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「私の1960年代」 山本義隆

2016-04-10 | 読書

久しぶりに300ページ以上の本を読んだ。

著者は約50年前の東大闘争時、全共闘議長だった人。当時、理学部物理科博士課程在学中だったが、活動が終息した後、東大から去り、長く駿台予備校の講師をしてきた。

また哲学や科学史の著書も多く出してきたが、回顧談のようなものはあえて避けて来たとのこと。この本を出すきっかけは2014年に山プロジェクトでの講演録を出版しないかと持ちかけられ、二つの安保闘争の十年間、大学管理法反対闘争から東大闘争までの一学生の歩みと経験を文字にするのはそれなりに意味があるのではと考えたからとのこと。

一読して思ったのは、この五十年間全然軸足のぶれていないひとだということ。若気の過ちとして忘れるのではなく、それが自分と世間にとってどんな意味があったのか、ずっと考えて来た人であったこと。

そして闘争にかかわった者の責任として、膨大な資料集を作り、国会図書館に寄贈して、歴史として残るようにしたこと。これはほとんど自腹だったそうです。

内容は1960年の安保闘争から始まるが、多くを割いているのはやはり1968年、夏前の医学部不当処分から始まる東大闘争のこと。それと東大の理科系学部が明治以来一貫して、国策に協力し、そのもとで学問してきたことを批判を込めて辿っている。

医学部不当処分は私もリアルタイムで記憶にあるけど、研修医制度の矛盾点を教授と話し合おうとして小競り合いになり、学生側の事情聴取なしに退学処分にしたこと。その中には当時旅行中でその場にいなかったものまで含まれていた。

東大医学部の教授会はその処分を撤回しなかった。それがきっかけである。

「疑わしきは罰せずは法の常識ではあっても、わが東大医学部では通用しない」と医学部長は言ったそうな。

ずいぶん後で、自分たちの過ちを認めたら責任をとらないといけないのでそのままにしたと処分を下した教授会の関係者が言ったそうである。

当時19歳だった私は、東大の教授って、ものすごく権威主義なんだなあと思ったのを憶えている。

この本で意外だったのは、山本氏は過激な闘争家というよりは、気長に調整をするバランス感覚の持ち主だということ。そうでなければ寄り合い所帯の全共闘の代表は務まらないだろう。

知らんふりして嵐の治まるのを待ち、静かになった大学に戻って勉強する・・・大部分の学生はそうしたのだけど、深くかかわり、矛盾と退廃を見てしまったあとでは、自分の戦いを自分で決着つけるために、それがどういう意味があったのか、考えずにはいられない。

闘争は短い期間だったけど、その後の著者の生き方はやはり、科学と政治のかかわりとか、在野で研究した成果を世に問うとか、自分で自分のしたことに責任を取っていると思う。

東大闘争というと半世紀も前のことで、私の学生時代だと第一次大戦のころ、完全に歴史に属することである。

しかし最近はこの国は、再び戦争をする国へ逆行しているので、昔こういうことをした人がいたのを知るのも意味のあることだと思う。

当時の本各種、殆ど捨てた。今回読んで思い出したこともあった。朝日ジャーナル、現代の眼も廃刊になって久しい。

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