ことのついでに・・・。では、愚かな教え役とはどういう人間かについて。これは単なる思いつきではなく、私の空での実体験にもとづいた、確かで少々マジメな話である。もう20年ちょっと前のことだが、ことの本質が変わらない限り、今後も同じことが起こり得るだろうし、現在も世界のどこかで起こっているかもしれない。




私は当時、動力パラグライダーの指導員として、20人ほどの弟子を持っていた。その中には高校生も数人いたので、つまらない事故は絶対に起こすわけにはいかない。毎週末、神経をすり減らす思いで教習を続けていた。彼らがまだ2年生の頃、動力飛行の初歩は一応マスターして、山飛び(山の頂上や中腹に設けられテイクオフから飛び立つ、普通のパラグライダー)がしてみたいというので、その内の二名を、日本からは比較的近い台湾では有名なサイチャ・エリアに連れて行った。


ここはそれ以前、単独で訪れたことがあり、たまたま飛びに来ていた大学の張先生にずいぶんとお世話になった場所だ。彼の勤務先や住居は、台湾南部の大都市・高尾から車で小一時間の地方都市・ピントンにあった。私がクロスカントリーの最長飛行距離40kmを飛んだのもこの時だった。これは私の十年間の滑空生活の中では飛び抜けて面白い体験だったので、またそのうち書く。
張先生は私の再来と高校生2人を大歓迎してくれ、早速、彼の車でエリアまで行った。その日はちょうどここで、パラグライダーの全国大会が行われていて、私たちは不意に「日本チーム」のプラカードを持たされて開会式に出ることになった。たぶん張さんが前もって話していたのだろう。
競技内容は2つのクラスに分けられていて、上級者は当時すでに当たり前になっていた「スピード・パイロン」。初級者は地上に描かれた同心円の中心を狙って着陸の精度を競う「ターゲット」だった。これも日本でもグライダーの滑空比が3~4という初期の頃によく行われていたものだ。私は初めての山跳びに多少緊張気味の二人の着陸を見届けた後、高度300mほどのテイクオフから離陸した。しかし時すでに遅く、まともなサーマルをつかむことがでないまま、ターゲットの真ん中にランディングして次々と降りてくる初心者フライヤーを側(そば)で見ていた。
そしたら、その中の一人(歳の頃なら50歳前の男性)が、ランディングアプローチでの高度処理を間違えて、かなりの高度を残したままランディング場に接近してきた。広いエリアだから、こういう場合、そのまま滑空するに任せてその辺りに降りればいいのだが、その人はなんと、ターゲットの真上30m辺りでフルブレークをやってしまった。真下にある円をめがけてエレベーターのように垂直に降りようとしたとしか考えられない。
次に待っているのは、とうぜん失速だ。空の世界では、ある程度の高度以下での失速は致命的なものになる。私は思わず「あら~・・・!」と叫んでしまった。彼はそのままバック気味(フルストールの失速はこうなる)に背中から地面に激突して、うめき声をあげたのち口から血を吹いた。私の目の前の出来事だったので、真っ先に駆け寄ろうとしたら、近くにいた運営役員のバカが下手な英語で「じゃまだからどけ!」と言った。
こういう場合、驚きが怒りに変わるは瞬時だ。「おまえ~!・・・私が何をしようとしてたのか見とらんかったのか!!」「おまえたちの国では、一体どういう教習をやってるんだ!!」と、私は彼を殴るほどの勢いで怒鳴りつけた。たちまち彼がシュンとなったのは言うまでもないが、息絶え絶えの初心者は、間もなく救急車に運ばれて病院直行になった。あの様子だとおそらく脊椎と内臓を損傷したに違いない。生きていたとしても車イス生活になってなければ良いが・・・。
この時の私はしばらく腹の虫が収まらず、張さんの家に戻ってからも怒りを込めてことの始終を話した。彼は「カンジさんは怒ると怖いですね~・・・実は台北にある、あのショップスクールの主は、飛行機材を売るに熱心で、教え方がいい加減なので有名なんです・・・」という話を聞かせてくれた。
そりゃそうだろう。教え方もなにも、飛行理論のイロハのイも分からないで、なんで自分の大事な生徒を、ただでさえ無理をしがちな「競技」などに出すんだ!! こんなバカげた話が、少し形を変えながら、実はここ日本でも起こっていた。次はその話をする。
また次の日に、張さんが担当する授業に招かれて一時間ほどした特別授業には、ちょっと面白い内容もありそうなので、これもそのうち書く。