しているようでした。



展望台から巡視路(車道)を下りていくとクサギの花が咲いていました。



弘法井戸で顔を洗い、矢田寺に下りました。
本堂横の弁天池にはこんな花が咲いていました

水カンナという花と「まがたま」さんが教えて下さいました。ありがとうございました。

秋間近か・矢田丘陵(8月26日)

2007-08-26 18:39:03 | 矢田だより
夕方になってから矢田歩きに行きました。
まだ暑さが残っていて、すぐに汗びっしょり。
「弘法の井戸」の冷たい水で汗を拭い、口をすすぎます。



矢田山最高点に登って、まほろば展望台で少し休みました。
今日はここで男性ひとりにあっただけ…さすがに低山は人が少ないです。
「こどもの森」に下っていくと、今まで喧しく鳴いていたアブラゼミの声は聞こえず、ミンミンゼミが鳴いています。
道の上にはアブラゼミの死骸がたくさん落ちています。秋はもうすぐそこまで来ているようです。

ン十年前の8月は…

2007-08-25 16:55:57 | Weblog
我が家にとって、どんな年だったのでしょう。

10年前(1997年・平成9年)
 山…薊岳、大日岳と乗鞍岳、黒石山(台高)、雨飾山



 旅…白川郷から飛騨古川へ(義父母と4人で)



本…「ああ南壁~第二次RCCの記録」「ヒマラヤを駆け抜けた男・山田昇の青春」
事件…イギリス皇太子妃ダイアナがパリでパパラッチにつきまとわれ交通事故死

20年前(1987年・昭和62年)
 山…伊吹山



 旅…熊野古道から新宮へ
 高校野球…PL学園、房総学園を破り春夏連覇を達成

30年前(1977年・昭和52年)

 山…白馬岳(家族で大雪渓を登り山頂泊、蓮華温泉へ下山。長女11歳、長男9歳)





 旅…琵琶湖でキャンプ、京都古寺巡り 

北へ南へ…夏山真っ盛り(8月22日)

2007-08-22 21:35:56 | 過去の今日
今年の夏は、遠出が出来なかったまま過ぎていこうとしています。
いつもなら涼を求めて高い山へ出掛けていたところです。
これまでの8月22日を振り返ってみました。

46年前(1961年)…高校3年の弟と烏帽子、槍、大滝へと縦走中です。
この日は6時過ぎ烏帽子の小屋を出て、三ツ岳から快適な縦走路を辿り、野口五郎岳に立ちました。



このあと、ガラガラの急な岩屑道を鷲羽岳に着く頃から濃い霧になりました。三俣蓮華は山腹の捲き道を辿らず、強風と濃霧の山頂に立ったため双六岳まで時間がかかりました。
ビバークを覚悟した17時前、双六小屋の姿が霧の中に浮かび上がりホッとしました。

38年前(1969年)…奥穂高岳。
涸沢のテント生活中の一日。天気が悪いので奥穂高へピストンで登ることにしました。せっかくの山頂は濃いガスの中でした。

36年前(1971年)…大和葛城山。
今ではホームグラウンドのようになった山ですが、今の住所に引っ越して3年目のこの年この日、家族4人では初めての山行でした。

33年前(1974年)…剣山。徳島の知人宅から日帰りで往復しました。
下りは行者道をとりましたが、前日の雨で岩が滑りやすく、クラックに取り付けられたクサリの丸い輪も雨と泥に濡れていて、爪先を入れて下るのにちょっと苦労しました。
この後、この山には4度登っていますが、いつも頂上小屋でお世話になっているので、日帰りはこのときだけです。

12年前(1992年)…石鎚山。千日町ハイキング同好会の仲間達と。
前夜、大阪南港からフェリーで松山へ。8時前には土小屋に着き、裏参道を歩き始めました。最後の「三の鎖」が使用中止になっていて捲き道を登ったのが心残りです。



写真は最高峰・天狗岳頂上です。四国の第一、第二の高峰に登ったのが、図らずも
同じ8月22日でした。

11年前(1993年)…乗鞍岳。千日町ハイキング同好会の仲間達と。
西穂に登ったあと、蒲田温泉で飲んでいて帰るまでにもう一山登ろうと云うことになりました。



5時に宿を出て畳平まで来ると冷たい霧雨。強風とガスの中、手探り状態で頂上に立ちました。


10年前(1997年)…雨飾山。
前夜、小谷温泉に泊まり、この日山頂を目指しました。
花が多く美しい山でしたが、暑さには弱りました。山日記には「恐らく始めてこんなに水分を摂った」と書き残しています。
フトンビシの岩壁と、下山後の露天風呂から見上げた星空の美しさが目に焼き付いています。

世界の名山・大台ケ原山

2007-08-15 17:45:38 | 読書日記
かなり以前にもご紹介したことがありますが「世界乃名山・大台ヶ原山」という書物があります。



大正12年「大台教会本部」発行の古い本ですが、変貌しつつある大台の往時を偲ぼうと読み返してみました。

著者は添上郡大安寺村柏木の岡本勇治という人ですが、漢文調の難解な名文でワープロで変換できない字はおろか古語辞典にもない字が多く、浅学の私には読むだけで時間がかかりました。

まず「西大台」に関する部分を意訳してみたいと思います。

*ワサビ谷
 山葵谷の渓流には、自生のワサビが青々としています。
人に知られているようにワサビは蟹の好きな食べものです。だからワサビを採る人は皆カニに食われているのを嘆くのに、不思議なことに大台では一匹もカニも見ないのです。
 これは水質が寒冽でカニの棲息や繁殖を許さないことによるのでしょうか。

*逆川
 この辺りで西北から東南に流れる沢があります。逆川と云います。
だいたい大台全山の渓流は、みな水源が東にあって西に流れます。この川だけは、西から来て東に流れるようなのでこの名があります。

 横さまに歩む蟹なき深山路に 逆さま川の名こそおかしき

西大台周遊(8月7日)

2007-08-12 12:10:39 | 山日記
しばらく、ばたばたしていて更新が滞っていました。
辻堂山に行ったあと大台ヶ原へ向かいました。辻堂林道から山頂駐車場まで20分ほどかけてゆっくり走りました。
先週車を置いたワサビ谷への降り口には、工事の車が入っていました。いよいよ規制に向けて、ここに関所でもできるのでしょうか?
駐車場には、まだ車がちらほら置いてあるだけでした。大台教会の横から、今日は時計と逆回りで歩きます。



中ノ谷の清流を渡ると七ツ池への登りとなりますが、しばらく頑張るとなだらかな尾根の道をとなります。
ブナ、トウヒ、ナラ、ナナカマドなどの静かな原生林の道を行きます。ひょっとすると、もう来ることもないかも知れないという思いで、しっかりと記憶に残しておこうと…ゆっくりと踏みしめるように…。



七ツ池を過ぎて下りになり、小沢を横切るところに去年と同じようにトリカブトの群落がありました。今年はまだツボミが多かったのですが、それでも何輪かは鮮やかな色を見せてくれました。


カツラ谷を渡ると開拓跡に出ます。前にあったブリキの説明版は半分に割れたまま…。入山料をとるようになれば、新しいものに替えられるのでしょうか?



ワサビ谷出合から先週の道を歩き、展望台を割愛して逆川を吊り橋で渡りました。ガラガラの石ころ道を登ると、大岩壁の下から「弁慶の力水」が流れ落ちています。とても冷たくて美味しくて本当に力が沸いてくるようです。
空になったペットボトルに入れてお土産にしました。


ナゴヤ谷の美しい流れに沿ってしばらく歩き、最後に少し急坂を登ると大台教会下の分岐に帰ります。
今日はなぜか会う人も少なく、静かな一日でした。
山の霊気を全身に吸収して、涼しかった大台ヶ原をあとにしました。

辻堂山

2007-08-08 09:10:28 | 山日記
8月7日、今日も良いお天気ですが暑くなりそうです。
炎熱地獄の下界を逃れて大台ヶ原へ…。



大台ヶ原ドライブウェイに入ると、正面に釈迦ヶ岳が大きく見えます。



この看板の右手へ小処温泉への林道が分岐します。近くに絶好の駐車ポイントがあったので車をおいて、林道を下ります。
10分ほど行くと右手に取り付き点があり、木の枝に小さな赤いテープが捲いてありました。



疎らな笹原の中、微かな踏み跡らしきものを探りながら数分登ると、西原からの登山道に合流しました。
ここで右に折れ、細いがしっかりした登山道を登ります。



なだらかな傾斜で登り着いた辻堂山。
いくつかの山名板と三角点のある狭い山頂で、樹木で囲まれて古い名前の「堂の森」という方がふさわしい感じでした。


辻堂山へ行ってきました(8月7日)

2007-08-07 18:14:02 | 山日記
8月3日の記事で昔、辻堂のあったことから「辻堂山と呼ばれる」と書きました。
大台ヶ原ドライブウェイから見ると、非常に形の整った美しい山で、前から一度登りたいと思っていました。



本来は西原から昔の道を3時間近くかけて登るべきでしょうが、今日はこれが最後になるかも知れない西大台周遊もしたいので、非常に安直にドライブウェイの辻堂入り口から往復しました。

往復1時間足らずの実に手軽なハイキングでした。詳しいリポートは明日にでも…

やまとの夏祭り(8月4日)

2007-08-05 10:52:56 | 矢田だより
昨日は山岳会の用事で大阪へ行っていて、19時過ぎに郡山に帰ってくると駅前はたいへんな人出です。
浴衣を着た若い男女や、ウチワをもった親子連れがぞろぞろと北の方へ歩いていきます。
家に帰って夕飯(といっても、毎晩ビールと焼酎と副食でご飯類ナシ)を喰い終わると花火の音が聞こえます。
気がつくと今夜は郡山市商工会議所主催の「やまとの夏祭り」。金魚すくいや盆踊りなどの催しがあり、屋台も出ているはずです。
締めくくりの打ち上げ花火が郡山城跡で始まったのでした。慌てて二階の窓から眺めました。



写真は「花火モード」で撮りましたが、殆ど手ぶれでした。