伊勢代参犬
前回の「代参犬・こんぴら狗」の金毘羅参りよりも以前から、飼い主の代わりに伊勢神宮に詣でた犬は数多くいた。文献資料を基に日本人と犬との関わりを研究してきた仁科邦夫の「犬の伊勢参り」(平凡社新書」には『犬の金毘羅参りは、犬の伊勢参りに触発されて始まったと思われる…』と記されている。
私が「伊勢代参犬」のことを初めて知ったのは、正月の伊勢参宮の帰りに「おかげ横丁」を歩いた時だった。
おかげ横丁のシンボルともいえる「おかげ座・神話の館」の往時の様子を再現したジオラマで、「おかげ犬」を見た。「おかげ参り」の人の側に首に縄を捲き、御幣を付けた白犬が歩いている。
また総合案内所でもある「おみやげや」で売っていた「おかげ横丁のおかげ犬」という縁起物は首の縄に赤い布袋を下げている。
「犬の伊勢参り」他色んな文献を見ると、江戸時代には何年かに一度(式年遷宮など)、熱狂的に伊勢参りの人が増えることがあった。これが「おかげ参り」と呼ばれるようになったのは明和8年で、それまでは「ぬけ参り」と呼ばれていた。皇大神宮の御札が降ったというような噂が広まると、子供は親に、妻は亭主に、奉公人は主人に無断で集団で伊勢を目指す。それで「抜け参り」というが、明和8年からは「おかげ(陰)参り」というようになった。
代参犬が現れたのはこの年からで(文献上は)、抜け参りをしたくても行けない人が犬に代参をさせたのが始まりと思われる。この時の犬の飼い主の名前も外宮の神官によって記録されている。やがて犬の代参は普通に見られるようになり、首に付けた袋に路銀を入れて伊勢参りの集団に加えてやると、参宮する奇特な犬だということで宿泊費や食費を取らずに、船にも無料で乗せて貰い無事、参宮する。神宮ではお祓い札を授けられ、帰りは次々と村役の引継ぎで(増えて重くなったお金や荷物も運んで貰う)大事に保護されながら帰ってくる。最長距離は津軽黒石からの往復2400㎞という記録も残っている(「犬の伊勢参り」)。
代参犬は「白」が多い。実際に代参した中には他の色の犬もいた筈だが、記録に残っている犬は殆ど白である。これは汚れを嫌う神宮に、かっては禁制だった犬を入れるのに、せめてもの清浄さを表すためかも知れない。明治4年の最後の代参犬もシロという名だった。私の干支である戌年の初詣で授かった、お伊勢さんの土鈴の犬は土色である。ただし、これは綱も袋も付けていないので、代参犬ではない。