この旅最後の休憩所。昼飯時に川之江(四国中央市)に着いた。あの創業者のバカ息子が億単位の金を博打に使い、業務上横領で塀の中に入った大製紙会社のある街だ。
昼間はパルプ工場の煙突から吹き出る匂いが海風に乗って内陸部まで達し、それがあまりひどいので、私などはここを通過するたびに車の窓を閉める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/34/781ac248ad23e31fbf7ff17b0fdbb960.jpg)
御書に「臭い厠(便所)の中にずっといると、その臭いのが分からなくなる」とある。ここにお住まいの方々には失礼な話になるかもしれないが、この匂いに慣れて生活することは、善くも悪くも仕方のないことだ。中にはこの匂いが好きな人もいるかもしれない。
ただ、このご金言の本来の意味で厄介なことは、ものの見方・考え方とか思想とか哲学とかその奥にある宗教とか、簡単に目には見えないけれども、確実に人生の幸不幸を左右する「臭」で、私を含め世界中の多くの人々は何らかの臭みの中で、日々、喜怒哀楽し、四苦八苦の大きなパルプ工場の中から脱出できないでいる。これを仏法の用語で「第六天の魔王の所領」とか言うのだが、つまりは様々な欲望の支配する世界のことだ。
ただ、このご金言の本来の意味で厄介なことは、ものの見方・考え方とか思想とか哲学とかその奥にある宗教とか、簡単に目には見えないけれども、確実に人生の幸不幸を左右する「臭」で、私を含め世界中の多くの人々は何らかの臭みの中で、日々、喜怒哀楽し、四苦八苦の大きなパルプ工場の中から脱出できないでいる。これを仏法の用語で「第六天の魔王の所領」とか言うのだが、つまりは様々な欲望の支配する世界のことだ。
正統仏教・日蓮正宗の世界観は、それらの欲望を否定し消し去るのではなく(そんなことできるわけがない)、「根本的に浄化する」ことによって、あらゆる欲望や煩悩を、即、菩提へと転じていく方途を示している。
そんなことが本当にできるのか?・・・これができるのである。試してみたい人は、全国・世界各地にある正宗寺院に足を運んで、ご住職にお会いしてみると良い。まぁ多分、びっくりするようなお話が聞ける。
以下は和歌山の正宗寺院。とても分かりやすく整理されている。
以下は和歌山の正宗寺院。とても分かりやすく整理されている。