さて、23日の土曜日は日韓こども湿地交流事業のイベントが行われました。以前、このブログでも紹介しましたが、今年の夏は藤前干潟の子供たち(ガタレンジャーJr)14名が韓国のウポ沼とチュナム貯水池、そしてナクトンガンの河口を訪れましたが、今回はチャンウォンから10名、ナクトンガンから4名の韓国のこどもたちが、22日から25日の日程で、名古屋を訪れたのでした。
今回は昨日のシンポジウムや24日のNGO会議などのため、こども湿地交流には今日だけ参加することになったわけです。23日は熱田神宮公園のフェスティバルゾーンにあるCBD市民ネットの大テントで午前と午後の2回、韓国の子供たちが4大河川に反対するパフォーマンスをするというので、見に行きました。
ナクトンガンの河川敷の湿地で一休みしようとしたナベヅルやマナヅルたち。でも4大河川事業の浚渫工事で去年まで途中の休憩地として使っていた湿地は無くなってしまい、エサを食べられなくてばたばたと倒れていきます。
子供たちのパフォーマンスを見ようと多くの人たちが来てくれました。手前に座っているのが、今回の交流事業の中心メンバーの1人であるイ・インシク先生。
終わってからテントの前でみんなで記念写真。誰が日本人で誰が韓国人か、よく分りませんね。
この日の夜は日韓合同の食事会。もう、みんな仲良しになって、片言の英語や韓国語でコミュニケーションをしています。
翌日の24日は、ラムネットと世界湿地ネットワークの共催の国際シンポジウム。「生物多様性と湿地の保全に関する世界NGO会議」というのが正式タイトル。生物多様性条約事務局やラムサール条約事務局などからもゲストが発表してくれて、とても内容のある会議だったという感じです。僕は聞くだけの予定でしたが、急遽、日韓の同時通訳をやることになり、冷や汗をかきましたが、まあ、いつも聞いている話が多いので、どうにかこなせました。
では、写真を紹介しましょう(通訳をしていない時に撮ったものです)
まず、ラムサール事務局のニック・デビッドソン。おなじラムサール仲間というわけで、かなり本音のところを発言している印象を受けました。特に、今回の生物多様性会議で水のことに十分に触れられていないのは問題で、ラムサール条約の立場から水の重要性を主張すべきだという発言はとても説得力がありました。本当は会議があるので、すぐに本会議場に戻る予定でしたが、その会議が中止になり、結局、夜の交流会まで一緒にいました。
世界湿地ネットワークのクリス・ロストロン。2008年のチャンウォンのラムサールCOP10の時、スタートした世界湿地ネットワーク(WWN)の議長です。今回のNGO会議がWWNの最初のイベントで、この会議でも中心になって議論を引っ張っていました。
ラムネット事務局の菅波さん。彼とはこの1ヶ月の間、ソウル、長崎、名古屋と3箇所で会っていますが、いつも忙しく落ち着いて話をしていませんね。今度は来年の日韓湿地フォーラムで会えると思うので、そのときはゆっくり話しましょう。
ラムネットの共同代表の柏木さん、というか日本のNGOを代表していますね、最近は。2008年の4月に韓国のアンミョン島で柏木さんとマ・ヨンウンさんと会ったのが最初の出会い。この2人のおかげで僕は湿地保全運動にはまってしまったのです。
KWNN(韓国湿地NGOネットワーク)のメンバーで、PGA湿地生態研究所のハン・ドンウックさん。彼とは佐渡から一緒で、1週間の間、一緒に過ごしたことになります。
これから3枚が会議の後の交流会の様子です。佐渡で貰った日本酒を振舞ったら、ラテンアメリカから来ている○○さん(名前が分らない)が日本酒を気に入ったようで、次の日も美味しかったと言ってくれました。
この写真の中でちょっと太めなのがルーマニアのピーターです。22日の夜、手羽先をつぎつぎと食べていた彼です。
一番左がセマングムのチュ・ヨンギさん。オランダのルーク、ガンビアのバブカー、クリスなどが写っています。この交流会の最期に二つの「特別イベント」が行われました。一つは、長崎から来た諫早訴訟の支援の人(すみません、どなたでしたっけ)が日本左翼の伝統芸である「ガンバロー」をいっしょにやり、もう一つは、最期のスピーチをそれぞれの国の言葉でやったので、英語だけでなく、スペイン語、オランダ語、ルーマニア語、ガンビア語(?)などが飛び出し、世界のNGOが集まった会議にふさわしいエンディングになりました。
おまけ:この後、慶尚南道のコソン郡の人たちから呼び出され、名古屋駅までいきラムサール環境財団のイ・チャヌ博士やイ・インシク先生などとまた飲みました。おかげで、コソン郡の郡守(いわば郡長ですね)が生物多様性の重要性を今まで以上に感じたと、あとから聞きました。
今回は昨日のシンポジウムや24日のNGO会議などのため、こども湿地交流には今日だけ参加することになったわけです。23日は熱田神宮公園のフェスティバルゾーンにあるCBD市民ネットの大テントで午前と午後の2回、韓国の子供たちが4大河川に反対するパフォーマンスをするというので、見に行きました。
ナクトンガンの河川敷の湿地で一休みしようとしたナベヅルやマナヅルたち。でも4大河川事業の浚渫工事で去年まで途中の休憩地として使っていた湿地は無くなってしまい、エサを食べられなくてばたばたと倒れていきます。
子供たちのパフォーマンスを見ようと多くの人たちが来てくれました。手前に座っているのが、今回の交流事業の中心メンバーの1人であるイ・インシク先生。
終わってからテントの前でみんなで記念写真。誰が日本人で誰が韓国人か、よく分りませんね。
この日の夜は日韓合同の食事会。もう、みんな仲良しになって、片言の英語や韓国語でコミュニケーションをしています。
翌日の24日は、ラムネットと世界湿地ネットワークの共催の国際シンポジウム。「生物多様性と湿地の保全に関する世界NGO会議」というのが正式タイトル。生物多様性条約事務局やラムサール条約事務局などからもゲストが発表してくれて、とても内容のある会議だったという感じです。僕は聞くだけの予定でしたが、急遽、日韓の同時通訳をやることになり、冷や汗をかきましたが、まあ、いつも聞いている話が多いので、どうにかこなせました。
では、写真を紹介しましょう(通訳をしていない時に撮ったものです)
まず、ラムサール事務局のニック・デビッドソン。おなじラムサール仲間というわけで、かなり本音のところを発言している印象を受けました。特に、今回の生物多様性会議で水のことに十分に触れられていないのは問題で、ラムサール条約の立場から水の重要性を主張すべきだという発言はとても説得力がありました。本当は会議があるので、すぐに本会議場に戻る予定でしたが、その会議が中止になり、結局、夜の交流会まで一緒にいました。
世界湿地ネットワークのクリス・ロストロン。2008年のチャンウォンのラムサールCOP10の時、スタートした世界湿地ネットワーク(WWN)の議長です。今回のNGO会議がWWNの最初のイベントで、この会議でも中心になって議論を引っ張っていました。
ラムネット事務局の菅波さん。彼とはこの1ヶ月の間、ソウル、長崎、名古屋と3箇所で会っていますが、いつも忙しく落ち着いて話をしていませんね。今度は来年の日韓湿地フォーラムで会えると思うので、そのときはゆっくり話しましょう。
ラムネットの共同代表の柏木さん、というか日本のNGOを代表していますね、最近は。2008年の4月に韓国のアンミョン島で柏木さんとマ・ヨンウンさんと会ったのが最初の出会い。この2人のおかげで僕は湿地保全運動にはまってしまったのです。
KWNN(韓国湿地NGOネットワーク)のメンバーで、PGA湿地生態研究所のハン・ドンウックさん。彼とは佐渡から一緒で、1週間の間、一緒に過ごしたことになります。
これから3枚が会議の後の交流会の様子です。佐渡で貰った日本酒を振舞ったら、ラテンアメリカから来ている○○さん(名前が分らない)が日本酒を気に入ったようで、次の日も美味しかったと言ってくれました。
この写真の中でちょっと太めなのがルーマニアのピーターです。22日の夜、手羽先をつぎつぎと食べていた彼です。
一番左がセマングムのチュ・ヨンギさん。オランダのルーク、ガンビアのバブカー、クリスなどが写っています。この交流会の最期に二つの「特別イベント」が行われました。一つは、長崎から来た諫早訴訟の支援の人(すみません、どなたでしたっけ)が日本左翼の伝統芸である「ガンバロー」をいっしょにやり、もう一つは、最期のスピーチをそれぞれの国の言葉でやったので、英語だけでなく、スペイン語、オランダ語、ルーマニア語、ガンビア語(?)などが飛び出し、世界のNGOが集まった会議にふさわしいエンディングになりました。
おまけ:この後、慶尚南道のコソン郡の人たちから呼び出され、名古屋駅までいきラムサール環境財団のイ・チャヌ博士やイ・インシク先生などとまた飲みました。おかげで、コソン郡の郡守(いわば郡長ですね)が生物多様性の重要性を今まで以上に感じたと、あとから聞きました。