10日の夜、会社の帰りに東京駅構内の本屋でぱっとみてぱっと手にとって買いました。
以前2年前に単行本ででた本で読もうと思いながらそのままだった本
話は・・
中学受験をインフルエンザで挫折し、中学校の登校拒否になった光司は、父の友人のライターの
田村章に連れられて被災地をめぐる旅に出た。
宮古、陸前高田、釜石、大船渡、仙台、石巻 南三陸 いわき 南相馬 飯館
破壊された風景を目にし、絶望せず前を向く人々と出会った光司の心に変化がおきる。
・・・・
ものがたりの形にしてあるが、重松氏が被災地への徹底取材により紡がれたドキメント。
もう4年
記憶の中から少し遠ざかってきてる感じが自分でもしていた。
しかしまだ福島はなんら解決もなされていない、少しも進んでいないどころか政府も東電も目にみえる
支援がなされてない状態ではないかとも思える。
故郷を奪われ、4年
日本の中に死んだ村と町がぽっかりあいてる、そのことをどう思うか
そんなこともなかったように、原子力をベースロード電源として今週、高浜原発の原子力規制委員会での
運転許可がおりる。
日本はだめかもしれない、だめにしてる権力層ということである。
棄民・・・・この言葉が今そのものではないかとも思える。
マスコミもまともに伝えない、報道ステーションが毎月11日に被災地からの生中継をしてるぐらい
読みながら
あらためて、自分がその津波につぶされて何もかもなくして絶望のどん底にいて
立ち上がることが自分はできるのだろうかと考えてみた、たぶん無理だろう、そのまま生きる力がなくなる
だろうなと思う。
いまだに自分の中で違和感を感じる言葉 「がんばろう日本」
当事者としては残酷な言葉なのではないか、こころの奥底ではこれは残酷かもしれない。
がんばらなくていい、がんばれる人だけがんばればいい。
今の安倍政権、3.11が何もなかったように、やりたい放題右に向かって突進している。
積極的平和主義??こんな矛盾した言葉はない。
国際社会において日本は平和国家というのが信用をもってきたはず。
話は変わったけど
原子力を動かすという判断をするのはまず人間ではない、畜生のすることというのははっきりしてる。