コロナ禍、天変地異、世界の混乱は、
私たちへの警鐘である
人類の叡智『竹内文書』は単なる歴史書ではありません
人がこの世を生きていくために本当に必要な智慧を伝える
「実践のための書」なのです
先が見通せない令和の時代になり
神の導きを求めて
皇祖皇太神宮にご参拝される方が増えています
参拝がかなわない方のために
この令和新装版を刊行することとなりました
このような時だからこそ
禍を恐れ嘆くのではなく
神の啓示と受け取り
『竹内文書』に触れることで
自分に与えられた役割・天命はなんなのか
ということを改めて考えていただきたいと思います
(「令和新装版・はじめに」より)
歴史の区分において
石器時代より
はるか前に
天神(てんじん)七代・上古(じょうこ)二十五代・不合朝(ふきあえずちょう)七十三代・神倭朝(かんやまとちょう)が
存在していたらしい
日本の義務教育では
まずもって
学ぶことはないですよね
存在したな否かは
この際置いといて
あったら
それはそれで
面白いと言うか
ワクワクしてくる
内容ではある
天皇(すめらのみこと)が
この世を創世し
世界に散らばる神々の元は
天皇である
神代文字と思しき文字が
世界のいたるところに存在しているのは
偽りではなく
そうなると
かつては
何かしら
共通するモノ(或いはコト)が
あった可能性があって
少なくとも
地球上で
ひとつの民族の中で
同じ血族の皇族(皇室)が
存在するのは
日本だけ
差別かどうかはさておき
格づけからしても
首相<大統領<国王<法王<皇帝<天皇と
天皇が最も上位に位置してることからして
多分
大昔から
特別な
存在と言うか
ポジションに
あったんだろう
と思わざるを得ない
天皇崇拝する気はないけれど
精神的な意味合いで
少なくとも
現天皇まで
特別な存在であるのは事実
なので
『竹内文書』で語られてる話は
それなりに
納得させられる
宗教は依存するものではなく
心のよりどころであり
自身が
自立した存在として
生きていけるようにするために
あるモノ
五感を研ぎ澄ます(=己の感覚に敏感であるよう心掛ける)
「気」を常に整え
「勘(感)」を鍛える
そうすれば
モノ・人・タイミング諸々に対して
より良い「間」=距離感を生み出せる
それが
運に繋がる
言霊(ことだま)・音魂(おとだま)・色霊(いろだま)
それらの重要性
についても
とても
真っ当な
解説だなぁ~
と思わせる
興味深い
一冊でした
ただですね
現実問題として
少なくとも
今上天皇の後
日本の
皇族存在自体が
危うい訳です
象徴としての
権威は落ち
品位・品格は失われる
日本人自身が
心から敬う存在として
認めなくなる
少なくとも
私は
認めない
となると
皇祖皇太神宮・第六十八代管長
竹内康裕氏の
努力も
無駄に終わるんかなぁ~
と思うわけです
と言う事で
小生は
引き続き
今上天皇・皇后さま
愛子さま
上皇・上皇后さまが
1日でも長く
心身ともに穏やかに
健やかに
過ごせるよに
毎日
欠かすことなく
神棚に
祈ろうと思います
私たちへの警鐘である
人類の叡智『竹内文書』は単なる歴史書ではありません
人がこの世を生きていくために本当に必要な智慧を伝える
「実践のための書」なのです
先が見通せない令和の時代になり
神の導きを求めて
皇祖皇太神宮にご参拝される方が増えています
参拝がかなわない方のために
この令和新装版を刊行することとなりました
このような時だからこそ
禍を恐れ嘆くのではなく
神の啓示と受け取り
『竹内文書』に触れることで
自分に与えられた役割・天命はなんなのか
ということを改めて考えていただきたいと思います
(「令和新装版・はじめに」より)
歴史の区分において
石器時代より
はるか前に
天神(てんじん)七代・上古(じょうこ)二十五代・不合朝(ふきあえずちょう)七十三代・神倭朝(かんやまとちょう)が
存在していたらしい
日本の義務教育では
まずもって
学ぶことはないですよね
存在したな否かは
この際置いといて
あったら
それはそれで
面白いと言うか
ワクワクしてくる
内容ではある
天皇(すめらのみこと)が
この世を創世し
世界に散らばる神々の元は
天皇である
神代文字と思しき文字が
世界のいたるところに存在しているのは
偽りではなく
そうなると
かつては
何かしら
共通するモノ(或いはコト)が
あった可能性があって
少なくとも
地球上で
ひとつの民族の中で
同じ血族の皇族(皇室)が
存在するのは
日本だけ
差別かどうかはさておき
格づけからしても
首相<大統領<国王<法王<皇帝<天皇と
天皇が最も上位に位置してることからして
多分
大昔から
特別な
存在と言うか
ポジションに
あったんだろう
と思わざるを得ない
天皇崇拝する気はないけれど
精神的な意味合いで
少なくとも
現天皇まで
特別な存在であるのは事実
なので
『竹内文書』で語られてる話は
それなりに
納得させられる
宗教は依存するものではなく
心のよりどころであり
自身が
自立した存在として
生きていけるようにするために
あるモノ
五感を研ぎ澄ます(=己の感覚に敏感であるよう心掛ける)
「気」を常に整え
「勘(感)」を鍛える
そうすれば
モノ・人・タイミング諸々に対して
より良い「間」=距離感を生み出せる
それが
運に繋がる
言霊(ことだま)・音魂(おとだま)・色霊(いろだま)
それらの重要性
についても
とても
真っ当な
解説だなぁ~
と思わせる
興味深い
一冊でした
ただですね
現実問題として
少なくとも
今上天皇の後
日本の
皇族存在自体が
危うい訳です
象徴としての
権威は落ち
品位・品格は失われる
日本人自身が
心から敬う存在として
認めなくなる
少なくとも
私は
認めない
となると
皇祖皇太神宮・第六十八代管長
竹内康裕氏の
努力も
無駄に終わるんかなぁ~
と思うわけです
と言う事で
小生は
引き続き
今上天皇・皇后さま
愛子さま
上皇・上皇后さまが
1日でも長く
心身ともに穏やかに
健やかに
過ごせるよに
毎日
欠かすことなく
神棚に
祈ろうと思います