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安易に清水の舞台から飛び降りるが、意外に用心深い。極めて自己中心的だが、意識がない部分で情が深かったりもする。

くちこが邂逅した病理医の話 3

2019年06月07日 11時18分04秒 | 日記・エッセイ・コラム

多分・・・

くちこが、新卒からずっと看護師としてバリバリ働いたと思っている人、多いかと思いますが、

 

元々、両親に懇願されて?看護学校に入ったものの、

看護師になるつもりは無かったんです。

が、元夫に懇願されて進学もままならず、

※一年進学すれば、保健師とか養護教諭の道も。

不本意ながら看護師として就職した次第。

 

前回の解剖事件の時ね、

新卒で・・・妊婦だったんです。

妊婦だって、最後まで一人夜勤はしましたよ。

点滴を受けて帰宅したり、

夜中は、疲労のあまり、這ってトイレに行ったり・・・

もうさ、

どんなに貧乏になっても良いから、

この仕事からは足を洗おうと決意し、

二人目妊娠中に退職したのでした。

 

最後の職場は、

乳児を抱え、妊娠初期でありながら、

小児病棟で、月13回の夜勤に就いていました。

夜勤中、未熟児室を一人で背負っているのに、

病棟の採血も、配膳も、業務に入っていました。

よくぞ、医療事故も起こさず、無事に通り抜けたなあと。

 

ああ。

どうして、こんなにいつも話がそれまくるのか

 

退職して家に居たら、

遊びに来た近所の人が、部屋にあるピアノを見て、

「弾けるのか?」と。

く「少しは・・・」

「じゃ、少しで良いから、うちの子に教えて」と。

 

音大どころか、

高1の春までしかピアノ習っていないのに、です。

人生とは分からないもので、

その後、生徒は20人近くまで増え、

20年も続けることになるとはね。

↓参考までに

https://blog.goo.ne.jp/kazukomtng/e/68d450fa57b3c7d244295a686f193442

 

と言う事で、

当時の職業の主軸はピアノ講師。

それでも、アルバイト的に看護師のワラジも履いていたのでした。

 

さて、

※やっと本題( ;∀;)

企業の健康診断のお手伝いに行ってみると、

診察コーナーの医師は、あの病理医氏でした

なぜ病理医が

病院を定年退職された後の再就職先って感じ。

 

くちこは、自分の都合が良い時だけしか手伝いませんでしたが、

病理医氏は毎日みたいでした。

4,5年はご一緒したと思います。

 

よく奢って貰いました。

ステーキ、鮎、鰻、等々・・・

他のスタッフと一緒に。

 

理由は自分でも分からないのですが、

あれほど奢って貰っても、恩とか、感じなかったんだなあ。

そうそう、

パソコン、要る?って訊かれて、

貰えるんなら、貰っておこうかと、

「うん」と言って、

マウスまで一緒に貰ったノートパソコン、

貰ったものの、使い方知らないし、とっとと欲しい人に譲ってしまいました。

今から、20年位前、

パソコン、高価だったんだろうなあって、今更。

 

本当に変な話ですが、

恩に感じるとか、

お礼をしなくてはとか、

思わなかったんです。

 

要するに、先生が使っていたパソコンなんだけど、

古くなって買い換えたような話だったかと。

毎晩、パソコンで論文を書いていると言っていたなあ。

当時、ブラインド打ちで、英文も和文も打てるなんて凄いなあと思ったこと、思い出しました。

ちょっと検索してみたら、

ワサワサと論文がヒットしました。

でも、最近のは無い・・・

生きているのかしら?

御存命であれば、90代?

 

くちこは、自分の自覚以上に、恩知らずらしい。

若しくは、

前世で、くちこが先生の救世主だったのかも?

 

いろんな雑談が蘇りました。

先生はね、

天涯孤独な人でした。

両親とか、兄弟とか、甥姪とか、無し。

なのに良家のお坊ちゃまなので、資産はある。

自分が死んだら、全て地元の市に寄贈すると言っていました。

 

毎晩、狸一家が庭に来ていて、

ある晩、一匹、怪我をしていたそうで、

その狸を麻酔して縫合してやった話、とか。

 

どうしても、メスを飛行機に持ち込みたくてもめた話、とか。

此処には書けない話も。

 

健康診断の仕事が終わると、夕方から総合病院で、病理組織の診断を引き受けていました。

きっと夜まで?

当時70代?

 

どうしてそういう生き方を選んだのか?

人と繋がるために?

社会と繋がるために?

ただ、必要とされたから?

 

そうよねえ、

くちこからも、必要とされたら、

クソ生意気な学生でも、助けてくれたんだもんな。

 

以上で、ウルトラ脱線しましたが、病理医の話を終わります。

色々と思い出しているとね、

結構、病理医とは関係なく他にも・・・

また、機会があれば、此処に残すかもです。

 

写真が無いと寂しいので、昔の写真でも。

50歳での再婚式とか、

くちこが、世の中の厳しさについて丁寧に訓話した新生児達とか。

 

    

コメント (20)
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