68 高野山 <紀伊山地西部>
(こうやさん) 高野山は1000m前後の峰々に囲まれた山上の盆地である。空海の開山による真言密教の霊地となり、周囲の山々は八葉蓮華に例えられた。山内は明治まで女人禁制であったため、聖域に入る参道の七つの入口(高野七口)に女性のための籠り堂が建てられ、女性たちはその女人堂を巡って弘法大師御廟を拝んだ。現在はケーブルや車で山上の聖地に登れるが、七口のうち九度山からの町石道を登るのと、奥ノ院の御廟を囲むように位置する摩尼山(1004m)、楊柳山(1009m)、転軸山(910m)の三つの峰、いわゆる高野三山を巡るのが一般的な登山コースである。
【町石道】九度山慈尊院から高野山への表参道である。道しるべとして一町ごとに建てられた五輪卒塔婆形の石柱(もとは木製卒塔婆)が、22キロに180基並んでいる。
2005年、日本山岳会創立100周年、関西支部70周年記念行事が高野山で行われ、記念山行の下見に、4月、この道を登った。前年、「紀伊山地とその参詣道」が世界遺産に指定されたためか、町石道も人が多かった。
枝垂れ桜が満開の慈尊院境内を抜けて、丹生官省符神社へ登る石段途中に「百八十町」と記された最初の町石があった。
雨引山への分岐を過ぎると一里石。この里程塚は町石とは逆に山上に近づくにつれて数字が増えていく。六本杉で丹生都比売神社へ行く道と二手に分かれる。
古峠を過ぎて道が再び合流すると二ツ鳥居が建っている。山上明神社の一の鳥居であり、また丹生都比売神社の遙拝所として、最初は弘法大師が建立したと伝えられる。ゴルフ場の中にある応其池を過ぎると、神田の子安地蔵堂。滝口入道を慕う横笛がこのお堂で恋人を待ち続けたという伝説の地である。雑木林の中をしばらく登ると九十町石があった。ここで半分の行程になる。
笠木峠を左に行けば上古沢駅に下る。直進して車道に出たところが矢立茶屋。あと六十町だが、ここから急な山道の本格的な登りになる。六地蔵、袈裟懸石、押し上げ石など大師伝説が残る暗い杉林を行く。二度ほど車道を横切ったり、歩いたりして最後は大きくジグザグを切る新しい道で大門前の車道に飛び出した。
八町石は案内所前、七町石は弁天岳登り口、六町石は門を潜ったところと大門周辺に集中して町石がある。最後の町石は壇上伽藍手前に柵で囲まれて、杉林の中にひっそり立っていた。
5月は前回登った道を逆にたどる。ケーブル、バスで山上に登り、奥ノ院御廟に参詣して歩き出す。二つ鳥居から八町坂といわれる急坂を天野に下り、丹生都比売神社参拝。ここから六本杉の天野峠に出るのが一般的だが、時間節約のために直接、古峠に登る。社務所の若い神官に教わった田圃道から山に入り、ヒノキ林の中を登る。溝状になった道はかなりの急坂で、ようやく勾配が弱まると町石道の通る古峠に出た。ここから上古沢駅まで、途中で登り返しもあり結構長く感じた。下りが多いハイキングコースと甘く見ていたが、なかなか歩き応えのあるコースだった。
2005年11月5日、北海道から九州までの各地から高野山に集まった遠来の客を高野山駅に迎え、奥の院から壇上伽藍まで三六丁の町石道を案内する。やはり河口慧海師供養塔に関心が集まった。翌6日は夜明け前から激しい雨だったが、「町石道」「高野三山」の二つのコースに別れて出発する頃には小降りになった。Aコース(町石道)のコースリーダーで 26名のパーティの先頭を歩く。最後尾は重廣支部長が締める。一回目は四里石を過ぎた展望台、二度目は矢立茶屋で休憩。名物の焼き餅を土産に買う。九十町石前の杉林で昼食。「二つ鳥居」へは案外楽に登れた。六本杉峠で休憩して、
百六十五町、蛇行する紀ノ川を見下ろす展望台まで来ると青空も覗いてきた。16時、無事九度山駅に到着。遠くから参加された人にも喜んで頂き、係として責任が果たせてほっとした。(「高野三山」に続く)