久しぶりの読書記事です。
6月半ば、ゆめタウンでお中元を注文。20%のサービス券が付いたので、紀伊国屋で上の二冊買う。
松岡正剛、田中優子の「日本問答」は私にはわかりにくかった。最近とみに衰えた読解力、記憶力のせいもあるけれど、日本的なものをはっきりとした概念ではなく、いろいろな時代の日本にしか見られない現象などをお互い語り合う印象。そこから何かを読み取るのが私の能力では難しかった。
すべての時代を貫く、はっきりとした日本的なものってなかなか取り出しにくいのかもしれない。
この本で松岡氏の博覧強記ぶりに圧倒されたけど、田中優子氏の江戸時代だけではない目の配り方もさすがと思わされました。
松岡氏はこちら。
若い時はフォークソング風の歌の作詞作曲も。当時聞いて印象に残っていたけど、殆ど聞く機会もなく、歌詞をやっと見つけました。
小林啓子 比叡おろし 歌詞 - 歌ネット (uta-net.com)
youtubeにもある。もっとあっさり歌っていた気がするけれど。
「文学が裁く戦争」はいかにも私が読みそうな本。でも取り上げられた本、知らないのもたくさん。読みにくくて中断。
一気に読まないとそれまでの内容、忘れている。老化もここまで。
今期は二作受賞なので、分厚い。単行本を買うのは高いので、こちらを買う。
こちらは新しい時代の文学を探す試み。次代の文学のリーダーがここから生まれと来るといいのですが。
菊池寛は私の出た高校の昔の先輩。生家も高校の近くにあったとのことですが今はない。
存命中は流行作家。今では文芸春秋社を作り、芥川、直木両賞を創設、今に続く文壇の枠組みを作った功績の方が大きい。
これを読み始めたけど、昨夜は疲れて寝てしまった。
機織り一枚目、気に入らないので初めから新たに織り直すつもり。昨夜は機ごしらえほぼ完了のはずが、痛恨の通し間違いが1本。
なんで分かったかて?
空色の糸の並びに紫が一本だけ。修復は糸綜絖でもいいけれど、微妙に織り目が狂うので一部やり直しの予定。いつになるかは未定。
毎日余りに暑くてやる気もなくなっていたけれど、少し涼しくなった。それで歩いて公民館まで本を借りに行った。
こちらは軽く読めるので寝る前に。
山崎さんは筆名から想像して食わず嫌いだったけど、面白かったです。分かりやすい文章で深いことを書くのを手法としているそうで、家事などは日常、わざわざ言葉にする必要もないとたいていの人は思っているでしょうが、それだって頭も使い、社会参加もしているって。確かに、暮らしが回ってこその社会生活、文学も芸術も毎日の暮らしの中から生まれてくる。
子供を産んで家にいるときに気づきがあったそうで。家事も考えつつ、楽しんでやればいいのだと気が付いた。
お墓参りは読みかけ。
法然院に谷崎、東慶寺に高見順が眠っているそうです。この二か所だけは行ったことあるけれど、気づかず。何事にも時あり。興味がなければ通りすぎてしまう。人生という名の旅路もまたかくのごときならんか。
二階の一か所に本をまとめて置きすぎて床が下がり、台所の窓が開かなくなって夫に注意され、本はだいぶヤフオクに出した。
それ以後買ったものもあちこちに分散して突っ込んでいる。今さら新しい家具は買わない。それはいいのだけど、たまにひとかたまりで本が出てくる。
こちらは2~3年くらい前。本は背表紙を見せて並べ、たまにめくっていると定着するように思う。身近に最近の本だけでも置くコーナーをつくればよさそうですが、涼しくなってからですね。
3年前の9月に亡くなった故姑。生活していた場所の片付けが遅々として進まない。夫がすっかりやらなくなり、不要な場所に固定資産税払うのもしゃくなので、私が片付けて、壁紙なども替えて別の家として使おうかなと思案中。
最後はこういう展開ですよね。義妹の小学校時代の図画なんか未だ食器棚に引っ掛けて飾っている。それを処分すると非情の嫁ということになるのでしょうか。外して他のものとまとめてとっておき、義妹が来たら見てもらう。
家には持って帰らず、実家は今のままにしておいてと言われそう。まあ分からんでもないですが、今のうちにしておかないと、片付けはこれからますます難しくなる。子供たちに先送りしたら恨まれそうなので。
とは言えこの暑さ。思考がまとまらず、体が動かない。寄る年波がひしひしと。