初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

小学校の運動会

2009年05月31日 18時53分47秒 | Weblog
小学校の運動会に招かれました。

久しぶりの運動会で、昨夜から猛烈な雨で、一時はどうなるかと案じておりました。

幸い、夜明けに雨が上がりましたが、近郊の山からガスがたちこめておりました。

息子から、運動会の開始時間を遅らせてでも決行すると、小学校のホームページに出ていると云います。私の小学校時代に比べて夢のような話です。

 小学校の運動会は、パパが写真や8ミリ映画で張り切るのが相場でした。

大きな望遠レンズ付きの銀塩カメラか、8ミリ映画カメラでした。

それが数年経って、パパがビデオカメラで、横にママが重たいビデオを肩から下げているスタイルになりました。夫婦のいきのあった動きがほほえましく感じました。

次には、ビデオカメラにビデオ(レコーダー)が付きました。ママの役割は一応終わりました。

それから、銀塩カメラにかわって、NGカットを簡単に消去できるデジカメが出てきました。

しかし、コンパクトデジカメはズームレンズの倍率に限りがありましたので、運動会本部前のゴール地点にカメラを持ったママが殺到して、いやな風潮になってきたなと思っていました…。
 
 今日の運動会のPTA席には、脚立があったり、三脚、一脚が多くありました。スポーツ取材のプロ並みです…。

最近のカメラはビデオも撮れますし、ズームの倍率は大きくなりましたから、横からカメラを見てもビデオか写真を写しているのかわかりません…。

いずれにしても一脚は必需品でしょう。ビデオの場合、カメラのように、子供の大写しより、少し離れた位置でルーズショットで撮る方が楽です…。

昔ほど、カメラがゴール地点に近づく必要もないのでしょう…。

今日の運動場は、水たまりはなかったのですが、トラックのラインはあちこちひき直されていました。運動会開始時間が遅くなったのに、十分ほどの遅れで閉会式を迎えました…。

先生方の手際の良さに改めて拍手と御礼申し上げます。


五社協定

2009年05月30日 18時26分55秒 | Weblog
テレビが始まる前に映画には「五社協定」というのがありました。

 日活が映画製作を再開する動きが出てきました。そこで松竹、東宝、大映、新東宝、東映の五社は、日活を意識して、「五社協定」を結びます。

 各社専属の監督、俳優の引き抜き禁止。

 監督、俳優の貸し出し禁止で、

 日活は製作を再開しました。最初は劇団「民芸」などで制作していましたが、石原裕次郎の誕生で日活は抜群の興行成績をあげてゆきます。

 この「五社協定」で、映画会社間で俳優さんは借りられないし、お互い、不自由でした。やがて日活の好成績で日活が加わって「六社協定」になります。

 新東宝が倒産して、ふたたび「五社協定」になります。

 そのうち、映画産業が斜陽化して、「五社協定」はテレビに矛先が向かうのです。映画の俳優さんがテレビに出演できない時期がありました。

しかし、映画会社も製作本数が激減し、東宝は専属俳優を解雇、東映はテレビ用のドラマ、子供のテレビ番組多く制作します。

映画会社もテレビなくしては経営が成り立たなくなりました。

映画会社専属のスターシステムは崩れて、「五社協定」は自然消滅します。

私は、この「五社協定」を、別にどうというのではありません。

この「五社協定」の「五」という字にこだわります。

日本の面積、人口から考えると、企業の数が何となくこの「五」という数字に関係があるように思えるのです。

住んでいる大阪の民間鉄道を見ますと、阪神、阪急、京阪、近鉄、南海、の五つの民間鉄道に、国鉄が民営化で加わりました。
すると、村上××のせいで、阪神と阪急は合併されて、結局、五つになりました。

VHF地上波テレビはABCテレビ、MBSテレビ、関西テレビ、読売テレビ、NHK、で五つ。

私が聴取できる中波のラジオは朝日放送、毎日放送、ラジオ大阪、KBS京都、ラジオ関西、これも五つ、

家電は日電(にちでん=NEC、日本電気㈱の呼び名)、東芝、パナソニック、日立、シャープ、

新聞は、読売、毎日、朝日、サンケイ、日経、


日本は、「五大○〇」と言われて、日本の器は五つなのでしょうか。

古谷 充さん

2009年05月29日 17時59分11秒 | Weblog
写真説明:水面に風が吹きました。水に映っていた屋根がふるえました。Photoshop Elements 7でコントラストを強め、明るさを少し下げて、画面を180度、回転しました。

                … … …

 先日、テレビで、古谷充(ふるやたかし)さんが、アルトサックスを吹いているコマーシャルを見ました。何とも、なつかしい顔です。彼は学生時代から、プロのコンボを作って演奏していたそうです…。

在阪テレビ局で深夜のジャズ番組が流行ったことがありました…。

 テレビスタジオで隔週、二本撮りで「ミッドナイト・ジャズ」という番組で、お客様の前で古谷さんはアルトサックスを演奏し録画していました。

 スタイルはクアルテットかクインテットでしたが、編曲によってプレーヤーの増減はありました。

 スタジオにハガキで応募のお客さんを大勢入れ、スタジオにはライブハウス風のセットを組んで演奏されました。

 スタジオのお客さん用に、PA専門の (Public address=コンサートホールの場内拡声装置)業者さんに頼んで、スタジオ内に大きなスピーカーを数台持ち込みました。

 本線の音声は、各プレーヤーのマイクロホンから、ヘッド分けといいまして、本線用とPA用の音声をマイクロホンのアウトプットで分けて使います。

 また、各プレーヤーの足元には、そのプレーヤーの音を抜いたマイナスワン・スピーカーが置かれていました。

 毎回、美貌のクラシックのフルーティスト山形由美さんがゲストとして参加しました。

 ジャズにフルートを加えた編曲は多くあります。ジャズのフルーティストとしてハービー・マン、ボビー・ジャスパー。
 
 またカウント・ベイシーにもフルートが入った編曲がありました。

 彼女は、クラシック風の演奏で、アドリブも自分で納得の行くように採譜していたようです。「ストレート・ノー・チェッサー」や「マイルズ・トーン」などの早いブルースをリラックスした演奏を繰り広げていました。

 古谷充さんは山形さんとのトークと曲目の紹介に、演奏と大活躍でした…。

私の好きなアルトサックス奏者は、古谷さんのほか,渡辺貞夫、アート・ペッパー、ジュリアン・キャノンボール・アダレイ、ベニー・カーターなどです。チャーリー・パーカーは別格です。


ハムレット

2009年05月28日 18時03分41秒 | Weblog
 テレビがまだなくて、「動く映像」に飢えていたころ、毎週のように映画を見に行きました。外国映画は大体アメリカ製でしたが、英国からテクニカラー総天然色の「赤い靴」「天国への階段」がやってきました。

「赤い靴」はバレリーナ、モイラ・シャーラーの主演で、赤い靴を履くと死ぬまで踊り抜くという話… 。

「天国への階段」は第二次大戦中、負傷した英国戦闘機のパイロット役のデヴィッド・ニーヴンが手術中のベッドに横たわっています。そのベッドの横に象徴的に天国への階段が出来ています。手術の経過によってニーヴンは、天使の招きで階段を天国へ昇ったり、彼の恋人に地上へ引き戻されたりする話。天国を白黒で地上をカラーで処理する意欲作でした…。

 また、白黒映画、シェィクスピアの「ハムレット」、油を塗ったような黒光りする城壁のセットは重厚でした。

ローレンス・オリヴィエのハムレットが

「To be or Not to be」
「生きるべきか、死ぬべきか」

ハムレットがジーン・シモンズのオフェリアに

「尼寺へ行きゃれ」

のセリフが聞かれました。

                … … …

テレビで劇場中継がVTR撮りがありました。

 フランスから来たジャン=ルイ・バローの「ハムレット」の中継録画です。
英語でも無理なのに、今度はフランス語の「ハムレット」です。

 福田恒存翻訳の文庫本が台本で、普通の台本のサイズに作り直したものでした。文庫本より台本がはるかに高くついたようです。

 この日本語の台本でジャン=ルイ・バローのフランス語のセリフを聞く下見です。なんともすさまじいものでした。

 この暗い下見席の前で、膝に福田恒存の文庫本を開いて、熱心に芝居を見ている少女がいたのには驚きました。

 舞台は、天井から束ねたカーテンが柱のように四本下がっていて平台がありました。
その平台をいろんなセットに見立てての芝居でした。

 中継本番は、中継車にフランス語の堪能な女の子が、

「今、台本の△△頁…」

と云ってきます。

それを頼りに仕事をしました…。


続・カラオケ

2009年05月27日 17時47分22秒 | Weblog
美空ひばりの正月用の特別番組のVTR撮りがありました…。

美空ひばり本人のほかには伴奏の楽団はありません…。

すでに、スタジオミュージシァンでカラオケテープが出来ています。

普通、スタジオミュージシァンと云われる人々の演奏は抜群で、楽譜の初見で一発、OKがでるほどの演奏の技量の集まりだそうです…。

 スタジオでテープのオーケストラに歌声をかぶせる、つまり「カラオケ」です。

 朝、彼女はスタジオに現れました。スタジオはまだ照明用のライトはついていません…。

 蛍光灯の地明かりだけです…。

 彼女は、声を出しながらスタジオの中を歩き回っています。スタッフはまだ集まっていません。

 彼女は、徐々に発声練習を始めまして、無伴奏で歌を歌っています。

いつもの、声がすぐに出てきました。たいしたものです。

 副調整室(サブと云います)で、持参のテープを聞きます。

フルトラック38センチのテープスピードに伴奏が入っています。

「もう少しピッチを下げてくれない…」

 彼女は云います。

 横で彼女に付き合っていた音声エンジニアのYさんは、小さな金属の筒が並んでいる、細長い箱の中から一つ、つまみ出して、テープレコーダーのキャプスタン軸のネジを外して、キャプスタンの筒を交換しました。

                 … … …

  テープレコーダーは左側のリールからテープがキャプスタンとピンチローラーに挟まれて、右側のリールに巻きとられていきます。このテープレコーダーの性能はキャプスタンとピンチローラーの精度にかかっています。

SFラジオドラマで キャプスタンに小さく切ったセロテープを貼り付けて、ワウワウ…という音で宇宙人の声を表現したのを聞いたことがありました…。

                 … … …

 キャプスタンを交換したテープを聞いて、彼女は納得しました。

 横にいる私らには、ピッチがどう変わったのか分かりません。

 「絶対音感」の彼女には納得がいくのでしょう。

 正月用特番はVTR分割撮りで、彼女は1、2曲歌うと、衣装替えにメイク室に行きます。その繰り返しで、問題なく撮り終えました…。


ツィゴイネルワイゼン

2009年05月26日 19時06分04秒 | Weblog
特番で辻久子さんのインタビュー番組がありました。

インタビューが終わって、

「では辻久子さんの演奏をお聞きください…」

辻久子さんのバイオリン演奏は別のスタジオで、別ロールでVTRに撮ります。

曲目はサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」で、オーケストラバージョンではなく、ピアノとの演奏でした。演奏はプレスコで済ませてあります。.

プレスコとはプレスコアリング(Prescoring)の略で、ミュージカル映画で、先に演奏や歌を録音します。その録音された演奏をスタジオで流して歌や踊りなどを撮影します。そして、プレスコの音声と撮影された映像を編集で合わせる手法です。

辻久子さんは、プレスコの音を聞いて、演奏をなぞります…。

スタジオに流されるプレスコの音量が並ではなかったのでした…。

スタジオで話が聞こえないほどの大音量でバイオリンとピアノが、がんがん流されました。

その中で演奏をなぞります。プレスコの演奏はもちろん素晴らしいのですが、繊細なバイオリニストのイメージとは違いました…。

彼女はその大音量の中でしか演奏をなぞれないと云っていました…。

彼女が演奏するバイオリンは、国産の名器「日竜? 日輪?」でした…。

音楽番組は 音楽ホールのVTR撮りが普通です。カメラは客席の後ろですから、平面的に写る望遠レンズでしか撮れません。(白黒テレビカメラの撮像面はライカ判で、レンズは135ミリ、200ミリ、400ミリ、600ミリです)

スタジオでのVTR撮りでは、普通のレンズ(35ミリ、50ミリ、85ミリ、135ミリ)で撮れましたので、自然なパースペクティブと新鮮な映像が撮れました。

数年たって、彼女は邸宅を売却して、ストラディバリウスを手に入れました。


エコーチェンバー

2009年05月25日 18時29分07秒 | Weblog
銭湯や、自宅の風呂で気持ち良さそうに唄っている人がいます。自分の声が湯船やタイルのあちこちに反響して、うまく歌っているように聞こえるのでしょう… 。

この反響、言い換えれば残響ですが、クラシックでは演奏に残響が加わると魅力的に聴こえます。

これを売り物にした「残響2秒」と銘打ったホールもあります…。

               … … …

 ニューヨークを活動の拠点にしていたラテン音楽の「ルンバ」を演奏するザビア・クガー楽団がありました。
 日本にもそれに劣らぬ実力の見砂直照(みさご・ただあき)と東京キューバンボーイズがありました。

 新しい「マンボ」をひっさげで、キューバからペレス・プラード楽団が、アメリカで爆発的な人気になります。メロディーを奏でる金管楽器群と、うねるようなリズムを刻むサックスセクションは新しい音でした…。

 ペレス・プラードの金管楽器群の艶のある音を、なんとか東京キューバンボーイズでも出したいと、工夫していました。

 わが局の音声エンジニアのSさんは、反響の多い風呂場でスピーカーから音を流し、マイクで音を拾います。風呂場では雑音が多いのと、残響の時間が気に入らなかったようです。

 いろいろテストして、社内の男子トイレが理想的となりました。
男子トイレに持ち込んだスピーカーから東京キューバンボーイズの音楽を流して、持ち込んだマイクで残響を含んだ音楽を拾います。生の楽団の音楽とミックスして成功しました。

 この録音は全国的に評判になりました。

 その後、新社屋では残響専門に一室、エコーチェンバーとして作りました。

 この「エコーチェンバー」を音声エンジニアーが使うときは、他の番組とかちあわないように相談して、使っています。

「テープエコー」といって、テープレコーダーの録音ヘッドの隣に複数の再生ヘッドを設けて、
山びこのように聞こえる方法もあります。また箱の中にスプリングを張って、一方から音を流して、スプリングの反対側から時間差の音を取り出す装置など、アナログ方式でいろいろ出てきました。

 最近は、デジタル機器で時間差や、いろいろのエコーがスイッチ一つで簡単に出せるような装置が出てきました。


カラオケ

2009年05月24日 18時25分09秒 | Weblog
 名古屋や京都の芝居の劇場で、流行歌手が歌と芝居(実演)で、上演していました。

プログラムの前半は司会者の紹介で次々とヒット曲が歌われます。

昼食や夕食の休憩時間を挟んで、次に(実演)時代劇など芝居が上演されます。

 あるとき、この「歌と芝居」の芝居の部分の中継録画がありました。

 中継車には、2インチテープの大きなVTRを2台積み込んであります。
それに、芝居を録画するのです。

 この「歌と芝居」の企画は大あたりで、女性客が大勢でした。

 大入りの続く劇場で、客席後部を横一列、スタッフの下見に予約することができませんでした。管理室で下見と決まりました。

 大きな窓から舞台は見えますし、部屋にスピーカーが付いていまして、舞台の俳優さんのセリフが聞こえてきます。

 われわれスタッフは懐中電灯片手に台本のセリフを追いかけます。舞台の上の俳優さんの位置をメモしながら… 芝居が始まると、場内は暗くなりますので、下見に懐中電灯は欠かせません。

 管理室に続いて音声室(ミキシングルーム)となっていまして、芝居で必要な効果音や、ブリッジ音楽を流しています。

プログラムの前半では、楽団を従えて、歌手が歌っていましたが、何となく、隣の音声室を見ますと、プロ用のテープレコーダーが回っています。2トラ38、 (つーとら、さんぱち)の高音質で回しているようですが、カラオケだと直感しました。

 楽団は演奏していないのです。いくら仕事だとはいえ、演奏しているふりをさせられている楽団が気の毒でした。

 芝居の専門の劇場で音楽は難しいのはわかりますが…。

 カラオケはもともと業界用語で、

「音はカラオケで行きましょう…」

などと地方の局などで音楽番組を作るときは、よく利用されていました。

 カラオケは簡単で便利なのですが…


三輪そうめん

2009年05月23日 18時33分29秒 | Weblog
説明:大阪府東大阪市と奈良県生駒市の県境にある標高642㍍の生駒山。山頂付近のテレビ放送用のアンテナ群(大阪、京都、神戸方面行き… )。放送電波の切りかえに備えて、アナログ用アンテナと地上デジタル用アンテナが林立しています。

 そうめんは、兵庫県の「揖保の糸」奈良県の「三輪そうめん山本」が有名です。

 そのそうめんを作っている三輪そうめん、の作業風景を中継することになりました。
 
 そうめん作業場のご主人は、空を見上げて、今日は大丈夫と、うなづいてカーテンのように見える竿を庭に出してきて並べました。

 この竿のことを「かどぼし」と云うそうです。

 この「かどぼし」を背景にインタビューが行われる段取りでした。

 近くには、[山辺の道]、「大神神社(おおみわじんじゃ)」などがあります。

 桜井市のそうめんの作業場と本社大阪のテレビ局の間には大きな生駒山がそびえていますから、中継車のマイクロ波がテレビ局に直には飛びません。

 桜井市の中継現場のマイクロ波を生駒山の山頂で一度受けて、そこから大阪のテレビ局へマイクロ波を飛ばします。通称「二段中継」と云います。

 その「二段点」の技術スタッフの“STさん”が、そうめん作業場に打ち合わせにやってきました。

“STさん”は「雨降り男」として皆の間で云われている人でした。

“STさん”が姿を見せてしばらくすると、空に雲が湧いてきて、天気があやしくなりました。

そうめんの主人は

「今日は大丈夫のはずなのに」

と首を傾げて、「かどぼし」の竿をあわてて、片付けはじめます…。

 時間が来て、STさんは、持ち場の生駒山の中継二段点へ去ってゆきました。
すると雲も少なくなってくるのです。“STさん”が現れるとどうして「雲行きが」あやしくなるのでしょう。

 本番中に、はるかな生駒山を眺めますと、黒い雲が近寄っていきました…。
 
 昨日の「Sやん」といい、今日の“STさん”がなぜ「雨降り男」なのか不思議です…。

岡田さん天気にしてよ

2009年05月22日 18時33分44秒 | Weblog
  写真説明:散歩の途中で、邸宅の門の両側で花が綺麗に咲いていました。

「岡田さん天気にしてよ…」という看板を掲げた旅館の表を写した古い写真がでてきました。

 映画で毎日、雨模様の天気が続いて、ロケーションの撮影ができないのです。

 ロケ先で雨,田舎の宿屋に閉じ込められるとスタッフや俳優さんたちは気が腐ってきます。

 製作部は、映画を企画した段階から、封切り日が決まっていますから、ロケーションで予定が延びることには気が気ではありません。

 そこでげんを担いで、「天気祭り」行います…。

 この「岡田さん」は、当時の良く売れていた女優さんの名前です…。

 天気を良くしてもらうために「天気祭り」と称して、ロケ組一同で酒盛りを始めます…。

 費用は、ロケマネ(ロケーション・マネージャー、今は製作部、製作進行といいます)や主演の俳優さんが費用を持ちます。

 私も一度この「天気祭り」に参加したことがあります…。

 宿屋は特別料理を作ります。みんなは酒が強いですから、徳利が次々と空いてゆきます…。

              … … …

 世の中には、「天気男」と「雨降り男」と云われる人がいます。

 わが“Sやん”は強烈な雨降り男でした。なんとテレビで京都の生中継「祇園祭」の山鋒巡行のスタッフについていました。

 そのとき、別のテレビ局も生中継を準備していました。うちのスタッフの“Bさん”は天気男ですから、雨は大丈夫ですといいます。

 まもなく、生中継が始まりますと、雨がポツポツと降り出しまた。わか“Sやん”が勝ちました…。

この強烈な雨降り男の“Sやん”は小学校の時から遠足に行ったことがないと、云っていました…。

 私は「天気男」のほうに近いと思っていますが…。