ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

6月も終わります

2014-06-30 20:35:28 | 今日の大和民俗公園

今日で6月も終わり。あっという間に半年が過ぎました。
今、大和民俗公園ではこんな花が咲いています。
 

クチナシが咲き始めました。〽今では指輪も回るほど…

アジサイはまだまだ見頃です。

ノカンゾウ  「〽ぶっかき氷に焼酎入れて つまみはスルメかエイのひれ」は河島英五の「野風増」 

タイサンボク  鳴動してネズミがでるもは泰山か大山か…でしょう? 

の実 バラバラたくさん落ちてます。「桃栗三年、柿八年、柚の馬鹿野郎十八年、梅はすいすい十六年」でやっと実ったのに…

ヒョウタンの花

実もたくさんぶら下がっています。

しばらく見ていましたが、駒は出ませんでした。

ネジバナ この花が大好きな♀ペンが写しました。あ、彼女の♡がねじれていると言ってるのではありません。

ヒツジクグサ …「未」の刻頃に花を咲ので名付けられたといわれますが、一日中咲いています。

生垣に咲いていた花…名前は「ウ~~ン ペンギン わかんない」 


私の関西百山(68)高野山

2014-06-29 09:36:01 | 私の関西百山

68 高野山 <紀伊山地西部>
(こうやさん) 高野山は1000m前後の峰々に囲まれた山上の盆地である。空海の開山による真言密教の霊地となり、周囲の山々は八葉蓮華に例えられた。山内は明治まで女人禁制であったため、聖域に入る参道の七つの入口(高野七口)に女性のための籠り堂が建てられ、女性たちはその女人堂を巡って弘法大師御廟を拝んだ。現在はケーブルや車で山上の聖地に登れるが、七口のうち九度山からの町石道を登るのと、奥ノ院の御廟を囲むように位置する摩尼山(1004m)、楊柳山(1009m)、転軸山(910m)の三つの峰、いわゆる高野三山を巡るのが一般的な登山コースである。

【町石道】九度山慈尊院から高野山への表参道である。道しるべとして一町ごとに建てられた五輪卒塔婆形の石柱(もとは木製卒塔婆)が、22キロに180基並んでいる。

2005年、日本山岳会創立100周年、関西支部70周年記念行事が高野山で行われ、記念山行の下見に、4月、この道を登った。前年、「紀伊山地とその参詣道」が世界遺産に指定されたためか、町石道も人が多かった。

枝垂れ桜が満開の慈尊院境内を抜けて、丹生官省符神社へ登る石段途中に「百八十町」と記された最初の町石があった。

雨引山への分岐を過ぎると一里石。この里程塚は町石とは逆に山上に近づくにつれて数字が増えていく。六本杉で丹生都比売神社へ行く道と二手に分かれる。

古峠を過ぎて道が再び合流すると二ツ鳥居が建っている。山上明神社の一の鳥居であり、また丹生都比売神社の遙拝所として、最初は弘法大師が建立したと伝えられる。ゴルフ場の中にある応其池を過ぎると、神田の子安地蔵堂。滝口入道を慕う横笛がこのお堂で恋人を待ち続けたという伝説の地である。雑木林の中をしばらく登ると九十町石があった。ここで半分の行程になる。

笠木峠を左に行けば上古沢駅に下る。直進して車道に出たところが矢立茶屋。あと六十町だが、ここから急な山道の本格的な登りになる。六地蔵、袈裟懸石、押し上げ石など大師伝説が残る暗い杉林を行く。二度ほど車道を横切ったり、歩いたりして最後は大きくジグザグを切る新しい道で大門前の車道に飛び出した。

八町石は案内所前、七町石は弁天岳登り口、六町石は門を潜ったところと大門周辺に集中して町石がある。最後の町石は壇上伽藍手前に柵で囲まれて、杉林の中にひっそり立っていた。

5月は前回登った道を逆にたどる。ケーブル、バスで山上に登り、奥ノ院御廟に参詣して歩き出す。二つ鳥居から八町坂といわれる急坂を天野に下り、丹生都比売神社参拝。ここから六本杉の天野峠に出るのが一般的だが、時間節約のために直接、古峠に登る。社務所の若い神官に教わった田圃道から山に入り、ヒノキ林の中を登る。溝状になった道はかなりの急坂で、ようやく勾配が弱まると町石道の通る古峠に出た。ここから上古沢駅まで、途中で登り返しもあり結構長く感じた。下りが多いハイキングコースと甘く見ていたが、なかなか歩き応えのあるコースだった。

2005年11月5日、北海道から九州までの各地から高野山に集まった遠来の客を高野山駅に迎え、奥の院から壇上伽藍まで三六丁の町石道を案内する。やはり河口慧海師供養塔に関心が集まった。翌6日は夜明け前から激しい雨だったが、「町石道」「高野三山」の二つのコースに別れて出発する頃には小降りになった。Aコース(町石道)のコースリーダーで 26名のパーティの先頭を歩く。最後尾は重廣支部長が締める。一回目は四里石を過ぎた展望台、二度目は矢立茶屋で休憩。名物の焼き餅を土産に買う。九十町石前の杉林で昼食。「二つ鳥居」へは案外楽に登れた。六本杉峠で休憩して、

百六十五町、蛇行する紀ノ川を見下ろす展望台まで来ると青空も覗いてきた。16時、無事九度山駅に到着。遠くから参加された人にも喜んで頂き、係として責任が果たせてほっとした。(「高野三山」に続く)


淡路島へ一泊旅行

2014-06-27 17:50:11 | 旅日記

6月25日~26日、近隣の野郎有志会で淡路島へ一泊旅行。
宴会と二次会で23時まで痛飲した翌日は、観潮船・咸臨丸で鳴門渦潮を見て、昼食時にまた飲んで、夕刻、無事帰宅しました。

福良港に係留中の日本丸。

私たちの乗るのは、この咸臨丸。10時50分の出航です。

しばらく波穏やかな港内を航海し、やがて鳴門大橋が見えてきました。

 

大橋の下を通ります。「マストの先が橋桁に触らないのかなあ」 

他の港から来た観潮船が波にもまれています。 

Uターンして再び橋の下を通ります。

潮の流れの一番激しいところ。最高では3mの落差で向こうから此方に落ちてきます。
約1時間半の海風に吹かれながらのクルージングでした。
動画は以下にリンクしています。

https://www.youtube.com/watch?v=nCKRyE8lCtY&feature=youtube_gdata


私の関西百山(67)龍門山

2014-06-25 08:18:06 | 私の関西百山

67 龍門山(756.3m) <紀伊山地西部>
(りゅうもんたけ) 紀の川市。和歌山線粉河駅の南4km、紀ノ川の左岸にあり、南方の和歌山市側からは紀州富士と呼ばれる美しい形に見える。ギフチョウの最南生息地であり、また蛇紋岩の岩場に咲く絶滅危惧種のキイシモツケの群生地として知られている。

1994年6月、キイシモツケの花を見ようと二人で紀州へ向かう。粉河で紀ノ川を渡り、こちら側から見ると大きな丘のような形の龍門山に向う。ミカンやカキ、モモなどの果樹畑の中の曲がりくねった細い道を走り、ぐんぐん高度を上げて小広場になっている一本松に着く。

すでに標高は350mで、ここまで駅から歩くと1時間かかるという。紀ノ川がかなり下に見える。両側からシダや草が覆い被さる道を登る。小さい石仏のを過ぎ、雑木林とアカマツ林の中を登ると勾配が弱まるとネズミサシやヤマウルシも混じる雑木林の中となる。

ぼつぼつシモツケの花が見え出し、最後に一登りで田代峠に着く。下ると黒川への道だが、龍門山へは左の飯盛山から続く稜線を鋭角に右に折れる。なだらかな尾根道を行き、勾配が急になると磁石岩がある。

周囲17m、高さ4mの岩全体が一個の磁石になっているという。紀ノ川を隔てて紀泉高原、和泉山脈が見える。

10分ほどで雑木林が切れると、周囲が明るく開けた756.3m三角点のある頂上に飛び出した。広い緑の草原の周囲に、縁取りのようにシモツケの白い花が満開で、実に美しい。

コデマリに似ているが、イワシモツケ、トサシモツケと3種しかない珍しいものだそうだ。展望は北から東の紀ノ川・和泉方面がよく見える。

下山は北へ中央コースを15分ほど下ると明神岩への分岐がある。蛇紋原という表示があり岩鼻から下を覗く。黒い蛇紋岩が重なった小台地の周囲をキイシモツケが取り囲んでいる。コデマリに似たこの花は蛇紋岩が崩れた土質を好むので、この山に多いそうだ。

少し下ると明神岩で、下を覗くと40m近くありそうで足がすくむ。横には昔、蚕の貯蔵庫だったという暗く深い風穴があり、楠正成が隠れたという伝説が残る。ここからは抉れた道の七曲がりの急降下が続き、ハハコグサやヒメジオンの群れ咲く台地(中央コース登山口)に出る。ここからは林道が一本松に続いている。

2000年6月にはTさん夫妻と4人で同じ田代コースを登った。峠への途中で「ちりなし池」へ寄り道したが、池はすっかり干上がって擂り鉢の底のような草地に岩が散らばっていた。しかしキイシモツケの白い花が回りを取り囲み美しかった(往復約20分)。

この時は帰りに西国三十三番第三番札所の粉河寺へお参りする。近江八景を模したという本堂前の枯山水庭園は赤いツツジと緑の蘇鉄が鮮やかだった。

<参考コースタイム>駐車場9:00…田代峠9:50…磁石岩10:10…頂上10:20~11:10……中央コース入口12:00…駐車場12:15(1995.06.05)


私の関西百山(66)七洞岳

2014-06-23 05:51:08 | 私の関西百山

 66 七洞岳(778.3m) <紀伊山地東部>
(ななほらたけ)別名・白岩岳、松阪市の南にあり、一等三角点を持つ。リアス式の海岸を見下ろす好展望の山である。東側の前項・獅子ヶ岳からの縦走コースの他、西側の藤からと板取からのコースもあるが、私たちは友人夫婦と4人で北側、野原からの最短ルートを登った。 

伊勢自動車道を勢和多気ICで出て、しばらく一般道を走り、野原新田から尾合川に沿った林道を行く。林道分岐横の広場に車を置く。「七洞岳登山口」の方向を示す立派な標識と、山の神の祠がある。祠の横で橋を渡り、所々で瀬を作って水飛沫をあげる清流を右に見ながら、林道を登る。数分で小さな山小屋があるところが登山口である。早目に家を出たが、すでに10時半近くなっている。飛び石伝いに対岸に渡り、ヒノキやスギの植林の中を登っていく。急坂だが道はしっかりしていて、かなりよく歩かれているようだ。

植林を抜けると傾斜が弱まって山腹を左に捲くようになる。辺りは雑木林に変わり、ジグザグに登っていくと梢越しに下の景色が拡がってくる。獅子ヶ岳から続く稜線に出て、ツゲやアセビの中の道をしばらく登ると大きな露岩の上に出た。惜しみなく日の光を浴びて暖かく、絶好の休憩場所である。行く手・西側には目指す七洞岳の頂き、反対側には獅子ヶ岳が手に取るように見える。その右手には白い船を浮かべる伊勢の海。いつまでも見飽きない展望だが、腰を上げて頂上へ向かう。

 獅子ヶ岳を背に

途中で小さいピークを越すが、樹木の間を10分あまりで大きく開けた広い頂上に着いた。周囲の木が切り開かれていて360度遮るものもない。北東に獅子ヶ岳、西から北西にかけて雪を被った大台ヶ原から高見山へ続く台高の峰々、三峰山、局ヶ岳の鋭鋒…。そして伊勢平野とリアス式海岸の眺め。山頂には一等三角点とたくさんの山名板、そして立派な木彫り枠に飾られた大きな鏡まであった。展望岩で昼食を済ませ、同じ道の下りは思ったより早く、30分で駐車場所に帰った。

左から高見山、三峰山、局ヶ岳(中央)…遠くに大洞山

【コースタイム】林道分岐10:20…登山口10:25…展望岩11:15~11:30…七洞岳山頂11:45~12:00…展望岩(昼食)12:05~12:55…登山口13:25(2000.04.01)


スーパートール・あべのハルカス(2014.06.19)

2014-06-21 08:06:49 | Weblog

大阪舞洲ゆり園を見た帰り、かねてから♀ペンが行きたがっていた「あべのハルカス」へ行きました。300m以上の高さを持ち世界基準を満たす超高層ビル、わが国初のスーパートールも、3月7日の全面開業から三か月あまり、そろそろ混雑も一段落かと予想していたのですが、なんの何の…

チケットを買うに並び…2階からこの16階へのエレベータでも長い列…最上階へ行くのにまたまた並んでいます。

高速のエレベータに乗ると、あっという間に60階の展望フロアに。足元をみると目がくらみそうな地上300mの展望が待っています。これは北の眺め、まっすぐ伸びるのは谷町筋、左の緑は天王寺公園、中央の緑は四天王寺…遠くに北摂の山々が霞んでいます。

天王寺公園、美術館、動物園はすぐ足の下…

♀ペンが望遠で写した通天閣。足元低くに見えます。

南側真下の眺め…あべの筋を走る阪堺線、その右にはあべのキューズタウン、少し上の赤いビルは「あべのベルタ」。
その先には♀ペンの故郷…堺市の市役所ビルも。

南東の景色…中央奥に広がる緑の中に白い建物が見えるのは長居競技場、変愚院の生まれたのは左端中央のもう少し左です。二人の元の職場のある辺りや、色々なランドマークを見つけては子供のように喜んで、楽しいひとときを過ごせました。

2階下った58階の天空庭園から見上げたあと、名残を惜しみながら下界へ降り立ちました。


海風にそよぐ200万輪のユリ(2014.06.21)

2014-06-20 14:32:30 | 旅日記

大阪舞洲ゆり園のユリが見頃と知って梅雨の晴れ間に出かけました。西九条でゆめ咲線に乗った乗客のうち、若い人たちがユニバーサルシティ駅で下車すると、残った中高年組は殆どがゆり園へ向かうようです。桜島駅を降りるとバス乗り場には既に長い行列ができていました。暑い日差しの中ようやく2台目のバスに乗車して、吊革にすがって揺られること20数分、ロッジ舞洲前に到着。

数分歩いて到着したゲート前では、入場券を買うのにまた行列。

ようやく入場して海を見下ろす歩道を歩きます。まずは色んな花の咲く「ミックスゾーン」から

ジグザグに花の並ぶ「ジグザグゾーン」を見て歩き…

ジグザグゾーンの端から一段下へ下ります。快晴で真夏の陽射しですが爽やかな海風が心地よく、それほど暑さは感じません。

ここからは大阪湾に沿って引き返す感じで歩きます。海との間には色別にユリが植えられています。これは「イエローゾーン」

ピンクゾーン

そして色々な種類の花が縞模様を描くボーダーゾーン

園内一周1.1km、約40分、ゆっくりと花たちを見て歩き、また行列に並び、満員のバスに揺られて帰りました。


率川神社ゆり祭り(2014.06.17)

2014-06-18 12:25:34 | 旅日記

大神神社(三輪明神)の摂社・率川(いさかわ)神社で毎年6月17日に行われる三枝祭(さいぐさまつり)は「ゆり祭り」として知られています。この神事は文武天皇の大宝元年(701)制定の「大宝令」に、既に国家の祭祀として規定され以後1000年以上も続いている由緒ある神事です。

祭神ヒメタタライスズヒメノミコトが三輪山麓の狭井で育ったことから、当時そこに咲いていたササユリの花でお供えの酒樽を飾ります。現在は3日前に行った大神神社の「ささゆり園」で丹精込めて育てられ、昨16日に率川神社に奉献されました。黒酒(濁り酒)と白酒(清酒)の他、山や川の恵みの産物が神饌として神前に供えられます。

境内には「ささゆり奉賛会」など関係者用の大きなテントが張られ、われわれ一般参拝者はその後ろから拝観します。1時間ほど前に付きましたので、幸い正面の蛙石の前に立つことができました。

午後には七媛女(ななひめ)とお稚児さんの市内行列がありますが、社務所の前ではその準備が行われていました。

10時30分、いよいよ神事が始まります。

神官に続いて4人の巫女さんが神前に進みます。

神官の参拝、祝詞の後、参拝者へのお祓い

そして御神酒、神饌を奉献します。

四人の巫女さんによる御神楽奉納

姫神様も故郷に咲いたササユリの芳香を愛でておられることでしょう。

美しい古代絵巻を見るような一時間を夢のように過ごして家路につきました。

umokaze