富士山 1968.7.28~30 (義父、♀ペンと)
晴れて候又曇り候ふじ日記 (其角)
7. 28
山に登って二十数年、若い頃は夏に登る山ではないと決め付けていた富士に50才を過ぎて初めて挑む。つい一週間まえの足の痛み<註.雨の中、北アルプス蝶ヶ岳へ登った>が、まだどこかに残っているようで、ちょっと不安な気もする。7時前に愛車力ローラⅡで家を出て、東名浜名湖SAでウナギの昼食。由比でも、富士川でも晴天なのに富士は姿を見せない。とうとうスカイラインに入る頃からガスが湧いてきて、伊吹のときの感じに似てきた。駐車場で身仕度を整える。前回に懲りて出来るだけ軽装にするため、足もとも山靴に変わるタラスプルバのガントレである。3時10分、新五合目出発。
ときどきガスが流れて冷気が身にしみる。この辺りは植生限界というのに、ハイマツもなく、ひねこびたコメツガとオンタデの白い花が目につくだけ。15分で新6合。義父はここの小屋で杖を買い、以後、各合目ごとに焼き印を押して貰う。標高2600Mの6合(3:25)で草木帯も終わり、あとはガラガラの砂礫のジグザグ道の連続。予想していたとはいえ実に単調で、目を楽しませる何ものもない。このあたりから、新7合にかけてが一番苦しかった。義父と妻は元気そのもの。それでも次第に高度は上がり、いつのまにか宝永山を眼下に見下すようになる。夕日が射し、ぼんやりしていたがプロッケンが出現。新7合(2780m)4時20分、元7合(3010m)5時7分。
遠く見れば秀麗の山攀ぢつつはただ焼石の殺風景の山 (花田比露思)
踏みしめて一歩一歩のわが足のはかどらねどもややに高まる (同上)
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7合を過ぎると岩場混じりの道となり勾配も強まってくる。やっとペースをつかんで金髪のトレッカーに声をかけたりする余裕が出てきた。交替するように義父がしんどそうで、何歩かごとに立止まつて息を入れる。それでも、頑張って当初宿泊予定の8合日(3250m,5:55)はパス、9合を目指す。
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八合目までを遠しと思いしか疲れし足もやや馴れて来ぬ (花田比露思
天候も高山病もまつたく心配なく、高度を増すほどかえって高揚した気分になる。淡いブルーの夕闇が迫るころ、3460mの万年雪山荘に到着(6:50)
小屋は月曜日のためか思ったほどの混雑も無く、カイコ棚にのんびり足を延ばす。素泊まり3000円也。夕食は好きなメニューを選ぶ。卵丼1200円(味噌汁付)、紙コップ入りの熱潤酒600円。あまり食欲なし。
食後、戸外に出ると降るような星空。南の火星も北斗にも手が届きそうで、とくに西空の金星が印象的だ。さきほどの金髪のかわいこちゃんのパーティーに教えてやったが、寒さにたまりかねて、そうそうに引込んでしまった。眼下には案外近く、小田原、御殿場、三島の町の灯が見える。ただし、裾野が広くて町が疎らなためか六甲の夜景の方が美しいと思う。
夜、眠れぬままに下へおりて缶ビールを求め、いろりばたに誘われて主人の話を聞く。山小屋の悪評を払拭するため、懸命に努力している姿勢がうかがわれて、好ましい。従業員も親切なことをお世辞でなくほめたら、只でもうひと缶、ビールを飲ましてくれて、ますます気に入った。深夜になっても、入ってくる人があり、ざわついて、なかなか熟睡できず。
声高に物は語らじほどちかき星の宮人ねむりさむべし (佐々木信網)
7.29
2時頃より、起き出す人があって浅い眠りを覚まされる。3時15分発。すでにライトが行列を作ってゆっくりと山頂を目指して動いている。山肌に電飾が並んだようで夢のように美しい。頭上には、オリオンが傾き、半月も淡く光っている。ときとぎ、眠るように座り込んでいる人を追越すが、夜通し登つてきた人達だろうか。父も今日は元気をとり戻し、ゆっくりしたペースながら着実に登って行く。星ばしが光を失い、黎明の気配か忍び寄ってくるころ9合5勺に着く。ここにも小屋があり、商売熱心だが人のよさそうなおばさんがいた(3590m,3:45)。頂上は直ぐ頭の上、手の届くような近さに見えるのだが、最後の胸付八丁の急登となり、結構時間がかかる。鳥居のすぐ下では、いい若い衆がへたり込んでいた。4時35分、遂に富士宮浅間神社奥宮に達する。大鳥居をくぐり、まず参詣。義父は70才以上の高齢登山者として記名し、記念品を授かる。
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頂の浅間神社に額づきてほつと息づく攀ぢたりなわれも (花田比露思)
社殿の前の頂でご来光を待つ。紫紺の空に金粉を散りばめその中心に真紅の大円が静かに姿を現してくる。
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いま、ここにある幸せを何者かに感謝したくなる荘厳な一瞬。(4時48分) しかし、人々は案外冷めていて別に万歳の声があがる訳でもない。富士館で記念の土産を買い、お鉢巡りに出発。(5:05)
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まず、すぐ前にそびえる剣ケ峰へ向かう。快晴の青空に純自のレーダードームがくっきりと浮きあがっている。左手、大沢のほうに見事な影富士が見下ろせた。急勾配を休みながら登り切り、5時20分に念願の3776M、日本最高峰の剣ケ峰に立つ。vサィンの写真を撮り、10分ほど休んで発つ。
あらたまの年の緒ながく恋ひ恋ひしこれの頂にわが立ちにけり(佐々木信網)
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雷岩のあたりで朝飯。ガスコンロの水がすぐ沸騰したのは気圧のせいか、機能のせいか。最高所でのコーヒーを味わって白山岳へ。稜線通しに忠実に辿つたので、ちょっとした岩登りまで義父にさせてしまった。殆どの人は内輪巡りのルートをとったようで、こちらのコースはがら空きだった。
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白山岳(6:50)では、外人さんと写真をとる。ここからは北方の南アなどが見える筈だが、快晴の割に展望はもうひとつ。わずかに近くの美坂山地らしい山々を望むのみ。
久須志岳、7時5分。ブルトーザーが雪の塊を運んでいた。山中湖らしい湖が鈍く光っている。雲が湧いてきたので先を急ぐ。浅間神社、帰着7時40分。義父に銀命水(300円)を買って貰う。
7時50分、山頂を後にして、ひたすら下る。時折、ドーンと腹に響くような音が下でする。祭りの花火だろうと、義父は言つていたが、どうも雷のようだ。和子もかっての雲の平の雷を思出す。<註.実は裾野にある自衛隊演習場での大砲射撃訓練の音。今でもよく聞こえる>
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9合の小屋に預けていた残りの荷物をザックにつめ、さらに下る。下にくるほど曇ってきたが、自衛隊や高校生の団体、家族づれなど今日も沢山の人が登ってくる。かわいい金髪の女の子が何度も滑りながら、降りているので、歩きかたをコーチしてあげる。教えたとおリヒールから恐る恐る踏みおろしていたが、ちょっと大袈裟にして見せすぎたか。
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新6合に着いて生ぬるいラムネを飲む。さすがに下りは速く11時に新5合に帰り着く。駐車場から見上げるとすでに頂上はおろか、少し上の方まで雲に覆われていた。午後、白糸の滝を見て、富士五湖一周のドライプ。御殿場から東名に入り、清水に泊まる。
7.30
次郎長の生家、梅陰寺、三保の松原、日本平、久能山東照宮、登呂遺跡を巡る。走行距離1000キロを超す。しかし、3日間ともついに富士の全容を見ることはできなかった。
<註.義父は百歳を迎えた今でも元気で、この時の富士登山のことをよく覚えている。焼印を押した金剛杖と白扇は床の間に飾るほど大事にしている>