ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

私の関西百山(12) 武奈ヶ岳

2013-10-31 08:28:16 | 私の関西百山

武奈ヶ岳(1214m) <比良山地>
琵琶湖の西岸を南北に走る比良山脈の主峰。中腹にブナの木が多いのが山名の由来とされる。いくつものルートがあり、沢歩き、縦走など様々に楽しませて貰えた。

<初めての幕営>
山を始めた年、職場でも山でも先輩(うち一人はさらに大学の先輩)二人と正面谷を登り、八雲が原で設営。雪が無かったが寒かった。先輩二人から、いろいろ教えられる。初めてテントで寝た。この頃の登山用具は米軍放出のものが多かった。このテントもカーキ色のその手のものだった。ナタを片手に杉の枝を探して廻った。グランドシートの下に敷くのである。タクアンは雪にこすりつけて、手でしごいて洗った。

金糞峠に腰を下ろして、長い間、琵琶湖の光る水面を眺めていた。(1958.12.26)

<バースデーケーキ>
顧問をしていた大阪のS高校山岳部では、秋に一年生を主体にしたパーティで比良に登るのが、年中行事のようになっていた。この年は11月22日が満月なので、夜行で八雲まで入る計画とした。この日はちょうど僕の27才の誕生日でもあった。『18時25分、イン谷口小屋。夕食。この頃より雨止み、満月が雲間から時々顔を覗かせる。琵琶湖に映える月光が美しく、夢のようだ。ただし、少し休んでいると寒さが身に沁みる。』金糞峠を経て20時30分、設営地着。山の家のすぐ横に絶好の幕営地を見つけ設営。夕食を済ませているので、テントを張り、熱い茶を沸かすのみ。『21:45 小さな箱を大事そうに両手に持って、苦労しながら正面谷を登るのを見て、何かなと思っていたが、差し出されてみるとバーズデーケーキだった。思い掛けぬ贈り物に感激する。みんなで僕のテントヘ来て、ハッピー・バーズデー・ツー・ユーを合唱してくれた。』

翌日。朝から雨が雪に変わる。思い掛けぬ降雪でテント撤収、なかなかはかどらず。出発が遅れていたし、予定の南への縦走を止めて、武奈へ行くことにする。頂上は積雪8cm。視界ゼロだった。15:48 イン谷口に下山。(1962.11.22~23)この頃は毎年のように比良に通っていたが、11月下旬になると決まって積雪があった。また野生動物も多く、特に金糞峠近くのサルの群れは、相手になるとどこまでも追いかけてきて木の実などを投げつけてきたりした。

<32年ぶりの武奈ヶ岳>
丸さん夫妻が毎日お宅から眺めている比良山系最高峰へ4人で登る。私たちにとっては若い頃に何度も登っている山だが、実に1981年夏に子供たちと登って以来。しかも西側からは初めてだ。花背トンネルを抜けて坊村の地主神社前へ駐車。登山口は奥の深谷コース、白滝山コース、白谷コースなどの分岐になっている。赤い三宝橋を渡って御殿山コースに入る。

葛川明王院護法堂横から登山道に入ると、いきなりの急登で薄暗い杉林の中を短いジグザグを繰り返しながら、ひたすら登る。尾根上の846mの先で冬道と分かれ、谷を見下ろす山腹の捲き道から別の支尾根に突き当り、広い涸れ沢状のところを登る。冬道と合流して最後の急坂を登りきると御殿山1097mで、初めて北に武奈ヶ岳、南に蓬莱山などの展望が広がった。急な岩交じりの下りでワサビ峠に着き、西南稜と呼ばれる展望の良い尾根道を歩く。三つほどピークを越して肩ノ分岐で東側のコヤマノ岳からの道と合流し、水平な稜線の道を100mほど歩くと、武奈ヶ岳(1214.4m)の頂上だった。



山頂北側の一角に腰を下して豪華な展望を楽しみながらの昼食。北には北東稜の釣瓶岳から蛇谷ヶ峰に続く山並み、その上に滋賀・福井県境の三十三間山、赤坂山、三国山など野坂山地の山々、遠く白く雪を被っているのは加越国境の山々か。北東にはリトル比良の岩阿舎利山、その右に琵琶湖にポツンと浮かぶ竹生島、その向こうには伊吹山が見える。東には釈迦ヶ岳、ヤケオ山の左に琵琶湖が拡がり、沖ノ島が横たわっている。南東には、すぐ近くにコヤマノ岳、その右には打見、蓬莱山など南比良の山々…懐かしい山々を眺めていると、様々な過去の山行が断片的によみがえってくる。「あと何年登れるかな」と自分の年齢を考えて少し感傷的になった気分を振り払い、元の道を忠実に下った。天候と展望と良い仲間に恵まれたお蔭で、それほど辛い思いもせずに歩けて「まだしばらくは山歩きができる」と自信がついた。(2013.5.17)


私の関西百山(11) 蛇谷ヶ峰

2013-10-30 15:16:32 | 私の関西百山

蛇谷ヶ峰(901.7m) <比良山地>

 秀隣院庭園から蛇谷ヶ峰 

【じゃたにがみね】比良山系北部、滋賀県高島郡高島町と朽木村の境にあり、標高902m。山頂東側から高島郡富坂に落ちる谷が蛇谷で、西の朽木側からは、足利時代に造園された周林(秀隣)院庭園の借景として小椋栖山と呼ばれた。

<比良山系北部の展望の山>
鯖街道を北上、朽木市場から入部谷沿いに走り、朽木スキー場から最短コースで山頂を目指す。かって比良の秘境といわれた山も便利になったものだ。ジグザグの繰り返し1時間ほどで、琵琶湖、リトル比良を見下ろす稜線に出る。緩やかな傾斜の道になり、丈の低いクマザサの中を行く。地図の817m地点でスキー場へ下る別の道を分けて、500mも行くと「いきものふれあいの里」への分岐がある。クマザサに囲まれた小広場で、正面に山頂部が見える。最後の急な200mの登り。

簡単に登りついた頂上は、真ん中に三角点のある広場で、やや霞んでいるものの素晴らしい展望だ。北にマキノ方面、東に琵琶湖、リトル比良。南は釈迦ヶ岳、無線中継塔の立つカラ岳、コヤマノ岳、ひときわ高く武奈ヶ岳…。

 山頂より望む比良の山々
全く木陰がないので、記念写真だけ撮って昼食場所を下山途中に求める。分岐まで下り、登りの道と分かれて雑木林に入る。途中の木陰で昼食。急坂の道はあまり歩かれていないようで、落ち葉が堆く積もっていた。木の高いところに布が結わえ付けてあるのでスキーの道らしい。何度もジグザグを繰り返して、スキー場の上部に飛び出した。

まだ午後も早いので朽木の古刹・興聖寺を訪れ、本堂で釈迦如来を拝んだ後、旧秀隣院庭園を拝観する。12代足利将軍義春が三好長基反乱の京から難を避けたとき、管領・細川高国が将軍を慰めるための築庭といわれている。正面に蛇谷ヶ峰を仰ぎ、谷水を引いた池を持つ石庭は思ったより小規模だった。美しい緑の中を走り、坊村の近くで鯖寿司と浜焼きを買って帰った。(2001.5.20) 


私の関西百山(10)  赤坂山と三国山

2013-10-29 16:56:02 | 私の関西百山

三国山(876m)、赤坂山(824m)  <野坂山地>
「みくにやま」は越前・若狭・近江の三国にまたがるのが山名の由来だが、「あかさかやま」は『頂上の南方直下を越える旧街道の粟柄越は赤坂海(ママ)道ともいわれ、それが山名の由来と思われる(松田敏男氏・新日本山岳誌)』。すぐ近くに位置する、同じ日に歩いた二つの山を併記する。

<奥琵琶湖の展望とキンコウカ咲く湿原>
若い頃に何度もスキーに来た懐かしいマキノスキー場。ここから赤坂、三国と縦走して黒河峠から下って来るコースが普通だろうが、この日は時間の都合でマキノ林道入口空地に駐車して、T夫妻と4人でピストンした。黒河峠まで40分の荒れた林道歩き。反対側・敦賀の方からは立派な道が登ってきていて、登山口に案内板と立派なトイレがある。何度か緩いジグザグ道と水平道を繰り返すと、三国湿原。

僅か50m程の間だが、黄金色のキンコウカの花がびっしり咲いている中を木道で通る。ベンチのあるコル状の所を登り返すと三国山への分岐で、右に折れて林の中を行き、最後に急な木の階段を登ると山頂だった。電波塔の建ち並ぶ乗鞍岳が正面に見える。

「明王の禿」へは頭上に見える転落防止の鉄柵めがけて登る。荒々しい断崖に花崗岩の奇岩が立ち並び、琵琶湖の眺めが素晴らしい。正面に目指す赤坂山が富士山形の美しい姿を見せる。コルから明るい笹原の登り。道は急だが、広くて歩きやすくカンカン照りでないので助かる。ホトトギスやウグイスが騒がしいくらいに鳴く。登り切ったと思うともう一登り木の階段がある。それでも思ったより楽に赤坂山に着く。


真ん中に三角点がある広い頂に、たくさんの人が腰を下ろして食事していた。涼風が吹き抜けて爽やかで、すっと汗が引くと寒さすら感じて慌てて着換えをした。展望は360度ですぐ北に三国山、東に乗鞍岳、南に琵琶湖が見える。木製の展望図によると敦賀湾や白山、伊吹、霊仙も見えるようだが、残念ながら雲で遮られていた。

午後になると、次第に空の青い部分が拡がってきて暑さが増した。ときどき流れてくる冷たい風に慰められながら元の道を帰る。期待のキンコウカの花にも出会えたし、結構歩きごたえもあって充実した一日だった。(2000.7.9)
【コースタイム】マキノ林道P9:25…黒河峠10:05~10:15…三国山分岐11:05…三国山11:20~11:25…明王の禿11:55…赤坂山12:15~12:55…三国山分岐13:30…黒河峠14:05~14:15 …マキノ林道P14:45


私の関西百山(9) 西方ヶ岳から栄螺ヶ岳へ

2013-10-28 09:01:51 | 私の関西百山

西方ヶ岳(764m)、栄螺ヶ岳(686m)
敦賀市と美浜町の境界となる敦賀半島の主稜線を構成している二つの山で、すべてが花崗岩でできている。所々で白く風化して美しいアルペン的な風貌を見せる。1992年10月10日に縦走した。

<犬が案内してくれた敦賀の山>

海の見える山に登ろうと妻を誘って1泊の旅に出た。気比の松原を過ぎ、敦賀半島を東海岸沿い北上して常宮神社の駐車場に車を置く。山支度をしていると、宮司さん宅の庭から中型で自茶の斑犬が出てきて、先に立ってトットと歩きだした。人なつっこそうな顔をした、おとなしい雄犬である。西方ガ岳へは海抜0mからの登りである。犬は7、8m先をつかず離れずに歩き、間隔が開くと立ち止まって、振り返って待っていてくれる。



呼べば木霊が返るという鸚鵡岩に来た。犬は岩上に駆け登って「早くおいで、いい景色だよ」と言ワンばかりの顔。

ブナ林の中の七曲がりの急坂を登り、764mの頂上に着いた。しゃれた三角屋根の避難小屋に4人の登山者が先着していて、犬はなにかご馳走をもらっていた。私達は頂上広場に腰を下ろして、湯を沸かし昼食の準備を始める。犬が尻尾を振って跳んできた。「ごめんね。なにもなくて」。パンをちぎって手のひらにのせると、おいしそうに食べる。地元の若いカップルから、この犬がTVでも紹介されたジョンという名の山好き犬、と教えられた。「あなた達は運がいいですよ、1日にせいぜい2組案内するだけですから」。

ここから敦賀半島の背骨にあたる山稜を北へ約2キロの、蝶螺ガ岳への縦走にかかる。小屋の横から熊笹の下り道になる、その入り口でジョンが見送ってくれた。ちょっぴり名残惜しい気がする。「帰りはひとりで山を降りるのだろうか」と話していると、ガサガサと薮を分けて駆け降りてきた。嬉しく思ったが、心配でもある。なにしろ、下山予定地の浦底はジョンの村から山道で8キロ、海岸つたいでも7キロは離れているのだ。「もういいよ、お帰り」。それでも平気で先に立って歩いていく。



縦走路をそれたカモシカ台という大きな岩がある。ここでも、私達にはとても登れない天辺に駆け登って、得意気に見おろしている。なるほど敦賀湾の眺めが素晴らしい。リンドウの群生する尾根道を登り下りしながら蝶螺ガ岳に来た。

 栄螺ヶ岳から西方ヶ岳

休憩の間、ジョンは気持ち良さそうに横たわって、目を閉じていた。ここからは登りにも増して厳しい下り。眼下の海がだんだん近くなる頃、ジョンの姿が見えなくなったが、清流のほとりで待っていた。「この水は飲めるのかな」というと、「大丈夫だよ、ほら」とペロペロなめてみせる。やがて浦底側の登山口に着く。「注意!熊が出没します」という立札がある。とうとう今夜泊まる民宿までついてきた。ご主人に頼んで常宮神社へ車を取りに行くのに一緒に
送ろうとしたが、どうしても乗らない。

常宮神社に行くと、宮司さんの奥さんが花の手入れをしておられる。「ジョンはお宅の犬ですか」「そうですが、ジョンがどうかしましたか」「山を案内してくれて、今、浦底にいます」「あの犬は悪戯が過ぎるので、放っておいたら村中の犬になりました。山が好きでお供したんでしょう。そんなに遠くまで行きましたか」「おかげで助かりました。ありがとうございました」「ジョンが帰ったら、そう伝えておきましょう」。

車で民宿に帰る道で、家路を急ぐジョンを見た。窓を開けて名を呼ぶと、止まって顔を見て歩いて行った。「ジョン、ありがとう。」妻の目が潤んだ。その夜の眠りは2人とも浅かった。ジョンは事故にあわず無事に帰ったろうか。



朝、急いで神社に行ってみた。いた!「ジョン!」ちぎれるように尾を振りながら、腕の中に飛び込んできた。「僕の家はいいところだよ」。広い境内を案内してくれて、手と尾を振りあって別れた。「うちの美鈴(雌の柴犬)と夫婦になれたらいいのにね」。妻が泣き笑いの顔でいった。(雑誌「旅」1993年2月号旅のエチュード欄に投稿、掲載された文章です)
 


私の関西百山(8) 野坂岳

2013-10-27 09:28:30 | 四方山話

野坂岳(914m) <野坂山地>
【のさかだけ】西方ヶ岳、岩籠山とともに敦賀三山の一つ。市街から近く「敦賀市民の山」「敦賀富士」と呼ばれ親しまれている。一等三角点を持つ展望のよい山である。

 

<海風爽やか真夏の敦賀富士>
急に思い立って敦賀の山へ向かう。3時間ほどで「野坂山いこいの森」に着いた。登山口には「野坂嶽大権現由来」の大きな説明板と、登山者ノートが置かれていた。杉林の中の道は広いが最初から急である。テレビ塔への分岐から道は細くなり、沢に沿った草地をジグザグに登って行く。



栃ノ木地蔵は豊かな水量の沢の横に石のお地蔵様が二体。傍らのトチの木に「この水は敦賀の名水です」と記された札がかかっている。冷たくておししい水をたっぷり頂いて、身体の火照りを冷やす。辺りにはヤマジノホトトギスがたくさん咲いている。

じぐざぐ道が終わり尾根に出ると、テレビ塔からの道と合流してやや勾配が緩まる。右手に行者岩を見て、更に少し登ると展望が開け「一の岳」の標識がある小広場に着く。北に懐かしい西方ヶ岳、南にこれから登る野坂岳のピークが見え、眼下には敦賀市街と敦賀湾が手に取るようだ。海から涼しい風が吹き上げてくる。ここから、しばらく登って二ノ岳を通る。今まで降りてくる人に出会ったが、ここからは二人きりの山になった。この辺りはブナの大木が多く、風も通り涼しい。さらに三の岳を通り、最後の急坂を上り詰めると立派な避難小屋があり、そのすぐ上が野坂山頂だった。誰もいない広々とした空間が拡がっている。

台地上の山頂には、一等三角点と展望図がはめ込まれた円い石柱がある。頭上から容赦なく陽が降り注ぐが、吹き飛ばされそうな強い風で暑さはまったく感じない。北に西方ヶ岳、その右に敦賀湾と敦賀市街、東には加越国境の山が霞んでいる。南に赤坂、三国山方面、西には三方五湖と若狭湾と周囲の展望は遮るものがない。ゆっくり眺めを楽しんだが、あまりにも風が強いので昼食は少し先に延ばす。避難小屋の扉を開けて入ると野坂権現が祀られていて、よく手入れが行き届いたきれいな建物だった。敦賀山楽会のノートが備え付けられていて、見ると毎日のように登ってくる常連さんも多いようだ。

来た道を降り、二ノ岳で道脇に腰を下ろし昼食。ブナの大木が並び、涼しい風が吹き渡る。一ノ岳でもう一度、山頂を振り返ってから行者岩に登る。



小さな祠が埋まる大岩の左側、ルンゼ状の急斜面にザイルが張ってあり、岩の上に登れるようになっている。栃ノ木地蔵で空になったペットボトルに敦賀の名水を入れる。登山口近くまで来たとき、単独の女性が登ってきて笑顔で「ご苦労様」と言ってくれた。午後からでも登れる、まさに市民の山にふさわしい山だ。遠来の私たちにも、惜しみなく展望と海風を分け与えてくれたことに感謝して車に帰った。(2003.8.7) 
【コースタイム】登山口(野坂山いこいの森)8:50…栃ノ木地蔵09:20~09:25…行者岩分岐9:55…一ノ岳10:05~10:15…二ノ岳10:37…三ノ岳10:48…野坂岳10:55~11:25…二ノ岳(昼食)11:40~11:55…一ノ岳12:20~12:25…行者岩12:35…栃ノ木地蔵13:00~13:10…登山口13:30

「野坂嶽大権現由来」(登山口の案内板)
かって、この地にやってきた平重盛が「みるたびに富士かとぞ思う野坂山いつも絶やさぬ峰の白雪」と、歌にも詠んだように昔からこの野坂山は「敦賀富士」とも称され、人々に親しみ崇められてきました。この山の頂上までの道を初めて開かれたのは、弘法大師だとも伝えられています。諸国を回っておられた弘法大師が越前の国この敦賀の地まで来られた時、西南の山に美しい紫色の雲がたなびき、まばゆいばかりの光が輝いている様子をご覧になり、「これこそ仏のおわす霊地なり」と光のさすほうめざして登られ、そこで小さな仏像を発見されました。
 以来、この野坂山は「嶽権現」を祀る山として、広く近在近郷に知られ、昔からこの山に登る人のあとが絶えなかったと言われています。

*ひとすじに登りて見れば四つが峰権現ここにおわしますます
*はるばると野坂山坂たずねきて身にあるだけの罪を懺悔す
*ありがたや権現縁起をご和讃に唱え申すは浄土なるらん

(野坂権現像は麓の高庄山宗福寺の境内にある権現堂に安置されており山開きの日には山頂に祀ります)野坂嶽大権現奉賛会


私の関西百山(7) 取立山

2013-10-26 08:32:41 | 私の関西百山

取立山(1307m) <両白山地>

【とりたてやま】福井県勝山市にある標高1307mの山。加越国境に近く、付近にはスキー場が多い。山名の由来は昔、加賀(石川県)から焼畑に入り込むものに対して勝山藩(福井県)が厳しく年貢を取立てたことによる。

<ミズバショウの大群落>
水芭蕉を見に二人で福井の山へ。福井北インターで北陸道を降り、雁ヶ原、六呂師など、何度かスキーに来た懐かしい地名を過ぎる。石川県との境に近い「東山いこいの森」の駐車場に車を置く。



45分で登山口に着き登山届を入れて出発。大滝への道を分け、再び林道を10分ほど登った分岐から山道らしくなるが、岩の崩れたようなゴロゴロした道で歩きにくい。だんだん強くなってきた日差しをまともに受け、額から汗が滴る。大きくジグザグを繰り返して高度を上げると右手が開け、赤兎山や経ヶ岳の辺りだろうか、斑らに雪の残る山が見える。標高差250mほど登ると勾配が弱まり、美しいブナ林の中の気持ち良い尾根道となる。新緑にアカヤシオや白いタムシバが美しい紋様を描く。イワウチワの花が多い小さなピークを越して、取立山三角点に着く。とりあえず乾いた喉をビールで潤す。



到着したときは中腹から上が雲で覆われていた白山が、正面に全容を現わしてくる。残雪の衣を纏い、どっしりとした姿だ。すぐ近くには緑の鉢伏山、大長山へ続く稜線。勝山市街の方はまだうす暗い陰になっている。食事を済ませ、下に見える避難小屋の屋根を目掛けて明るい笹原を下る。ピンクと朱色の二種類のショウジョウバカマが咲いている。



取立平へ降りると、お目当てのミズバショウはすぐ近くの湿地帯に群生していた。その数およそ3000株、ちょうど今が見頃で、純白の包と鮮やかな緑の葉が美しいコントラストを見せる。ロープに沿って群生地の周囲を巡る。残雪から流れ落ちるせせらぎ、足下にはイワウチワ、ショウジョウバカマ、イチリンソウが咲き乱れ、夢のように美しい楽園だ。去りがたい思いを断ち切って下山にかかる。

5分ほど急坂を登ると「こつぶり山」。爽やかな風が吹きすぎていた。林道のように広い整備された道を下る。そこここにアカヤシオが咲き、真紅の蕾もまた美しい。正面の深い谷間にかかる滝を目掛けて行く。滝の下から沢を下る道になり、時にフィックスザイルを伝って大滝に出る。

水量の多い見事な滝で、しぶきで寒いほどだ。道は再び良くなり杉林に入る。さすが豪雪地帯のここの杉は、すべて根元が曲がっていて、それが一列に並んでいるのは異様な感じがした。道終点に帰りコーヒータイムの後、ワラビを狩りながら林道を下る。太くて長いものだけを摘んでも、すぐにスーパーのビニール袋一杯になり、面白いほどの収穫だった。いこいの森から北へ、トンネルを越えると石川県で、白山の登山基地・白峰。正面に白山御前峰が見える温泉宿で泊まることにした。夕食はタラの芽の天ぷらをはじめ、山菜尽くしだった。(1997.5.16)

【コースタイム】(自宅発 6:15 == 東山いこいの森着10:10)
東山いこいの森10:15…林道終点11:00~11:05…取立山12:30~13:15 …取立平13:30~13:55…こつぶり山14:00~14:05…大滝14:55~15:00 …林道終点 15:25~15:45…東山いこいの森 16:30

*近頃はミズバショウのシーズンは人で溢れ、群生地の保護がたいへんと聞くが、この頃はまだまだ静かな山だった。


私の関西百山(6) 赤兎山

2013-10-25 08:58:30 | 私の関西百山

赤兎山(1628.7m)  <両白山地>

【あかうさぎやま】加越国境(石川県白峰村と福井県大野市、勝山市の境)にあり、白山山帯に属する展望にすぐれた山。山頂部に高層湿原がある。なだらかな山容をウサギになぞらえた山名というが、なぜ「赤」が付いているのか…?

<白い残雪にウサギの色は…>

千日山歩渉会(町内と近郊の人で作っている山の会)恒例になっている「十二支の山」、今年は加越国境の赤兎山に登り、白峰温泉で汗を流す計画である。登山口のある林道終点のお地蔵さんに、消防署の人が花を供えていた。今年は雪が多く、昨日やっと車でここまで来られるように整備されたそうだ。3日ほど前に歩いて登ってきた人は、雪で小原峠から先へは進めなかったとも聞いた。長い林道を歩かずにすんだ幸運と、開通作業の人たちの苦労に感謝して歩き出す。

 大長山を背に稜線を行く

明るい林の中を登るうちに次第に雪が多くなり、ときどき踏み抜いて、深いところでは腰まで埋まってしまった。雪の重さで倒れた木を跨いだりして結構、時間がかかる。小原峠は美しい新緑の真っ只中にある。直進すれば西俣谷に下る道、左に大長山への道を分け、赤兎山へは右に直角に曲がる。ここから上はずっと真っ白な雪の斜面。踏み跡も目印も全くないので、ともかく主尾根と思われるところを直登する。ずっと続くブナ林の中でもとりわけ見事な大木の処で振り返る。峠は遙か下になり、その向こうに大長山のピークが見事だ。新緑のブナの梢越しに、まだら模様の白山連峰が青空に浮かんでいる。

ここから胸を突く急斜面をキックステップで登る。幸い雪が柔らかいのでスリップの心配はない。やや勾配がゆるむ頃、土の道にでて同時に傍らの木に赤いビニールテープを見る。ルートが正しかったことに自信を持って、再び雪の斜面を登る。大舟山分岐にくると前方左手に赤兎山の丸みを帯びた頂が見える。ここからは笹原の中、雪の上と土の道が交互に出てくる。気持ちよいそよ風に吹かれ、左手に白山連峰を眺めながらのんびりと尾根を辿る。ウグイスの鳴き声が聞こえる。マンサクが満開の小さなピークを越し、少し行くと赤兎山頂上。遮るもののない眺望が待っていた。

文字通り360度の大展望をほしいままにする。まずは何と言っても、北東から真東にかけての白山連峰。左端の御前峰からいったん下って次の高みの別山へ。三ノ峰、二ノ峰、一ノ峰の連なりは真東に距離が近いだけに主峰に劣らず堂々としている。手前には願教寺山から野伏ヶ岳への稜線。南西に荒島岳が青く浮かび、その右手・西に少し離れて経ヶ岳の姿が大きい。われわれだけで独占するのが勿体ないような豪華な展望を肴に、冷えたビールを飲む。最高に幸せなひととき!

 赤池まであと僅か

食後は赤池まで散歩に行く。正面に白山を見ながら残雪を踏んで笹原を下る。雪の上に動物の糞が落ちている。兎かな?と思っていると雪面との境から笹原へピョンと飛び込む姿があった。山の名と違って灰色のウサギだった。湿原には花の姿はなく、ニッコウキズゲの咲く夏の景色を想像するばかり。…頂上に帰りコーヒータイムを過ごして元の道を下る。

快晴に恵まれ、われわれだけで貸し切りの展望と花の一日だった。そのフィナーレにふさわしく、帰りの林道では往路には気づかなかったサンカヨウの大群落がミヤマキケマン、ニリンソウ、スミレなどの花に混じって私達を見送ってくれていた。(1999.5.14)

【コースタイム】登山口10:50…小原峠11:40~11:50…大舟分岐12:30…赤兎山12:45~13:35…中俣谷源頭13:50…赤兎避難小屋14:00~14:10…赤兎山14:30~14:55…小原峠15:35…登山口16:15


私の関西百山(5) 能郷白山

2013-10-24 08:21:21 | 私の関西百山

5.能郷白山(1617m)  <両白山地>
【のうごうはくさん】山名は白山信仰に基づくが、加賀の白山と区別してこう呼ぶ。山頂に熊野白山権現の社がある。一等三角点があるピークは奥美濃の最高峰。

<奥美濃の盟主・展望の山
冠山に登った後、大野市に下り、銀杏峰登山口にある宝慶寺いこいの村 「大野森林振興センター」に泊る。立派な施設を貸し切りで、運び込んだ食材で豪華な夕食を作り、広い部屋で寝た。夜中、二度激しい雨音がしたが、朝になると昨日にも増して素晴らしい青空が拡がっている。急いで朝食を済ませて50キロ先の温見峠に移動する。ここは標高1020m、福井岐阜の県境である。

今日は根尾村のイベントがあるらしく、駐車スペースを確保するロープが張ってある。早めに着いて良かった。身支度を整えて出発。私が先頭を歩かせて貰う。すぐに林の中の急坂になるが、朝の冷気で汗もかかずに快適に高度を稼ぐ。足元にはオオバユキザサが白い花を風に揺らしている。ひとしきり登ると段のような平地に出て、やれやれと思うととまた急登ということを何度か繰り返す。

 白山

峠から一時間ほど歩いたところで背後の展望が開け、ここで休憩。残雪の白山の右に、薬師から笠、槍穂高と続く北アルプス、さらに乗鞍、御岳、中央アルプス、恵那山…と素晴らしい眺めだ。双眼鏡をお借りして自然の名画をじっくりと鑑賞する。

 頂上を間近に

1492mピークからは笹原の中の道でぐっと楽になった。広い尾根上を緩く登って灌木帯に入るとマイズルソウがいっぱい咲いていて、サンカヨウやエンレイソウもほころび始めている。林を抜けると行く手に頂上へ続く尾根が見える。左手の岐阜県側が急勾配に切れ落ちている。沢に残雪があり、その上の緑の中に真っ赤なアケボノツツジが咲いていた。最後の登りもたいしたことなく、三角点のある頂上に着く。熊笹に囲まれた狭い台地で、笹の上から北アなどが見える。荒島岳は白山の手前で、その左に銀杏峰と部子山が並んでいる。

 白山神社ピーク

しかし、右手に白山神社の祠があるピークがあり、ここよりも更に景色が良さそうだ。笹原の尾根道を南に行くと岐阜側能郷から登ってくる道と出合い、紅のアケボノツツジの向こうに、奥美濃の山並みが拡がって開豁な眺めだ。社の前からは昨日登った冠山が西の金草山の上に見えた。南には伊吹山や金糞岳を望み、鈴鹿の山並みも霞んでいる。素晴らしい展望に満足して下山する。

 根尾村から能郷白山遠望

根尾村の100人ほどの大パーティに次々出会って、その度に道を譲るので時間がかかる。かんかん照りの峠に下りると、根尾村のマイクロバスが4台、それに役員の乗用車などで賑やかになっていた。峠で豪華なランチをとった後、長い道を岐阜側に下り、薄墨桜で有名な「うすずみ温泉」で山の汗を流して一泊山行を終える。両日とも梅雨時には珍しい好天で、しかも空気が澄んで展望がよく何よりだった。いつもながらJACの山行では教えられることが多く、今回もまた非常に充実した二日間だった。(2002.6.9 日曜)

【コースタイム】温見峠07:30…能郷白山09:15~10:00…温見峠11:20


私の関西百山(4) 冠 山

2013-10-23 09:12:11 | 私の関西百山

4.冠 山(1257m) <両白山地>

「両白」とは白山と能郷白山の二山を指す。主峰・白山には大雨の中登ったことや、子熊に出くわしたことなど色んな思い出もあるのだが、「関西の山」というにはちょっと…ということで、このエリアからは4つの山を選んだ。

【かんむりやま】福井・岐阜県境にあり、烏帽子に似た特徴的な山容からこの名がある。高山植物が多いことでも有名。2000年から9年間会員だった日本山岳会関西支部の11名で登った。

<カッコウ鳴く山>
梅雨入り近いのが嘘のような、真っ青な空。北陸道武生ICから43㎞走った「冠山峠」には、大きな石碑を挟んで、左に越前国池田町、右に美濃国徳山村、美濃国藤橋村の二つの標石がある。(徳山村はダムに沈み、今は藤橋村になっている)近くに広い駐車スペースがある。タニウツギの花の上に魁偉な姿の冠山が聳え、ホトトギスが甲高い声で鳴いている。

最初は緩やかな道が次第に登りになる。ブナやナナカマド、ヤマウルシなどの林に入ると、すっと汗が引いていく。カッコウが鳴き交わし、ウグイスも長い囀りで競っている。1156mピークを越すと道は下りになり、その後は何度か登り降りをくり返す。せっかく稼いだ高度が惜しい気がする。木の間から見える冠山の姿が近づいてくる。谷を挟んで頂上に続く平らな尾根が正面に見える。登り返すのは大変だなと思っていると、山腹の捲き道を行くようになり、林を抜けるとパッと視界が開けた。

ここは冠平のすぐ上の分岐で、右にロープを張ったガレ場が見える。平を見下ろしてしばらく休憩した後、ガレ場にかかる。細かいながら足がかりになる岩が露出しているので、ロープは使わずに登れた。その上は草付き状の岩場で、所々にハルリンドウが咲き、イワカガミも咲き残っている。踏み跡が交錯するようになると、すぐに頂上に着いた。遠くから見ると大変なようだったが、冠平から10分ほどしかかかっていない。

頂上には小さな祠と三等三角点があった。この山域に詳しいMさんに山の名前を教えてもらう。北から東へ部子山、姥ヶ岳、明日登る能郷白山。南から西へは蕎麦粒山、不動山、三周ヶ岳、笹ヶ峰…奥美濃は私の知らない山ばかりだ。遠くに見える伊吹山だけが懐かしい。金草岳は峠のすぐ向こうのだけに、すぐ近く見える。しばらく展望を楽しんで冠平へ下る。


笹原の中に草地がありしばらく遊ぶ。谷を隔てた尾根の岩壁が翳ってきたので、急いで峠に下った。(2002.6.8 土曜)
【コースタイム】冠山峠 13:20 …冠平分岐14:15~14:25…冠山14:35~14:50…冠平15:10~15:25…冠山峠16:00


晩秋の斑鳩路(2013.10.22)

2013-10-22 11:24:23 | 花日記

いつでも見られると思っていて、のびのびになっていた法起寺近くのコスモス。
近くまで行く用事があったので、そこに車を置いて少し歩いて見に行きました。



曇り空の平日なのに駐車場には車の数も多く、カメラマンの姿もちらほら。
しかし肝心のコスモスは花期を過ぎて、黒い種子ができているものも多くみられました。

帰りに見た果物や野菜の直売所には、季節の枝豆や柿が置いてあります。そこの張り紙に
「柿喰わにゃ 鐘も鳴るめえ 法隆寺」… なぜか、江戸っ子のベランメエ調でした。