一昨日は東風に多少の期待をして今治の織田が浜に行ってみた。久方ぶり。この浜と頓田川河口を挟んで南に伸びる唐子浜は合わせて2kmほどある。昔はもっと広々していたように思うが、長い間、地元の有志や自然を愛する方々の愛情で守られてきたのだろう、日本各地の海岸の景観を台無しにしている無粋なテトラャbト(消波ブロック)が全くない、この辺りでも珍しい海岸の一つだ。
東方沖には幾つかの島々が展望でき、「しまなみ海道」の最も今治寄りの大島の南沿岸にある小さな漁村が私の故郷である。今でも定期的に帰っていて、南向きの二階からは、たいがいは静かで明るい燧灘(ひうちなだ)や長く連なる四国の山々、西方にはこの浜や今治市の街並みの一部まで見ることができる。
幼い頃から馴染み深い今治だが、殊に高校時代の三年間には濃密な思い出がギッシリと詰まっている。古い付き合いのK君に、最近カイトを始めたI君を紹介しながら色々話をしていたら、彼が今治西高の五年後輩だということを初めて知って驚き、共に知る恩師の話をしているうちに、彩り豊かな絵本をパラパラとめくるように、半世紀近く前の記憶の断片が鮮明に蘇ってきた。
この織田が浜での出来事も、その時代の後、風の魅力に目覚めてから今日至るまで様々に積層している。また折に触れて書きたい。
東方沖には幾つかの島々が展望でき、「しまなみ海道」の最も今治寄りの大島の南沿岸にある小さな漁村が私の故郷である。今でも定期的に帰っていて、南向きの二階からは、たいがいは静かで明るい燧灘(ひうちなだ)や長く連なる四国の山々、西方にはこの浜や今治市の街並みの一部まで見ることができる。
幼い頃から馴染み深い今治だが、殊に高校時代の三年間には濃密な思い出がギッシリと詰まっている。古い付き合いのK君に、最近カイトを始めたI君を紹介しながら色々話をしていたら、彼が今治西高の五年後輩だということを初めて知って驚き、共に知る恩師の話をしているうちに、彩り豊かな絵本をパラパラとめくるように、半世紀近く前の記憶の断片が鮮明に蘇ってきた。
この織田が浜での出来事も、その時代の後、風の魅力に目覚めてから今日至るまで様々に積層している。また折に触れて書きたい。