確か長男が小学校4年生で長女が2年の時かな?授業参観日があったのですが、各学年ともに同一日だったのです。
たしか4月下旬か?5月中旬だったかな、夫婦で別々に長男と長女のクラスを巡り、変わりばんこに入れ替わり。
確かその時に着ていたスーツ?がこの服、いつも控えめで落ち着いた色合いの洋服の妻だったが、この日は少しお洒落?
実際には写真より明るめのブルーの生地に、チューリップの花模様と、葉の部分が光を反射する織り方になっています。
考えればこの時はまだ32歳だもん、お洒落心もありましたよね。その後3人目の次男が生まれてより控えめに?
この洋服を着たのを見たのは2,3度くらい?たぶん妻の余所行きの一着だったのだろう?そう思うと処分できない
地元で代々続く農家の本家の次女として生まれた妻、苦労知らずに育ったのに、俺が苦労の連続の生活を味あわせてしまった。
親と親戚の反対を押し切って、家を飛び出してまで結婚してくれた妻に・・申し訳ない気持で今は一杯です。
45年前はまだまだ田舎で、考え方も古く本家の格式?面子?体裁などがあり、許して貰えなかった時代でした。
苦労はさせてしまったが、亡き妻も認めてくれる2つの絶対の約束事、その一つの子供が3人欲しいは果たせたよ~
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とてもいい奥様だったのでしょうし
とても愛しておられたことがよく伝わります。
お亡くなりになるまでの間もきっと
思う存分看病されたんでしょ?
それでも後悔先立たずなんですから。
たまには自分に「俺もお前のためによくやったよな」と褒めてあげてくださいよ。
よって正月とお盆に集っていた行事も、なくなり10年以上、今はただの一軒の農家ですよ。
男は不器用なので、素直に愛情表現出来なかった事が悔やまれます。
もっと普段から優しい言葉と、褒めてあげることをしてあげればと。
貴方様のお言葉に、未だに応えられい情けない男で申し訳ありません。