松江、月照寺 2015年6月
芥川龍之介が各地を旅行した印象、旅行記などを底本芥川龍之介全集から抄出したもの。
訪問先は松江、京都、槍ケ岳、長崎、軽井沢。一世紀近く前の各地の様子が、芥川の文明批評的な目で定着されており、興味深かった。
松江では城と水路、藩主の菩提寺月照寺に美しさを感じ、銅鏡を溶かして銅像を作る愚を嘆き、京都の光悦寺では鷹ケ峯が見えなくなる茶席がいくつも立てられているのに呆れるなど、芥川の立場は少しも揺るがない。
時間を経ても変わらないものに値打ちがあり、時の権力者、富裕のものがそれに手を加えることを怒る立場である。筋が通っていると思う。
光悦寺は二度くらい行ったけど、鷹ケ峯もきちんと見えたし、戦後の観光ブームで景観も整理、洗練されたのだと思う。
芥川は海軍機関学校の教員をしていて、軍艦「金剛」に乗って航海する。その旅行記は「暗鬱な書斎の人」という私の偏見を崩すのに十分だけれども、このなかでも高揚するでもなく、しっかりと乗組員の様子を観察している。
で、読むのに骨が折れたのは、大阪毎日新聞の海外視察員として1920年代に赴いた中国の旅行記である。
当時は清朝すでに滅び、辛亥革命の後、紆余曲折、軍閥が割拠する混沌の時代だった。日本人やアメリカ人、ヨーロッパ人も中国で仕事をし、あらゆるものが原色で混ざり合うるつぼのような時代と私は思っているのだけど、芥川はその中国で人に会い、名所を訪ね、様々な感想を持つ。
漢詩、漢文に有名な場所の現在の俗悪ぶりなども嘆くけれど、今の時代の私にはその場所の持つ意味が、巻末の丁寧な注釈を見ても理解しがたく、遅々として読み進められなかった。
新聞や雑誌に発表されたこれらの文を当時の人は普通に読んでいたのかと思うと、この一世紀の間、日本人の教養の質が劇的に変質、または劣化したのだと思った。
で、切れ切れに理解した当時の中国、揚子江の水の色が赤いというのは不思議。鉄分が多い?川全体が赤いところを見てみたいもの。奥地から筏を流して上海で売る。それが一年かかってやってくる。筏の上に家を建てて暮らしながらやってくる。。。。本当かしら?
としたら、中国のとんでもない広さを思う。まさか白髪三千丈ではないですよね。
骨が折れたけど、うーーーむ、教養豊かな曾祖父の話みたいで、しみじみとした味わいがありました。