庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

ジャンプ

2005-07-04 14:59:06 | 大空
飛行の意味をどう捉えるかにもよるが、ジャンプの歴史は少なくとも“近代における”飛行の歴史よりはるかに古い。

紀元前2200年の昔、舜帝(※注)は巨大な麦わら帽子2個の助けを借りて炎上する塔から脱出し、領地の上空を飛んだという。ただ、麦わら帽子は私もよくかぶるし大きいものは1m近くもあるが、こんなものをいくら集めてもパラシュートの用は成さないだろうから、これは神話・伝説の域を超えない。

※舜帝(しゅんてい・中国古代の伝説上の聖天子。尭(ぎょう)と並称して「尭舜(ぎょうしゅん)」という)

しかし、852年、スペインのアーメン・ファーマンが巨大な外套を着て高い塔から跳んで大怪我をしたという話は本当だろうし、その後多くの“向こう見ず”が、両腕に様々な素材でできた羽のようなものを付けて高い所から跳んだことも事実だろう。

かく言う私も、小さい頃にこの種のジャンプを試みた一人だ。私の生家は小さな漁村にあり、目の前がすぐ砂浜になっていた。現在のように冷凍技術が進んでいなかったので、漁師たちが獲ってきた魚は市場に出す前に海中に浮かべた直方体の“生けす”に入れておく。私たちはこれを“ダンベ”と呼んでいたが、用済みのダンベは無造作に浜に並べてあった。これが結構大きなもので、横に立てると4mほどの高さになる。

この上から傘をさして跳ぶのである。下は砂浜だから怪我をすることはない。随分長い間飽きることもなく、このダンベからの傘さしジャンプで遊んだものだが、結局この程度のパラシュートでは落下速度はほとんど減衰されないということがよく分かった。

さて、1797年、史上初と記録に残るフランスのガーネリンのジャンプはもちろんこんな遊びではない。水素気球で一気に2000mまで上がり、そこからバスケットごと落下するというものだ。



その名も「大きな傘」。ベントホールが無いので乱流でキャノピーはかなり暴れまわったらしいが、出発地点から1km足らずの地点に無事着地したというから凄い。とんでもない勇気と幸運だ。

しかし、私の興味はそれだけではない。フランス軍に従軍する前に物理学を学んだ彼がパラシュートジャンプに情熱を注ぐようになった切っ鰍ッが「フランス革命」にあり、敵軍の捕虜になって3年間捕らわれていたハンガリーの牢獄から脱出するために、その構想に没頭したという事実である。これは、ミノス王の追っ手から逃れるために、クレタ島の断崖から飛んだというダエダロス・イカロスの伝説に通じるものがあるだろう。

地上は王の領地つまり隷従を強いる領域、大空は神の世界つまり自由の領域・・・という考え方が、長い歴史を通じて人間の心理の深層に横たわっていることは否定できないように思える。


ギル・スターン・・・人間は複雑怪奇

2005-07-03 15:00:05 | 大空
人間は複雑怪奇な生きものである。砂漠に花を咲かせながら湖を死に追いやるのだから。
<Mル・スターン

「楽観論者も悲観論者も社会に貢献する。楽観論者は飛行機を作り、悲観論者はパラシュートを作る。」(Both optimists and pessimists contribute to our society. The optimist invents the airplane and the pessimist the parachute.)

模型を除いて私は飛行機もパラシュートも作ったことはないが、ある高度を超える飛行では、この世界で時に「セカンド・チャンス」とか「ラスト・チャンス」とか呼ぶパラシュートを持たないことはまずない。そして、幸か不幸か、私はこれまでラスト・チャンスを経験したことはない。

C・リンドバーグは、ほとんど冒険的とも言える郵便飛行家の時期を中心に、たしか合計4回のパラシュートジャンプの記録を持っている。彼はその魅力を「それは私を初めて航空の世界へ導いたあの特質と同じもの・・・大気や大空や飛行への愛、冒険への誘惑、美の賞嘆である」(It was that quality that led me into aviation in the first place -- it was a love of the air and sky and flying, the lure of adventure, the appreciation of beauty.) と説明し、

「それは、人間の説明能力を超えた・・・危険を通して不死の世界に触れ、同じ場所で生と死が出合い、人間が人間以上の至高の存在であると同時に無価値の存在になるところにある」(It lay beyond the descriptive words of man -- where immortality is touched through danger, where life meets death on equal plane; where man is more than man, and existence both supreme and valueless at the same instant.) と、かなり熱く語っている。

1797年10月、アンドレ・ジャック・ガーネリンの史上初のパラシュートジャンプについては、極めて興味深い経緯があるので別に書くことにする。

Man is a complex being: he makes deserts bloom - and lakes die.
Gil Stern


リリエンタール

2005-07-02 15:00:57 | 大空
私は新しい何かを学んできました。そして毎回新しい何かを学びます。
<Iットー・リリエンタール (23.5.1848 - 10.8.1896)

暇を見つけて訳出している、1896年のロバート・W・ウッドによるレメ[ト『リリエンタール最後のフライト』中の言葉。彼はこの一週間後に亡くなる。まさに死の間際まで学び続け、挑戦し続けた、稀有なる人物の一人であった。

もうじき完了する全素訳は別のページにUPする予定。
http://www.geocities.jp/kantaroliberal/lili.htm

I have learned something new; I learn something new each time.
Otto Lilienthal



想像力 R・バック

2005-06-01 15:04:36 | 大空
私たち一人ひとり、つまり個人が、人生を振り返ったり将来に展望を持ったりする時に、大きく成長できるのは、想像力(イマジネーション)を大切にする時です。想像力は決して小さな道具ではなく、自分の人生を方向付け、あらゆる壁を打ち破る大いなる力の源泉である、ということを自覚する時です。
≠q・バック
昨年11月7日のインタビュー番組での言葉:音声ファイルMP3 30sec 134kb

 
R.Back Funsite より↑


R.Back Funsite より↑

The great breakthrough that each of us individual has, when we look back to or look forward to our life time, is when we respect our imagination, and when we say this is no small tool but, this is a major power source with which I can direct my life, and there is no wall through which we cannot pass.

リリエンタールと安吾の息子

2005-05-30 15:06:59 | 大空
ことさらここに書くようなことでもないかもしれないが、リリエンタールの資料をネットで眺めているうちに、坂口安吾の長男が書いた一文に出合った。彼の本の一部分をご自分のHPで公開しているものだ。

ことさら・・・というのは、彼のリリエンタール(のみならず数人のパイオニア)に対する認識や評価があまりにも浅薄で、それを更に私が評価してもあんまり意味がないだろうと思ったからだ。ただ、長い間、私の中で鉛のように重く沈殿している或るテーマを再び意識に浮上させる切っ鰍ッになったのは事実なので、少しだけ触れておこう。

彼は少年時代にリリエンタールについて書かれたものを読み、「生まれてはじめて私が魅せられた乗り物は、飛行機・・」となり、Uコン機から始まってラジコン機の世界にはまっていくことになる。そして「こうして飛行の道を歩むようになり、たちまち立派な飛行少年になった。もう頭の中は飛行機のことだけで夜も日も明け暮れ、私の感受性をくすぐるものは美しく宙を舞う飛行機の姿と、明け方の空のグラデーションぐらいだった。」と書く。しかし今に至るまで、自ら飛行することはない。

「見ること」と「行うこと」は極めて密接な関係を持っていて、大概「行うこと」の端緒は「見ること」から始まるのだが、両者の間には厳然とした隔壁がある。そして、「見ること」しか経験しない人間が、何かを生命懸けで「行っている」人間を評価する場合は、人間として余程の節度と覚悟を持つべきだろう。

こんな考えが、先に書いた私の「或るテーマ」とリンクしてくるのだが、今回は以下に彼の一文を抜粋して終える。安吾の息子は確かに安吾ではなかった。

「私の想像では、ある日、彼はより滞空時間を延ばすべくグライダーにさらなる工夫をしたか、飛行中に冒険的な飛行術のトライをした。それは彼がそれまでもおこなってきたことの延長で、それなしでは彼の飛行の進歩は望めないのだがからリリエンタールの日常はすべてこの積み重ねにすぎなかったわけだが。そしてその中の一つの思いつきが裏目にでてしまったのである。
 その結果として突然の死が彼のうえに訪れてしまったわけだが、実に呆気なく、バカバカしくもロマンチックである。
 よく腹上死した男の葬儀などで囁かれる、あの人も好きなことをしてて死んだんだから本望だね、なんて無責任な会話と同じレベルでリリエンタールの死もくくられてしまう。
 女の上での死も鳥型木製グライダーでの墜落死もはたから見て決してカッコウのいい物ではない。ハリキリすぎて無茶をしヘマを踏んだ結果の情けない死に方なのだから、笑われて当然である。」


リリエンタール

2005-05-25 13:11:49 | 大空
巡り来る春の訪れ・・・無数の幸せな生きものたちに満たされて大気は活気付き、馴染みの北のリゾートに帰ってきたコウノトリは数千マイルの長旅を支えた見事な飛行翼をたたみ、頭を背に休めて楽しげに嘴(くちばし)を鳴らしながら帰郷を知らせる。
ツバメは風を切って通りを横切り窓を抜け、清澄な大空にはヒバリが点のように現れ、その歌声で存在することの喜びを表明する。
この時、一つの確かな願望が人の心を支配する。人は大空に舞い上がり、鳥のように自由に、微笑みかける草原や、緑豊かな森や、鏡のような湖の上空を滑空することに恋焦がれる。変化にあふれた風景を、鳥と同じように存分に楽しみたいと希求する。
<Iットー・リリエンタール

"With each advent of spring, when the air is alive with innumerable happy creatures;
when the storks on their arrival at their old northern resorts fold up the imposing flying apparatus which has carried them thousands of miles, lay back their heads and announce their arrival by joyously rattling their beaks;
when the swallows have made their entry and hurry through our streets and pass our windows in sailing flight;
when the lark appears as a dot in the ether and manifests its joy of existence by its song;
then a certain desire takes possession of man.
He longs to soar upward and to glide, free as the bird, over smiling fields, leafy woods and mirror-like lakes, and so enjoy the varying landscape as fully as only a bird can do."



O・リリンエンタール博物館より
http://www.lilienthal-museum.de/olma/ebapriv.htm

リリエンタールは1891年から5年間2000回以上の滑空を始める前に、20年に渡って主としてコウノトリを観察しながらその理論的基礎を固めた。その集大成である『航空の基礎としての鳥の飛行』はこんな詩的な序文で始まる。彼は注意深い自然観察者であり、革新的な科学者であり、実際的な技術者であり、確固とした実験者であり、夢見る詩人でさえもあった。

アン・モロー・リンドバーグ

2005-05-20 15:14:12 | 大空
アン・モロー・リンドバーグはチャールズ・リンドバーグの奥さんだ。後に「大西洋単独横断飛行よりも危険で困難だった」とチャールズが述懐した北太平洋や北大西洋の商業航空ルートの開拓を、副操縦士、ナビゲーター、無線士として共にした。静かな口調で読む者を穏やかな思索に誘う『海辺で』の著作など、作家としても魅力的な人物だ。大空の喜びと同じくらい多くの地上の苦悩を乗り越え、95歳まで生きて、2001年2月に亡くなった。



唯一真実の安心は、大小の物を所有することや、要求したり期待したりすることや、希望することの中にさえ無い。人間関係での安心は過去を振り返ったり、未来に思いを巡らしたりすることではなく、現在を生きること、そしてあるがままの現在を受け入れることにある。
The only real security is not in owning or possessing, not in demanding or expecting, not in hoping, even. Security in a relationship lies neither in looking back to what it was, nor forward to what it might be, but living in the present and accepting it as it is now.

成長と修正と変化・・・逆説的ではあるが、これがほんとうの安全の在るべき所である。
Only in growth, reform, and change, paradoxically enough, is true security to be found.

人が海辺にあって手にする孤独は、個人的なもので、生き生きしている。人を征服せず、惨めな思いもさせない。それは刺激的な孤独だ。
The loneliness you get by the sea is personal and alive. It doesn't subdue you and make you feel abject. It's stimulating loneliness.

海辺から美しい貝殻を全部拾うことはできない。拾える貝殻は僅かだが、それゆえ更に美しいものだ。
One cannot collect all the beautiful shells on the beach. One can collect only a few, and they are more beautiful if they are few.

人生とは信頼されて授けられた贈り物である・・・子供のように。
Life is a gift, given in trust - like a child.

何かをやってみて失敗するのは、成功するのと同じくら勇気が要ることだ。
It takes as much courage to have tried and failed as it does to have tried and succeeded.

人生で最も疲れることは、不誠実であるということだ。
The most exhausting thing in life is being insincere.


マーク・トゥエイン

2005-05-19 15:18:00 | 大空
堅い論理で頭が疲れたときはマーク・トゥエインが良い。『トム・ソーヤの冒険』はメ[ル・ニューマン朗読のCDになっていて、私にとっては一種のヒーリング音楽だ。



タバコを止めるなんてこれまで私がしてきたことで最も簡単なことだ。そんなこと充分分かってるはずなんだ、1000回も止めたんだから。
To cease smoking is the easiest thing I ever did. I ought to know because I've done it a thousand times.

タバコの話・・・昔、紙巻タバコを吸っている頃は、誰かに喫煙の害悪を指摘される度に、「タバコ止めるなんて簡単なことです。もう10回も止めました。」などと言って、話を煙に巻くことがよくあった。15年ほど前にも半年ほど禁煙したことがある。やはり煙の魔力に負けることになるのだが、また同じことを繰り返すのはあんまり癪(しゃく)だったのでパイプ煙草に変えた。それから「パイプは紙を燃やさないから体に良いんだよ」なんて、相変わらず苦しい言い訳をしている。

幻想を手放してはいけない。幻想がなくなってもあなたは存在するだろう、しかし生きることを止めたことになる。
Don't part with your illusions. When they are gone, you may still exist, but you have ceased to live.

幻想(イリュージョン)といえば、R・バックだが、村上龍の末フ中に、私にはどうもしっくり来ない部分がある。もちろん原書を事実とすると末ヘ「事実の解釈」であり、ギターの楽譜と演奏みたいな関係だから、多様であるほど面白いのだが、以下の部分・・・私のいい加減な演奏ならこうなる。

「君は人生を通して、自己の中の「学び続ける生き物」によって導かれる。遊び好きな精神的何か・・・それがほんとうの君だ。
何も学び取るものが無いとはっきりするまでは、起こり得る未来を見捨ててはいけない。
君は常に好きなように心を変えることができるし、別の未来や別の過去を選択することが出来るんだ。」

You are led through your life time by the inner learning creature, the playful spiritual being that is your real self.
Don't turn away from possible futures before you're certain you don't have anthing to learn from them.
You're always free to change your mind and choose a different future, or a different past. (P51・・・Messiah's Handbookの初め辺り)

想像力の焦点が合っていないときは目に頼ってはいけない。
You can't depend on your eyes when your imagination is out of focus.

「百聞は一見にしかず」とか「一目瞭然」とか言うが、問題はどういう目を持ってどこをどう見るかだろう。目の置きどころが変われば、世界は全く違って見えるのだから。

正しいことをしてごらん。そしたら、何人かは喜び、残りの人たちは驚嘆する。
Do the right thing. It will gratify some people and astonish the rest.

私が彼の意味する「正しいこと」をすることはめったにないだろうからから、私が何か珍しいことをしても、多くの人たちが驚くことはめったになく、大概は何人かの人たちを怒らせ、悲しませる。

自分が多数派だと分かった時はいつでも、立ち止まって反省する時だ。
Whenever you find yourself on the side of the majority, it is time to pause and reflect.

「心配するなよ~急ぐなよ~♪」 婆ちゃんが好んだこのフレーズは私の体に染み付いている。もし世界から他の全ての歌が消え去っても、それは私に歌いかけてくるだろう。
'Don't you worry, and don't you hurry.' I know that phrase by heart, and if all other music should perish out of the world it would still sing to me.

勇気とは恐浮ェ無いことではなく、恐浮ノ抵抗し、恐浮ノ打ち勝つことである。
Courage is resistance to fear, mastery of fear, not absence of fear.

文明とは不必要な必需品の限りない増加のことである。
Civilization is the limitless multiplication of unnecessary necessities.

着ている物が人間を作る。裸の人々はほとんど或いは全く社会に影響しない。
Clothes make the man. Naked people have little or no influence on society.

もちろん彼は、くだらない地位や肩書きや財産で着飾った人々よりも「裸」の人々に敬意を抱く。社会に大きく影響しないからこそ、一人の人間としては幸せに生きる価値があるのだ、ということにちがいない。

仕事は避けるべき必要悪である。
Work is a necessary evil to be avoided.

全ての事物には限界がある・・・鉄鉱石を教育したからといって金になるわけではない。
Everything has its limit - iron ore cannot be educated into gold.

私は1835年のハレー彗星と共に生まれた。そしてまた来年やって来るハレー彗星と共に逝きたい。
I came in with Halley's Comet in 1835. It is coming again next year, and I expect to go out with it.

彼は1909年にこう書き、実際その通りになった。

飛行と危険

2005-05-17 19:56:55 | 大空
飛行と危険についての言葉を少し・・・。

飛行においては、自ら引き受けたリスクよりも、不注意と自信過剰の方がはるかに危険であるということを学んだ。
<Eィルバー・ライト、1900年9月の父への手紙から

In flying I have learned that carelessness and overconfidence are usually far more dangerous than deliberately accepted risks.
- Wilbur Wright in a letter to his father, September 1900

私は、危険というものは相対的なものであり、知識や経験不足による未熟さがその「拡大鏡」になり得る、ということを知った。
-C・リンドバーグ

I learned that danger is relative, and the inexperience can be a magnifying glass.
- Charles A. Lindbergh

全てのフライトには2つの危機的ャCントがある・・・始点と終点である。
-A・グラハム・ベル 1906年

There are two critical points in every aerial flight -- its beginning and its end.
- Alexander Graham Bell, 1906.

航空自体は本来危険なものではなく、海を行く船の世界を幾分上回るという程度のものだが、それは不注意と無能と怠慢を厳しく許さない種類のものである。
(イギリス航空界では名高いキャプテン・A・G・ランプルーの1930年代初頭の言葉で、その後、航空業界などで広く繰り返し使われる標語となった。)

Aviation in itself is not inherently dangerous. But to an even greater degree than the sea, it is terribly unforgiving of any carelessness, incapacity or neglect.

次の一見対照的な言葉との間には70年の歳月がある。

飛行は本来危険なことである。我々はその危険を小賢しい修辞や気休めの統計で覆い隠そうとする。しかし、重力は常に強大で、スピードは殺人的だ。この二つが連合すると特に破壊的になる。
<_ン・マニガン (ユナイテッド航空の機長、商業航空誌に多くの記事を書いている。)

Flying is inherently dangerous. We like to gloss that over with clever rhetoric and comforting statistics, but these facts remain: gravity is constant and powerful, and speed kills. In combination, they are particularly destructive.

学ぶことは楽しいことだ。航空の世界では、楽しむということがなければ学ぶということもない。そして、学ぶのを止めた時が死ぬ時だ。
<sート・キャンプベル(FAA§A邦航空局・航空安全プログラムの初代主任))

Learning should be fun. If you don't have fun in aviation then you don't learn, and when learning stops, you die.
- Pete Campbell, FAA


ロック岩崎の死

2005-04-21 19:58:08 | 大空
今朝、突然、岩崎さんが亡くなった。分野は異なるが、全く知らない人ではないので少し書いておかなければならない。産経新聞ニュースには、事故の状況として「目撃者らの話によると、岩崎さんの機体は高度約百五十メートルからきりもみで降下し、地上付近で失速したという。」とある。

ある意味で、アクロバット飛行は飛行技術の極限で行うものだから、その危険度は通常フライトの比でないことは言うまでもない。しかし、そんなことは彼にとって問題外だったろうし、安全マージンの取り方の基本や詳細については充分すぎるほど知悉していたことも明らかだ。およそ厳しいフライトほど、安全への対策は二重三重、これでもか!と呆れるほど念入りな注意と準備を重ねているものだ。

それでも事故は起こる。何故か?・・・・大空の世界にはやはり人智をはるかに超えた「何ものか」が厳として存在しているだろうことを、私は直感せざるを得ない。

事故原因はこれから精査されるだろうが、恐らく「何らかの原因で失速した。」という範囲を大きく超えることはないだろう。

ともかく、多くの人に夢を与えたロック岩崎の冥福を衷心より祈る。