9月に見そびれたもう一つの赤穂緞通の工房、それを訪ねるのが今回の旅の目的の一つ。
のんびり寛げる宿と探すうち、たまたまこちらへヒットしました。
赤穂線のほぼ中間地点、姫路からも岡山からもアクセスが悪く、不便な土地。
今回は京都から岡山経由で宿のある西片上まで。
西国街道に面した宿は安政3年1856年創業。
若女将によると、それまでは片上湾に面した回船問屋だったとのこと。
泊ったのは8畳2室の続き間の部屋。廊下が部屋の外を巡り、突き当りの渡り廊下の手前で施錠する仕組み。他の部屋の気配もなく本当に静かな部屋でした。
長年の旅館業で宿泊者もいろいろ。
明治天皇の名前も。
思うにこれは地方巡幸時の宿泊ではないかと思われます。
天皇巡行は昭和天皇が有名ですが、明治初めの天皇巡行も、ご一新で時代が変わったことを庶民に実感してもらう大切な政策でした。
当時は船で移動、宿は港に面した当旅館としたのでしょう。当時は海沿いのこの地方が海路、陸路ともメインのルート、人も物も多く行き交っていたと思われます。
チェックアウトして駅に向かおうとしたら、若女将が二階の大広間へ案内してくれました。
二階の大広間。
2年前、建築家の隈研吾氏がスタッフと泊まってこちらで宴会したそうです。
岡山県の木材の調査に来たとか、そんな話でした。
その他にビッグネームいろいろ。
与謝野鉄幹、晶子は各地に足跡を残しています。
各地で歌会があり、講師として呼ばれたようです。
備前焼の産地が近い当地で、陶芸作家と交流。
不鮮明ですが、昭和の超有名歌手がこの広間で歌ったそうです。
黒光りする舞台。
会館やホールのない時代・・・と言っても昭和40年代。地方ではまだまだそんなものだったのでしょうか。
片上八景の絵にこの宿の前身、回船問屋も描かれているそうです。
といろいろ驚くうちに最後はこれ。
電話室のガラスは当時のオリジナル。町で4番目の番号。
電話機も保存されています。
こんなにいろいろ見どころがあるのなら、もっとゆっくり聞きたかったのですが列車の時刻も迫ってきました。
JR駅まで急ぎます。
無人駅。駅前には店は一切ありません。静かな街でした。つげ義春氏の漫画に出てきそうな、不思議な宿のある不思議な街。
人が静かにほほ笑んで暮らしている、桃源郷のような世界・・・と妄想は果てしなく。
電車は赤穂方面へ。一時間に一本。これを逃すと大幅に予定が狂います。
レトロな宿の昔話から、少しずつ2024年の現実に戻ってきました。
そうですね、当節流行りの温泉旅館とは全く違う趣き、宿も宿の人も今の時代には稀有な不思議な体験でした。