震災の年の夏に出された本。著者は科学史家、そしてあとは知る人は知り、知らない人は知らない経歴もある。
物理学の著書で大仏次郎賞を受けたこともある。
震災以後、いろいろな反原発の本が出されたけれど、これもまた専門的な立場から、日本の原子力発電が、国民を棚に上げ、政界、財界、学会が一体となって原子力政策を推し進めた結果の破たんと、立場は明快。
原子力政策の内容は私たち素人には知らされていない。こんなに巨額の事業は国の支援なくては出来ず、政策を決めるのにどのような力が動いたのか、また学者はそれをどのように裏学問的に裏付けたのか、それを知りえる立場にはない著者も豊富とは言えない資料を駆使して、明らかにしていく。
プルトニウムをためる。なんでそんなことするかというと核兵器に使えるからである。それに国産ロケットの技術が加われば、潜在的に核兵器を持つことになるという論。そして政治家は決してそのことを口にしないという種明かし。
まさかと思ったけど、そうかもしれないとも思わされた。
でなければ、未だ水で冷やし続けるだけで原子炉に近付けもできていない、天文学的お金と何万人もが故郷を追われて彷徨っている現状を無視して再稼働しようとする意味が説明できない。
原発の事故までは電力のかなりの部分、原発に依るので必要悪と私も思い込まされていた。
しかし、原発停止後、東京で計画停電ということがわずかな期間あったたげで、(これだって原発ないと大変だあというネガティブキャンペーンかもしれん)、電力は足りてるみたいだし、電気代が二倍、三倍に跳ね上がってもないし、この面からも原発推進の論理は破たんしている。
なあんだ、もともと発電だけなら原発なくてもよかったんじゃないのと思った。
推進したのは、この国を強い国にして再び戦争にも対応できる国にしようという考えの人たち。
アメリカもいつまでも日本の面倒見られん、自分でやれという流れになるだろうし、かといって安易に覇を争う競争をするのではなく、冷静にこの国の生き延びる道を探ってほしいもんです。政治家には。
福一作った技術者の話、そもそも地震でどのくらい揺れるかなんて計算してないそうで。文殊を作った各メーカー、設計時にコンマ以下の数字は切り上げるか切り下げるかまちまち、それで繋いでいる。全体が分かる人間はいないとのこと。
ナトリウム漏れも初歩的ミス。配管に付ける温度計の鞘をつった町工場の職工さんがおかしいと言ったのに、「原子力は普通とは違うからこれでいい」と通ったそうな。怖いですねぇ。
もんじゅ、壊すのも置いておくのもお金かかるけど、古くなった施設、やっぱり壊すしかないのでは。
原発の交付金がないと成り立たない自治体だけがネックだけど、一度事故が起こった時の国民的損失考えたら、その土地を救う方法はいくらでもあると思う。
要するにこの国の指導者は、プルトニウムを持っておきたい。それが再稼働への口には出さない一番大きい理由なんだと。薄い本だけど、分かりやすくかつ深かった。
時節柄申し訳ないですけど、暇ネタで。
先日の夫誕生日、風邪引いてたのであるもので夕ごはん。
カレー皿に卵一つ落としてほぐし、チンして具を載せて挟む。ケチャップで日付入れて出来上がり。うーむ、究極の手抜き。料理に不慣れな新婚さんみたい。と言うよりは、やっぱり年寄りそのものと自分で受けた。