ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

6月の山で咲く花 ~ 6.尾瀬の花

2013-06-23 12:08:57 | 大和郡山歳時記

昨年(2012)の6月24日は尾瀬にいました。山には登らず鳩待峠~尾瀬ヶ原牛首分岐の短い往復でしたが、この日出会った花たちの一部を見て頂きます。(去年このBLOGで見て頂いたものと同じ、バックナンバーです)

マイズルソウ 舞鶴草 
葉を2枚拡げている姿を鶴が舞う姿に見た名前。ユキザサに似ていますが葉の幅が広いのが特徴です。(鳩待峠~山の鼻)


クルマバツクバネソウ 車羽衝羽根草
ツクバネソウは輪生した4枚の葉を羽根つきの羽根に例えた名前ですが、こちらは葉の数が8枚あります。花の様子もツクバネソウに比べて少し変わっています。(鳩待峠~山の鼻)


ノビネチドリ 延根千鳥
上の写真は「ユリ科」の植物ですが、この花はラン科。高い山でよく見るハクサンチドリと同じランの仲間です。(山の鼻)


シラネアオイ 白根葵
ニリンソウもフクジュソウもこの花と同じキンポウゲ科というのが面白いと思います。先月、金剛山で群落で咲いているのを見ましたが、ここでは一輪だけ咲き残って淋しそうでした。雪の多い山が好きな花だそうです。(山の鼻)


オオバタチツボスミレ 大葉立坪菫
スミレの仲間はよく似ていて見分けるのが難しいですが、地上茎のよく伸びるのと葉の上にすぐ葉の付くものに大別できます。黄スミレなど花色でも分かりますが、同じように地上茎が長く色がスミレ色となると同定は難しいです。この花の名はガイドさんに教えて貰いました。「自然探訪 関東・東京を歩く」という本の「尾瀬」の項に、「尾瀬は北方系植物の南限地」で、このオオバタチツボスミレはエゾリンドウやナガバノモウセンゴケとともにその代表という記述があります。(上田代)


ナガバノモウセンゴケ 長葉の毛氈苔
薄赤い色で広がりカーペットを拡げたように見えます。赤い色は葉の表面の繊毛で、ここから粘り気のある液を出して虫を捕らえる食虫植物です。夏になると小さい白い花を咲かせます。(上田代)


ズミ 酢実
酸っぱい実がなるのでズミ?大きくなると10m近くにもなります。コリンゴ(小林檎),コナシ(小梨)ともいうようにリンゴの仲間で野生種です。一面に白い花を咲かせて見事でした。(上田代)


ヒメシャクナゲ 姫石楠花
小さい草花のようですが、高層湿原に生育するれっきとした樹木です。花柄をのばし下向きにスズランのように可憐な花を咲かせていました。(上田代)


レンゲツツジ 蓮華躑躅
北海道から九州まで何処ででも見られるお馴染みのツツジです。東北でベコツツジ、ウマツツジという別名があるのは、植物全体が有毒で牛や馬に害があることからきたとか…。木道の間にも色鮮やかに咲いていました。(上田代)


ミツガシワ 三槲
三枚の葉の形が柏の葉に似ています。家紋のミツガシワは「三つ柏」で元の柏の葉の方だと思いますが…(ガイドさんはこの花が起源と言っていました)。


タテヤマリンドウ 立山竜胆
ハルリンドウのうち、花がやや小型で色も薄いものを初めて発見された立山に因んでこう呼びます。「山渓・山の花」でも、尾瀬のものが写真で出ていました。


ワタスゲ 綿菅
白いのは花後のタンポポと同じような綿毛(正しくは花被片)です。風に乗って種子を運ばれて子孫を残す…自然の知恵の大きさに驚きます。


リュウキンカ 立金花
名の通り黄金色の花を付けた茎を立てています。よく似た花で茎を寝かせたエンコウソウ(猿猴草)もあります。どちらも花弁はなく、花のように見えるのは萼片です。


ミズバショウ 水芭蕉
何といっても尾瀬を代表する大スター。もう花期には遅いと諦めていましたが、まだ白い苞を付けて待っていてくれた花がありました。普通にミズバショウの花と言われるのは、この舟のような形の「仏炎苞」で、仏様の背負っておられる後背に見立てたものです。本当の花は中央の花序に密生する3ミリほどの小さな小さな粒つぶです。
ミズバショウは戸隠を始め、あちこちで出会いましたが、やはり尾瀬で出会えたことは嬉しかったです。他にもニッコウキスゲなど花期には早かったものや、オゼコウホネ(葉)など写真に撮れなかった花もあります。また機会を見つけて、今度はもっとゆっくり花たちと対面したいと願っています。


6月の山で咲く花 ~ 5.シャクナゲ

2013-06-22 08:35:46 | 大和郡山歳時記

シャクナゲ 石楠花 ツツジ科ツツジ属
日本の山地で自生しているだけでも、アズマシャクナゲ、ホソバシャクナゲ、キシャクナゲなどたくさんの種類がありますが、ここでご紹介する大峰・大台山系の花はホンシャクナゲという種類です。


最初に少し古い写真を見てください。1995年6月1日に義父母と登った大台ケ原の日出ヶ岳。山頂駐車場から4~50分で登れる山ではありますが、この時の父は84歳、母は80歳です。
   1972年に北八ヶ岳を縦走して初めて山らしい山に登った父母は、その後、木曽駒・宝剣、富士山、本白根山と私達と一緒に登りました。その間には二上山などで足慣らしもしています。102歳と98歳になった今も元気なのは、山のお蔭だと口癖のように言ってくれます。



変愚院が定年になった年、これまで時期的に逃していた大台のシャクナゲを見ようと誘いました。山頂で柵に囲まれていたシャクナゲを見て、大杉谷の方に向かって降りて行きます。


ホンシャクナゲの群生する道をシャクナゲ平に下ると、真紅の蕾、満開の花と目も眩むような光景。殆ど人の通らない、花に囲まれた小さな空き地で弁当を食べました。山頂に引き返し正木が原へ向かいます。


その時の山日記に「次々に登ってくる人たちが疲れ果てた様子なのに、わが両親の元気なこと」。しっかりした足取りで尾鷲辻から駐車場へ周遊しました。

その後も大台ヶ原には何度も訪れましたが、2011年6月9日、久しぶりにシャクナゲ平へ降りてみました。この日も「平」では花が残っていましたが、大蛇からシオカラ谷へ下る道では花の時期を過ぎていました。


これは6月の稲村ヶ岳のシャクナゲです。2003年6月6日、大峰登山の玄関口・洞川から法力峠、山上辻を経て山頂へピストンしました。これより26年前の5月には途中、大日岳のキレットからシャクナゲの群生の中をかき分けて、頂上に出たのですが、キレット付近は崩壊が進んで通れなくなっていました。

写真は山頂近くなって、鎖やハシゴが出てくる頃。ようやく出会った咲き残ったシャクナゲです。
大峰山系では5月中旬~下旬が花の盛りです。この時期には何度もシャクナゲに出会っています。


特に奥駆道には石楠花岳というピークもあり、素晴らしいシャクナゲのトンネルを体験しました。他にもあちこちで満開の花に長い縦走の疲れを癒されました。写真は聖誠無漏岳の下りのシャクナゲ林。このような花の間を縫うように急坂を下ると持経宿に着きます。


シャクナゲの原産地はブータン、ネパールの山岳地帯と言われています。ネパールではラリグラスと呼ばれ国花になるほどで、見上げるような大木が密生していて3~4月には全山が真っ赤に染まります。写真はゴラパニから下る途中、尾根の頭(3262m)のシャクナゲ(1997.03.31)。♀ペンと二人の個人トレッキングでした。右は山岳ガイドのミン君、背後の高い山はダウラギリ(8167m)、右端はアンナプルナサウスです。29日夜から雪が降り、30日は停滞を余儀なくされましたが、その代償のように白雪と真紅のラリグラスという思いがけぬ光景に出会えました。私たちには忘れられぬシャクナゲの想い出です。


お城まつり(2013.04.05)

2013-04-05 17:11:30 | 大和郡山歳時記

明日から雨の予報に、大和郡山城址のサクラを見に行きました。

朝9時を過ぎたばかりですが、駅からお城へ続く道には観光客らしい姿も何人か見えます。


花に埋まれた追手向櫓と追手門が内堀に影を落としています。


追手門には豊臣家の家紋・五三桐が金色に光っています。大和郡山城は筒井順慶の築城ですが、その後、秀吉の弟・大納言秀長の居城となりました。秀長が多武峰から移植した御殿桜が郡山城のサクラのはじめと言われています。


その後、享保9年に柳沢吉里が甲府から大和郡山に国替えになり、15万石で入封しました。その頃からサクラが補植されて家臣、町民ともに花を楽しんだといいます。背後の神社は本丸跡にある吉里を祀る柳沢神社です。


雪洞の下に小学生たちの描いた「お城まつり」の絵が掲げられています。樹の向こうに青い色が見えるのは、夜桜を楽しむグループの場所取りのシートです。


この上に天守閣がありました。この時期はぐるりを大きな数珠が取り囲んでいて登ることはできません。
筒井順慶が織田信長に命じられて大和郡山城を築くとき、大量の石材が必要なために奈良の寺院の石塔や石仏まで集められました。お城まつりには、その霊を慰めるために「数珠繰り法要」が行われます。この大数珠の長さは162m、1080個あります。


花を供えてある奥には頭を下に逆さに埋まった形の「逆さ地蔵」様が拝めます。


内堀を隔ててみた城跡会館(旧奈良県立図書館・明治時代の建築) と東隅櫓。現在、城址のサクラは約3000本といわれ「日本桜100選」に選ばれています。しかし、殆どが明治時代に植えられたもので近年は多くの木に衰えが見られます。そこで市では新しい樹を植え始めています。


今年は例年より開花が一週間早く、散り始めた花びらがお堀に浮かんでいます。1時間ほど城内を歩いて柳沢神社の正面鳥居から露店の並ぶ道に出ました。観光バスからのツァー客らしい団体などで次第に賑やかになったお城を後にしました。


大和な雛まつり(3)

2013-03-02 18:25:05 | 大和郡山歳時記

明日は楽しい雛祭り。今日は義妹夫婦と4人で郡山の町巡りをしました。紺屋町は昔は紺屋さんが並びこの堀で紺染の布を晒したところです。


大納言秀長の幼名「こちく」を店名にしたお土産屋さん。左のビニール張りの「金魚すくい道場」も有名です。




「こちくや」の店先のお雛様


堀を挟んでお向かいにあるクリーニング屋さん「奈良屋」のお雛様


箱本十三町は秀長から認可された自治組織です。紺屋町もその一つ。箱本館は江戸時代から続く藍染商の町屋を改修し公開しているのが箱本館「紺屋」(瓦屋根の建物)です


藍染めに関する様々な資料を展示しているほか、藍染めの体験もできます。


「紺屋」のお雛様

 

園融寺は融通念仏宗の寺院で、赤膚焼の名匠・奥田木白の墓があります。


その園融寺のお雛様


園融寺近くの鈴木家のお雛様。徳川時代中期の内裏様(享保雛)


徳川後期の三人官女(宮中の女官)と三人衛士(仕丁ともいいます。三人いるのは笑い上戸、泣き上戸、怒り上戸とか)。

 


続・大和な雛まつり

2013-03-01 15:58:29 | 大和郡山歳時記

 

川本家から元の参道に帰り、源九郎稲荷神社を訪ねました。


赤い鳥居を潜り参拝します。拝殿から神殿を見たところ。



ここは歌舞伎の「義経千本桜」に登場する源九郎狐ゆかりの神社です。


そのため芸能関係者の崇拝も篤く、昨2012年9月には中村勘九郎さんが、また今年2月1日には松竹座の公演で「狐忠信」(源九郎狐)を演じた市川猿之助さんが参拝されています。


この神社には現在、神主さんが不在で、お近くの中川さんご夫妻はじめ何人かの方がお守りされています。


社務所の前の床几に腰を掛けるように勧めて下さった中川さんから、色々とお話を伺いました。





この古いお雛様は花街だった頃の廓のイトさんコイさんたちのもの。他の人形などは全て中川さんの奥様の手作りです。




「白狐お渡り」は昭和初年頃、この神社の地続きの洞泉寺町の遊郭の楼主たちが中心となって始まった行事で、白狐の面を被った行列がお囃子と共に市内を練り歩いたといいます。


戦争などで中断されていた行事は、昭和53年に大和郡山市青年会議所などによって復活し、中川さんはそれ以来、40年も「白狐お渡り」行事の世話役を続けておられます。これから子供たちの笛や踊りの指導で忙しくなると笑っておられました。(上の2枚の写真と文の一部は、当BLOG2007年4月の記事より再録しました)

お忙しい中を長い間いろいろ説明してくださった中川さん、ありがとうございました。


大和な雛まつり

2013-02-28 19:24:14 | 大和郡山歳時記

大和郡山旧市街地で「大和な雛まつり」が開かれています。
今年でまだ2回目と歴史は浅いのですが、町屋、商店、神社、寺院まで各所に飾られたお雛様は由緒あるものも多く、見応えがあります。


2月26日、春の日差しを浴びながら「お雛様巡り」を楽しみました。
まず昨年は非公開日で観られなかった「旧川本家」のお雛様を見るため洞泉寺町へ向かいます。この町は写真の突き当りにある洞泉寺の門前町でしたが今も細い縦格子の表窓がある家や、木造3階建てなど古い町並みが残っています。


このお家は今は駄菓子屋さんですが、 この町は古くからの「傾城町」、つまり遊郭のあったところで、近くの(東)岡町と奈良の木辻と並んで奈良の三大遊郭といわれました。


「士風に悪影響あり」と元和七年(1622 )頃にはいったんすべて取り払われましたが、その後の相次ぐ大火で元禄の頃に復活、昭和31年に売春防止法が指定されるまで遊客で賑わっていました。今日は格子越しにお雛様を見ます。


洞泉寺への途中で右に折れると大正13年建築の木造三階建ての「旧川本楼」があります。


往時を偲ばせる明り取り窓…よく「ハートの窓」と紹介されますが、本当は桃の形とボランティア・ガイドの方から伺いました。


空き家になっていたものを10年ほど前に大和郡山市が買い取り、補修を加え保存しています。


美しく飾られた玄関

玄関(右の出口側座敷)の七段飾り。


二階に上がると昔の面影を偲ばせる小部屋が並び、どの部屋にもお雛様が飾られています。


圧巻はなんといっても3階に続く階段に飾られた14段の雛飾り。八組のお雛様がずらりと並んでいます。


このお雛様はすべて市内の各家から不要になったお雛様を寄贈されたものです。




一階へ降りる階段の上のお雛様


吹き抜けの坪庭。他にも独特の珍しい建築様式が見られますが、今回はお雛様をご紹介するのを主眼にしていますので割愛しました。