庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

自由の試薬

2007-02-22 13:51:00 | 大空
The most certain test by which we judge whether a country is really free is the amount of security enjoyed by minorities. Liberty, by this definition, is the essential condition and guardian of Religion;
- Lord Acton

ある国家が真に自由であるかどうかの確実な試薬は少数者が享受する安全の量にある。この定義によれば、自由は宗教の基本的な条件であり保護者である・・
- アクトン卿


これは、アクトンが1887年の2月に行ったu演の一部。「権力は腐敗する・・・」と看破したこの人物については、少なからぬ思い入れがあるので、この“The History of Freedom in Antiquity"の講演を全部、 仮題『古代の自由史』として末オてみることにした。

訳を進めるに連れて自らの教養・素養の無さを痛感してはいるが、これはいつものことなのでどういうことはない。同時進行で勉強をすればよいだけのことだ。

しかし、ほんとうに西欧を知るにはどうしてもラテン語・ギリシャ語の世界に多少は脚を突っ込む必要がある。加藤周一は電車の中でラテン語をマスターしたらしい。有限の人生、限られた時間でどこまでできるか分からんけど、これもちょっと楽しみながらやってみようか・・・と思っているところ。

私の青春前期はこの人の影響が大きい。


高翼・レシプロ

2007-02-07 19:22:42 | 大空
今日はほぼ10日ぶりのサイクリング・・・といってもちょっと距離のある自転車散歩だ。自転車でのんびりブラつくことを、最近では“ャ^リング”と言うらしいが、私の場合、道中かなりの距離を積極的に自転車押しながら歩くのだから、まさに自転車+散歩で“自転車散歩”と呼ぶのがふさわしい。

さて、お気に入りのコースの途中には松山空港がある。私はいわゆる航空マニアではないので、必要なとき以外はあんまり航空機に注意することはない。ところが、今日のは私好みのレシプロ・高翼機。これがジェット機をしのぐ勢いで上昇していく。こんなのが松山空港から飛んでるのかぁ・・・最近のレシプロは力があるなぁ・・・などと感心しながら機体にカメラを向け、あっという間に高度を上げて春霞のような薄雲を突っ切っていく姿をしばらく眺めていた。



家に帰って調べてみたら、これが松山空港からは朝昼晩と3便しか出ないフォッカーのF50という機種であり、やはりなかなかの性能だということが分かった。ちょっと貴重な出会いをしたわけだ。

便名 松山 → 中部国際 機種
●ANA 1822 09:50 → 11:10 F50
●ANA 1826 13:30 → 14:50 F50
■ANA 1828 20:40 → 22:00 F50



ところで、飛行機に初めて乗るという経験は私にとっても当然大事件だったはずなのだが、ここ松山空港のYS-11ということ以外、いつの何の用事だったのか、明確に思い出せないのはなんでだろう・・・。

今日の自転車散歩のもう一つの驚きは、街中の小さな田んぼにレンゲ草が咲いていたこと!おいおい、いかに暖冬とはいえまだ2月の頭だぞ。



飛行理論

2007-02-06 23:14:20 | 大空
何故か管理不能となった別のブログに寝かせていた「飛行理論の覚書き」の記事を、まとめてこちらの「飛行理論」のカテゴリに移動した。

基本的に、無線誘導なしの単独フライトが可能となった段階の教習生向けに、思い付いたまま「覚書き風」に書き連らねているもので、なんら体系的なものではない。

一般的な飛行理論や航空力学、更には航空気象、航法などについては、その道の専門書がいくらでもあって、屋上屋を架すような興味も能力も私にはないのだが、ただ、巷間出回っている理論書の大半は固定翼を前提にしたもので、その理論内容を空気の圧力そのもので翼形を成す“エアロフォイル(軟体翼)”の世界に応用する場合は少しの工夫を必要とする。

そして、あらゆる普遍的理論が生命を持つのは、一回限りの具体的体験においてであり、その体験一つ一つが集積されてある程度の分量を持つようになると、今度はその体験の側から理論を眺めるようになる。

そうすると、ときどき理論と経験がずれる場合が出てくる。それは大概、勉強不足か経験不足が原因なのだが、極めて稀にそうとも言い切れない場合がある。

理論と実践は車の両輪である・・・とはよく言われることであるが、生きた経験の側から自分のフライトスタイルにとってほんとうに必要な理論を再構築してみたい・・・というのが私の夢の一つである。

リンドバーグ

2007-02-04 23:57:11 | 大空
Man must feel the earth to know himself and recognize his values... God made life simple. It is man who complicates it.
- Charles Lindbergh

我々は自分自身を知るために大地を感じ取り、その(自分自身の)価値を認識しなければなければならない。神は生命を分かりやすいものとして創った。それを複雑にしているのは人間である。
- チャールズ・リンドバーグ




今日はC・リンドバーグの誕生日だ。航空という現代文明の先端を走り続けてきた彼は、やがてその文明の鋭い批判者になり、飛行機と鳥のどちらを選ぶ?と聞かれたら鳥を選ぶ、と答えるほどのナチュラリストになる。

1974年の夏に72歳で亡くなった彼の簡素な墓はオアフ島にあり、緑と海に囲まれたその地は鳥たちの楽園でもある。

カモメのジョナサン

2006-11-18 09:55:51 | 大空
昨日、いつもの海岸で凧揚げの練習をしていたら、カモメが完全に単独でサーマルソアリングをしていた!!これは極めて珍しいことで、まずほとんどのカモメは群れるし、リッジ(斜面上昇風)を使うことはあってもサーマル(熱上昇風)に興味を示すことは滅多にない。

天気は快晴、暖かい。風は北西、サイドオン2m前後の微風。弱い海岸性前線みたいなものができていたのかもしれない。河口の先端の干潟上空50mあたりで左旋回しているのを見つけた。

これは珍しい・・・とじっくり観察することにした。5分間ほど一度も羽ばたくことなくそのままユックリ1旋回10秒程度のペースで回し続け、陸方向に200mほど流されながら100mほどゲイン(上昇)して、直線滑空で海上に抜け、再び左旋回で上げ始めた。トンビの旋回と比べるとやや滑らかさに欠けるが、いずれにしても見事なセンタリングだ。

R・バックの「カモメのジョナサン」はカモメ社会の非難と嘲笑を浴びながら飛行の可能性をどこまでも追求し、終には「瞬間移動の術」を身に付けることになるのだが、こいつもたった一羽でソアリングの術を窮めようとしているのかもしれんなぁ・・・などと思いながらしばらく眺めていた。


防波堤のリッジで遊ぶカモメ

ところで、人間に聞き手利き腕があるように彼らに“利き旋回”があるのかどうか・・・ちょっと興味深いテーマだ。今まで出合ったトンビの類は、状況に合わせて巧みに左右を使い分けているように見える。ちなみに私自身は地上では左旋回、空中では右旋回だ。(これにはプロペラのトルクリアクションの影響が大きい)

北方への旅 総ルビ

2006-10-14 19:42:46 | 大空
深澤正策訳の『北方への旅』にざっと目を通した。これも手ごたえのある末曹セ。使われている漢字は旧字体ながら、総ルビのおかげで何の無理もなく読み進めることができる。

定価は一円五十銭。きつねうどんが一杯10銭、新聞の月額が90銭の時代だから、今の物価で5000円ほどの感覚だろうか。しっかりした装丁の表紙に文字はなくリンドバーグ夫妻の水上機(シリウス号)の平面図がクッキリと刻印してある。一体どれほどの人がこの本を読んだのだろう・・・世界恐慌まっただ中で喘いでいた多くの庶民が簡単に買えたとは思えない。

ちなみに、明治以降、膨大な外来語の当て字や筆者の意図する漢字の読み方として、新聞・雑誌など書籍類は全てルビがふってあったのだが、1938年に山本有三がルビ廃止を提唱し、それを政府が真に受けて「ふり仮名禁止令」に至り、1946年の当用漢字表告示で原則使われなくなった、という歴史がある。

山本がどういう理由でルビの廃止を言い出したのか知らないが、よく言われる若者、のみならず私も含めて現代人多数の漢字力の拙さは悲しいばかりだ。私はその原因の一つが、この「ルビ廃止」あるような気がしてならない。ルビによる読み仮名があればどんな複雑な漢字もちょっとひねった言い回しも筆者は読者に遠慮することなく使えるわけだし、読者も抵抗なく読めるわけだから、良いことずくめのように思われる。あえて難点をあげるとすれば、出版社の手間がかかるということのみではないだろうか。

ともあれ、昭和初期の深澤氏の末{を表から裏まで眺めながら、激動の70年間で変わったこと変わらないことに暫(しば)し思いを致すことにした。

北方への旅

2006-10-10 20:26:17 | 大空
『翼よ、北に』の感想文を書く前に、最初の末早w北方への旅』に目を通しておきたいと思った。戦前の、とうに絶版になっている本を探すのは通常容易ではない。この数年行きつけのネット書店アマゾンにも置いていない。探し回った末、それは県立図書館にあった。


昭和6年・・・日本がひとたび炎熱の地獄に落ちて国家の体を失うことになる僅か14年前、リンドバーグ夫妻は北極圏を経て訪れた日本に一ヶ月近く滞在することになる。1931年の7月27日にニューヨークを発って9月19日中国の南京に到着するまでの二ヶ月に満たない行程の半分をこの国で費やしたことになる。

昭和6年の日本は、リンドバーグ夫妻にとって、少なくともアンにとっては特別に思い入れのある国だったに違いない。後に触れるつもりの「歌う水夫たち」「漁師の小屋」「日本$カ活のうちの紙と紐」「サヨナラ」の各章では、この不思議に魅力的な人々や文化に対する彼女の生き生きとした姿勢が読み取れるのだが、私の当座の興味は、戦争という大きな隔壁を挟んだ70年前の男性末ニ現代の女性末フ違いがどこら辺にあるかだった。そして、そこから感じ取れる何かの意味を自分なりに掴んでおきたいという思いだった。


根室市の関連HP

翼よ北に

2006-09-28 10:41:39 | 大空
C・リンドバーグには心強い同伴者がいた。ベストセラー作家であり、大空では彼の生徒であり時にクルー(搭乗者)でもあった妻のアン・モロー・リンドバーグだ。

彼女の自然観や人生観が集約されているように思える随想集「海からの贈りもの」は、ずいぶん前に、黄ばんだ文庫本を古本屋で見つけて読んでいた。後にC・リンドバーグの「翼よ、あれがパリの灯だ」の原書に目を通した時、その中のかなりの部分に彼女の手が入っているような気がした。もっとも私はまだ彼女自身の原著を読んだことはない。

今、手元にある「翼よ、北に」は彼女の処女作で、ごく最近(2002年)、中村妙子氏によって見事に訳出されたものだ。最初の末{は既に1935年(昭和10年)に原書“North to the Orient”が出て間もなく、深沢正策訳で「北方への旅」が出ている。このころ日本は軍国主義の道をひたすら走っていたわけだが、日本人の多くがまだ大空を見上げていた、ある意味、夢多き時代だったのかもしれない。

C・リンドバーグ同様、彼女についても想う事々が多くあり、これからも幾つかの角度から拙い考察を書き連ねていきたいと考えているが、今回は「翼よ、北に」の末メ・中村妙子氏について、少し驚いたことを記しておく。

彼女は1923年生まれ。私が生まれた1954年に東大の文学部西洋史学科を卒業している。現在83歳、この末ャした時は既に80歳直前の高齢だったのだ!

充分吟味された訳語、全く無理のない日本語、洗練された文体、女性作家の末メとして女性ならではの感性と表現手法・・・私は再び唸ってしまい、その生年を知って大きく肯いてしまった。実に末ヘ件pである。

この本の何章かは、途中立ち寄ることになる日本とその文化への考察に宛てられている。アンの瑞々しい感受性と表現力が充分に発揮されている部分でもある。また後で少し引用しながら、感想を書いてみたい。



生命の奇跡 C・リンドバーグ

2005-07-20 21:15:42 | 大空
未開の大自然の中で私は生命の奇跡を感じ、その背後で我々の科学技術が取るに足りないものとして色あせて行くのを感じる。
<`ャールズ・A・リンドバーグ(1902-1974)

In wilderness I sense the miracle of life, and behind it our scientific accomplishments fade to trivia.
Charles Lindbergh

 


20世紀の数多い飛行家の中で、リンドバーグほど“劇的な”人生を送った人物も少ないだろう。1902年生まれ。翌年がライトフライヤー初飛行の年だから、まさに現代航空の夜明け時に誕生したことになる。1920年代、時にこの世界の黄金時代と呼ばれるバーンストーミング全盛期に大空の世界に足を踏み入れ、わずか5年の飛行経歴で大西洋単独横断飛行を達成する。

しかし、彼の人生が、明暗含めて目まぐるしい色彩変化の渦の中に引き込まれるのはその後だ。大学中退の内気な無名のバーンストーマーが、一躍、国民的あるいは世界的英雄になり、愛児誘拐殺害悲劇の主人公になり、ナチズム礼賛の国賊となり、太平洋戦争では市民戦士となり、商業航空路開発の先駆者となり、やがて航空技術を頂点とする現代科学文明の批判者となり、遂には筋金入りのナチュラリストとなる。

彼について知れば知るほど、その「明」の部分の裏側に、実に重い「暗」の部分を抱えていたことがよく分かる。彼の偉大さは、その「暗」から決して目をそらさず、常に誠実にそれらと向き合っていたこと。そして、積極的に行動することで、その明・暗の対照を鮮やかに描き出そうとしたことだろうと思う。

こういう視点を持つと、どうして彼がこんなに洗練された文章が書けるのか・・・その理由も少し見えてくるような気がする。

リリエンタール最後の飛行

2005-07-09 14:56:04 | 大空
時間を見つけて進めていた『リリエンタール最後の飛行』の素訳が完了した。

以下、著者:ロバート・ウッドの1896年の言葉を少し・・・。

「今日の自転車も、一人の人間の業績ではない。多くの人々の長年に渡るアイデアや実験の集積なのだ。それは飛行機械も同様に違いない。もし、このパイオニアの死が、この線に沿った他の人々の実験を妨げることがなければ、彼が残した幾多の業績は失われることなく、彼は空しく亡くなったということにはならないだろうし、是非そうあるべきだと私は思う。」