今から帰ります。玄関を振り返ったところ。
今から帰ります。玄関を振り返ったところ。
11/4 尾道の浄土寺所蔵、源氏物語の扇面を貼り合わせた屏風が、特別公開されていたので見に行きました。昨日は最終日でした。普段は東京国立博物館にあるとのことです。
展示は本堂裏の建物。
大人1,500円、私(学生)500円。
六曲一双の大きな屏風で、暗がりの中でも金色が光を放ち、特別の存在感がありました。
以下はパンフから。
10/26と10/28~11/4のわずかな期間の公開でした。
暗がりの中で特別の存在感。
六曲一双の右は春夏の華やかな場面、左は秋冬の寂しく悲しい場面で、物語の順ではありません。
実際に使われていた扇の骨を抜いて屏風に貼ったそうで、一枚ずつが大きい。
後から書いた字は、折り目を避けているとのこと。
若紫と野分
若紫の有名な場面「雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠の中に籠めつりたるものを」が扇面に描かれています。
私はこの説明を読むまで、犬君とはその名前からいたずら好きの男の子とばかり思っていましたが、召使の童女だったらしい。
そうですよね。地味な境遇ですが、若紫の父親は先の帝の子で兵部卿宮、本人は藤壺の女御の姪、男の子が近くにいるわけがない。私の認識不足でした。
名前の由来は動物の生命力にあやかってのことでしょうか。大きくなると名前も変わる?
そしてこの場面は大河ドラマ「光る君へ」の冒頭部分、逃げた雀を追って川原へ来たまひろが、三郎と初めて出会うエピソードで本歌取りされていましたね。
いゃあ、よかったです。
美術館の無機質な空間ではなく、元々所蔵する寺のお堂の暗がりの中で、素通しで見られたのがよかった。
後は尾道散歩いろいろ。
千光寺山の裏、観光客用Pに車を停めて山を越え、街へ降ります。
尾道水道と向島。造船所も見えます。
千光寺への参道を下って行きます。
尾道大橋と新尾道大橋。
19歳、一年生の春休み、尾道で美術部の合宿をした。泊まったのは友愛山荘ユースホステル。その頃はまだ付き合ってなかった我が同居人(夫)も参加。
友達がその**クンに頼まれて街で絵の具を買ったのはいいんだけど、しばらくして落としたことに気が付き、みんなで引き返したらチューヴは車にひかれてぺしゃんこに。
道に点々と(等間隔で)黒い跡が付き、やがて薄くなって消えていた。黒の絵の具でした。
何にでも笑える年頃、友達以外の私達には受けたけど、頼まれた本人はごめんと謝って潰れた絵の具を**クンに渡していた。**クンは憮然。
私は一人でJRで行くつもりでしたが、その**クンが「一緒に行く」「山、歩ける?」「大丈夫」というので車で出かけました。
山頂往復のロープウェーがありますが下りは当然歩いて。
谷あいの暗い道を下ります。建築基準法が変わり、山の斜面の家はもう新しく建て替えられません。それで、古い家が、店になったりしています。
殆ど森に呑み込まれそうな家はカフェ。お客さんもいます。
以前は猫がたくさんいて「猫の小径」。昨日は見かけませんでした。
道端の石で作ったオブジェ。
降りてきました。麓の家のオブジェ。尾道的。
向かい側。
降りてきたところで夫は腰と背中が痛いと言い出して、しばし休憩。
車に積んだ、自作の長い木の杖を持って来るんだったと悔やんでいます。使わないときに邪魔と却下したのは私でした。これからは本人の言うことに従いましょう。
浄土寺は商店街を抜けて、ロープウェイの降りたところからは10分くらい歩きます。真言宗泉涌寺派の古刹、映画「東京物語」のロケ地としても有名です。
海に面した崖の上に建っています。
本堂。
裏に茶室があります。
あれなに?茶室じゃないのと話していたら、後ろから袴姿の男性が来て、伏見城の茶室が西本願寺→浅野家(広島藩主)→向島の豪商→浄土寺へとその来歴を説明してくれました。
袴姿のその人は浄土寺の茶事を取り仕切る方だそうです。
伏見城の遺構は伝説も含めて各地に点在するそうで、こちらは古田織部作の写しとして江戸時代につくられたというネット情報もあります。
おりしもお寺では屏風を公開した記念のお茶席があり、「光る君へ」のセットみたいな御簾を垂らした一角でお茶が800円で振舞われていました。
せめてあの御簾を写真に撮ればよかった。残念。
後は街歩きです。夫はもう歩かない、コンビニで何か買ってここで休むと、商店街中ほどの観光客休憩所から離れないので、私一人で以前行っていた尾道ラーメンの店まで。
尾道帆布
電動の織機。
シャトル。
駅に一番近い尾道ラーメンの店は、久しぶりに行くと経営者が変わっていました。
とてもおいしい尾道ラーメンから普通においしいラーメンに。残念。飲食店の有為転変も激しいようです。
再び商店街を引き返し、同じ道を歩いて山頂まで上がり夫と合流。以前より山を上がるのがうんと苦しかったけど、歩けるうちはと頑張る。登っているのは若い人ばかり。無理をするばあちゃんでした。
ずっと昔、一度くらいロープウェーに乗った記憶があるけど、もしかしたら19歳の合宿の時?、以後一度も乗っていません。節約、節約。
夫に聞くと片道500円だったとのこと。お客さん多くてだいぶ待ったそうです。
こうして夫とも無事合流、帰宅。片道一時間半のお出かけでした。
11月はこの後、私のソロ活動が続きます。
夫は義妹と一緒に従妹の家に遊びに行くらしいけど、いつになるかはまだ決まっていない模様。
この従妹は私は苦手。
母親が入院中に「お宅の息子さんにいい医師を紹介してほしい」とか、「車種は決めてないけどお宅の息子さんの口利きで車を安く売ってほしい」とか不可思議な頼みごとをしてくる不思議な人。息子たちは会ったこともない人。
入院しているのに、別な医師を紹介してもらってどうするんだろ???
「私、何々先生の知り合いですう~」と言っても主治医からは「はあ?それが何か?」と冷たくあしらわれるんじゃなかろか。
息子は車を作る会社に勤務、地元で車を売るのは全く別の会社。それを混同しているらしい。本人名義だと安く買える話だけど、保険関係などの手続きが面倒そうで、私たちも頼んだことない。
夫の親戚とどう付き合うかは夫の自由、しかし私と息子たちは関係ないと先日宣言した。
母親からは法事で顔を合わせるたびに「太った」と言われ続け、最後は年取ったのダメ押し。その兄からも「年取った」と言われ、ほんとに失礼な一家。
以前の私は夫親族から何を言われても言い返さない人だったけど、もうこの年なので嫌なことはしないことにしている。そう決めたら気が楽になった。
姑は私の容姿など何も言わないばかりか、どこかよそで「うちのお嫁さんは頭がよくて美人」と言ってたらしい。まわりまわってその話を友達からいた。
私はもちろん頭もよくなく、美人でもありませんが、その話聞いて少しは頑張らないとと思ったのです。
ね、人は言葉が大切。そして日ごろの思いが言葉に現れる。気をつけたいと思います。
行ったのは12年前の今頃。日本の真冬のように寒かった。物価が安く、街は掃除が行き届いてきれいだった。田舎町は自然がいっぱい、などなど。
そして、モノの値段は記憶以上にうんと安かったです。当時は1€=102円~104円くらい。それを差し引いても生活の必需品は安く提供されている印象、余計なものは売ってない。質実剛健、合理精神。
粉末のドレッシングの素。
0.79€のこのパッケージの中に5袋。1袋で3~4回分。つまり15回分のドレッシングが当時で80円くらい。
酢とオリーブオイルを適宜加えて攪拌。
日本でも売ってもらえないでしょうか。瓶で流通は輸送費がかかるし、ゴミも出るし。
スープの素各種は0.35€。3袋入り。お土産にホテル近くのスーパーでたくさん買った。
ジャガイモ団子の素。200グラム入り。1.99€。ハイデルベルクのスーパーで。
水でこねて丸め、スープに入れたりして使う。
ハイデルベルク名物のチョコレート、クネーゼル。
女子学生が男子学生に思いを伝えるために渡したとかで、バレンタインチョコの起源と言われる。
土産物なので高かった。2.5€くらいだったかな。記憶あいまい。クネーゼルの本店へ行くと中国人旅行者がたくさんいて、その下をくぐるようにして何個か購入。
小説、アルトハイデルベルクの舞台にもなった、古くからの大学の街。
こちらはミュンヘンのスーパー、パン売り場。一つが25セントから40セントくらい。
大きいパンで1€ちょっと。当時のレートで110円くらい。これ一つで家族が何日食べられる?
ご飯炊くのと違って道具も光熱費も不要。
ワインはお茶変わり。普段飲みするのがたくさん置いてあります。
いいものは別のコーナーかも。見なかったけど。
このチョコは3.99€。どこかのスーパーで。
スーパーのレジはベルトコンベアの上に自分で品物を置く。前の人との境にスティックを置いて、レジを打ってもらい、現金またはカードで支払って自分の袋に入れる。
もたもたしていると後ろがつかえるので焦ったけど、今は多分セルフレジになっているのでは?
ドレスデンで。
紅葉したツキヌキニンドウ。ローテンブルクで。
ドイツの一枚。
晩秋のバンベルク。
教皇宮殿のある丘から旧市街を見下ろす。
冷たい雨。傘をさす人。落葉する木々。。。。
昨日届いたドイツのお土産で、しばし昔をしのぶ。先週の暑さも収まり、今朝から寒い。夫は風邪ひいているそうで。
夕方、息子からのドイツ土産が届いた。チョコレート、蜂蜜、チーズ、グミなど。
佐川急便の方が着払いですと言うのでびっくりした。冷蔵便で1,770円。
昨日は、あの赤ちゃんだった子が海外で仕事してお土産買ってくれるなんてとウルウルしていたのに、お土産は嬉しかったけど、感動も引っ込んでしまった。
でも以前息子宅に泊まり荷物が増えたのを、嫁ちゃんが後で送ってくれて、料金出してもらったからおあいことも言えます。あの時は自分の荷物なので当然着払いにすべきでしたね。
ヨーロッパのスーパーで売っているチョコは安くて、殆どがベルギー製。
日本のよりだいぶ甘い。でも息子からのお土産、有難くいただいています。
後は織るだけになっているのに気が乗らない。
最近、読了した本。感想は後日。
昨日午後から、リフォーム工事の見積もりに、2社に来てもらった。
窓2か所に面格子をつける。
庭の奥、家の裏口へ回る通路の部分に、一部屋根をつける。
リビングの一番大きな掃き出し窓を二重にする。
と、小規模な工事です。
二重窓は補助金が出るとのこと。知らんかった。今年中とかが期限だったかな。
家を建てて46年間、田舎人間の癖が抜けず、夏は開け放して寝ることも多かったのです。
しかし先月、お隣に泥棒が入りそうになったし、ニュースで見る強盗事件の数々、用心のために面格子をつけることにしました。
家の裏なんて、ほとんど行かない。それで今朝はせっせと通路や庭を片付けていたら、8時半頃、夫が呼んでいる。
姑の遺品の古くて重い電子レンジを、無料引き取りのゴミ業者に持ち帰ってもらうそうで、4階から下ろしたいと。50年以上前の古いビルでエレベーターがありません。いずれ設置の予定だったらしいのですが、ないので、一階まで下ろす手伝いをして欲しいとのこと。
以前の夫なら、何でも出来ていたのですが、最近は腰と背中に難があり。手伝うことにして4階まで行くけど、これがとても重い。階段を3階まで下ろしたところでギブアップ。ケガしてもつまらないし。
いずれ出来なくなるんだから、元気なうちにゴミを捨てなさいとあれほど言ったのに・・・と心で思ってもあまり口には出さない。少しは出したけど。
常日頃、ゴミを早く片付けてと言っているのに、あまり減っているようには見えない。最後は私が捨てると高をくくっている?
自分のゴミなら捨てて片付いて気持ちいいけど、人のゴミは触りたくない。テンション下がる。後であれ後言われても嫌なので私はノータッチ。
人のゴミ以前に、不要になった私担当の紙のゴミが山ほどある。ほとんどが税務資料、念のために取っていたけれど、税務調査も一度も入らなかったし、もう不要と思われます。少しずつ片付けています。
電子レンジはスタッフの加勢を得て、下まで下ろしたらしい。あと一間幅の食器棚が二竿、それは分解してから捨てるのでしょう。
パッケージです。
きょうたまたま隣に座った人が、高校の同級生♂と同じ中学、同じ学年と判明。それで私もつい、〇〇君という人、知りませんかと聞いたけど、人数多くて知らないそうで。
オシロイバナ。ネットよりお借りしました。
先月お休みだったけど、今月もまた休む連絡がありました。
残念。
2年前に亡くなった先生の奥様に今は習っている。同じ専攻だったそうで、やはり絵を描かれる。故先生の回顧展が盛況で、昨日はお客さまの対応でお疲れとのことです。無理もありません。80代前半、私もいずれそうなると思います。
午後から行く気持ちだったので、ぽっかり空いた時間。有効に使えばいいのだけど、こんな場合、たいてい無駄に過ごしてしまう私。
今朝は綜絖通しの続きしていたけど、一部間違いあり。直しつつ、今やっと3分の1。しかし、やり始めると元気が出る。デザイン決めるまでが大変。乏しい能力を出し切っても全然足りないので、いつも四苦八苦。
昨日今日と、広島はとても暑い。昨日の午後からは真夏みたいに暑くて、私がどうかなったのかと思いきや、県北(盆地)では30度超えたそうで。暑いはずです。
先日の記載漏れ。
その他に「身投げをするお寺も行った」と話していたのは清水寺でしょう。
しかし、身投げするために建立したお寺ではありません。くれぐれも間違えないように。
私自身も気をつけないといけないのですが、周りへの不平不満に捉われて、聞いてくれる相手の(先日の場合は私)話に耳を傾けないのは、老人特有の症状かなと思います。そうだと認定すると私も楽。もう人のためにあれこれ考えるのは止める。
私の母はもっとひどかった。同居家族の悪口を言い出したら止まらなくて、そうじゃないでしょと合いの手入れると、それでまた活性化して同じ話を繰り返す。
そんな人間を誰がまともに相手にすると思います?
一緒に旅行した時は逃げられなくて聞かされ続け、夜中にあまりに背中が痛くて目が醒める。その時は何が起きたか分からず、翌日も同じ症状と過呼吸、動悸で、やっと、これは自分の体が聞くことを拒否しているのだと悟りました。あの時は既に認知症が始まっていたのでしょう。
私が、近所のおばあちゃん達の茶話会の世話をして学んだことは、年取って一人になるのは新しい人生のスタート、過去にとらわれず前向きに生きることの大切さであります。お世話させてもらってよかったなと思います。
何もかも満足な人ってこの世には存在しない。誰しも不安、不満をかかえている。折り合って生きるしかない。それに折り合えない人は、自分で不幸を引き寄せているようにしか見えない。先日、夫には「もう相手にしない」と言ったのですっきりした。もう知らんがな。
私もあと何年元気か分からない。ひょんなことで工芸を始めて3年目、あと5年くらいは続けたいけど、若い時から半世紀もしてきた人にはとてもかなわない。でも行けるところまでは行ってみる。
フリー素材より。
昨日はお天気が良くて、長男一家全員と次男、要するに近くにいる身内が全員やって来て、賑やかに屋上菜園の芋堀りをした(らしい。私は昼ご飯の準備で不参加)。
夫が背中を傷めて園芸を医師から止められ、今年から手のかかる夏野菜はやめてサツマイモの一択。これが息子孫に好評で、今年は二回目。
先月は不慣れで、早く収穫しすぎたらしい。きょうはプランターの数は前回の半分以下だけど、たくさん採れて、息子たちがそれぞれ持って帰ったけど、まだたくさん残っている。
ばあちゃんの茶話会にいつもご飯を寄付してくれる人に、お礼のサツマイモなら受け取ってくれそう。今度持って行く。
さて、昨日朝、夫に「義妹の愚痴は聞かない」と宣言した。過去には実家の母が来てはずっと弟夫婦の悪口言うので堪りかねて一喝。しばらく大人しくしていたけれど、やがて復活。
しかしうんと年取ると穏やかな人柄になって、いい人になって旅立ったのはよかった。
義妹の場合はなるだけ避けていたのに、あちらさんもどうしても私に聞かせたかったらしく、逃げ遅れた。
そういう場合はまともに対応してはいけないそうですが、ついアドバイスめいたことも言ってしまった。残念!!
「長男の嫁だから親の面倒見るのは当たり前」と言う旦那さんなので大変だったと思う。義父母の二人が同時に手のかかる時期もあったけど、今は自由の身。今の自由が頑張った自分へのご褒美。幸い自分の部屋も新築したし、そこを有効に活用したらいいと思う。
私は旅好きなので、つい、
「旅行をすればいいんじゃないの?京都なんかへは行かないの?」
と聞いたら、修学旅行のほかには我が姑と一度だけ行ったそうで。
どこ行ったの?
なんかとてもたくさん仏像のあるところ・・・は三十三間堂でしょう。その他には、仏像のあるお寺、微笑みの仏像・・・だそうで。はてさて、どこなんでしょうか????
京都にはお寺たくさん、仏像たくさん、その話だけでは分からなかった。
修正できない過去のことは忘れて、義妹は、そして誰しも人生を楽しむべきと思う。楽しいことで嫌な思い出に上書きする。
不肖この私、歴史好きで、数えたことないけど、数えられないけど、50回くらいは京都へ行ってるんじゃなかろか。
さすがに飽きて近年はご無沙汰していましたが、工芸の展示でまた御縁ができて、新しい関り方が嬉しいことであります。
「どんどん旅行したら?私は東京も行くよ」とはっぱをかける。でも一人で出かけるのに慣れてなさそうなので難易度高いかも。過去のことは忘れて、何か自分の楽しみを見つけてほしいものです。
物事は違う方向から見るとまた違うように見える。今の幸せに早く気が付き、心穏やかに過ごしてもらいたいものであります。私も、同じ一日24時間、楽しく過ごしたいものです。
長男の嫁ちゃんも、以前は私によく愚痴を言っていました。でもそれは全然嫌ではなく、娘のいない私はむしろ嬉しくて長話をしていた。今は問題が解決したのでその話はなし。
昨日は着ない服を見せたら貰ってくれることになり嬉しかった。孫と二人で分けて着るそうで。
しばらくはこのいい気候を楽しみたいもの。
お弁当を作りました。