以前のIDに戻りました。さむぶとです。そちらでもどうぞよろしくお願いします。
子供二人だけで、バスと電車を乗り継いでやって来ました。
大きくなったね。いつの間にか大きくなって。
先日のシーツの仕切りで遊びます。
子供の国なので大人は立ち入り禁止・・・とか言ってます。
午後からママも合流。
食後のトランプ。
ケーキ。
今年もにぎやかなクリスマスでした。
年末にまた遊んで、年明けにはまた集まります))))
とりあえず、マフラーの房を作る。
専用の道具もあるけれど高価なので、
こちらで代用。三つ編みを作る道具。
髪の毛も糸も、細いことではおんなじ。
こんな感じで。
まずは3本ずつ分けて撚る。スイッチは下側。
続いてまとめて逆向きに回転させる
スイッチは上へ。
最後に結ぶ。結構時間がかかりますが、慌てず寒い日は家でのんびりやりましよう。
明日は臨時の茶話会。世話役をしているのでお菓子いろいろ買ってくる。
迎春用お煎餅。来年こそ、コロナが収まっていいことがありますように。
ぼおーーと過ごしがち。
しなくてはいけないことは後回し。いけませんねえ。
たちまちは来週の茶話会の準備、年末年始の事務いろいろ、その上、来週はひょんなことからひょんなことすることになって・・・無事終わればいいけれど。。。。
こちらを今度はヤフオクに出します。
左端は著者から頂いたもの。私は将棋が全然わからないので、いつか読むつもりで、もう読みそうにもないので。
荒野さんは、この作品で直木賞でしたか。
エッジの立ったいい作品。好きだと決して言わず、そのそぶりも見せない。それでも二人に間に立ち昇る濃密な愛の気配。そして別れていく。愛はいろいろ。その描き方もいろいろ。
土佐堀川は朝ドラの原作本。広岡浅子の一代記、面白く読みましたが、確か京都の三井家の出身。嫁入り支度に振袖が70枚とか、それも数え方が70領と鎧みたいに。大家の女性が実業家として成功していく物語は、庶民には縁遠いけど、面白かったです。
堀辰雄や永井荷風はいくらで売れる?値付けには夫にお任せ。
右の本、公民館で借りて、あら、これ、前に読んでたと気が付く。
ああ、年よりくさあ~
これなら食べたすぐ後で、「まだ晩ご飯食べてない」と、この私が言い出すのも遠くないと思われます。
左の本は午前中に紀伊国屋へ行って買ってきた。
軽く読めるかなあと思っていたけど、なかなか骨のある本で、少しずつ読んでいます。
最近の知らない作家も網羅されていて、作品の紹介もたくさん。面白そうなのは読んでみたい。
これは今年買って途中で投げ出している。
核家族というのは、都市に勤め人が出現した大正時代に始まり、高度経済成長期、農村から多くの人が都会に出て賃労働者となり、そこで夫婦と子供からなる家庭を作った時に増えて、そこで言葉として生まれた。
歴史用語の厳密な意味ではそうだと思う。
中世は史料も少ない。まず論を立てて史料を探すしかないのかもしれないけど、タイトルにやや違和感が。その違和感で最後まで読めなかった。
佐藤優氏も言っておられます。全部の本を読み切る必要はないと。自分にとって不要と思えばやめていいと。それでとりあえずやめています。
本はタイトル大切。人間で言うと顔。顔にすべてが顕れる。
先日の本。副題大切。
それと本日は「70代が老化の分かれ道」和田秀樹著を本屋で読了。斜め読みで約10分。70代に健康に気を付け、世間との関りも持っていると80代も元気に過ごせる。70代は老化と戦う大切な時期だそうで。
肉を食べる。痩せすぎない。血圧、コレステロール値はアメリカの統計から出した基準値、少々はみ出しても気にせず、社会活動を続ける。
運転免許は返納しない。などなど。新書も高い。内容を確認するうち読んでしまって、結局買わず。すみません。
機織りや縫物はコタツでは出来ない。本はコタツで読み、寝床で読み、電車の中で読み、細切れの時間の有効活用。元々、人付き合いの苦手な私。年取って、本来の自分に戻りつつあるのかも。
人さまのブログ拝見すると、友達とランチ行ったり、この時期だと忘年会と楽しそう。そうなるためにはまず人の中へ出て行かないとね。
水彩画も写経も忘年会はなし。写経は、コロナ以前はあとでお茶会があったらしい。来年からできそうと奥様が言ってたけど、オミクロンでどうなりますか・・・
久しぶりにブックカバー出してみた。
自分で織って自分で縫製。青ではなくてもっと深い色。友達に貰ったレース糸。ブックカバーは電車の中で単行本読むときに使う。文庫本はそのまま読む。
良性だったとこの人にメールしたら、「万一悪性だとしても自分の口から言わせた方がいいと思って黙っていた。気になっていた」との返事が。
そうなんだあ。前もって不安がらせないようにとの配慮だったんだあ。あの日の赤ちゃんもすっかり大人になったようで、私も年取るはずです。
今年の夏の終わり、抱っこしてくれてる人の状態を知らせたら、それならあと三日と返信が来てその通りになった。この時言ったわけではないのに、見上げているその顔が言っているように錯覚する。それは親バカ。
今年もいろいろあったけど、前の世代を見送り、自分自身も老いに近づきつつあることをひしひしと感じています。
さてどんな日々が待っているのでしょうか。楽しみでもあり、そうでないようでもあり。
田舎暮らし適正診断テスト (inaka-tsuhan.com)
面白いのでやってみました。
私への診断結果は
風流人 長野県、山梨県の観光地に近いところ、別荘向き。
田舎の暮らしは肌に合わないが風景、自然をこよなく愛す。
別荘を建ててインテリアに凝る。
だそうです。かなり図星。
別荘は今さら面倒なので、今の家を別荘風インテリアにすればいいのかもしれない。それも面倒ですが。
よかったらあなたもトライしてみてください。
本日、近所のクリニックへ。そのあとカメラ持って出かける。
旧国鉄宇品線。法面の上が廃線跡。
桑。
戦後しばらくも近くの黄金山山ろくで桑の栽培をしていた。
ハナニラ
ふれあい広場。
イタドリ。
ハスノハカズラ。
海岸に分布。明治初め、この付近は黄金山から続く海岸線。
ヘラオオバコ
ノブドウが紅葉している。
石垣は、日清戦争直前の鉄道敷設当時のもの?
コナスビ。棘がない。
棘があるのが北米原産のワルナスビ。
ワラビ。
線路跡は国有地らしい。
ドライフラワーになって、葉が落ちないといいけど。。。。
本日は先日の検査の結果を聞きに行った。
良性。一年後にまた見せてくださいとのことだった。やれやれ。
先日来た息子に貰った写真見せたら、あるとしたらこのあたりかな。全体で10ミリ、本体は大きくて3ミリ、もう採ったあと。何もしなくていい。全然心配してないとのことだったけど、やはり気に掛かっていたので一安心です。
きっかけは4月半ば、ものすごくお腹が痛くなって血液も混じるので、当日に急遽検査してもらいました。気になるのは採りましょうと言われたけど、明日から旅行とお断りしていた。だって、楽しいこと、やめられないので。
先生には、エッ(このコロナなのに)旅行ですか・・・では秋の終わりころまた来てくださいと言われていた。
やれやれ、次回は一年後。それで何ともなかったら三年後でいいそうです。
きょう、カメラ持って草むらを徘徊しながら、健康で、自分の足で歩けて、好きな所へ行けるのが何よりのことと、しみじみとしていました。
これってすでに老人の感慨。いいもん、老人だもん。
土の上を歩きたい。
土のある川土手の道を歩きます。
赤い橋桁が国道2号線。
広島では東に川のある土地が好まれる。
この付近は戦前は別荘通りと呼ばれて、比治山を望む景勝地。大きな屋敷が多かったそうですが、今は代替わりしてほとんどがマンションに。
道は土の色に舗装している。
芝生が生えているのがほんとの土の道。
午前10時前。
日脚、長し。
鶴見橋と駅方向。
クヌギ?
クヌギとマンション。
斜面。
樹影。
カキとリュウキュウアサガオ。
筆柿?
川土手の小さな祠。延命地蔵尊。
イヌビワ。
平和大通り。あちら平和公園方向。
まだまだ紅い。
公共事業。
比治山橋袂の石柱。
大正15年=1926年製作。
削っているのは広島城内にあった第五師団の字?
こちら側だけ、削ったあと字をもう一度入れています。
おそらく敗戦(終戦)後、占領軍(進駐軍)の目を逃れるため、軍国主義的な部分を消したと思われます。
御便殿は、広島城内にあった日清戦争当時の天皇の宿舎。
のちに比治山に移し、神社のようにして拝んでいた。
原爆で倒壊後は再建されず。
味日本の敷地にアカザが生えています。
徒然草58段
紙の衾、麻の衣、一鉢のまうけ、藜の羹、いくばくか人の費えをなさん。求むる所は得やすく、その心はやく足りぬべし。
質素なものの例え。今はたぶん誰も食べないけど、ホウレンソウに仲間じゃなかった?
などと徘徊しながら、今朝の散歩は終了。
中学生のころ読んだショートショートに、未来を描いた小説として、高層ビルに住む一人暮らしのお婆さん。一人でも寂しくないのは胸に下げたロケットの中に土を少しだけ入れているから・・・誰の作品だったのかな。
その時は、そんなものかなあと思ったけど、今はタワマンのベランダにはプランターも置けないのでしょうか。風が強すぎて。というか、見上げたところベランダもなさそうですが。
土があれば寂しくなく生きていけるって、うん、分かる分かる。
土が命をはぐくみ、記憶を喚起する。その上を歩くのが人間の本来の姿。舗装された道ばかり歩くと、自分が生き物だと忘れそう。
ばあちゃんは、硬い道で膝を悪くして、卒然として悟ったのです。
本日の暖かい工夫。
突っ張り棒2本に冬用のシーツ3枚。
昼休みに帰った夫が、文句言うので「カーテン反対って言うから、シーツにしたのに」と反論する。「カーテンレール、買いに行って返品して、車で二往復したのに・・・」
シーツはもっと反対だそうですが、もう掛けたもんね。
何か高貴な人の御座所のように見えませんか。
両側の帳とばりが開いて、内外に即位を宣言するという・・・
いえいえ、この冬は、この中で暖房して機織りの予定。
出来上がるまでは決して覗かないように・・・はツルの恩返し。
一枚織るたびに痩せればいいんですがなかなか・・・。
師走の暖房大作戦。
昭和の家には床の間が。
でもこの部屋はお客さん通すこともなく、今は寝る部屋に。
暖房効率よくするために、床の間を閉じてみました。
突っ張り棒に冬用のシーツです。冬の間はこれで行きます。
春には外します。
もう一か所、機織りする部屋は居間と一続き。全体で17畳半15畳半の空間。こちらも暖房の効率が悪く、冬は間仕切りが欲しい。
その間仕切りは、カーテンにするか、突っ張り棒に布を下げるかで迷ったけど、結局突っ張りとシーツ3枚で間仕切りすることにした。
わあ~貧乏くさ!!
貧乏くさいので、お客さんきたら急いで外す。
あら、後ろに何持ってるの?
いや、何でもない、何でもないっていう話の流れ。になる予感。
夫、腰が痛いと言いつつ、照明器具を取り付ける。
前のは昭和時代の丸い蛍光管、今度は丸くて小さな粒々が並んでいて、カバーしても明るい。多分これで最後まで。
こちらは切れたままだったけど、予備の電球が出てきたのでつけてみる。
ちょっとアールヌーボー調というのはおこがましすぎますね。今のエディオンで30年くらい前に購入。
アールヌーボーと言えば、目黒の旧朝香宮邸。世紀末のフランスに滞在していたのは大使か、はたまた駐在武官だったのか・・・
夫実家の本家筋に、陸軍大演習の折立ち寄ったのは朝香宮だったそうですが、あの屋敷を建てさせた人かどうかは不明。
暖かいので庭の落ち葉の掃除。
葉が落ちる時期が木によって違うので、お正月までにあと二回くらいは掃除の予定。
きょうはシロモジが裸になったので飾りをつける。
ささやかなクリスマス。
とは言え、節分過ぎまで毎年ぶら下げておく。
冬の裸木を少しでも華やかに。
きょう嬉しかったこと。
膝の痛みがほぼ治ったこと。
思い返せば9月半ばから今まで、三か月もかかった。
本当の元通りではないけれど、時々痛かったこと忘れている。それで気分が楽になった。やれやれ、しっかり歩いて少しでも老化を遅らせたいもの。
先日訪ねて行った友達は、中学、高校が同じ。揃って広島へ来て、大学は違っていたけど、もう60年くらいの付き合い。
お互いこちらには親戚もないので、困った時は助け合い、話も聞いて聞かされて、とっても世話になった。
リハビリしてまた元気になってほしいと思う。
本日午後から姑様の納骨。
久しぶりにきちんとした服を着ると、ついでに友達の家に行きたくなって電話する。
もう寝た切りになりましたとご主人が言われるのでびっくりして、自転車で15分くらいのお宅へお邪魔する。勝手知ったる友達の家、勝手に上がって、ベッド脇のご主人、ベッドに横になる友達としばし話をする。
昼になったので帰宅。思い切って行ってよかった。
午後から納骨。
墓地の横にもうフユイチゴが実を付けていた。
墓地の掃除は墓石業者さんが前もってしてくれていた。
義妹夫妻、夫の故従兄の家族二人も来てくれて総勢6人で納骨式。昔からの菩提寺のご住職にお願いして、無事終了。少しだけ立ち話して解散。
いよいよ一連のお見送りの行事も終わった。墓地にいると、いろいろなことを思い出した。
田舎でゆっくり話すところもなく、義妹夫婦も車で帰って行った。行事が終わり、親族が分かれていくこの場面が私はなぜか弱い。次は一周忌、次はどこか店に行ければいいけれど。そう思った。
帰宅途中、ビックカメラで照明器具を買い、夕食は近所のお寿司屋さんへ食べに行った。
自前の釣り船があり、店主自ら、目の前の広島湾で獲った魚も店に出る。歩いて行けるので年に何回かは食べに行く。
握りずしのお任せコース。
お酒と付き出し。カキを揚げて甘酢に浸けている。
揚げ物はカキ、アジなど。
蒸しもの。
蒸しカキをオプションで注文します。
最後が盛り合わせ寿司。
ここにもカキが隠れている。
おまかせコースはもっとボリュームいっぱい。以前は何度か食べたけど。
いつかまたチャレンジ・・・しなくてもいいけれど。
きょうは友達のお見舞い、納骨、食事と、したかったこと、するべきこと一つずつこなして新しい年を迎えましょう。
こんにちは。師走になって寒い日が続きますが、お変わりなくお元気のことと存じます。
お孫様たちもそれぞれ大きくなられ、楽しみが増えたことでしょう。また平和公園のガイドボランティアも再会されたのでしょうか。前にもましていろいろな場面でご活躍のことと存じます。私もおかげさまで相変わらずに過ごしています。
さて、本日は思いがけずに義母へのお供えをお届けくださり、本当にありがとうございました。葬儀、初七日、四十九日はコロナ禍の中でもあり、ごくひっそりと執り行いましたので、ご丁寧なお志に、夫ともども感激して、ようやく義母が亡くなったことを実感し始めた次第です。
本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。
絵付けの教室を離れたことは残念でしたが、そろそろ次へ行く潮時だったのかなと今は思っています。その節には大変お世話になり、楽しい時間をたくさん持てたことを感謝しています。
またお会いする機会があれば嬉しいと思いますが、それまでどうぞお元気でお過ごしください。
最後に改めて、本日は本当にありがとうございました。寒さに向かいますので、どうぞご自愛ください。
大きくなったね。一月ぶりですが、一回り大きくなっています。
小さいよ、と紙袋に潜ります。
白が孫、黒が私です。
最後の黒を置かせてもらえません。
何してるの、勝負にはおばあちゃんも孫も関係ないと、本気を出す私。
そう、勝負は、そして世間は厳しいのよ。
YouTubeばかりしてないで、ほらケーキつくろう~♪
近所のスーパーへ材料買いに行く。
好きに飾ってごらん。
余ったミカン、追加。
孫がパソコン触っている横で写真整理する。
その心は、自分の葬式で流す写真を10枚程度セレクト。
しかしなかなかこれというのがありません。そのつもりで写してないので。
40代初めころ。広島市郷土資料館が開館してまもなく。隣は実母。60代。
大阪の花博へ行ったときかな。ホテルがなくてツアーに参加。
変顔の三男。
30代初めのころ。今から実家の法事に行きます。
弟が結婚して同居することになり、二階を二部屋から四部屋に増築した実家。
周りはまだまだ水田が多く、隣の家は藁ぶきにトタン板をかぶせた古い農家の作り。
左隣のお宅はお勤めする家、我が家の土地を売ったのでした。
手前のグレーの屋根は庭の一部に建てた貸家。昭和感満載。
さらに手前の、政府系金融機関の官舎の屋上から写したらしい。ベランダにいるのは母?
特徴ある山は屋島。源平合戦もありましたね。と見てきたように。。。。
姑様、姑様のお母さん(大姑)、長男、私。
ひ孫に会いに、鹿児島から来たときでしょうか。
長男の浴衣は私の母が縫ったと思う。よくいろいろなものを縫って送ってくれた。
姑様の笑顔。よく太った長男。赤いワンピース着ているのが私。これも自分で縫ったと思う。産後でそれまでの服が入らず。。。。アイロンがけ不要のサッカー地。今はサッカー地、見ないけどどうしたんでしょうか。
遠い日の一枚。
でも葬式に使えそうなのはなかなか見つからない。
これは結婚式の日かな。かなじゃなくて、その日以外なわけがない。
エレベーターに乗って今から式場へ。こんなもん、葬式に見て誰が感動する?
結局、私の産んだ息子三人と夫と私と、五人だけで写したスナップ写真は一枚もなさそう。写真館のはあるけど。
ちょっと愕然としています。そこら辺に息子たちがいたのが当たり前だった日々ははるかに遠く。
夫、腰が痛い。私、膝が痛い。元気な孫にどっと疲れる日々。
頂き物のアップリケの壁掛け。
手が込んでいます。
きょうは車でショッピングセンターまで出かけ、用事色々済ませて、ついでに道路向かいの整形外科へも行って帰れば14時。
遅い昼ご飯を食べていたら、夫が仕事から帰り、照明器具を買い替えるので、一緒に行かないかと誘われる。
別に今のままでいいのにと思ったけれど、付き合う。ふむふむ、照明器具も知らないうちに進化。しかも安価。買って帰って、夫が一人で取り付ける。
LEDかなんかで、シンプルかつ明るい。手元のリモコンでいろいろ操作できるのも便利。
やれやれ、明るい部屋でいいお正月を迎えましょう。
昨日の話では相続はもうあらかた片がついたとのこと。それでいろいろ買い物する気になったらしい。
それにしても、早ッ!!
びっくりした。
公正証書も、ネットで書式探して自分で作って弟妹にハンコ押させたとか。銀行の人には自分で作ったんですかと驚かれたとのこと。
実父は命日が姑様と一週間違い、今の時期には何も決まっていなかった。
こういうことはケースバイケースだけど、うまくいった原因は、姑様がどの子にも同じ扱いをして、姑様自身が我がままでなかったことが大きいと思う。
私は初めから揉めるとは思ってなかったけれど、夫はやはり安心したのでしょう。私もその話を聞いて安心した。やれやれ。
私自身、あと何年生きるか分からないけれど、これからも見栄やストレス発散の為には買い物しないけど、新しくて安くて便利なものは暮らしに取り入れてもいいかなと思っている。
今年はエアコンも二台買い替えた。靴もお洒落よりも履きやすいもの、転ばないものをって、ささやかですねぇ。
来週はいよいよ納骨の運びとなった。それが終わると一段落。
寒いのが苦手な姑様は、山の中の墓地で冬に向かってきっと寒いだろうなあと思うけれど、もう暑さ寒さも超越していることでしょう。
姑様が、戦後嫁いできて初めに住んでいた土地。夫が生まれた家もまだ残っていて、墓地の近く。いろいろ思ううち、さすがの私もしんみりしてきた。