ブログ

 

真夏のいろいろ

2024-08-05 | 日記

早朝、カメラ持って海まで。我が家から海はすぐそこ。

消防艇二艇。水上消防署前の岸壁で。

横から。放水銃装備。向こう、サミット会場のホテル。昨年は年明けから警備が厳重で、地元民は大変だった。島には臨時の交番も出来たんだった。

広島県警のボート。刑事ドラマに出てきそうな船。

逃げる犯人を追跡して逮捕するとか。

でも実際にはそんな場面もめったになさそう。

海岸交番の前の岸壁。

小説「黒い雨」では、主人公が被爆当日、海岸交番に知り合いを訪ねて、昼食を食べさせてもらう場面があったように思います。←うろ覚え。

白米のご飯に沢庵がとてつもないご馳走だったと。

明日は79回目の原爆記念日。

ホテルの向こうは江田島。


郵政省の船だったかな。

ずっと向こうは海上保安庁の岸壁。遠いので行かない。昔の陸軍桟橋。

以上、働く船いろいろでした。


今朝から整経始めたけど、さっそく間違えた。

糸の並びが左右反転している。前の整経はつづれ織りで一色、左右は気にしなくていいけど、今回は糸の並びで柄を作るのでとりあえずはずし、残りは書きなおしてやり直し。

まだ1.5㎝分しかできていない。道遠し。


月に一度のばあちゃんの茶話会、暑いので夏休みにしませんかと提案したけど、皆さんやる気満々。いつも通りの集まりになりました。

会計ノートがいっぱいになったので、裏紙利用して新たに作る。

表紙は水彩画の画用紙。厚くて丈夫。スーパーのちらしを切り抜いて貼る。

ノートは買っても安いけど、皆さんのお金。節約、節約。


今朝の地元紙に、被爆体験の話あり。

桃を一個を持って逃げる途中で、うちの子にその桃を貰えないかと母親に嘆願されたけど、渡すことなく逃げた。

それがずっと心に引っかかっている。という話だった。

極限状態です。みんなわが身が大事。自分を責めることはないと思う。

そうしてしまうのが人間、そしてそのことに自責の気持ちを持ち続けるのも人間。そしてその話をすることで、被爆の様子がよりリアルに伝わってくる。話をされたのはとてもよかったと思う。

東北大震災の後、「つなみてんでんご」という言葉を知りました。原爆もてんでんごではないでしょうか。それでも大切な人を見捨てた申し訳なさを忘れずにいる。人間って貴いなと思いました。

15年くらい前、被爆証言を聞いて本にする活動をしていましたが、伺ったお話からは教えられることが多かったです。

「知っている女の子が動けなくなっていて、**くん、お水頂戴と言われたけど、何をしてあげることも出来なくて、私はそのまま逃げました」と話された後、「私はそういう人間なんです」と、突然に、もう初老に差しかがった人が男泣きに泣かれるのには、ついもらい泣きしてしまいました。

こんな話は無数にあったことでしょう。

明日は原爆忌。戦争体験のない私も夏はいろいろな人を思い出します。

母の実家の涼しい座敷で、いとこたちと一緒に、布団の縫い直しの手伝いをしていたのをきょううはふと思い出した。私は6年生くらい?

夏の間に冬の布団を分解、側は洗い、綿は打ち直して新しいのも足し、仕立て直すのです。叔母に言われてお手伝い。一つ年上の従兄が、布団針に木綿糸を通して器用に縫っていたのを思い出します。

その日は「ロッテ歌のアルバム」で橋幸夫が歌うのを見ていた記憶が。だから日曜日だったはず。

何それ???と言われそうだけど、分かる人には分かる。

従兄も早くに亡くなってしまって、可愛がってくれたことをきょうは思い出していた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毎日暑い

2024-08-01 | 日記

と、天気に文句つけても仕方ないけど。

昼、はがきの投函のついでに海へ行くつもりだったけど、あまりの暑さに中止。

いくら何でももう少し涼しくなってから。

予報ではずっと35度以上。いつになるかは未定。

アマゾンで見つけた夏草履、届きました。すこしは履きやすそう。

鶴翔さんです。楽天市場にも出店しているかも。

株主優待でビールが届く。東北、雫石の地ビール。

デザインがかわいい。苦みが少なくて飲みやすかった。


真夏の写真整理

地元のひろしま美術館の常設展示。観たのは6月ころだったでしょうか。

日本と西洋の近代絵画を過不足なく。

一部、紹介します。



 

来年3月末まで市内美術館二つ、学生証で無料で見られるので、せいぜい鑑賞いたしましょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑さを乗り切るいろいろ

2024-07-31 | 日記

連日の暑さ。高原の森に避難したいものです。フリー素材より。


日本列島各地、毎日暑い日が続きます。

暑いときはあれこれ欲張らず、体力を温存して、来たるべき涼しい秋、活動のときに備えたいと思っています。

私なりの暑さよけ。

昼間活動しない。昼は涼しい部屋でじっとしている。

エアコンつけることもあるけど、我が家はマンション、ビルに囲まれまくってその建物の間を夏場は風が吹く。窓を開けてその風を取り込む。夏に、家中を開け放すのが私は好きです。

家事は7時までに済ませ、7時に開く近所のスーパーで買い物終えたら、あとは家の中で出来ることしかしない。

最近は、糸を撚る。機織りの図案を考える。汗の出ない程度に一か所の片付けなど。あとは本読んだり、オリンピック番組見たり。

煮込み料理は作らない。火を使うのは1~2種類のみ。あとは冷蔵庫から出してすぐ食べられるようなもので済ませる。

服は浴衣をほどいて縫った、衿と袖のないワンピース。買い物にはその上から麻の長い丈のブラウス。

嫌なことは15分以内に納めるといい。と、何かで読みました。気合入れて15分動いたらかなりのことは出来そうです。

15分で出来ること。

午前中は一階の掃除。

昼前は昼食の準備。

午後4時頃。

ご飯を仕掛けて予約しておく。夕食の食器を出す。傷まない食材を出しておく。

郵便受けの確認に庭の水やり。

朝昼晩、器はなるだけ少しで。終わったら油汚れを拭き、タワー状に重ねて水を張り、汚れが浮き上がったところで洗う。

生活用品すべて、夏は必要最小限で済ませる。物が多いだけで見た目が暑苦しい。


昨日は日差しがきつい天窓を塞いだ。夫が下から簾を取り付けたけれど、垂れてみっともないので外し、私が屋根に上がって、アルミのシートを養生テープで貼り付けた。一夏の仕様。秋には外す。ついでに階段下の物入の片づけ。奥から、車のシートに置く背もたれ発見。

夫に見せたら、姿勢が安定して使いやすいと喜んでいた。腰が痛くてどの椅子も会わないそうで、唯一、仕事場の椅子がいいそうです。

じゃ、夜も仕事場で座っていればと言ったのですが、夜は家にいることが多いです。

長年一緒に暮らしていると、もう相手に新たな発見はありませんが、次第に体が衰え、できていたことができなくなるのは自然の流れ。

重いものを持つ。高い所の作業などはしなくなりました。夏野菜も作らなくなったので、トマトやズッキーニ、キュウリなどは買うようになりました。

これが老いというものでしょうが、折り合って、残った能力を生かして暮らすしかないでしょう。

暑い時に、相手のすることを気にしないというのも大切な暑さ除け。言いたいことは秋になってから言う。

早く涼しくならないかなと待つ日々です。我が家は海が近いので風がよく吹き、出先から帰って最寄り電停に降りたら、潮風の匂いのすることもあります。

明日は涼しいうちに自転車で海まで行きましょうか。

フリー素材より。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美術展へ行く

2024-07-29 | 日記
昨日は、知り合いに招待券を貰ったので、県民文化センター地階で始まったさる美術展へ行きました。
戦後早い時期、まだ暮らしも厳しいころに地元有志が中心になって始めた展覧会、いろいろな作品があり、じっくり鑑賞しました。
 
入ったところは生け花、写真、立体造形などもあり、最後が油絵でした。
 
 
被爆して50代でなくなったお母様を娘さんが描いたものです。
被爆時の説明もありましたが、そんなことは関係なく、作品として完成度が高いと思いました。
 
パーマの頭、お顔、ブラウス、額縁。
懐かしき昭和の正統的なたたずまい。絵の中で亡き人も永遠に生き続けることでしょう。
 
昔はこんな絵や額縁をよく見たものですが、いつの間にか見なくなりました。
 

 
ザクロが痛めつけられた人体のようにも見え、滴り落ちるのは血液にも見えます。
肌に訴えてくるような絵です。
 
小学生の生花。ヒマワリにヒゴタイ(園芸名は我知らず)。
夏の花が見たかったのでよかった。

 
キキョウにナツハゼ?(日本のブルーベリー)
涼しげ。

 
フシグロセンノウ(園芸名は知らない)
 
生花は材料の名前があればもっとよかったかな。



いろいろあったけど、この絵もよかった。うまくなると描き過ぎないようです。さらりと流して物の本質に迫る。

金曜日、朝から暑い中、バスで登校。本川、天満川、太田川放水路と渡っていく。広島は川が多くて、橋の上から遠くが見える解放感が夏は特に心地いい。

なんでまたこの年で大学へ行くのかと、場違いも甚だしいのにと思いつつ、いえいえこれも人生の流れ、流れ着いてここまで来たのかもと思い直す。

母が生きていたら、この年でまだ学校へ行くことを呆れつつ、喜んでくれたと思う。晩年、なんで女学校を中退したのかと聞いたら、家庭の事情を縷々話してくれた。

母の生家はの山の中。数軒の集落。通学も最寄りの国鉄駅まで自転車で一時間はかかったと思う。行きはよいよい、帰りは上り坂。

母親を早くに亡くし、父親では裁縫の教材が準備できなかったとのこと。辛くて何日も泣いたと一度だけ話していた。そりゃ辛かったね、お母さん。

しかし父親もなくなり、山の中の家をたたんで町の親戚の家から勤めに出て、夜はおばさんに裁縫を教えてもらったとか。

「学校ではセンチで習うて、おばさんには寸で習ったけん、私はどっちもわかる」が母の自慢。

「従妹の**子さんと二人で、袷の着物も晩御飯終わって一晩で縫いよった」と不器用な娘にたまに自慢していた。

私の着物もよく知らないけど、留袖以外は自分が縫ったのかも。興味ないので聞いたこともなかったけど。

子供たちが小さい時も浴衣など、よく縫ってもらった。


入るまで知らなかったけど、私の応募している公募団体は、巡回展のチケットの割り当てがある。どこの団体も似たり寄ったりと思いますが。

今は少額だけど、作品を出し続けるうちにランクが上がり負担も増える模様。親なら買ってくれたかな。いえいえ、年取った親に甘えてはいけませんね。

出展料に搬出入の費用、東京までの交通費に宿泊料、懇親会の費用と、何かと物入りです。発表の場はいろいろあるので、しばらくするとやめる人もいるようです。

県美展など、自治体主催の地元の展覧会は費用もそんなに掛からないと思います。油絵も軽トラ借りて荷台に乗せ直接搬入すれば安上がり。

今回は絵をたくさん見るうちに、自分でも描けそうな気がしたのですが、もちろん描けません。描きたい気持ちは小さな水彩画で我慢して、今は来年の作品の準備です。

昨日は久しぶりに地下街の店を見て、気分が変わって結構でした。暑い時は地下に潜るに限る。なるだけ機会を見つけて歩きましょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復活の花火大会

2024-07-27 | 日記

今夕、地元で花火大会あり。コロナで中止して5年ぶりくらいの復活。(喜)

もう今までに十分見たのでいいわ・・・とはならず今年も見物。

こんな時は地元の強み、カメラと籐の椅子持参で、ちょっとそこまで。

始まってます。

駐車場と店の向こうに散発的に。

そのうち、よく見える場所があると誰かが言っているのでちょっと足を延ばします。

スーパーの駐車場に人が集まっています。その向こうのさる施設が建て替え中で今年は見通しがよく、ここがよさそうです。

次第に大掛かりに。わっと上がる歓声。

車椅子の人も見ています。どんな人も楽しめる花火の有難さ。花火の下の平等。

左のポールが邪魔なので消してみました。

連発花火。パッと開いて音は後から。

光と音の伝わる速度の違いって、子供の時に習ったような。

ドン、ズザザザザーーーー、パラ、パラ、パラ・・・・

45分間の夏の夜の競演でした。

今年は、夫が市のバイトに出かけたので一人で見ました。一人で見たのは多分初めて。近い将来か遠い未来か分からないけれど、こんな年もありぬべしと、ひとりを楽しむ。ひとりでも楽しむ。


花火の記憶いろいろ。

最初は1970年、その頃付き合っていた男の子=今の同居人に誘われて、うちの斜め前のペットショップの前で金魚見ながら待つようにとの指令。確かに金魚屋あり。今は理容室になっています。

仕事の都合で広島を離れたこともあったけど、またこちらへ戻って来て、それから毎夏花火を見てきた。そのたびにいろんなことがあり。

次男、三男、一歳半から二歳前の頃、花火の音に怯えてドンと鳴るたびにワッと泣く。一時間、ドン!ワッ!!の繰り返し。本人、忙しかったと思います。

三男がサラリーマンになった初めての夏は地元で販売研修があり、我が家から仕事に通っていた。

ここにいると思ったと、勤め人の格好で屋上まで上がってきた三男と見た花火。

孫が小さい時は、何度か来たはずだけど、不思議と憶えていない。孫二人、結構肝が太いので泣かなかったかもしれない。

夫の友人夫婦と見たこともあった。その迫力に感激してもらえてよかった。また来てもらうつもりだったけど、その願いはもう果たせなくなりました。**子さんは亡くなり、友人も今は事情があって来られない。

毎年花火はあるけれど、人の境遇は少しずつ変わっていくようです。

それがまあ時の流れ、嘆くことなく、淡々と受け入れてその時々で人生を楽しむ・・・ということでしょうか。


昨夜は疲れて早く寝たら、2時ころ目が醒めて期せずしてオリンピックの開会式を見た。

パリの街全体が開会式場って、なんて素敵な演出なんでしょうか。

選手団がいろいろな船に乗り、川岸で繰り広げられる演出は大掛かり。ダンサーや歌手のパフォーマンスもセンス良くてパワフルだった。

やはり、花の都パリでなければできない技。パリの魅力をよく出していたと思います。

フランスの底力というか、文化の厚みに圧倒されました。日本人みたいな名前の、明らかに日本人でないダンサーは芸名だそうで。

以前、ポーランドの街(場所失念)を歩いていて、いきなり漢字の看板に出会ってびっくりしたことがありますが、一部では日本語や漢字がおしゃれな記号になっているのかなと。

きっかけはどうであれ、異文化に興味を持ち触れ合うのはいいことかなと、そんなことも考えました。

地元は今夜は車の立ち入り禁止。明石の花火事故のあとから次第に規制が厳しくなりました。地元民も許可証がないと車に乗れません。それで夫は警察署交付の許可証持参で仕事に。花火が終わって、今はとても静かです。

鉄道大好きの長男と、花火会場近くで、広島電鉄の電車のやりくり、客扱いを一緒に見たことも。長男、花火に背を向けて、熱心に見ていました。25歳くらいだったかな。

「いろいろなこと思い出す花火かな」偶成

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十二単、無料着付け体験

2024-07-25 | 日記

京都やそのほか各地で、着付け体験ができるようですが、殆どが有料。

京都の西陣会館だと写真付きで19,800円。以前、10,000円のときに着てみましたが、今は高くなっています。

着る | 西陣織工業組合 (nishijin.or.jp)

でもこちら、四国の高松市では無料で体験できます。

体験学習室|香川県 (kagawa.lg.jp)

化粧に袴はなし、あらかじめセットしたのを二回に分けて羽織り、裳を付け、唐衣を着て終わり。

十二単は重いというイメージがありますが、着物の重みを最後に腰のベルト状のもので締めて受けるので、肩に重みが掛からないようになっています。

きつく締めるところがないので、今の着物よりは楽かも。袖も裾もテキトーにさばいていればいいので、着崩れということもないし。

品物は高松の方がうんとよかったです。特注かな。季節ごとの組合わせを3セットほど準備していた。

京都の方はやや使用感ありでした。

四国へ行くことがあれば、JR高松駅から徒歩10分くらい、装束好きの方にはお勧めです。


昨夜は昼間の豪雨の後か涼しくて、部屋の三方向の窓を開けて涼しく寝られた。夏は何よりも睡眠時間の確保。いつでも、どこでも眠れるときに寝ておく。

夜は「光る君へ」の録画を見ながら、二時間ほど撚糸。手間がかかる。

しかし、弟との会話

「額の辺りが宜孝さまに似ている」

「もうやめて」

「別に無理してないよ」

ってどういう意味だあーーー

ばれているってこと?

倫子さまと明子さまの着ているものがお揃いって、なんで???

とばあちゃんも糸を巻きながらいろいろ考える。

本日午後から水彩画、明日はまた大学です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巡回展、終わる

2024-07-22 | 日記

6日間の会期が無事終わり、本日朝から搬出に行って来ました。

飾りつけよりも撤去の方が早い。10時半には終わり、会期中6,400人くらいの来場者があったとのこと。地方巡回展では確か、広島がいちばん多いらしいです。

私は風呂敷様の布に巻いて電車で持ち帰る予定が、只今開催中のキースへリング展に誘われ、ついでに見て帰る。

昼前には帰宅。やれやれ。本日気温35度の予報だったので、午後は家でじっとしていた。

結局、会期中、ほぼ毎日会場に足を運んだ。

昨日は四国から従妹が高速バスで見に来てくれたので、一緒に食事して鑑賞して、駅は片道15分くらいなので歩いて往復して、一日頑張りました。

会場前のロビーが広くて、毎日誰かに会える。それが嬉しかった。昨日は工芸の人はほぼ全員・・・と言っても5人中4人が来ていたので話をして、従妹も旧知のように話に加わり、いい時間を過ごしました。

何を血迷ったかこの私、急に着物が着たくなって、紗の小紋、博多帯で出掛けました。暑いのは耐えられるとして、以前買った夏草履が履き慣れずに足が痛くて困りました。

年取ると何よりも足元大切。次はもう少しクッション性のあるいい履物を用意して臨みたいと思います。

昨日の着物、二か所染みが付いた。胸元の口紅と、後ろ見頃の裾に原因不明のグレーのシミ。洗える着物なので、口紅は泡のハンドソープで、裾は手持ちのベンジンでいずれもきれいに取れた。やれやれ。夏は水洗いできる着物こそ幸いなり。

余りに暑くて、お太鼓の結び目にも汗染みがついていた。ぬるま湯ではたくといいとネットにあったのでやってみましたが、糊は少し落ちたみたい。博多帯は糊付けしているのが新たな発見でした。

これは姑のタンスに巻いたままあったので、自分で名古屋帯に仕立てて昨日初めて締めました。博多帯の幾何学模様は帯結びのゆがみが一目瞭然、直したいけど下手にいじって深みにはまっても行けないので、妥協して出かける。

会場当番の日なら着物でもいいけれど、昨日のように外を歩くのは苛酷な天候ではありました。

今夏はもう一度くらい着物着たいけど、どうなりますやら。

絽の長じゅばんも、洗剤着けずに水に浸し、絞らずに干した。

こう温暖化が進めば、着物着る人はますます減りそうです。


友達が見に来てくれて、会えなかった人は後でラインの感想を貰った。嬉しくてちょっと晴れがましい気持ち。そのために時間かけて機織りして、気が付けばもうこの年です。いつまでやれるか分からないけど、やれる間は頑張りましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朧月夜に似るものぞなき

2024-07-18 | 日記

20時半ころ、打ち上げ花火の音複数。コロナ以後、主催者を明かさず、ゲリラ的な短時間の打ち上げ花火がひと夏に何度か。

今年は港の花火も再開されるそうだけど、今夜はその先駆けのような夏の音だった。

外へ出て見ると、梅雨まだ明けやらず、月に薄く雲がかかっている。写真撮ったけど、手振れがひどいのでフリー素材お借りしました。

朧月夜と言えば源氏物語。奔放な姫君の役を、ずいぶん前のお正月ドラマ、沢田研二主役のドラマの中で、倍賞美津子が演じていたと思う。この話、分からない人多数の予感。

特別企画「源氏物語」|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

あの中の女優さんは、主役より年上のひともあり。ファン対策かなと思ったものでした。

今回のドラマ、解説サイトはいろいろあるけど、こちらはさながら文芸評論の趣き。

https://note.com/tender_bee49

役者さんの表情の一つ一つを読み解く。読みごたえあり。よかったらどうぞ。


今朝は大学へ行き、さあ織り始めたら、ぬあんと糸を忘れていた。前回足りなくなって早退、その後準備してたのにバッグに入れ忘れるというお粗末。

わずかな糸で、一時間くらい作業して、帰宅。午後は夫と展示を見に行き、その後大学へ行く予定だったけど、工芸の審査員・・・と聞こえた・・・方を会場で紹介されたので、しっかりお礼を言ってこれからも頑張りますと殊勝な態度の私。

絵もしっかり見るうち時間が経ち、午後からまた行くつもりだったけど、夫の車で帰宅した。

来週こそ、糸をしっかり準備して頑張ります。

最近困ることは着る服が限られること。暑いのでお洒落よりも心地よさ優先。さらに冷房対策も。そうすると組み合わせは3種類くらいしかない。長い間、ちゃんとした服買っていないので、美術館で人に会いそうなときは本当に困る。

今日も15年くらい前のワンピースに8年くらい前の薄手のカーディガン。嫁入り前に親に買ってもらった水晶のネックレス。これは肌触りが冷たいので夏に多用。

その姿はいかにも地味な田舎のばあちゃん。作品と服装は連動している。落ち着いたらちょっとましな服も買いたいけど、服を買いに行くための服がないというジレンマ。既製服との折り合いの悪いこの体。何よりも、何か新しいものを着たいという、若い時の切羽詰まったものが今は皆無。

服いらない、アクセサリーいらない。歩きやすい靴と軽くて持ちやすい袋物はたまに買うけど。

きょうのバッグはこのタイプ。

ラシット russet カラーハンドル トートバック 超美品|Yahoo!フリマ(旧PayPayフリマ)

大きくて何でも入るけれど、中で小物が迷子になりやすい。

確か、最初のグレーは友達と倉敷に旅行してアウトレットで購入。8千円だった。色違いのネービーを今度はヤフオクでさらに安く。

結局、軽いこの二つをよく使っている。

人中へ出る機会も増えたし、これからは頑張ってお洒落したいものです。


今朝、地元の友達から展覧会見たと電話貰った。嬉しかった。

昨日は別の地元の友達に招待券届けたら、私が会場当番の日に来てくれることになった。その話の中で、共通の、東京へ引っ越した友達が昨年の中央展、見てくれたとのこと。私に感想のメールしたけど、反応がなかったそうで・・・すみません、見落としたみたいです。

東京も広いので、片道一時間もかかるのではと、今年は連絡するのを遠慮していたのですが、来年がもしあるとしたら、今度はぜひ会いたいなと思っています。

機織り一枚で繋がり、復活する人の縁。なんか癖になりそうです。人の話の中で、自分の立ち位置も自ずからわかるというもの。

はい、田舎の地味なばあちゃんです。したいことはする、したくないことはしない。最近、ますますその傾向が強くなっているかな。あれこれするには人生はあまりに短い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日休養日(半日)の予定

2024-07-17 | 日記

鉢づくりの朝顔。フリー素材より。


2日間、動き回ってさすがに疲れた。特に月曜日は搬入作業で4時間立ちっぱなし。夜はホテルで懇親会。来賓あいさつ聞きながら眠っていた私。

来賓男性は白髪率高し。真っ白な長髪を一部ポニーテールにして鶯色の、和服のような洋服のようなお召し物の高齢男性が特に印象に残った。

あれが芸術にたずさわる人の生命力というのでしょうか。

絵も工芸も一人でする孤独な作業なので、たまには人の中に入って行くことも大切。人の様子と話す内容に元気をもらう。

そして人の作品を素人がけなさないと言うことも大切かなと思いました。人をけなして自分がうまくなるわけでもない。人の足りないところが分かったら、自分の作品の糧にするというスタンスでいいのでは。

若いころの小説の同人雑誌、それが足りていませんでしたね。初心の私は何か言われるたびに怯えていました。そして人の作品が自分以上に評価されると心穏やかでない人も。それが作品の向上につながればいいのですが、各自が持つ才能の量は初めから決まっている。伸ばせば伸びるけど、それも才能の範囲内。

協調性はあまり重きを置かれてなかった集団。かく申す私もそう。いつも何か言われるかと身構えていた。話題の持って行き方が、「あなた、あれ読んでる?」で始まったら身構えるしかない。世の中には無数の作品があり、誰でも読んでいるのはごくわずか。好きなものしか読まない。それでいいんです。若い私はそれが分かっていなかった。

昨日は開会式に続いて主な作品の講評があった。大変勉強になったけど、これも立ちづくめ。昼は一度家に帰り、午後の茶話会に。織りの先生の真向かいに座ったので、大学で習っていることのあれこれを。

会に誘われたのは二年前の、忘れもしない安倍さんの亡くなった日でした。それから二年、今年は初歩の賞を頂き、今朝の新聞に私の名前も小さく載っていた。長男が早速見つけてラインしてくれていた。

がしかし、これから先どこまでやれるのか、もはやネタ切れ気味。才能ないなんて自分で決めてはいけない。あるなしを決めるのは神の領域。淡々と頑張るだけです。


昨夜は股関節がとても痛くて眠れないので、湿布貼って痛み止め飲んで寝た。

これからはこんなことが増える予感。履物はお洒落よりも楽なのを優先。そして体重を減らす!!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日、開会式

2024-07-16 | 日記


きょうから日曜日まで、地元巡回展です。
開会式その他の日程を終え、今はロビーで友だちを待っています。
まだ梅雨も明けませんが、来週の搬出まで忙しい毎日が続きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑くて忙しい、、、

2024-07-10 | 日記

昨日は二月に一度の通院、定期的に通って処方箋を貰うだけ。薬は近所の薬局で。

たったこれだけのことにとても億劫で、でも行かないわけにはいかず。

午後からは半年分の税金の計算するつもりだったけど、夫からもらうデータがまたしても不備。蒸し暑いときにテンション下がることおびただしい。

年に二回会う約束の県人会女子グループ、5人ともなると全員揃う日が今月中には無理そう。涼しくなってからということに。遠く郊外の団地から市中心部まで一時間半かけてくる人もいるので場所の選定も難しい。

昨日は夕方から引き続き織りのデザイン。やれどもやれどもきりがない。

しかし、先日の織り工房での若い助手の先生のお話。

「織は織り始めたときにはもう終わっている」

けだし名言です。

織りに掛ける時間は、デザイン>>>>織る準備>>>実際に織るという感じでしょうか。

デザインの段階で時間はたくさんかけたいけど、私のように圧倒的に経験の足りないものは、どうデザインすればきれいに織れるのか、果たして自分の技量で織れるのか、それすらわからず右往左往しています。

今はせっかく大学へ行っているので、周りの皆さんからいろいろなことを吸収したいものです。

昨日、会報が届いた。地元新聞に広告も出ていた。いずれも右下が私の作品。まだまだ発展途上です。よろしくお願いしますと、工芸の世界の入口ののれんを掻き分けたくらいの位置。残りの人生は短いのに。

他の受賞者の経歴、大学で芸術を学び、親御さんが画家だったとか、京都で代々続く焼き物の家だとか、錚々たる経歴の人ばかり。

60歳過ぎてぼろ布で裂き織りから始めた私は、残りの人生何を目指せばいいのかなと思ってしまう。

たくさん貰った招待券に案内ハガキ、今日はあちこち送り、ラインでも案内したけれど、あまり強要になってはいけないのでほどほどに。

息子たちは機織りに一切の興味なし。まあそういうものでしょう。

用事が多い時には気分を変えるために小説を読むに限ります。

しかし、本も高く、気が付けば著者は殆ど私より若い人ばかり。

ふーーーん、世の中こんなになっているのねと思うことはあっても、今さら自分の生き方を変えるのは難しいし、価値観がひっくり返るくらいの作品に出会ううこともなさそう。

それで昔の知り合いの方からもらった同人雑誌を読んでみた。

女性二人の同人雑誌。二人とも私より年上。

広島にも小説の同人雑誌が各種ありますが、老舗の男尊女卑的な運営に飽き足らず、二人で立ち上げて、コンスタントに発表し、もう32号になるところです。素晴らしい。

いつもは礼状だけ書いて読まないのだけど、今回は読んでみた。なかなかいいと思いました。一つは人を食ったような話、もう一つは介護や老人の諸問題。

小説とはどんなに隠そうとしても、その人の人間性が顕わになる、ある意味面白くかつ恐ろしいジャンル。

後書きにあります。日本文芸家協会の懇親会に出て、某有名作家と話したって。

えええええーーーー、地方の同人雑誌作家がどうやったらそんな場所に出入りできる????と思ったけど、二人とも自費出版で単行本を何冊も出し、ISBNナンバーがついて本屋にも並べてもらっているらしい。

確か地元の印刷所、またはどこかの出版社のサービスでそのナンバーをつけることができると聞いた気もする。

文学にしろ芸術にしろ、純粋のプロはごくわずか。その周辺にはたくさんのセミプロ、そしてアマチュアの人々が。

世に出なくても、自分の生きがいとして、生きた証として何かを残せたらいいのかなと最近は思う。うーーーん、たとえ身内にでも無視されたとしても。

完全な自己満足の世界です。

東京の懇親会で、陶芸の方が、娘は私の作品いらないって言ってます。だそうです。

私の出品作品は、100㎝の200㎝くらいなので、冬、布団の上からかけると綿だし目が詰んでいるので暖かいかも。これもまた押し付けになってはいけないので自己消費でしょうか。


前にも挙げたかな。先日の断捨離。

これは捨てない。織りの作業の時、大きな版の本は重しに便利。この上から姑伝来の漬物の重しを置いたりする。


先日、温泉宿で額を打ち、内出血の血液が目の周りに降りてたまっている。

初めはアイラインのとり忘れかと必死でこすったけど、取れないばかりか・・・

外出にはサングラス必須。元に戻るのにしばらくかかりそうです。ホントにトホホの毎日。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑くなった

2024-07-04 | 日記

昨夜は暑くて寒くて、首が痛くて二時間おきくらいに目が醒める。

未明4時、我慢できずに痛み止め飲んで、夫の湿布を拝借して首から背中に貼る。

首はまだしも、背中上部はどうしても手が届かず、台所道具のトングで掴んで勢いつけてぺたりと貼り付ける。

一人で湿布の貼れる道具、もう世間にはあるのかもしれませんが、なければこれから一人暮らしの老人が増えるので、発明したらヒットするかも。


昨日の友達の話で、印象に残っていること二つ。

同じマンションの人が地元の老人施設に入ったので様子を見に行ったとか。月24万の費用で3畳くらいの部屋で生活。ベッドと机、テレビに小さなチェストが置いているそうです。

3畳一間の個室が辛いと本人が言っていたそうな。そりゃ誰でも辛いでしょう。狭すぎる。独房みたい。まだ頭がはっきりしていたなら介護保険使って、足りない分は私費で民間の介護業者に頼んで、家にいる方が幸せかなと思いました。

そのためには男も女も生活者として自立していないといけませんね。

買い物、食事の支度、ゴミ出し、これは必須。お金の管理。その先は・・・差し迫ってないので詳しくないのですが、いろいろな支援を使って、なるだけ家にいたいと私は思っています。

で、山口県の島にあるさる施設はとても費用が安いそうで。病院併設。多分その病院の経営と思いますが、建設費が安かったのでしょうか。入居希望は60人待ちだそうです。

いえいえ、まだ少ない。姑の介護が家でどうしてもできなくなって、とりあえずショートステイに預けて施設にいろいろ当たった所ではいずれも150人以上の待ち人数。

幸い、2か月後に特養の空きか出来て、姑は同じベッドで寝ていたけど、特養に昇格。本当に運のいい姑でした。

全然歩けないけど初めはまだ頭もしっかりしていたので、私たちが行くと会えて嬉しそうな、でも家に帰れないと分かっていて悲しそうな顔をしていました。それを今思い出した。私としたことが、ちょっと涙が出る。お義母さん、ごめん。

介護の日々は大変でしたが、自分の老後への覚悟も定まったかな。

おや、思わず長話を。

なるだけ家にいる。子供と同居しない。と、昨日はそんな結論でした。最近はどこへ行ってもこんな話題ばかり。


さて寝苦しい夜の後、今朝、スマホのタイマーで目が醒めると8時25分、金曜日以外のこれが私の朝の起床時刻のデッドライン。ゴミ出しと、万一夫が寝過ごした時に仕事場玄関のかぎを開ける時刻。

慌てて起きて台所へ行くと、夫は既に一人で朝食を済ませて姿なし。あちゃ~。

この後、婆ちゃんたちの茶話会に、午後は夏服を出し、会計をし、本を読んで・・・

織のデザイン、早く仕上げたいけれど、なかなかです。


さっきテレビ見ていたら、スペインからの旅行者が、日本の夏は暑いとへばっていた。気温だけならスペインが暑い。2016年6月、マドリッドの空港に降り、市内をバスで移動中、バス停の表示は45度だったので、信じられなかったけど、連日40度以上。

それでもそう暑く感じなかったのは湿度が低いからでしょう。汗は全然出ません。というか出ているのでしょうが、瞬時に蒸発するので肌が汗で濡れるという経験はありませんでした。

こんな話を夫にすると僻むので、ここで書かせてください。

仕事辞めたら二人でヨーロッパもあちこち行くつもりでしたが、私はもう体力に自信がない。円安も辛い。で、美術部の部長だった夫にはいつかフィレンツェで大好きなミケランジェロを見てもらいたかったけど、果たせぬ夢に終わりそうです。

それで国内のコンサートは行ける限り行くつもりのようです。本日は反田恭平氏。高いけど辻井伸行氏の方がもっと高いとか。当地へ来演することもあるのでしょうか。

姑が染めたテーブル掛け、一時拝借してまた元へ戻していたら、夫が捨てた。残念。手染めでいい色合いでした。

亡くなって今年で3年になる。生きていたら101歳。

時々、夫の知らない姑の話をする。聞いて喜んでいるのかもしれませんが、あくまでも淡々と。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「光る君へ」における反物問題

2024-07-02 | 日記

先日の一場面。NHKよりお借りしました。


まひろ(のちの紫式部)に、夫宣孝がプレゼント持ってきます。

「ほらよく似合うではないか、当てて見よ」とか言ってます。

反物だそうです。

反物とは着物一枚が縫える用尺のこと、これでは少なすぎるように見えます。果たして縫えるでしょうか。

反物についてはこちらが詳しいようです。

「反物」とは?意味を知って正しく理解 | バイセルオンラインストアの着物コラム (buysellonline.jp)

ねっ、やはり画面の布では少ないです。

道長と妻綸子が、娘彰子を天皇に差し出すことで話し合っています。

場所は夫婦の寝室。着ているのは当時は小袖と呼ばれたいちばん下に着るもの。それが今の和服の原型と言われていますが、ドラマの布では小袖も無理に見えます。

せめて巻物のように巻いてほしかったです。

神は細部こそ宿り給う。小さなことをおろそかにしないドラマでお願いします。せっかくの話に酔いたいのだから。

このあと、夫婦げんかになり、まひろは夫に香炉の灰を掴んで投げつけるんですよね。まひろの送った歌を他の女性に見せびらかしたことがきっかけでしたか。

私ならそれにも怒るけど、こんな端切れみたいな布切れで私の機嫌とるつもりと、布の短さに怒る。無地だから用途も限られそう。

布地の流通、どうだったんでしょうね。

今よりうんと貴重品だから、たぶん注文生産。権力者、富貴の者はお金のようにたくさん家に置いておき、お礼や褒美でそれを使う。道長は呉服屋みたいに家に布地をストックしていて、節目節目に人に下げ渡していたとか、何かで読んだ記憶が。

庶民は・・・私の類推ですが、布地を仕立てる場合と、古着の流通もあっかもしれませんね。

 

私は平安時代が好きなので、衣装、調度、所作、楽しんでいますが、道長を善意の人として描くので、シナリオでは史実との整合性に最近は特に苦労しているように見えます。

娘を天皇に差し出す理由など。権力欲というか、それが当然という思考と思いますが、ドラマではえらく苦悩している。

私が子供のころ、小学校の教師をしている叔父から「学校に置けなくなった本」を貰ったことがあります。戦前の子供向けの歴史書。イザナギ、イザナミの神話から始まる皇国史観に貫かれた通史で、藤原道長は天皇をないがしろにした大悪人という扱いでした。

それもまた極端な見方。

摂関政治も歴史の必然から生まれたもので、単純に善悪では片付けられない筈ですが、天皇を中心に考えるとそうかもしれませんね。古代の天皇制は豪族、貴族のパワーバランスの上に成り立っていたので、有力貴族が権力を握るためには手段を択ばないのはこれまた善悪では判断できないところ。その時代、その立場に行き合わせたら誰しも似たようなことをするのではと思う。

鎌倉時代の有力御家人のパワーゲームに比べたら、刀を抜いて戦わないだけまだましかも。


一度やめたはずのこのブログになぜ帰った来たのかというご意見がありました。

前のを読んでコメントくださった皆様、申し訳ありませんでした。

説明は長くなるので省かせていただきますが、こちらの方がより安心のようなので、ふたたびこちらに書くこととしました。

久しぶりに昔の記事を読むと、前は孫たちがよく来ていたなあと感慨もひとしお。食事とおやつの提供、賑やかに遊んで、帰ると疲れが出て、そんな日があったことに感謝。

翻って最近は楽しいことも少なく、次第に年取って行くのかなと。まあ体に気を付けて人の迷惑にならないようにするのがこれからの目標であります。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とりあえず戻って来た

2024-06-30 | 日記

とりあえずこちらへ戻ってきた。

29日土曜日、前日の登校で疲れていたけど、午前中買い物各種。扇風機、上履き用ビーチサンダル、タブレット用のタッチペンなど買う。

午後からはあちらのブログ、記事を全部下書きに移す。

なんで私の名前で検索するとブログが出てくるのか、マイクロソフトに登録するとき本名でしたのが仇になったのか、何のリテラシィも持ち合わせていないのでわかりません。

こちらも無事ではないけど、気分転換に戻ってきました。

あちらへ行っていた2年半の間に私の境遇も少し変わりました。機織り作品を公募団体に出すようになり、忙しくなりました。

しかし、東京や京都での自作の展示を見に行ったり、会派の人たちとのお付き合いも出来て、いろいろ勉強させてもらっています。

夫はこちらを留守にしていた間に腰に次いで背中も傷め、以前の写真見ると元気だったなと思います。無理せず、なるだけ長く元気でいてほしいものです。

本日は関西方面に日帰りでコンサートへ。昼前でかけ帰宅は深夜になるそうです。したいこと一つずつして、悔いのないよう過ごしてもらいたいものです。

きょうはこのブログの2020年9月から12月までをざっと見直して、不都合な記事がないかと確認していました。後はまた次の機会に。

ついでに以前の自分が懐かしい。読書感想文など真面目に書いていました。今はなかなかそこまでできない。

この後、来年に向けて機織りのデザインです。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長い間ありがとうございました。

2022-02-03 | 日記

長い間、記事を読んでリアクション、コメントくださった皆様、ほんとにありがとうございました。

先月引っ越しました。突然のことで本当に申し訳ありませんでした。

次のIDのさむぶとは、gooID決めるとき、たまたま長男が仕事から帰り、私の横で、(自分は)寒い、(お母さんは)太いと連呼していたので、つまりそれは「さむぶと」だねと、難なく決定。季節は冬?

夏ならあつぶととなったはず。

はい、アホナ親子であります。

あちらの方も何卒よろしくお願いします。

あらはアクセス数もイマイチ、それで時々、故地再訪。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

手織り

にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ
にほんブログ村

日本ブログ村・ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村