「週刊ベースボール」の別冊ですかね。セ・パ両リーグ誕生70年を記念して刊行されるようです(全10巻)。
これを書いてる時点で、PART1と2が出てます。1が85年、2が86年のプロ野球シーンを特集しています。
まずはPART1から。
上の画像のとおり、この年はランディ・バースと阪神タイガースの年ですよね。
ただ、そのバースも阪神も、必ずしも独走ではなかったようです。
バースは序盤、不調でした。この年、三冠王になる彼が、です。で、復調のきっかけとなったのが、
バックスクリーン三連発。
三番・バース、四番・掛布、五番・岡田が、巨人の槇原から放った連続ホームランですが、逆に言えば、バースはこのシーズン、それまでは波に乗れてなかったってことになります。
また、阪神の優勝も、決して「ぶっちぎり」というわけでもなく、夏場(高校野球による『死のロード』期間は、しょうがないけど)なんかは首位から陥落してんだよね。
また、バックスクリーン三連発の試合も、終盤に原、クロマティに連続ホームラン食らって、追い上げられてるんだってね。
正直、「阪神がぶっちぎりではなかった」というのは覚えてたけど、「バースはシーズン序盤、不調」「三連発の試合は苦戦だった」っていうのは、印象になかったなぁ。
それでも、阪神はなんだかんだでリーグ優勝し、日本シリーズも西武を破って、日本一に輝いています。85年の阪神打線は、たしかに凄かった。
一方、パ・リーグも、落合博満が三冠王に輝いています。
ちなみに、バースも落合も、この年と翌年、二年連続で三冠王なんですよね。
85,6年のこのふたりは、手をつけられませんよ(笑)。ってか、落合なんて、西武戦で、満塁なのに敬遠されたんじゃなかったかな?
ってか、85年は全体的に打高投低だったと思います。それを差し引いても、このふたりは半端なかったよなぁ。翌年は一転、投高打低に戻ったのに、ふたりとも三冠王取ってるし。
続きまして、PART2(86年)。
この年はなんといっても、
清原和博でしょう。
いや、数字だけ見れば、三冠王のふたり、クロマティ、ブーマー、そして同じチームの秋山幸二らになるのでしょう。
けど、
高卒ルーキーで、3割30本よ。
しかも、前年までは甲子園のスター。そりゃ、夢がありますよ。「どんだけのスーパースターになるのか?」といった期待感が。
そんな清原も、生涯成績においては、数字的には申し分ないのですが・・・タイトルが取れなかったこともあり、どうしても「期待外れ」みたいな印象を与えることになっちゃうんですよね。
オレは充分に凄いとは思うけど・・・強いていうなら、「本来はテクニックとパワーの折衷型だった」「それがパワー重視になりすぎて、プロレスラーみたいな体を作った」「結果、それまで負担のなかった体の特定部分に大きな負荷がかかり、怪我が多くなった」って感じで、方向性を見誤ってしまったのかな、と。
まあ、オレ個人の憶測にすぎませんが。
ともかく、その後の彼の行いなんかもね・・・プロ入り後、最初は結果が出なかったけど、当時の森監督に辛抱して使ってもらえるうちに開花して――まあ、1年目から活躍できたわけだし、周囲も彼を特別扱いしたところもあるだろうし・・・そういうのも一因ではあるんでしょうかね。
ただ、名選手であったことは間違いありません。
この80年代半ば辺りから、プロ野球の人気、話題は巨人から分散していった気がしますね。
70年代はまだON、そして80年代前半は江川卓が球界の中心だったといえるでしょう。すなわち、巨人の主砲たちとエースが。
まあ、江川の場合は「賛否両論」でしたが(笑)。
ともかく、「巨人一極集中」が崩れていった最初の時期なのかな、と。
もちろん、それまでも関西は阪神の人気が高かったですし、広島や中日もそれぞれの地元ではね。
ただ、全国区だったのは巨人のみだったのではないでしょうか。それがほかのチームも、セ・パ関係なく、全国区で話題に上がるようになっていったというか。
まあ、本格的にそうなるのは90年代以降になるんですが・・・そういう風潮のきっかけになった時代、とくにバース、落合、清原の活躍は、そのきっかけになったといえると思います。
ちなみに、「前時代のスター」になりつつあった江川ですが、85年はボロボロでしたよね。11勝止まりで、防御率は5点台。
もう前年辺りから、明らかに球威が落ちてましたからね。
ただ、86年は復活して、16勝の防御率2点台。まあ、これが「最後の輝き」になってしまい、翌年に引退することになりますが。
って、「明らかに球威が落ちてた前年(この場合、84年)」でも15勝、引退に追い込まれた翌年(同じく、87年)」でも13勝してんのが、なんか江川らしい(『不調でも勝ち方を知っている』というか『帳尻合わせるのが上手い』というか/笑)。