8/21 庄原市の国営備北丘陵公園で、再現された里山風景を見ます。
さとやま屋敷の先には農家が二戸、こちらは移築したのかも(未確認)
軒下の農具各種。
草取り器は、水田に発生する浮草を取る道具。
真夏に稲株の間を歩いて浮草を引っかけます。
田植え用の綱は、畔から畔に渡して固定し、それに田植え定規を当てて植えていきます。
苗代で作った苗の束を籠に入れ、天秤棒で前後に吊るして田まで持って行きます。苗を適当な間隔で水田に放り込みます。
それを拾い上げつつ、田植えをしていきます。
足踏み式縄ない機。
ハの字形の樋状ものの間に座り、藁を数本ずつ入れて足で踏んで撚り合わせます。
これは農閑期に作りためておきます。近所の農家でない人が買いに来ることもありました。
昔のニュース映画で、東京の国立競技場で「全国足踏み縄ない競技大会」を見たことがあります。昭和30年代前後でしょうか。まだまだ農業で頑張っていた時代。
それにしても昨今の米不足です。
近い理由としてはインバウンド客の増加とか、地震に備えてとか言われていますが、米の生産量が長期的に減少しているのも原因では。
米は日本人の常食、国民が食糧の心配なく暮らせるのが政治の基本。抜本的な農業政策の改革を期待したいものです。
竈。
我が実家では焚口は一つで、前後に3つ鍋釜が掛けられる仕掛けだった。
沖積平野のど真ん中で近くに山はないので、燃料は稲を脱穀したあとのもみ殻。それで一年分が賄えていた。今はやりのSDGs。風呂は豆などの軸を乾燥させたものや紙類全般。薪は見たことない。それで何とか賄っていたのでしょう。その他には炭を常備。ちょっと牛乳を沸かすとかは七輪に炭。なくなると近所の店から炭俵で配達してもらう。
我が家は乳牛もいたので自家製の牛乳を飲む。牛乳はクリーム色で、沸かすと真ん中に黄色い脂肪の塊が集まります。
竈や七輪はやがて石油コンロになり、プロパンガスになり、都市ガスになり・・・
昔の家事は火の管理が大切。燃料を効率よく使って煮炊きに風呂。うまく回すのが主婦の裁量だった。寝る前には火を落として一日が終わる。
台所横の保存部屋。台所道具、調味料、漬物などの保存。
暗くて温度変化があまりない部屋。
我が実家では間口半間、奥行き一間、内側を黒い漆喰で塗り固めた「鼠入らず」と呼ぶ保存用の部屋があった。開きのドアで縁は・・・油紙のようなものを巡らし、密閉できるようになっていた。
ある夏、青物市場で西瓜をたくさん買って保存し、毎日一個ずつ井戸で冷やして食べた記憶が。一個だけ傷んでいたけど、あとは食べられたはず。
すみません、婆ちゃんの昔語りが止まりません。
そば打ち、竹細工などの体験ができるようですが、真夏の平日、誰もいません。スタッフの人たちが静かにお客さんを待っています。
さらに行くと焼き物体験。
展示館もありましたが、そこは写真がありません。
次に見えてきたのは神楽をする施設です。
前は広場になっています。秋まつりに、筵と弁当、酒持参で鑑賞します。今でもやっているのでしょうか。
軒下に龍!!
藁細工。迫力満点。生きているような顔が怖い。
このあとたたら製鉄、木の工房などありますが、夫はこの日は背中が痛くてあまり歩けません。それでここから引き返します。
さっきの農家。
座敷で休んださとやま屋敷。
暑い街中にいて、水田が見たい、涼しい景色が見たいと思っていたので、願いが叶い結構でした。
おっと、手前の電気柵にご用心。
ヒゴタイと稲。
公園はこのほかにもいろいろな施設があってとても歩いては回れないので、車で周回し、今夜の宿へと向かいます。
花は広い花壇に季節ごとに植え替えるらしいです。出来たころ一度来て、日陰のないところを歩いても歩いても同じ花が続くので、それからはご無沙汰でしたが、年寄りも楽しめる公園でした。
草を刈った裸地を放置して植物の変化を観察、極相林に至るまでを追跡するコーナーがあればいいとメールで投書して、「貴重なご意見ありがとうございました」と返事をいただきましたが、その後どうなったかは未確認。
25年くらい前なので、もし始めていれば今は雑木林でしょうか。
自然界の草花も木も、そこにあるのは自然の姿。管理しなくてもおのずと景観を作る。そんな場所も欲しいと、若い私は考えていたのでした。
今はもう人さまが楽しければ、私の好みなどどうでもいいという境地。
長話失礼しました。
公園は楽しめました。JR庄原駅から路線バスもあるようです。