ブログ

 

遥かなるニッコウキスゲ

2015-07-29 | 断想

ニッコウキスゲ 2011年7月、日光の霧降高原で。


 

ずっと長い間、ニッコウキスゲという花を見たことなかった。西日本には咲かない花だし、7月の梅雨明けに、確か四日間で花期を終える、山野草の運命とはいえ、誠にはかない花である。

初めて見たのは20年くらい前、今の時期に一人で登山ツアーに紛れ込んで白馬岳に登ったときだっただろうか。白馬岳、白馬槍ヶ岳、八方尾根と廻って確か麓で一輪、咲き残りに遭遇した気がする。

高原の詩人、立原道造もたくさんの山の花を詩にしているので、多分この花もあったと思うが、今は思い出せない。

そのあと、霧ケ峰でも見たけれど、近寄ってみると案外まばらで、大群落というにはほど遠かった。

どこに行けば一面、淡いオレンジのニッコウキスゲに出会えるのだろうとあこがれ続け、2011年には日光へ行ってみた。ニッコウキスゲというくらいだから日光に行けばあるんじゃないかという単純な動機。

ロープウェーが廃止になり、蒸し暑い山道を登ること一時間弱、ありました。でもこれも大群落と言うほどではない。

あれは詩人のイメージの中だけの修辞なのだろうか。いやいや、温暖化で、山野草はどれも生育の危機にあるのかも。

涼しい高原に憧れながら、相変わらず街中で暮らしている。たまにの山に出かけるだけ。高速使えば1時間もすれば、自然がいっぱいの場所に行ける地方都市のありがたさ。

田舎暮らし、古民家暮らし、エコな生活、できたら素晴らしいし、憧れるけど、この私には無理。勤勉でないと田舎では暮らせない。人付き合いも普通とは思うが、決していいわけではない。

ただ夏になれば自然がとても恋しくなる。ずっと遡って、子供のころ、母の実家で過ごした夏休みを思い出す。

涼しい座敷、山、水田、池、いとこたち、歩いてまた別の親戚へ行く。庭先の木や夏の花。子供のころの夏休みは色彩にあふれ、笑い声とたくさんの大人たちの昔話に囲まれて、人世で遭遇する幸せの一つ。でもその時はそんなこと気が付かないし、来年も、そのまた次の年も同じ夏が過ごせると信じて疑わない。

思えばあの夏からずいぶん遠くへ来てしまった。でも夏の幸せな気分を、涼しい風がふと吹いたりすると思い出す。

今夜はイレギュラーでお嫁さんが孫二人を連れてきた。いろいろ遊んで、最後は「ナイナイ!!」と言いながらおもちゃを片付けて、帰って行った。やれやれ、来てよし、帰ってよしというけれど、すぐに大きくなって来なくなるんだろうなあ。一日として同じ日はない。

あんなに家にいた息子たちも全員いなくなったし、毎日元気で過ごせたらそれで充分と思うのでした。

花から話がどんどんずれて行ったけど、夏はいろいろもの思う季節でもあります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

手織り

にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ
にほんブログ村

日本ブログ村・ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村