9月15日 ご来光を目当に登っていく何人もの人声が、夜の間ずっと山荘の外から聞こえていた。
4時前に起き出して身支度を済ませ、山荘の渡井夫人の見送りを受けて外にでる。もう一人の宿泊客は、一足早く挨拶して出て行った。眼下に町の灯りがほの明るく、空には星が見え隠れしている。夜半の強い風は収まったが、上空には薄雲がかかり少し風もあるらしい。4時35分、ヘッドライトの灯りをたよりにスタート。宝永山の方へお中道(遊歩道)を少し下り、左手の山腹への踏み跡に入る。すぐに正規の登山道と合流して、ごつごつした赤い溶岩の道を登る。
5時を過ぎて東の空が明るんでくると、金時山、箱根連山の姿が黒く浮かび上がってきた。
元六合の小屋が撤去されてから、七合目への道程はより長く感じるようになった。起き抜けで身体が目覚めないうちの最初の急登は、いつも少しこたえる。今回は初めてのM夫妻も一緒なので、できるだけ時間をかけてゆっくり歩く。
すっかり明るくなってヘッドライトを消す。見上げていた右手の宝永山(2693m)が次第に目の高さになり、やがて見下すようになった。その肩からご来光が見える筈だが、今日は雲が厚く望めない。その代り眩しくなくて助かる。と思っていたら雲の上に昇った太陽が、真横から強烈な光線を送りつけてきた。帽子を阿弥陀に被ったり、右手を目にかざしたりしながら登る。道が曲がって陽射しが消えると、ほっとする。
新七合目、5時45分着。ほぼ標準のコースタイム通りで来た。ここには御来光山荘があるが、この時期は他の小屋同様、固く戸を閉ざしている。
小屋前から見る愛鷹山にかかった雲の形が、まるで海の波が山腹を洗っているようで面白い。カメラを取り出して構えると、もう次第に厚みを増して太い綱の形に変わっていた。少し寒いので陽の当たる小屋の前で朝食をとる。
6時出発。来た道を振り返ると続々と人が登ってくる。さすが3連休で凄い賑わいだ。はや下ってくる人がいて驚いて訊ねると「上は風があって寒さでじっとしておれず、ご来光は見ずに降りてきた。」という返事だった。後から登ってきた若い人たちに、次々追い抜かれるようになった。彼らは少し登っては休んでいるが、私たちはスロー&ステディで登り続ける。しかしM夫人の体調が思わしくなく、軽い高山病の兆候か吐き気がするようだ。それでも、ほぼ予定通りに元祖七合目の山口山荘前に着いた。ここで高度3010mである。
ここから上はさらに勾配が強まる。眼下に駿河湾が拡がってくる。今度はMさんが時々、立ち止まるようになった。大きく深呼吸するように勧めるが息苦しそうで、やはり高度の影響が出てきたようだ。一緒に歩くより後から休み休み登る方が楽なようで「先に行って…」と言われ、八合目で待つことにする。
八合目には先ほどの若者のグループのうち数名が休んでいた。ランニング姿の青年が登ってきて、私が「元気だね」と声をかけると「ハイ」と笑顔で返事するなり、仰向けにひっくり返って寝そべってしまった。リーダーらしい人に聞くと「愛知県の会社のグループで男女あわせて15人、あいつはベトナムの研修生です。何を間違ったか缶酎ハイを山ほど持ってきて、みんなに持たせてます」ということだった。一番早く登っていた人は英語教室の先生のアメリカ人で、私たちの年齢を知ると「Amazing!」「Looks young !」と大げさに驚いてくれて、一緒に写真に納まるように頼まれた。
しばらく話していると「富士山に1000回登りました」の実川欣伸さんが姿を見せた。1年ぶりの再会に固い握手を交わす。去年会ったときは「1111回目」だったが今日で「1343回目」だそうだ。♀ペンが彼を青年たちに紹介すると、実川さんは自民党谷垣総裁や三浦雄一郎(どちらも同じJAC会員)や、AKB48の大島優子などと一緒の写真を取り出したので、たちまち人垣ができる。やはり有名人には敵わない。
そのうちM夫妻も登ってきて一緒に写真を撮った。少し長居をしたので、M夫妻を九合目で待つことにして、実川さんの後を追うように出発する。
ここから九合目までは距離が短く、十分休んだので割合楽に登れた。それでも何人かに追い抜かれ、先ほどのグループとも前後しながら登る。九合目でもう一人の富士山の有名人、「まいにち富士山」の佐々木茂良さんと出会った。この人とも富士山で旧知の間柄である。TV出演を「見てくれましたか」と聞かれて「NHKの放送だけ」と答える。
ずっと気になっていM夫妻の体調だが、奥さんから「八合目の少し上まで来たが、時間がかかりそうなので今回はここまでにする」と♀ペンのケイタイに連絡が入った。4人で登頂できないのが残念だが致し方がない。
万年雪山荘の横にある雪渓を見ながら登る。早くも登頂を済ませた実川さんが下ってきて、笑顔ですれ違っていった。九合五勺の小屋を過ぎて、最後の胸突き八丁に差しかかる。崩落があったようで去年とはまた道が変わっている。
ゆっくり登り詰めて鳥居を潜り、富士宮口頂上の広場に着く。薄い霧が辺りを包み、少し風もあり薄寒い。若者グループはまだ全員が揃わないようだが、先着の英語の先生らが丁寧に挨拶をしてくれた。
富士館、浅間大社奥宮、山頂郵便局の建物にはどこにも、もたれ掛るようにして座り込む人がいる。奥宮正面扉前の三人は年配者だが、一人は神殿に顔を向けて横に寝転がっている。どうも神社ということをご存じないらしい。仕方なく、その背中に向かって柏手を打って拝礼をすます。
ヘルメットの佐々木さんが降りてきて少し長い立ち話になる。以前、私が海外トレッキングの話をしたのを覚えておられて、高所登山のことを訊ねられた。「これまで富士山しか知らないが、1000回という目標を達成したので、そろそろより高い山へも登ってみたい」ということだった。♀ペンはその間、寒いので早く出発したくて、じりじりしていたようだ。
ヤッケを被って、富士館の横を通り剣ヶ峰に向かう。「このしろ池」の水が土色に濁っている。青空が覗き始めて、霧に隠れていた剣ヶ峰が池に影を写すようになった。
次第に青空が拡がってくる。三島岳の下を回り込むようにして山頂に向かう。年々、山肌が崩れて火口の形がまた変わったように思う。
真っ青な空と白い雲の下、最後の急斜面を上る。ここは「三歩登って二歩下る」状態の今迄より、ずっと歩き良くなったようだ。旧測候所の建物が次第に近づいてくる。
11時15分、山頂。
例年の9月よりは、かなり多い人で賑わっている。お鉢めぐりで白山岳の方から登った来た子供連れもある。
「日本最高峰富士山剣ヶ峰三七七六米」碑で居合わせた人に記念撮影のシャッターを押してもらう。歳を重ねるごとに時間がかかるようになったが、今年も二人でここに立つことができた。私には12度目の登頂になる。
今年は各ポイント毎にゆっくり休息をとったのでそれほど疲れもなく、思ったより楽に登ってこられた。お互いに「よかったね」と笑顔を交わした。