ブログ

 

安保法制反対のデモに

2015-07-19 | 戦争反対

2008年6月 ロンドンで


 

参加するつもりで家を出たのだけど、少し遅くなって遭遇できなかった。解散するところで待ってたけど、これまた影も形もない。

何と言う間の悪さ。

きょうのデモは、若いお母さんたちが、我が子を戦争に行かせたくないという趣旨で、ネットで呼びかけて集まったらしい。若くないけど、ちょっと覗いてみたかったのに。

公安委員会への申請とか、いろいろメンドーな手続きもクリアしたとは思うけど、それにしても全然出会わなかった。

連休中日の広島中心部はたいそうな人出で、夏物バーゲンもいよいよ終盤らしく、買い物袋下げた人もたくさん歩いていた。

戦争なんて影も形もない平和な街、でも先の戦争だって、空襲があるまでは多少不自由でも、普通の市民生活を送っていたらしいから、平和な毎日の中にも戦争の影は射しているのかも知れない。

ふと、21歳で戦死したという、会ったこともない叔父のことを思っていてた。その人は遠い南の島で餓死したんだそうで。

それからまた街を歩く人の顔を見ると、目の前の眺めが急に現実感を失くして遠景になってしまう妙な感覚。

パルコの一階でアクセサリーやバッグ見たけど、欲しいわけもなく、もうどうでもよくなっていた。

このアクセサリーと、あのバッグと、持っているのと持たざるに何の違いがあるだろうか。

それよりも大切なのは、この何も起こらない、牛の涎のような暮らし。

今度は遅れずに参加したいものだと思った。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人を許すこと、意地悪をしないこと

2015-07-19 | 断想

2008年6月 ロンドンで。

ツアーで仲良くなった人と、この付近の、今は美術館になっている貴族の屋敷跡を訪ねました。

午前9時過ぎ。店にはまだ人影がありません。


きのうの続きですが、人を許すのは、言うは簡単、実際には難しいなと思う。

自分にとても意地悪した人を許せますか。その人の境遇が変わり、こちらが優位に立ったら心に余裕ができて許せるかもしれない。

でも、その人のせいで自分がひどい迷惑をこうむり、本人はそれに気が付かないばかりか、相変わらず恵まれた生活していたら、私だったら心が穏やかではいられない。

許せないなら無理して許そうとしないこと。ただ関わらないこと。自分を傷つける人から離れること。それで充分だと思う。

で、時間が経ってみれば、あんなに嫌だったことも、遠い風景になっている。たまにその時の気分を思い出すけれど、それもこれも今の自分を形作った糧になっている。嫌なことや苦しいことのなかからこそ、人は多くのことを学び、成長して行けるのではないだろうか。

うーーーん、なんかきれいごとになりましたが。

意地悪をしない。これはどうかな。私は意地悪な方ではないと思うけど、意地悪されたことは忘れていても、何かのきっかけで思い出す。しかえそうとは思わないけど、こちらも距離を取るかな。私は元々、人付き合いはあまりいい方ではない。まあこれはネットしていて、だいぶ直りましたが。

いずれにせよ、人との付き合いはものの言い方一つで良くも悪くもなるもの。同じことでも相手に恥かかせたり、追い込んだりせずに柔らかく話して、断定を避ける。

うーーーん、それからそれから、何か一つ相手のことを褒めることにしている。今日着ている服だとか、元気そうじゃないのとか。

女性には、取り敢えず肌がきれいねと褒めればいいらしいですよ。私も言ってほしいものです。山へ行きまくったので、肌、奇麗じゃないけど。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

手織り

にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ
にほんブログ村

日本ブログ村・ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村