[news] ドラマ「ジャイアント」のパク・サンミンインタビュー
先日、ちょっと書いた「ジャイアント」の主人公の兄を演じているパク・サンミン。今日は、彼にまつわる思い出話を。
今から20年近くも前の話です。今、某大学の先生のO君から電話があり「映画の仕事をしませんか」と言われました。「将軍の息子」という映画で日本語翻訳と監修の仕事があるということ。彼も第2編を担当したのですが帰国することになり、他の人を探しているとの事。これがきっかけになり、その年の3月ごろから6月ごろまで担当しました。
まず、チュンムロにある映画会社の事務所でシナリオの翻訳をします。でも、今回はシナリオが完成していないため、結局撮影しながらの翻訳になってしまいました。撮影が始まると、日本語の出てくる場面は全て立ち会って、ちゃんと日本語を話しているかのチェックをします。同時録音ではありませんでしたが、後でセリフを録音する時、口の形があっていないとだめなので、かなり厳しくチェックをしました。そして、最期はスタジオでの録音です。当時は俳優以外の声優を使うケースが多かったようで、「将軍の息子」も全てアテレコです。日本人役は韓国にいる日本人や、劇団関係で経験のある人を日本から呼んで行いました。(当時は秘密でしたが、もう時効でしょうから書いておきましょう)
日本にいたとき、ドキュメンタリー映画の製作にはちょっと首を突っ込んだことがあったので、映画自体にはなじみがあり、おかげで楽しい経験をしました。でも、当時の韓国映画のレベルはまだまだ手作りの段階で、本当にこれでいいのというところもかなりありました。
アクションシーンでのスタントマンも俳優の背格好とちょっと違うので、大丈夫かなと思いました。そのため、顔が映らない角度からのアクションシーンが多かったはずです。拳銃を撃つシーンも花火程度の火薬なので、さみしいなと思ったこともありましたっけ。音入れするスタジオもボリューム程度があるミキシングで、音質もあんまりでしたね。これは、日本から来た声優の人が言っていたこと。
でも、楽しいこともたくさんありましたよ。何と言っても食事の時間は最高でした。近くの食堂から食事を運んできて、臨時のテーブルで立ったまま食べましたが、美味しかったですね。また、何よりもイム・クォンテク監督やイ・テウォン社長たちの話も興味深いものがありましたし、何箇所かロケにも同行しました。そういえば、林親分の家は釜山にある料理屋で行ったのでした。映画の中にすき焼きが登場しますが、あれ、僕が作ったのでした。
映画が完成した後、数年ぐらいは3~4人のスタッフや俳優と時々会ってお酒を飲んだりしていたのですが、僕が日本語を教えだして忙しくなってからは、会えなくなりました。みんな今頃、どうしているのかな、と思っていたとき、「ジャイアント」でパク・サンミンが華麗に復活したので、みんな喜んでいるでしょう。彼も、僕のことなど覚えていないでしょうが、これからも頑張ってほしいです。
実は、第2編にはO教授が、第3編には僕が出ています。「将軍の息子」、今からみるとちょっと古いところもありますが、でも、まだまだ面白い所もたくさんあります。ぜひ、探してみてください。
先日、ちょっと書いた「ジャイアント」の主人公の兄を演じているパク・サンミン。今日は、彼にまつわる思い出話を。
今から20年近くも前の話です。今、某大学の先生のO君から電話があり「映画の仕事をしませんか」と言われました。「将軍の息子」という映画で日本語翻訳と監修の仕事があるということ。彼も第2編を担当したのですが帰国することになり、他の人を探しているとの事。これがきっかけになり、その年の3月ごろから6月ごろまで担当しました。
まず、チュンムロにある映画会社の事務所でシナリオの翻訳をします。でも、今回はシナリオが完成していないため、結局撮影しながらの翻訳になってしまいました。撮影が始まると、日本語の出てくる場面は全て立ち会って、ちゃんと日本語を話しているかのチェックをします。同時録音ではありませんでしたが、後でセリフを録音する時、口の形があっていないとだめなので、かなり厳しくチェックをしました。そして、最期はスタジオでの録音です。当時は俳優以外の声優を使うケースが多かったようで、「将軍の息子」も全てアテレコです。日本人役は韓国にいる日本人や、劇団関係で経験のある人を日本から呼んで行いました。(当時は秘密でしたが、もう時効でしょうから書いておきましょう)
日本にいたとき、ドキュメンタリー映画の製作にはちょっと首を突っ込んだことがあったので、映画自体にはなじみがあり、おかげで楽しい経験をしました。でも、当時の韓国映画のレベルはまだまだ手作りの段階で、本当にこれでいいのというところもかなりありました。
アクションシーンでのスタントマンも俳優の背格好とちょっと違うので、大丈夫かなと思いました。そのため、顔が映らない角度からのアクションシーンが多かったはずです。拳銃を撃つシーンも花火程度の火薬なので、さみしいなと思ったこともありましたっけ。音入れするスタジオもボリューム程度があるミキシングで、音質もあんまりでしたね。これは、日本から来た声優の人が言っていたこと。
でも、楽しいこともたくさんありましたよ。何と言っても食事の時間は最高でした。近くの食堂から食事を運んできて、臨時のテーブルで立ったまま食べましたが、美味しかったですね。また、何よりもイム・クォンテク監督やイ・テウォン社長たちの話も興味深いものがありましたし、何箇所かロケにも同行しました。そういえば、林親分の家は釜山にある料理屋で行ったのでした。映画の中にすき焼きが登場しますが、あれ、僕が作ったのでした。
映画が完成した後、数年ぐらいは3~4人のスタッフや俳優と時々会ってお酒を飲んだりしていたのですが、僕が日本語を教えだして忙しくなってからは、会えなくなりました。みんな今頃、どうしているのかな、と思っていたとき、「ジャイアント」でパク・サンミンが華麗に復活したので、みんな喜んでいるでしょう。彼も、僕のことなど覚えていないでしょうが、これからも頑張ってほしいです。
実は、第2編にはO教授が、第3編には僕が出ています。「将軍の息子」、今からみるとちょっと古いところもありますが、でも、まだまだ面白い所もたくさんあります。ぜひ、探してみてください。
