武奈ヶ岳(1214m) <比良山地>
琵琶湖の西岸を南北に走る比良山脈の主峰。中腹にブナの木が多いのが山名の由来とされる。いくつものルートがあり、沢歩き、縦走など様々に楽しませて貰えた。
<初めての幕営>
山を始めた年、職場でも山でも先輩(うち一人はさらに大学の先輩)二人と正面谷を登り、八雲が原で設営。雪が無かったが寒かった。先輩二人から、いろいろ教えられる。初めてテントで寝た。この頃の登山用具は米軍放出のものが多かった。このテントもカーキ色のその手のものだった。ナタを片手に杉の枝を探して廻った。グランドシートの下に敷くのである。タクアンは雪にこすりつけて、手でしごいて洗った。
金糞峠に腰を下ろして、長い間、琵琶湖の光る水面を眺めていた。(1958.12.26)
<バースデーケーキ>
顧問をしていた大阪のS高校山岳部では、秋に一年生を主体にしたパーティで比良に登るのが、年中行事のようになっていた。この年は11月22日が満月なので、夜行で八雲まで入る計画とした。この日はちょうど僕の27才の誕生日でもあった。『18時25分、イン谷口小屋。夕食。この頃より雨止み、満月が雲間から時々顔を覗かせる。琵琶湖に映える月光が美しく、夢のようだ。ただし、少し休んでいると寒さが身に沁みる。』金糞峠を経て20時30分、設営地着。山の家のすぐ横に絶好の幕営地を見つけ設営。夕食を済ませているので、テントを張り、熱い茶を沸かすのみ。『21:45 小さな箱を大事そうに両手に持って、苦労しながら正面谷を登るのを見て、何かなと思っていたが、差し出されてみるとバーズデーケーキだった。思い掛けぬ贈り物に感激する。みんなで僕のテントヘ来て、ハッピー・バーズデー・ツー・ユーを合唱してくれた。』
翌日。朝から雨が雪に変わる。思い掛けぬ降雪でテント撤収、なかなかはかどらず。出発が遅れていたし、予定の南への縦走を止めて、武奈へ行くことにする。頂上は積雪8cm。視界ゼロだった。15:48 イン谷口に下山。(1962.11.22~23)この頃は毎年のように比良に通っていたが、11月下旬になると決まって積雪があった。また野生動物も多く、特に金糞峠近くのサルの群れは、相手になるとどこまでも追いかけてきて木の実などを投げつけてきたりした。
<32年ぶりの武奈ヶ岳>
丸さん夫妻が毎日お宅から眺めている比良山系最高峰へ4人で登る。私たちにとっては若い頃に何度も登っている山だが、実に1981年夏に子供たちと登って以来。しかも西側からは初めてだ。花背トンネルを抜けて坊村の地主神社前へ駐車。登山口は奥の深谷コース、白滝山コース、白谷コースなどの分岐になっている。赤い三宝橋を渡って御殿山コースに入る。
葛川明王院護法堂横から登山道に入ると、いきなりの急登で薄暗い杉林の中を短いジグザグを繰り返しながら、ひたすら登る。尾根上の846mの先で冬道と分かれ、谷を見下ろす山腹の捲き道から別の支尾根に突き当り、広い涸れ沢状のところを登る。冬道と合流して最後の急坂を登りきると御殿山1097mで、初めて北に武奈ヶ岳、南に蓬莱山などの展望が広がった。急な岩交じりの下りでワサビ峠に着き、西南稜と呼ばれる展望の良い尾根道を歩く。三つほどピークを越して肩ノ分岐で東側のコヤマノ岳からの道と合流し、水平な稜線の道を100mほど歩くと、武奈ヶ岳(1214.4m)の頂上だった。
山頂北側の一角に腰を下して豪華な展望を楽しみながらの昼食。北には北東稜の釣瓶岳から蛇谷ヶ峰に続く山並み、その上に滋賀・福井県境の三十三間山、赤坂山、三国山など野坂山地の山々、遠く白く雪を被っているのは加越国境の山々か。北東にはリトル比良の岩阿舎利山、その右に琵琶湖にポツンと浮かぶ竹生島、その向こうには伊吹山が見える。東には釈迦ヶ岳、ヤケオ山の左に琵琶湖が拡がり、沖ノ島が横たわっている。南東には、すぐ近くにコヤマノ岳、その右には打見、蓬莱山など南比良の山々…懐かしい山々を眺めていると、様々な過去の山行が断片的によみがえってくる。「あと何年登れるかな」と自分の年齢を考えて少し感傷的になった気分を振り払い、元の道を忠実に下った。天候と展望と良い仲間に恵まれたお蔭で、それほど辛い思いもせずに歩けて「まだしばらくは山歩きができる」と自信がついた。(2013.5.17)