今朝でしたったけ?
NHKで作ってましたね。
で、私も簡単に作ることにしました。スポンジケーキなどは焼きません。近所のスーパーで材料調達。
こんな感じで。ケーキの代わりにヤマザキの菓子パンで。
生クリームを泡立てる電動式の道具、とうの昔に壊れて捨てたので、最近ではもっぱらこれを利用します。
絞り出してナイフで広げます。
黒っぽいお皿がいいかなと移したけど、なんか田んぼの中にケーキがあるみたい。
元のお皿がよかったですね。
いえいえ、何も田んぼが悪いわけではなく。
枝や実は庭にあるもので。イチゴはまだ売ってなかった。
いただきましょう。
うわあーーー崩れた。
お皿は去年、転写紙で絵付けした。
ついでにクリスマスのお皿、いろいろ出してみます。
ピンボケ深謝。
深謝してばっかり。
緑の縁取りは元からあった。
ノリタケのディナー皿。
息子たちが結婚して家族増えたら使おうと思って10客買ってたけど、ナイフフォークで落ち着いて食べることなんて、この10年で一度もなかった。いつも混乱と喧騒の中、大皿に盛り合わせて各自で取るスタイル。
ノリタケのお客様相談室に「絵付けしていいですか」と問い合わせたら、「絵付けするようには作ってませんので、分かりません」というお答え。ごもっとも。
取り皿各種。ケーキなどを取り分けて食べる。
この他にもいろいろあるのですが、また出てきたら紹介します。
うんうん、少しずつクリスマス~♪
最近の事件と判決について、父親に同情的な意見もあるけれど、私は反対です。話はシンプル、世の中には殺されていい人間なんていない、時と場合によっては殺されても仕方ないという考えを許すのは、その範囲を広げかねず、殺人を許してしまうことにならないかと心配です。
日本は先進国の中ではまだ死刑の残っている国です。死刑を残すことで殺人を防ぐと言う考えもあるようですが、国家の手による殺人を許しているなら、個人の殺人に歯止めがかかるのでしょうか。
もちろん遺族の処罰意識はあると思いますが、生きてずっと自分の罪に向き合うことも処罰ではないでしょうか。こればかりは当事者でないので軽々には言えませんが。
私があのお父さんの立場ならどうしたでしょうか。
自分で何とかしようとせずに逃げます。早めに警察や医者に相談します。殺されると感じたら、当面生活できるお金を残して姿を消します。
殺される数日前、自分の人生は何だったのかと親の前で号泣したという被害者の息子さん、先回りして道筋つけられるのではなく、一緒に泣いてほしかったのでは。掃除なんて、目くじら立てなくても。いちいち言われたら、言われてする形になり、達成感がない。
ご病気だったと言うことで、軽々しくは言えませんが、親にいきなり殺されるなんてかわいそうすぎる。子供に殺されそうになったらとっとと逃げる。私ならそうします。何年でも連絡とらずに姿をくらます。どんなに気になっても、子供の生き力を信じる。
殺された息子さんの無念を思うと胸が痛いです。